第102話 不自由な言葉
「こ、これでいいのだろうか。いやそれより先に子供達のご飯を急がないと」
色々と悩んでいたら時間も忘れてしまい、もう日が沈んでしまった。今から作ってももう遅いと馴染みの串焼き屋に寄って、左手にその包を。右手には一回り小さな袋を提げ、灯りなんてほとんどない道を走る。
「甘味は明日誘う。ピアスも……うん。きっと大丈夫だ。店員に勧められた中から選んだやつだからきっと」
トーカのアドバイスを聞いた堅は、甘味か装飾品どっちが良いのかすら選べず、結果としてどちらも採用。ピアスは何故だか物凄くニコニコしていた店員お勧めの中から、穴のいらないタイプのひし形の物を購入。女性への贈り物なんぞした事もなく、すでに顔が熱い。
「はぁ……ふぅ。よし。ただいま」
走った熱と恥ずかしさの熱を深呼吸で吐き出し、孤児院の鍵を開ける。ちゃんと鍵が閉まっていたままという事は、何事も無かったという事。子供達の安全にもう一度息を吐きつつ、家の中へ。
「ん?」
しかし、おかしい。玄関にも居間にも、子供達がいない。遊んでいた後はほとんどなく、ただ本棚から漫画が何冊も抜け落ちている事以外、堅が家を出る前から変わっていないのだ。
「まさか誘拐……!?」
鍵は確かに閉まっていた。だが、窓から侵入されたなら話は別。最悪の事態を想定しつつ、荷物を机に置いた堅は、家の中で子供達に出入りを許した範囲を駆け回る。
「くそっ!どこに!あれ?」
何処にも、いない。焦燥感が汗となって額を伝わり、目に入る。痛さに瞼を抑えて擦り、片目となった視界に映ったのは、普段は鍵を掛けているはずのもう一つのドア。それが、開きっぱなしになっているというものだった。
「あの女!」
独り言なんぞと言っておきながら油断させ、子供達を連れ去ったのか。確かに、身体に爆弾が埋め込まれているのなら、巻き込む範囲に人質を使うのは有効な策だ。いや、そもそも身体に爆弾が埋め込まれていないという事に気付いたのか。
「呼びました?もしや脱走したとでも?」
「なっ!?」
奥の部屋から聞こえてきた、不満そうな女性の声と笑う子供の声に、堅は床を鳴らす。そして扉を開けたその向こう側には、想定もしていなかった光景が広がっていた。
「お、お前達!?」
「げっ!?堅のおじちゃん!」
ベッドの上で楽しそうに漫画を開いていた子供達と、彼らに囲まれてどこか困った様子のトーカという、互いの関係を考えれば到底ありえない一枚絵。視覚から情報は送られてくるものの、脳はいまいち処理できず、堅はしばらく固まったままだった。
「な、なにを?」
「私が暇だろうと、マンガを持って読み聞かせてくれていました」
「か、鍵は……?」
「貴方が掛け忘れていきました」
「〜〜!?」
頭を抱えて考える。いつかこうなる可能性も想定はしていたが、まさかこんなに早くで、しかも原因は自分のミスでとは。トーカの目配せと子供達の様子から、おそらく外国人の嘘が上手くいったことを知り、その点だけは安堵する。
「太一。涼介。司朗。なんでこの部屋に入った?」
「えっと、ごめんなさい」
「一葉のお兄ちゃんが、鍵の掛けられた部屋には宝物があるからって」
「だから、探検しようって……」
名前を呼んで三人を目の前に並べて、怒る前に理由を聞いて、再び頭を抱える。子供に一体何を話しているのだろうか、あのハゲは。鈍い堅にだって、宝物が何を指していたかは十分に分かる。
「……あいつは後で〆るとして、鍵を掛けなかった俺も悪かった。でも、約束を守らなかったのはいけない事だ」
まずは元凶である一葉への処置、そして鍵を掛け忘れた自分の罪を認めてから、約束を守らなかった事を叱る。今までがいい子過ぎたくらいで、子供とはこのようなものだろう。
「ダメ、という事には理由があるんだ。危なかったり、知られると不幸になってしまう人が出てきたり。何の意味もないわけじゃない。だから、こういう約束は守らないといけないんだ。分かるか?」
「うん……」
怒鳴り散らすのは性に合わず、堅は静かに教えるように、怒っていた。それでも、子供には感情がちゃんと伝わっているようで、しゅんとした様子で下を向いている。
「今後、約束は破らないと約束しなさい。いいね?」
「分かった」
「……ならいい。さ、あっちでご飯を食べよう」
「堅のおじちゃん!あの、トーカお姉ちゃんの部屋には、なんで入っちゃダメだったの!」
叱り方はこれで合っていたのか。分からないが、子供達の反省している様子を見て、堅はもういいだろうと肩の力を抜いて、もうすっかり夜だとご飯にしようとして、子供の質問に固まった。
「えっと、それはだな……」
「私いるという事を、誰かにバレないようにです。もし、ここに私がいるって広まったら、私にひどい事をする人が出てくるでしょうから」
本当の事を言うなら、トーカが日本人達を虐殺してきた騎士だから。でも、そうとは言えずどう言えばいいのか迷っている堅に、彼女は助け船を出してくれた。
「なんで、酷いことをするの?」
「お姉ちゃんが、悪い人達に似ているから?」
「けど、そんなのおかしいよ!トーカお姉ちゃん、いい人なのに!」
「本当にそっくりで、間違えられても仕方がないくらいなので。とにかく、私は外に出たら危ないんです」
何も知らない子供を優しく諭す、子供達の親の仇。異常とも言える光景に堅は言葉を飲んで、行く末を見守り続ける。
「だから、私がここにいるって事は、誰にも言わないって約束してくれますか?」
「分かった。お姉ちゃんがそう言うなら、約束する」
「ありがとうございます。じゃ、今日はご飯を食べてもう寝なさい」
堅がさっき使った約束を、トーカもまた利用する。頷いた子供達に彼女は笑顔で頷き、手を振るが、
「トーカお姉ちゃんは、食べないの?」
「一緒に食べようよ!」
「わ、私は……いいです。今は、お腹が空いていなくて……」
「そう言う事だ。ほら、あっちの部屋でご飯を食べるぞ。今日は串焼きだ」
子供達に服を引っ張られ、今度は彼女が戸惑う番だった。何も知らないが故の子供達の無邪気さに、トーカの心の中は一体どうなっているのか。ただ、助け船が必要な事だけは分かった堅は、ブーたれる子供達を引き剥がして部屋の外へと誘導する。
「お姉ちゃん!また明日ね!」
「今度は文字、教えてあげる!」
「漫画の続きもね!」
「えっとその、ありがとうございます。おやすみなさい」
「「「おやすみなさーい!」」」
同じ家に住んでいるというのに、扉が閉まるまで子供達は手を振り続けていた。
興奮していた子供達を寝かしつけるのに苦労した後、堅はトーカの部屋を訪れていた。
「悪かった。鍵を掛け忘れていた俺の責任だ」
「ええ。約束を守らなかった彼らにも非はありますが、どちらかといえば貴方が悪いです。子供達の好奇心を甘く見過ぎです」
「返す言葉もない……それと、今後についてだが」
存在が露見してしまったなら、方針を話し合わねばならない。トーカを殺害するか、軍に突き出すか、このまま家に監禁したままにするとしても子供達に合わせるか否か。
「安心、してください。子供達に手を出すつもりは一切ありません。軍に突き出すのが、一番だとは思いますが」
「……そうか」
一番は分かりきっている。分かりきった上で、トーカはこのまま家に監禁されたままでも、子供達の身の安全は保証すると約束した。堅は、その言葉にどう返せばいいのか、分からなかった。
「…………私としても、不思議です。前は、子供でも忌み子であれば殺意を持てたはずでした。実際何人も、十歳にも満たない子供を殺してきました。でも、あの子供達と一緒にいた時間、私は殺意を忘れていました」
「……」
彼女にも理解不能だった、自身の心境の独白。堅は、ただ目を閉じて黙って聞くしかなかった。
「マンガという、絵本のようなものを読み聞かせてくれました。似たようなものはありますが、あのような絵の描き方は初めてで、新鮮でした」
お世辞にも上手いとは言えない、子供らしく擬音混じりの読み聞かせだった。でも、それでも。頭の中で子供の声を漫画のコマに当てはめれば、大体の内容を理解する事が出来た。
「腕と脚がないのは何でかと聞かれ、外国人で騎士と間違われたと嘘を吐いたら、自分の事のように怒って、悲しんでいました。私は、彼らの両親や家族、友達を殺したかもしれないのに」
読み聞かせの最中に気づいたトーカの身体の欠損の理由を聞いた彼らは、怒った。そんな奴ら、許さないと。
「今度は守ってあげる!とか言ってるんです。おかしな、話ですよね……」
おかしな話だ。本当におかしすぎて、トーカには理解出来ない。
「前線に立てない身体になったから、なんでしょうか。どうして……こんな……」
「……知るか」
堅は家族と仲間を、騎士に殺されている。その騎士の一人が、日本人の子供達と遊んでいた。何の殺意も持たず、敵対もせず。文字が読めない異世界人である彼女に漫画を読み聞かせ、また、彼女も子供達に美味しいお菓子を与え。
なんともまぁまぁ、おかしくって。堅もトーカも、自分の心境が全く理解出来ない。あの時間を楽しんでいたのか、それとも苦しんでいたのか。喜ぶ子供達に胸が痛んだのか、それとも喜んだのか。
「とりあえず、貴様はまだ突き出さない。子供達に仮に危害を加えたら、その時は俺が殺す」
「……はい」
きっと、今この胸の内を言葉にする事は絶対に不可能だ。だから、堅はとりあえず、分からないことは分からないままにした。
「下手に会わせない方があいつらもごねて、もしかしたら外に聞こえてしまうかもしれない。だから、俺がいない間、見れるならあいつらの面倒を見てろ」
「…………いいんですか?私は騎士ですよ」
「さっき手を出さないと言ったのはどこのどいつだ」
「信じるんですか?仇を?」
「殺すなら、今日出来た。人質にとって逃走もな」
堅は軍人で、やはり日中の大半は外に顔を出さねばならない。見ていない内に子供達が何をしでかすか分からない現状、トーカという保護者が出来る事はいい事だ。彼女が、子供達に危害を加えない事を信じれるなら。
「少しはお父さんらしい事をしていると思いましたが
、撤回します。殺人犯に育児を任せるなんて、到底まともな父親とは思えません」
「殺し回ってた相手の子供の面倒を普通に見ていた殺人犯も、まともだとは思えん……聞きたい事が、一つある」
「何でしょうか」
「帰還用の魔法陣、持っていないか?」
互いに互いを皮肉し合って、堅は五つ子亭で環菜と話した時から聞こうと思っていた事を、トーカへと尋ねた。それは、この街を救う為に足りない最後のピース。それさえあれば、すぐにでもこの街から仁達が出発できる。
「何故、その事を?一体誰が……!?マリーも知らな」
「存在はしているんだな。情報源はジルハードという男が、仁に話した『聖女』の話からだ」
「……やっぱり、男は未練たらしいですね。彼を馬鹿にするつもりは、決してありませんが」
情報を漏らしてしまったジルハードを責める事は出来ない。メリアは世界を救う為に命を投げ捨て、ジルハードは彼女の事を愛していた。それでも、愚痴の一つくらいは言わないと気が済まなかった。
「これがあれば、俺らの戦いは終わる。お前達とも殺し合いをしなくても済む。お前は、騎士団に無傷で戻れるんだ」
「残念ですが、とんだ夢物語です。あれを発動させるにはそれこそ、世界を数回吹っ飛ばすくらいの魔力が必要なんですよ?一体どこに当てがあるのですか?」
「……ある。『魔女』に発動させると、聞いている」
本当に、今すぐにでもあの魔方陣を発動出来れば、もう誰も死ぬ事はない。不幸になるのは仁とシオンだけで、それ以外の人間は全員救われる。
「……正気ですか?確かに魔力は足りるでしょうが、魔女なんて目覚めさせた瞬間に世界が滅びますよ」
「勝算があると、彼女は言っていた」
「信じられません。『魔女』に勝つなんて。『魔女』と『魔神』を除いた全世界と戦って勝つ方がまだ現実的ですよ?」
シオンから環菜を通じて聞いた堅に全ての情報は伝わっておらず、『魔女』への勝算というものが詳しく分かっていなかった。それが証明出来ない以上、『魔女』の恐ろしさと伝説を幼少から教え込まれたトーカを説得できる訳もなく。
「そもそも、私のような一兵士が持っているはずがないでしょう。諦めてください」
「……そうか。なら、いい」
「貴方は、知っているのですか?私達が、この世界に来た訳を」
『聖女』の物語を聞いたならば、世界を超えた、否、世界を超えるしかなかった理由も知っているはずだ。
「ああ。まぁ、聞いた」
「そう、ですか……その、どう思いましたか?」
どうしようもなかった。超えるしかなかった。例え相手の世界に滅びをもたらしてしまうかもと分かっていても、自分達の世界の滅亡は止めたかった。そして、その事を知って、家族を殺された男は何を思ったか。
「何も変わりはしない。絶対に許す事はないし、顔を見ている今でも殺意が散らつく。殺人を犯してもいい理由なんて、この世に一つたりともありはしないんだからな」
「……ありがとうございます。そう言ってもらった方が、気は楽です」
何も変わらない。その通りだ。例え理由があったにしろ、堅は家族を世界転移に殺された。だから、憎しみに身を焦がしたままだと語る彼に、トーカは安心したように笑う。そうやって、責めてもらった方が気が楽だから。
「……けど、殺すしかなかった理由は、この世に何個もあるってのは分かる」
「……」
「俺も、そっち側だったら、同じ事をしただろう」
「…………そう、ですか」
でも、逆の立場だったらと想像したら。堅は、自分達の家族がいる世界を守る為に、トーカの家族を殺していただろう。現実は何も変わらずとも、仮定の世界は大きく変わった。
「そう言えば、です。明日はどうするのですか?」
「あ、明日?」
「甘味に誘うのでは?その間、子供達の事を私に頼むべきなのでは?」
しばらくの沈黙の後、トーカがようやく口を開いた。内容は、明日環菜と会っている間、子供達を誰が見るのかという少し眉を寄せた質問だ。
「さっきは頼むのが正気かとか言っていただろう……こんな事があったんだ。明日は事情を説明だけして帰っ」
「貴方こそ、さっき信じるといったではありませんか?後悔しても知りませんよ」
「……いや、しかし……」
さすがに、殺人犯と子供達が邂逅して仲良くなったという奇妙な状況で、恋路にかまける訳にはいかない。堅はそう思い、明日の弁明と詫びを兼ねたデートのようなものを諦めていた。が、トーカはどうやら行って欲しい様子である。
「そんなに後ろめたいなら、見返りを求めます。その代わりに、私は職務として子供達の面倒を見ます。情報を得る為の労働です。情報が貰えなくなるので、ちゃんと仕事はしますとも」
ぺらぺらと饒舌に、理由をつけてまで送り出そうとしてくる。女というのは本当に訳が分からないと堅は首を傾け、
「ここから解放するってのは絶対に無理だと言って」
「分かっています。だから、別の事です」
見返りに要求されるであろう解放を先回りで断るが、トーカが口にした内容は全く別のものだった。
「文字を、教えてください。マンガが読めません」
「……は?」
「もちろん、信用出来ないでしょうから、後払いで構いませんよ?」
日本語を学んで少しでもこの街の機密情報を得ようとする為か、それとも本当にマンガの続きが気になるからか。何故だか、今日家を出た時より表情が柔らかい気がするトーカの顔からは、どっちが目的なのか分からなかった。




