第100話 リミット、人生百分の一の更に六分の一
とりあえずどこか話せる場所をという事で、失神しかけた堅と環菜を五つ子亭に引きずって輸送。シオンと楓に挟まれた環菜が、子供達を横に並べた堅と向かい合う形で席に座っている。
「で、孤児院を始めたんですね」
「…………おう」
まるで冷やし中華のような言い方の楓に、顔を手で覆い隠したまま俯向く堅が声だけで肯定。パパをしている姿を見られてから、ずっとこうである。
「だって!良かったじゃない!環菜さん!」
「……うん。良かっ……ちょっと何言ってるのシオンちゃん!?」
「もご!?」
環菜は本当の意味でパパになった訳ではない事には喜びつつも、これでは想いがバレてしまうとシオンの口を塞ぐ。しかしながら、まぁそれは誰が見てももう、恋する乙女そのものであり。
「ねぇ、この人堅おじちゃんの彼女?」
「やーい!彼女ー!」
「キスしろー!」
「ち、違う!待て!」
「何言ってんの!?」
ついてきた子供達にからかわれる始末。慌てて否定するも、声変わり前の声は大きくなっていく一方だった。
「おい、そこのガキンチョ共。お兄さん達、大切な話をしているからな、俺と遊ぼうや。ほれっ、たかいたかーい!」
「ひっ……うわっ!?たっか!?」
そこに一石を投じ、いきなり子供を掴んで天井すれすれまで放り投げたのは、菜花と好い仲になっている一葉だった。非番だったところ、空気を読んで子供達と遊んでくれるらしい。
「お、お前……」
「まぁ、俺別にガキ好きなんで。ちょっと遊んできやす」
真顔に一瞬怖がった子供達だが、ついで見せた笑い皺の多い顔に僅かながらに警戒心を解き。全員が放り投げられて肩の上に乗る頃には、禿げた頭を太鼓代わりにするくらいに慣れ始めていた。
「仁が言ってたわ。ろりこんね」
「否定してえけど、菜花の体型だと何も言い返せねえ……まぁ、仁の大兄貴も大概だとは思うんですが。あ、これ内緒にしてくだせえ。しばかれます」
「……今私の事、子供扱いしなかった?」
少し意味の違うシオンの暴言に傷付きつつも、自分の彼女であるちみっこを思い出し否定出来ないと呻く一葉。ちょいと反撃に出たは良かったが、子供みたいな身体の黒髪の獅子に威嚇され、途端にハンズアップしてターン。
「じゃ、堅の大兄貴。環菜の姉御、頑張ってくだせえ」
「「ちょっ!?お前!?」」
最後に強面に似合わないウィンクをして、もう二人ほどの敵を量産した一葉は、子供を担いだまま脱兎の如く外へ。遠のく子供達の無邪気な笑い声に、残された面々の間に微妙な沈黙が漂う。
「な、なんで始めたの?」
「え、いや、何か、出来る事ないかって思って、前に年端も行かない子供達が泥棒してるのを見て、それで」
ぎこちないながらも破られた沈黙に、堅はたどたどしく己の思いを声にして返す。それは、酔馬が街の為に死んでから、ずっと何かしようと考える中見つけた自分なりの答え。未来に繋ぐ為の、何か。
「……いい事じゃない。司令も噛んでるの?」
「一応。今は存続だけに精一杯だったけど、そろそろ先を見なきゃって事で。俺のを参考に少しずつ改良を加えて、いずれ孤児をなくすのが目標らしい」
真面目な彼らしい、この街の問題を減らそうとする答えに、環菜は本心からの賛美を述べる。司令との関係を説明する堅も、どことなく嬉しそうで照れ臭そうだ。これはなかなか良い雰囲気だ。
「でも、あれはないと思うんだけど」
「ど、どう接したら楽しんでもらえるかって考えて試行錯誤して、一番あれが受けたんだ!俺だって、その」
「その割には楽しそうだったけど?」
「お、お前!」
ショックを受けていた環菜も、いつもの調子に戻ってきた。からかって笑って、いじられた堅もどことなく満更でもない様子で、そんな二人をシオンと楓は暖かい目で見て。
「環菜さん、堅さん、そろそろ私とシオンちゃんはお暇しますね」
「「えっ」」
席を立った楓と、強化を用いて環菜を飛び越えたシオンは、若い彼らを残して立ち去ろうとする。ちょっと待ってと目線と二文字で助けを求められるが、やはりお邪魔虫だ。踏み込んだ話も出来ないだろう。
「そうするわ。邪魔しちゃ悪––」
「シオンさんが、今から仁さんをデートに誘うので」
それに、今からシオンは仁をデートに誘わねばならない。
「…………ねぇ、やっぱり残っても……」
「「いってらっしゃい」」
「さすが息ぴったり……」
思い出して白目を剥き、ここに残ろうとしたシオンだったが、仲良く手を振る二人に一周回って黒目を剥いた。思いの外強い楓に引っ張られ、ドナドナされていく少女を見送った堅と環菜は向き直り、
「あれか。ついにくっつくのか」
「まぁどうなるかは分からないけど、背中押すって感じ。不器用で遠慮しいだからね」
仁とシオンについて話し始める。彼らにとっては弟と妹のような友という、大事な存在だ。くっついてくれたら、こんなに嬉しい事はないくらいに。ただ、堅は仁の事を疑っている為、素直に喜べなかった。
「仁が不幸になりたいーなんて理由で拒否ってるけど、知るかよってね。何せ、あと二ヶ月もないんだし」
「……二ヶ月?おい、それはどういう事だ?この街がもう!?」
「あ、そっか知らないのか。これ言っちゃっていいのかな?」
最中、環菜が滑らせた口を堅は聞き逃さなかった。とは言っても、いずれ司令の口から説明があるはずの今後の方針。あちゃーとは思いつつも、滅びの期限ではなく救いまでのカウントダウンだと、環菜は自分の知る全てを話した。
「魔法陣さえあれば、この街は救われる……けど、他に道は無いのか?」
「現状無いに等しいらしいよ。復活した『魔女』の力を借りて、奴らから身を守るってのも提案されたんだけど、近づかれたらそれも叶わないってさ」
街を救う為に最前線で命を賭ける仁とシオンの結末に、堅も納得がいかず他の方法を模索する。しかし、色々と考えに考え抜いた結果、やはり元の世界にもどすのが一番いいという結論に達したのだ。
「近づかれたら……?『魔女』はその、なんだ。なんか力に制約があるのか?そもそも味方なのか?」
「まぁ、味方……敵ではないんだけど、力が強すぎてね。街の目と鼻の先で核爆弾数個落とすようなもんだって。街自体は『黒膜』で守れるとは思うけど、壁の外への開墾は不可能。敵が来る度に焼け野原さえ残らない事になる」
現状、最重要命題は食糧の確保。つまり、今ある分の食糧が無くなる前に、収穫出来るだけの壁の外での開墾が必要なのだ。並大抵の労力では無いだろうが、魔物や騎士がいなくなれば、充分に回せる余力と安全な土地は得られるはず。
「シオンだけ残るのは?」
「魔法の形次第だけど、おそらく不可能。世界そのものをくっつけたり、分けたりするようなものらしいから」
別れの結末が避けられないなら、堅は再会の続きをと考えたが、環菜は悲しそうに首を振る。『聖女』が発動させたこの魔法は、世界そのものを融合させるもの。魔物や騎士達、シオンだって世界の一部で、例外はない。
「もう一度、この世界に呼び戻すというのは……?」
「ランダムでここを引き当てられる確率はどれくらいかって話。それなりに結び付きが強い可能性はあるらしいけど、それでも安定して転移できる魔法が見つからないと無理」
異世界が他にいくつあるか。そもそも他に存在するのかさえ分からない中、ランダムで都合よくここに来れるかと聞かれればお手上げだ。クロユリや他にも地方に英語を伝えた存在から推測するに、仲の良い世界なのかもしれないが、確実な方法がない限り転移なんてするんじゃない。失敗して運が良ければ他の知らない世界に流れ着き、そうでなければ世界の狭間で行方不明だ。
「なら、せめてここにいる間だけでもって話」
「……」
「ほんと、いやになるよね。残酷だよ」
あんなに互いに好き合っているのに、一緒に居られる時間はもうほとんど残っていない。人生が仮に百年なら、その百分の一の更に六分の一以下だ。なんだかんだと理由をつけて断っている場合じゃない。
「上手く、いくかな」
「……いくと信じてる。仁はシオン好きだし、シオンは仁が好きだ。好きな人が残り少ない時間だけでもって、本気で頼みに来て断れる程、男の理性は堅くはない」
「良い事なのか悪い事なのか」
たまには男の理性の弱さも良い面を見せると笑いながら祈る堅に、環菜も笑いながら肩をすくめた。
「……ねぇ、話変わるけどさ、あんたのその、孤児院ってこれからも子供増やす?」
「まぁ、慣れたら」
前座のシオンと仁の話しは、環菜に勇気を与えた。彼らに比べたら自分は、とても恵まれている。一生を、好きな人と共に歩む事が許されているのだから、と。
「そ、そしたらさ、人手とか、欲しくない?」
「え?まぁ、規模を大きくするなら欲しいな」
その勇気を振り絞り、頑張って話を誘導していく。一言一言を吐き出すのがとても辛くて、重いけれど。それでもといつもより大きく息を吸い込んで。
「わ、私とか!どうかな!こ、子供好きだしさ!」
「!?」
「住み込みで!えーと、何なら明日……いや、今日からでも!」
現状では、これが精一杯。だが、これで環菜がただ単に孤児院を手伝いたいと思う男性は、きっといない。それくらいに、分かりやすい顔と声での、売り込みだった。
「……」
「……ダメ?」
鳩に豆鉄砲。もちろん男性である堅は、当然環菜の想いに気づいた。そして、怪人カタブツを見られた時以上に硬直して、環菜のずるい上目遣いに再起動を果たして、
「わ、悪い……今はその、ダメだ」
孤児院の奥の部屋に隠された、トーカの事を見られるわけにはいかないと、孤児院のお手伝いを断った。
「………………そっか。そう、だよね。あははは。ごめん。忘れて……あ、忘れてたのは私か」
一世一代。命のやり取りですらした事がない緊張の末、負けたこの勝負。泣くまいと、乾いた笑いで涙を誤魔化しながら、そう言えばと思い出す。
「な、何を?」
「いや、こっちの話というか、もう彼女いるん、だっけ?」
「そんな話、どこから!?」
「ごめん。前見ちゃった。子供服と一緒に、女性用の下着を配給されてるところ」
「!?」
子供服の使い道は合点がいったが、女性用の下着に関しては何も分からなかった。いや、告白を断られたと思った環菜は、分かったと勘違いした。すなわち、すでに堅に恋人がいるという風に。
「ちょっと待て!それは」
「いやぁ、ごめんね。いるかもって思ってたけどさ。ほんと、ごめん」
勘違いではあるが、筋は通る。女性用の下着の配給理由は彼女がいるから。堅に彼女がいるから、環菜の告白は断られた。敵であり、殺したい程憎いはずのトーカを匿っているよりはずっと、予想できる。
「あれは違う!」
「じゃ、じゃあなんで女性用の下着なんて、貰ったの?シオンちゃんの言ってた通り、自分用?」
「そ、それも違う!理由は言えないが、違うんだ!」
言える訳がない。しかし、言えないなら、余計に不信感は募るばかりだ。不信感が募られれば、なんで分かってくれないという気持ちが、僅かながらに出てしまう。
「じゃあなんで」
「環菜には関係な––」
苛立ちから出てしまった、きっと言ってはいけなかった言葉に、堅は言ってから気づいた。このタイミングで突き放すのは、しかもこの言葉の形は、今の環菜にとって最もダメだ。
「そうだよね!ただの友達の私には関係ない事だよね!ごめんね!お代、置いとくから!」
「待っ……」
もう限界だった。振られて、余計な詮索をして、関係ないと言われたという環菜の中の見解は、ついぞ涙と悲しみを決壊させた。堅の側に今はいたくなくて、お金を机に叩きつけて、環菜は店を出た。
「くそっ!」
堅にしては非常に珍しい、汚い言葉を吐いて机を叩く。話をちゃんと聞かない環菜への怒りだったのか、告白とトーカが絡んでテンパって、上手く説明出来なかった自分への怒りだったのか、どちらかは分からない。
「どう言えば、良かったんだよ……」
堅は、隠し事の負い目から上手く話せなかった。環菜の凝った告白の仕方を、馬鹿真面目な意味合いで断ってしまったのが悪かった。孤児院を手伝ってもらうのが無理なだけで、告白の方は考えさせてくれと返事をするべきだった。他にも言い方が悪かったし、咄嗟にこっちから逆告白してもこんな風には拗れなかっただろう。いや、それもあまり良くはない。トーカで手一杯の現状、付き合うだとかそういうのはもう少し後だ。
「……あいつも、テンパりすぎ……いや、仕方ない、か」
環菜が悪かったのは、勘違いしてからちゃんと堅の話を聞かなかった。この一点に尽きる。とは言っても、振られた心境で冷静に相手の話を聞ける程、環菜の恋は温度の低いものではなかった。本気の本気で、断られた分だけ傷ついて、泣き出さないようにするだけで精一杯だった。それにしても、聞かな過ぎで勘違いし過ぎであるが。
「……明日、誤解を解こう。話せば、分かる」
大いに傷つけてしまった。でも、冷静に相手のなればただの誤解でとても小さなすれ違い。それこそ、自分に彼女はいなくて環菜が好きですと告白すれば、解けるような。いざとなればトーカの件を、彼女だけには話しても良いかもしれない。
店中の視線を集めている事にようやく気が付いた堅は、席を立った。とりあえず、今日は冷静になって言葉をちゃんと明日に用意しようと決めて。
時、同じくしてシオンサイド。
「楓さん……!」
「大丈夫です。シオンさんなら大丈夫です!」
一度振られた事もあり不安なのか、うるうると見つめてくるシオンだが、楓は大丈夫の一点張り。
「シミュレーション……えーと、想像通りにやれば大丈夫です!頭の中で何度も妄想してるって言ってたじゃないですか!」
「し、してるけど……妄想と現実は違う……」
「あんたら、明日には退院とは言え病室の前って分かってる?」
「わ!?」
ずっと扉の前であたふたしていれば、部屋の中に声がある程度聞こえてしまうのは当然。扉から顔だけ出して目で威圧してきた梨崎に、シオンはびっくりして腰を抜かしてしまう。
「入っていいよ。もう診終わった」
「やっぱり、明日には退院出来るんですね!」
「右脚吹っ飛んで全身の筋肉バラバラになりかけてたのに、こんな早く治るのはおかしいけどまぁね。ま、治ったやつは病院から追い出さないと」
仁の退院という喜びに腰が戻り、ついでその異様な早さから彼が治癒の刻印を乱用していた事を悟り、咎めるような目つきに。梨崎に誘われて入った室内で、ベットに横になる少年を存分に射殺す。
「使ったわね」
「時間がなかったんだ」
空気読める子である梨崎は音も立てずに扉を閉め、楓と一緒に部屋の外で聞き耳を立てている。本当に申し訳なさそうな仁の態度と、シオンの静かな怒りにドキドキしながらだ。
「……気持ちも分かるし、仕方がない事なのも分かる。だから、責めはしないわ。責めたところで仁が傷つくだけで、戻ってこないもの」
「……しばらく頭下げときます」
これはかなり、仁の心にぐっさりと来ただろう。その証拠に、仁は頭を下げたままだ。
「ゆ、許して欲しいなら、私とでーとしてください!」
「「…………はい?」」
許して貰うためにご褒美をもらうという、予想外すぎるお誘いに、仁は前言を撤回して頭を上げて、目の前の真っ赤で目をぐるぐるさせた少女に問い返した。




