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幻想現実世界の勇者  作者: ペサ
幻想現実世界の勇者
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第12話 旅路と影響

 異常な硬さを誇るオークを倒し、生きていることを確かめた後。


「やったああああああ!水浴びだああああ!」


 僕の方が主導権を握り、歓声を上げて待ち望んだ川へとダイブする。何日かぶりの水浴びだ。我も約束も忘れ、勝手に動くことも仕方ないだろう。


「ひゃっほっっうううう!」


 しかし水に身体は浮いていても、俺の人格の気分は浮かないままだった。


「どうしたの?せっかくの水浴びなのにさ」


「いや、さっき死にかけたろ?そんな気分じゃない」


「それはそれ、これはこれじゃない?」


 ここ最近で一番の強敵との戦いに、水の冷たさ以外で体を震わせる。


「ギリギリすぎたし、今思えばよく生きてたなって思うよ」


 幾つも運任せの賭けをし、その全ての天秤がたまたま仁の方へと傾いた。運も実力の内とも言うが、今の仁から運を奪えばどれだけの力が残るのだろうか。


「俺は本当に無力だなって」


 最初からわかっていたことを、改めて口にして思い知る。無力。この腕の力も脚の力も、なんと弱いことか。知力だけなら魔物をも上回ることあるだろう。だが、知力だけでは覆せない差というのも存在するのだ。


「僕だって無力さ。この世界で一般的より少し強くて、思い切りがいいだけの僕らが生きているのは奇跡だ。そしてこの奇跡もいつまで続くかわからない。だろ?」


 この情けもなく強者がうようよしている世界で、未だに仁が生きている理由は運だと僕は断言する。


 僅かな知力だけで覆せない差が、そしてその時に運が尽きれば、この世界は仁を殺すだろう。その時がやってくるのは明日か、明後日か、一年後か。それとも寿命が尽きるまでか。


 いつ死ぬか分からない。それが今の仁の生。


「だからこそ、楽しむべき時は楽しむべきなのさ」


「……そうだな。とりあえず、久しぶりの水浴びを俺も楽しみますか」


 いつ死ぬか分からないこそ生きていることを、今を、人生を楽しもうという僕の生き方に頷き、俺の人格もひんやりとした水の感触を楽しむことにする。


「はぁ。たまんねえ」


「君本当に単純だよね。言ったの僕だけど、変わり身早すぎるよ」


 手で全身をくまなく擦り、膨大な汚れを少しずつ落としていく。落とせるうちに落としておかないと、次にいつ洗えるか分からないのだから。


「あ〜〜さっぱりした。でも、やっぱり一番入りたいのはお風呂だよね」


「お風呂なんてもう入れるか分かんないけどな」


 そんな夢の時間も二十分ほどで終わりだ。長い間水に浸かっていると体温も下がるし、魔物だって水辺に寄ってくる。そう長くは止まっていられない。


「自然と温泉が湧く場所ってどっかになかったっけ?探しに行くのどうだい?」


「徒歩でか?まぁ、悪くない」


 川の魅力に後ろ髪を引かれつつ、水の補給を終えた彼は元の旅路へと戻った。生き残ること以外に、温泉の沸くところも見つけに行こうという新たな目的を心に書き込んで。






 行く当てもなく、生き残ることと温泉を探す目的の旅は順調に進んだ。


「よし、もう大丈夫か」


 不安要素だった左腕の傷は、二日後には腫れが引き始め、四日も過ぎる頃には自由に動かせるくらい回復していた。


「骨折していなくて良かったよ。本当、あの時は折れたかと」


 と、僕は安堵の息を漏らす。この四日間、遭遇した魔物はゴブリン一匹ずつ三回だけだった。オークや大蜘蛛と戦闘にならなかったのは仁の幸運によるものか。あの辺りは片手で戦って勝てる相手ではない。


「でも、ゴブリン相手でもやばかったのはある」


「今度は小さい怪我にも気をつけないとね」


 勝てなくとも戦闘不能に陥る怪我を負えば、それが死に直結する。この世界の過酷さを改めて思い知った。




 川を離れてからは、新しい街を求めて彷徨い続けた。二十日ほどの後、廃墟街と化した街へと足を踏み入れた仁は、目前で天を衝く木を見上げる。


「今度は森の中に街があるんだな。どうなってんだろかこれ」


 かつて森に入った時とは真逆のように、森がいきなり途切れて街へと繋がっていたのだ。


 中には店や家を木が侵食している建物もあり、これも突飛な予想である、「世界と世界が混ざり合った」という仮設の信憑性を高めた。


 一応、侵食が少ない家や建物で、主な目的である装備の補充をすること自体はできた。


「ねえ、もうバッグに入らないよ?」


 さて、その中でも仁が最も重視した必需品は、


「死活問題だ。どこでもいいからたくさん詰め込め。封がどこか破けてるやつは乾いてるからポイだ。臭いで死ぬとか死んでも死にきれない」


「そんな睨まないでよ」


 旅のお供、身体を拭く例のシートでだった。もはやカバンから溢れても、俺はまだ足りないと服のポケットにも詰め込み続ける。さすがに入れ過ぎだと止めた僕だが、異様な執着を前に退散。


 結果、身体を拭くシートはバックに詰め込める限り詰め込んだ。バッグから数個、はみ出している気がしないでもないが、仕方のないことだろう。


「パンツの中にも入れとく?」


「お前はそんな場所に入れたもので身体を拭くのか?もうちょいパンツの中が綺麗なら考えたが、却下だ却下」


 冗談を言ってるように見えるが、至って真剣に話している。それだけ大事な問題だったのだ。





 補充を終え、街の中を軽く散策する。外敵である魔物の影は特になく、あるのは無害な死体だけ。


「生存者は0。期待はしていなかったけど」


 腐敗した死体は腐るほど見たが、この街にも生者は一人もいなかった。


「もう日本人は僕らだけなのかも知れないね」


「……さすがにそれは寂しいな」


 異世界に一般人が魔法もないまま放り込まれたら、こうなるのだろう。殺され、犯され、蹂躙され。僅かに生き残った人間も、寂しさと悲しみを味わうのだ。


「本当、寂しいな」


 そんな理不尽な現実に緩みそうになった心の鍵を、もう一度閉め直した。




 用を済ませるとすぐに街を出た。腐敗した死体から疫病でも発生していたとしたら。そう考えると、一刻も早くこの街から出た方がいいと感じたからだ。


 風邪を引くだけでも死ぬかもしれない。高度な現代の医学は失われた今では、疫病なんて以ての外だろう。


「みんな普通の人だったろうにな」


 街を離れ、丘の上で一人。仁は手を合わせていた。


「なんで、死ぬんだろうな。殺されるんだろうな」


 仁は己の弱さを殺した。しかし、何の罪もない人々が無残に殺されたことをどうでもいいと思えるほど、強くはなれなかった。


「これくらいしかできないけど」


 こんなことをしても、死んだ人たちは喜ばないだろうか。やはり、これもただの自己満足なのだろうか。


「君も素直じゃないね。まあ、自己満足というのは合ってるみたいだけど」


「勝手に人の思考を覗き見しないでもらえます?」


 隣に立つ|影色の仁(幻覚)に呆れた声で指摘され、少し刺々しい言い方で返す。


「そうは言われてもねぇ。君ってとっても分かりやすいから。ちなみに君の心の声は僕でも聴こえないから、安心してね?」


「信用ならない。俺の内心の呟きに今答えてるくせに」


 考えていたことを先回りされてげんなりとした俺に、影色の僕はやれやれと肩をすくめる。この頭の中の同居人と話している間は気が紛れて楽だと、俺は心の中だけで少しだけ、感謝しながら。







 街を出てから三ヶ月ほど経っただろうか。ほとんど森の中にいるため、もはや時間も場所の感覚もあやふやだった。


「それにしても、痩せたなぁ」


「なになに?自撮り?」


 もう三台目となるスマホのカメラ機能で自身の顔を撮り、記憶の中の昔の自分と比較する。頰は痩せこけてくぼみ、ヒゲと髪はろくに整えることもできずに荒れ果てて伸び続けて、まるで幽霊のようだ。


「こんな骸骨みたいな顔、残して何が嬉しいんだよ」


 僅かながら日本にいた頃の面影を残してはいるが、一目見ただけでは誰だか分からないほど、仁の顔つきは変わっていた。


「ムッキムキでガッリガリだね」


 体型の変化も著しい。肉をつけようにも、元の体型に戻ろうにも、栄養が足りないのだ。


「細マッチョといえば聞こえがいいがな」


 身体は最早、筋肉と骨しかないような有様だった。過酷なサバイバル生活でついた筋肉が身体の厚みを底上げしており、痩せすぎというわけではない。しかしさすがのサバイバル生活でも、顔に筋肉をつけることはできなかった。


「表情がほとんど変わらないからな」


「服はめちゃんこ変わったのにね」


 格好もこの三ヶ月間で大きく変わり果てている。服はボロ切れ。バックの留め具もいくつか破損しており、背負いにくい。そろそろ替え時だろう。




 食糧や装備の調達のため、何度か街に立ち寄った。どの街にも生きている人は一人もおらず、死者だけが積み重なっていた。


「ネクロポリスってのを思い出すな」


 まさに言った通りの光景だった。腐敗、または白骨化した死体が辺りに転がっている、壊れた街並み。生きているのは、仁だけ。


 街を去る時には必ず手を合わせた。自己満足だとしても、合わせずにはいられなかった。




 あの日以来、世界には日本の常識では考えられない多数の異変が起きていた。


 まず一つ目の異変は、季節の変わりが四ヶ月経った今でもなく、気温がほぼ一定であったことだ。


「冬が来てもこの服装のままなら、俺は間違いなく凍え死ぬからな」


 仁にとって良いか悪いかで言えば、これは良い方の出来事だと言えよう。雨に打たれるだけで凍えてしまうのに、雪なんか降ってきたら凍死すること間違い無しだ。


「格好が格好だしねえ。夜に出くわしたら完全に露出狂だよ。ぶっちゃけ服の形、保ってないし」


「そんなこと知ってる。でももう、慣れちまったな」


 僕がからかってきたように、服装も問題だ。腰に布を巻いただけであり、ほとんど裸族の状態である。あの三か月前の冗談が現実になるとは思いもよらなかった。


「でも仕方ないよね。皮、なめしてみたけど、全部腐っちゃったんだからさ」


「……」


 料理の後でオークの毛皮が余った時、皮をなめして自分で服を作ることを思いついたのだ。思いついたまま、うろ覚えの知識のまま、オークのごわごわした皮を刃物で削り、しばらく岩の上で干してみたのだが、


「うそだろ」


 オークの皮は物の見事に腐り、異臭を放っていた。腐った毛皮を触る勇気はなく、そのまま岩の上にポイ捨てしてきた。聞きかじりの知識でやってみたのだが、世の中甘くないようで。結局、仁の服装は前のボロ布に落ち着いた。




 主食は街に立ち寄った直後は缶詰、缶詰がなくなったらオークの肉と雑草だ。


「うう。缶詰め食べたい」


「ほら、これ食べないと死ぬんだから我慢しろ」


 もう何十回と繰り返された、文句と説教の不毛な言い争い。しかしつい最近、僅かながら内容が改善された。


「塩があるだけまだマシだろ」


「だけどさぁ……だけど……うっう……」


 前に立ち寄った空き家から塩をいただいて以来、仁の食事事情は大きく変わった。以前のなんの調味料も使っていない、ゴムのような肉に比べれば遥かにいい味がついたのだ。


「不味いことに変わりは無いじゃん……不味い肉が塩味の不味い肉になっただけじゃん!?」


 どうやら俺と僕は味覚を共有しているようで、味付けが塩のみの食材を口に運ぼうとすると抵抗してくる。


「缶詰の時は抵抗しないのに現金なやつ。誰に似たのやら」


「綺麗なブーメランだね。君も缶詰の時はガツガツ食べるじゃないか」


 日本の食文化はとてもすごいものだったのだと、改めて思い知らされた。






 旅の途中でいくつも奇妙な風景を目にした。


 まず見つけたのは、建造物と森が入り混じった奇妙な街。日本にある普通の家が木にめり込んでいるのだ。足元の草の間からアスファルトが覗いている。


「森に街が閉じ込められたみたいだな」


「これも世界が混ざり合ったみたいな感じかな?日本の建物と異世界の森が、同じところに詰め込まれたみたいだ」


 ツリーハウスとも言いづらい、不思議な光景だった。



 次に見たのは巨大なクレーター。向こう側がギリギリ見えるような馬鹿げた大きさだった。最初は隕石かなにかの落ちた痕かと思ったのだが、


「なんていうか、えらい表面がなだらかだな。最初からなにもなかったみたいに削り取られてる」


「まるでここだけ綺麗に切り取ったかのようだね」


 スプーンで綺麗に大地をすくい取ったような、異常な大穴だった。仁たちがもし、日本の地理に詳しく、現在地を知っていたならば、そこには原子力発電所があったと分かっただろう。






 クレーターの後に見たのは輝く湖。磯の匂いがしてきたので、最初は海かと思ったのだが。


「まさか塩の湖だったとはな」


 勘違いしていた、と目の前の光景を見て仁は呆然と呟く。海水であれど水浴びはできると思い、海を目指していたらこの塩の湖に辿り着いたのだ。純白の大粒が太陽の光を浴びてきらきらと輝いている。


「塩より、砂糖だったらよかったのに」


「オークの肉の砂糖漬けするか?」


「俺君って本当にややこしい頭だよね。砂糖舐めるだけでも美味しいじゃないか。ああ、甘いものが食べたい」


 こんな綺麗な景色だというのに、僕は愚痴をこぼしていた。毎日の料理の味付けが塩味ばかりで不満だったらしい。例え砂糖でも、ここの湖から取って食べるなんてことはしなかったと思うが。


「ちょっとここに残るか」


「写メ撮ろうよ!写メ!」


 非常に見晴らしも良く魔物の姿もなかったので、彼はここに半日ほど留まった。あまりにも綺麗な光景だったので、つい携帯で写真も撮ってしまったのは言うまでもなく。


「いつか現像できたらなと思うんだがなぁ」


「それは叶わぬ夢かねぇ」


 少なくとも携帯が壊れるまではたまに観れる、と二人で落ち込んだ自分を励ました。






 そして最後に見たのは人の住む村。他の見つけたものに比べて、これだけ何の変わりもないように聞こえるが。


「外人?いや、異世界人?」


 異質だと感じたのは、その村の文明レベルと住人たちだ。全員が日本人ではない髪の色、眼の色。家は基本的に木造か石、精々レンガ。日本の一般的な家と程遠い。軽く村を見渡してみたが、機械らしきものは一切見つからなかった。


「食べ物分けてもらいたいんだけど、危険だよね」


「俺らが食べられるかも知らないしな。とりあえず、僕行ってこい」


「君の身体と共用なんだけど!?」


 敵情視察だと、片方の人格を送り込もうとする俺に僕は当然抗議する。しかし、流石に冗談だ。敵か味方かも分からない村に、いきなり乗り込むのは余りにも危険だろう。


「それに奴らもいるかもだしな……」


 もし、仲間たちを殺したあの騎士団のような存在がいたのなら。仁に為す術などなく、惨めに無様に無慈悲にただ殺されるのみだ。怯えた彼は遠目に一時間ほど村を観察して、その場を後にした。


 なぜ異世界人の彼らがこの過酷な世界で生き残り、自分たちが死ぬのか。たった一時間の観察では答えは出なかった。




 旅の中で何度も同じ夢を見た。暗くて怖い悪夢を。


 生徒達がオークとゴブリンに襲われる夢。この夢の世界に入る度に、仁はみんなを助けようと戦うのだ。自分が見殺しにしたくせに。一人はこの手で殺したくせに。


「教室で待ってろっ!俺がなんとかするから!」


 階段を駆け上ってくるオークやゴブリンを前に、夢の中の仁は怯まない。自分以外の人間はみんな丸腰なのだ。戦う術を持っているのは仁だけなのだ。みんなが頼りにできるのは仁だけなのだ。


 だから、仁が戦わなければならなかった。


 この夢の世界中で彼は強かった。槍を振るい、銃を撃ち、魔物から生徒を守り続けるのだ。オークやゴブリンなど敵ではなかった。まるで物語の英雄のように、戦い続けるのだ。


 しかし、仁が唯一勝てない相手がいる。鎧を着込んだ兵士たちだ。彼らを前にしたら、足は竦んで立ち止まってしまう。


「待てよ!おい!待てって!」


 怯えて動けない仁のすぐ横を、騎士は人外の速度で走り抜け、階段を駆け上がって教室へと駆け込んでいく。


「この身体はどうして動かない!俺が……俺がみんなを助けなきゃいけないんだ!なのに、どうしてっ!」


 心では立ち向かわないとと思っているのに、身体は動かない。兵士たちが剣を振り下ろす光景を、ただ黙って怯えて見ることしかできない。


 だって、仁は臆病者だから。


 そうして仲間の、友の、親の、先生たちの命は呆気なく散るのだ。あの時をなぞるがごとく。


「やめてくれ!お願いだ!」


 泣き叫ぶ仁の声など騎士には届かず、虐殺が始まった。青い紋章の鎧を身に付けた騎士達は、無抵抗の友人や仲間、先生、家族を斬り裂き、突き刺し、焼き、押し潰し。ありとあらゆる方法で、たった一つの死という結末へと導いていく。


 何度叫んだことだろう。何度止めようとしたことだろう。だが、身体はそれでも動かないのだ。そうして最後は、逃げて、隠れた、勇気なき、臆病者だけが取り残される。物言わぬ仲間たちの骸に囲まれて少年は絶叫し、


「はぁ…はぁ…」


 いつもそこで目が醒める。そしてこの時に限って、なぜか僕はいないのだ。


「……夢か」


 また、仁は夜の暗闇へと沈んでいく。明けない、暗い記憶の夜の中で、俺の人格はひとりぼっちだった。





 この四ヶ月間でオークにゴブリン、犬の頭の小人、野犬、大蜘蛛と遭遇し、戦闘を繰り返してきた。極力戦闘を避けていたのだが、


「腹と出合頭だけは、どうにも避けきれなかったよな」


 食べ物がなくなれば、ゴブリンや単騎のオークを狩る。偶然、魔物と出会えば仕方なく戦いが始まる。この二つばかりはどうしようもなかった。


「そういう時は、この子達の出番だったけどね!」


 避けられなかった魔物との戦闘において、鉄の槍と拳銃はとても役に立った。最初の頃、鉄の槍は仁が扱うには重すぎたのだが、時とともに筋肉が増えた今なら振れるようにはなった。


「正しい槍の振り方なんて知らないから、我流なんだけどね」


「しようがないだろ。やり方を教えてくれる人もいないんだから」


 槍を教えてくれる師匠などいるわけもなく、槍の扱い方を検索できる電波もない。変な癖がつくと分かっていても、我流に頼るしかなかった。


「銃はどれだけ撃っても上手くなれる気がしないねえ」


 銃はいざという時に弾切れだと困るということで、槍で貫けない敵の時だけ引き金を引くことを徹底していた。


「ま、弾数はたまーに補充できるのが救いかな。たまだけにね!」


「おまえに銃弾撃ち込めないのが残念だなって思った」


 警官の死体の拳銃から弾を抜き取り、自分の銃に装填することで弾数を定期的に補充していた。ちなみに僕に撃とうと思えば100%外すことはないのだが、それは単なる自殺になってしまう。


「とは言っても、銃を持った警官の死体が転がってるの珍しいしな。そもそも街に行けるのが何日何十日かに一度だ」


「弾は三発。うーむ。補充したいなぁ」


 今いる場所は田舎なのか、なかなか街までたどり着けず、最近はほとんど森の中だ。


「もしくは世界が混ざったせいで日本が引き伸ばされた、とか?」


 得体の知れない黒い塔やら、塩の湖やら、異世界人の村やらがそっくりそのまま転移していることを考えれば、その可能性も十分にある。だとすれば、


「そうだったら笑えねえよ。地図が完璧に役立たずになる」


「地図辿ろうにも道路が途中で途切れまくってるから、ほぼ不可能だしね」


 ついには徒歩と己の視界だけが、次の街を探す手がかりになってしまった。








「数日に一度は魔物を倒してるはずなんだけどねえ。ゲームのレベルアップとはいかないか」


 魔物との遭遇ペースを考えるに、相当数の魔物と戦闘を繰り返しているのに、と僕がぼやく。


「相当力とか強くなったって思うけどな」


「オークに腕相撲してみる?負けるというか死にそうだけど」


 確かに、仁の身体はかなり引き締まった。力も前よりは強くなったが、それでもまだ常人の範囲内。魔法なんて使える気配もない。


「いくら鍛えても、剣で人を真っ二つとかは無理そうだ」


 それに、ある程度戦い慣れた今の仁だから思える。あの騎士の強さは異常だと。あの剣が恐ろしい業物なのか、騎士の技量がズバ抜けているのか。もしくは身体能力が恐ろしく高いか。どれかはわからない。


「異世界人だからねえ。身体の作りからして違うんじゃない?」


「どれにしろ真似できるもんじゃない」


 彼らを例えるなら、まさに物語の中の住人という言葉が相応しいだろう。彼らの強さに比べれば、オークやオーガなど雑魚に思えるほどに。仁には到底辿り着けない場所にいる。少なくとも、今のままでは絶対に無理だ。


「絶対、戦いたくねえ」


 記憶の海を漂う、あの日見た虐殺の記憶。そして魔法の恐ろしさ。


「物理法則はどうなってるのか」


 原理もわからず、物理を無視して発現した炎の玉はコンクリートの校舎の壁を砕き、瓦礫の雨を降らせ、生徒達の命を奪い去った。


 あんなのが直撃すれば仁なんて木っ端微塵に消し飛ぶだろうし、皮膚の硬いオークだって殺せるはずだ。


「でも俺だって、この世界で生きてんだ」


 たくさんの苦労を重ねた。何度も死にかけた。風邪をひいて死にかけた。食料が足らなくて死にかけた。戦闘中、あかぎれが痛んで手元が狂って死にかけた。僅かなミスが、偶然が、死へと繋がる戦いばかりだった。


 それでも諦めることだけはしなかった。もがき、足掻き、苦しみ、努力し、知恵を絞った上で、仁は今日を生きていた。


 だけど仁は、彼らほど強くはなれなかった。






 茂みを掻き分けて、独特な水音に向かって歩いていく。水筒の中身がほとんど空っぽで、例え怪しくても足を向けざるをえなかった。


「滝……?だから変な水の音が聞こえてきたのか」


「こんな大きな滝は初めてだねぇ。上から見るってのも新鮮だ」


 しかし、辿り着いたのは陽の光を照り返す川と、音を立てて水を落とし続ける滝。そしてここら一帯を一望できる崖の美しさの三点盛り。綺麗なだけで、全くもって無害そのものである。さっき仁が聞いた音は、滝の落ちる音だったのだ。


「うおっ……綺麗な眺めだな」


「ほえー。いいもんだ」


 眼下に広がるは、見渡す限りの大自然。緑をベースとした葉の色に、時折混じる剥き出しの地面の灰色の対比。遥か向こうにはいつかの黒い塔や、雲を超える独特な形の山々がうっすら見えていたりと、近くも遠くも見てて飽きない。


「滝って下からしか基本見ないから、こういう上から見るのも新鮮でいいね」


「うん。いきなり途切れてるのがすっげえ面白い」


 滝壺を見ることは叶わないが、水が下へと落ちていく様子を上から眺めるのも悪くないと思う。


「こういうところは嫌いじゃないんだけどなぁ」


「写メ撮りたかったけど、前の水浴びで携帯がおじゃん。誰のせいだか」


「俺が止めたにも関わらず、携帯ポケットに突っ込んだまんま水の中へ突っ込んだアホの名前は誰だろうなぁ?僕?」


「桜義 仁じゃない?嘘は言ってないよ?」


 ソーラーバッテリーだけでよくもった三代目のスマホだったが、僕のうっかりには敵わなかったらしい。つい先日、たくさんの景色の写真とともに水没した。あの時はあまりのショックに、精神世界で殴り合いになったものだ。


「よし、表でろ。もう一回白黒つけてやる」


「もう過ぎたことだからいいじゃん。それ以上やると俺君の恥ずかしい過去を山彦させるよ」


「やってみろよ。誰も聞いてねえし」


「いつか誰かの前で恥ずかしい事を言ってから死んでやるからね。覚えてて」


「てめえは忘れろ」


 そして今も意味のない争いを始めた二人を知らぬとばかりに、川は流れ、風は吹き、葉は震え続ける。


「それにしても、まぁ。ラッキーだったな」


 水の補給をしようと水の音のする方へ歩いた結果、こんな綺麗な景色が見れるとは予想外だった。


「どーいどーい。よきかなよきかなだよ」


 日本にいた頃に気付けなかったものの一つの、見惚れるような大自然だった。携帯で撮れないのが悔やまれるほど、いい景色である。


「こういうところでシート広げて、誰かとなんか食べたり、飲んだりしたいもんだねえ」


「飲むっておまえ。本当に未成年だよな?」


「いいじゃないか。どうせ法も何もないんだし」


 おそらく叶わないであろう、小さな夢を思い浮かべる。俺の人格はその中で一つだけおかしい箇所にツッコミを入れるも、それもそうかと苦笑い。


「……」


 そのまま静かに、ぼんやりと景色を眺め。ただ時間だけが過ぎ去っていった。







 しかし、仁は忘れていた。水辺は危険だということを。仁は景色に見惚れていた。だから気づくのに遅れてしまった。後ろから大きな影が、音も立てずに近寄ってきているのを。


「まぁ確かに。生まれてまだ一年経ってないけどね。でもさぁ?死ぬ前に酒の味、知っておきたいとは思わない?」


「……分からんでもない」


 全く仁らしくなかった。いや、仁も人間だ。綺麗な風景に見惚れて、ほんの僅かに警戒心を緩めてしまうこともある。そしてその隙に、運悪く魔物が襲いかかってくることもまたあることだ。


「ん〜?それよりはもしかして、女の」


「……!?」


 汲んだ水が僅かに揺れ、同心円状に波紋が生まれたのを不審に思った仁は振り返って、見た。


「嘘だろ?」」


 筋肉に覆われた巨体。血のように赤い表皮。天を突く一本角。ぎょろりと仁を映す巨体に似合った眼球。余りの驚きに、僕の話なんて聞こえなかった。


 オーガだ。


 晴天の空に巨鬼の咆哮が響き渡った。


 四ヶ月、桜義 仁の現状。


・服装

 磨り減った服。臭いと消耗につき、もうほとんど全裸。


・装備

 鉄の槍、拳銃、残弾三、バッグ、ポーチ。


・持ち物

 水筒、保存食、鍋、ライター、スプーン、フォーク、箸、鉄の串、ナイフ、塩、身体を拭く為のウエットシート、毛布、上着の成れの果て、ロープ、コンパス、ハサミ、シャーペン、食べられる草の本。

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