第94話 勘違いと盾違い
「僕、まだ帰って来ないの?」
「ん。結構苦戦してる」
タイムリミットまで後一時間。柊と梨崎は仕事があるかと既に帰還し、部屋の中には仁とシオン、ロロとイヌマキの四人が残るのみ。
「困ったな……これでは仁の塔への入場が許可できん」
「ああ、とても困る。だから、ロロには頼みが、シオンには確認したい事がある」
僕は未だ現実世界へと帰って来ていない。つまり、このままだと仁は塔の中に入れず、ロロに提案した賭け事がパァになってしまう。そうでなくても、シオンとロロだけで『魔神』を相手にするのは些か厳しい。
「んん?言ってみろ」
「何かしら?」
「先にシオンからだ。嘘偽りなく答えてくれ……俺の––」
故に俺は、手を打った。
「え?俺君?」
「そーだよ俺君だよ僕君。遅いから迎えに来た」
僕だけの試練の場であったはずの精神世界への乱入者に、僕と試練は現実なのかと目を瞬かせる。俺は競り合った鍔を押し返し、僕を守る位置に立つ。
「どういう事だ?試練への介入なんて」
「ロロに頼んで入れてもらった。他者の精神への干渉は引っ張られたり、迷子になったりする可能性があるそうだが、俺らは二人で一人。他者じゃないから大丈夫だそうだ」
呆然とした問いに、俺は斬りかかりながら回答。種も仕掛けもありはしない。いつまで経っても試練を突破できない僕に、このままだと塔に入れなくなる事を危惧した俺がロロに頼んで介入させてもらったのだ。危険を伴う為、常人には決してしない措置だが、俺と僕の関係なら大丈夫だろうと彼は言っていた。
「わざわざお迎えに来てもらったところ残念だが、もうこの者の不合格は決定している。精神世界とは常に己のみ。一人で絶望を超えられなければ、意味は無い」
「ごめん……俺君」
口調を僕から、厳格なものへと変えた試練は介入を無意味だと言い放ち、俺の背後へ瞬間移動。確かに、その通りだ。僕はもう絶望に負けてしまった。今更誰かの助けを借りてこの場を乗り越えても、本戦である『魔神』に負けるのは明白。
「試練。合格条件は何だ?」
「……?『魔神』の支配、つまり己が内に眠る絶望に打ち勝つ事だが?」
「なら、何も問題はない」
もちろんそんな事、俺だって分かりきっている。このまま僕の手を引いて試練から抜け出して塔に挑めば、最悪の結末が待っているだろう。分かっている上で、背後の剣を振り返りざまに弾いて俺は笑う。
「前々からなんか口数減ってるなと思ってたら、そんな事で悩んでたんだなお前」
「そ、そんな事!?」
心に抱えた闇をそんな事。ばっさり言われた僕の声が、背後に瞬間移動した剣を防がれて驚愕している試練の向こう側から聞こえた。悪いとは思うが、俺からすれば、本当になんで悩んでいるのか分からない悩みだった。
「なーにが盾としての役割が終わって消えかけてるだ?俺がお前の事いらないと思い始めてるだ?シオンが俺の方が好きだ?どれもお前の妄想と勘違いじゃねえか!」
「いや、少なくとも消え始めてるのは事実なんだけど」
「安心しろ。それは俺がなんとかする」
「なんとかって何さ!?ねえ!?」
瞬間移動を繰り返す厄介な試練と剣を合わせながら、俺と僕の言い争いが繰り広げられる。それは、近すぎるが故に普段は本音を話し合えない二人が、初めて曝け出した腹の中。
「盾の役割、終わってなんかいねえよ。消え始めてるのはお前が勝手に終わったって思ったからだろ!定年退職にはまだ早えわ!」
「だって俺君の心、簡単に試練超えられるくらいに強くなったじゃないか!こっちだって、したくてしてるわけじゃないって!」
俺はまだ補助輪が必要だと訴えて、僕は一人で走れるだろと返す。まるで助けてもらった事が忘れられなくて、いつまで経っても補助輪を外そうとしないガキンチョと、見栄えが悪くて不必要なものは取った方がいいと理で考える大人だ。
「だったらしなきゃいいだろ!お前は色々と考えすぎで、気を遣いすぎなんだよっ!」
「はぁ!?俺君に言われたかないね!気を遣ってばかりなのは俺君じゃないか!」
歳を重ねた大人は、遠慮と配慮と諦めを覚える。過ぎた願いは捨て、現実を見て生きる事を考える。良い成長だ。しかし時に、大人らしく理を優先するよりも、ガキンチョらしく願望を優先する方が良い事もある。
「消えたくなきゃ消えねえで良いって言ってんだ!むしろ俺はお前が消えたら困る事だらけで、どうしたら良いか分かんねえレベルだぞ!」
「具体的には何さ?」
「『限壊』発動出来ねえだろ!俺の今後の作戦にも支障が出るし……」
「ガキンチョらしくなれ」と言い放った俺に、理をまだ捨てられない僕は大人を真似した子供の反論。良い傾向だと俺は内心でほくそ笑み、次いで説得の最中思わず口走りかけた言葉にストップをかける。勢いで言いそうになったが、言ったら間違いなく死ぬ。
「出るし、何?」
「ああああああああああああああもう!」
だがしかし、この馬鹿の悩みは己の存在を消してしまうくらいに重症だ。ただの作戦の歯車としか見てないのかと言う失望しかけた目に、俺は腹をくくる。こいつに消えられて作戦全部おじゃんにされるくらいなら、羞恥で死んだ方がまだマシだった。
「家族みたいなやつがいなくなったら、どうだ!分かれ! 馬鹿野郎!」
「………………」
「……」
ぶっちゃけた俺の感情に、時が止まった。試練さえも空気を読んで剣を一旦止め、この気まずい沈黙をどうしようかと悩んでいる。
「ご、ごめん……」
「許さん」
「げほっ!?」
互いに羞恥の限界を超えて赤面し、目を背けて僕は謝った。対する俺は、とりあえず試練を追い越し僕の顔に一発どぎついのをぶち込み、
「まずシオンが俺の方が好きってのはどこ情報だ!」
「み、見ればわかるだろ!この朴念仁!」
「分かってねえよ!お前の目ん玉飴玉か?」
胸元掴んで引っ張り上げて、ゆさゆさ揺さぶってまくし立てる。逆上して不貞腐れた僕に、俺は思いっきりの頭突きをかまし、
「いだっ!?なんでそう言い切れるのさ!」
「本人に聞いてきた。今さっき」
「……」
この上ない説得力と信憑性を誇るソースを明かした。僕の主観というフィルター越しに見たシオンと、仁を好きだと公言している彼女の言葉。その歴然の差に、僕は頭突き以上に目眩がくらくら。
僕の精神世界での戦いを眺め、彼の悩みを知った俺が取った行動は、シオンへの直接確認。しかしまぁ、それはとても恥ずかしいものであった。
「嘘偽りなく答えてくれ。俺の事、好きか?」
「はい?……………………はいっ!す、す、好きです!」
「なんだ?新しい希望でも作る気か?今からだと間に合わん何せ10ヶ月かぎゃあああああああああああああああああああ!?目がァ!目がァ!」
まず、俺への好意を確認。はっきり言って顔がファイアーしている自覚があった。シオンも同じくテンパっているのが目に見えた。下ネタをぶっこんだロロの右目はシオンの人差し指、左目には俺の人差し指を突っ込み黙らせる。
「次。僕の事は好きか?」
「はい!好きです!ねぇ仁。あの、恥ずかしいんだけど、これって本当に必要なの?」
「そうだぞ!こんな所でイチャつくのは鼻があああああああああ!あっ」
「俺も恥ずい。けど、世界を救う為に必要だから」
だがしかし、やらねばならない。世界を救う為に、この羞恥は必要なのだとシオンにも自分にも言い聞かせる。うるさいロロの右鼻の穴にシオンの人差し指、左鼻の穴に俺の人差し指を突っ込み、身体強化の鼻フック共同作業で天井へと叩きつける。こんなお仕置きですら開いた自分の傷口を、俺はシオンに気づかれないように治癒で防ぎ、
「最後。俺と僕、どっちが好きかとかあるか?」
心を劈いた、僕の心の叫びを現実へと無許可で持ち出して、当の本人であるシオンに確認を取った。
「へ?いや、その、私は仁が好きなんだけど……」
その結果に、心の中で嬉し恥ずかしガッツポーズを決めて、俺は勝利を確信する。
「よし、これで問題なし……ありがとなシオン。よっこらせ。ほら、ロロ。次はお前だ。ほら起きろ」
「どういたしまして……ねえ!?これどうするの!?」
未だこの謎の状況に理解が追いつかないシオンが説明を求めるが、時間は余りない。天井に突き刺さって力なく垂れ下がっているロロをイヌマキに回収してもらい、顔を叩いて再起動を果たさせる。扱いがぞんざいではあるが、それだけの事を彼は日本人にしているのだ。
「馬鹿野郎をぶん殴って連れ戻してくる」
「ど、どうせ気遣い……」
「シオン、そんな余裕なかったけど」
「……あー。だろうね」
言われた通りの光景は、すぐさま目に浮かんだ。あの純情純粋培養娘が、意中の相手から自分が好きかと聞かれれば、蒸気機関車の暴走が如く様になるのは間違いない。下手な誤魔化しや気遣いが出来なくなるだろう。
「つまりだ。俺もシオンもお前に消えて欲しく無い。つーか消させない。シオンは俺と僕を二人まとめた仁が好きって事だ」
要約するなら、これだけ。居ても邪魔、嫉妬に歪んだ醜い自分は身を引こうなどと考えるなと、俺は胸元から手を離しながら、僕へと言葉を叩きつけた。
「……」
「それにだ。お前は盾の意味を間違えてる」
それでもまだ、確固たる己の存在理由が足りないと言わんばかりの顔をした僕に俺は、背を向けて試練と向き直る。
「そろそろ良いかな?邪魔者は早めに叩き出したい」
「やれるもんならやってみろ。この世界での戦い方は、俺も僕も熟知してる」
本来の試練の形である僕一人に戻そうとする試練と、この世界でルールであるはずの彼に抗う俺。剣を向き合い、研ぎ澄まされた殺気をぶつけ合って、
「俺が欲しいのは前方にかざす盾じゃない。俺が欲しいのは、背中を守れる盾だ。俺が盾を守り、盾が俺を守る」
斬り合う前に、背後の僕への声を届ける。前しか守れず、背後がガラ空きの盾なんざいらないと。その言葉が及ぼした影響は、僕の顔を見なくても、息を飲む音で分かる。
「そういう、背中合わせの盾だ。だって、そっちの方が強いだろ?」
もう、大丈夫だ。悩みは全部杞憂だと知って、生きる意味も再確認できたのだから。
「もう、終わりにしよう」
一歩足を前に出した試練は、瞬間移動で俺の背後へと回りこむ。真正面からと思わせ、虚を突こうとでも思ったのだろう。そんなの、残念ながら仁にはお見通し。その上で俺は振り向く事はせず、
「ははっ!その通りだね!」
「桜義 仁に背後はねえよ」
「なっ!?」
再生した剣を握って立ち上がった僕へと、背中を任せた。
「一度は折れたのに、何故立ち上がる!もう貴様は不合格と決まっているのに!」
一度折れた剣が治っている。精神が現実になるこの世界ではすなわち、僕の心に再び火が灯ったという事。しかし、もう彼に『勇者』の資格は与えられないというのに、何故彼は立ち上がるのか。
「早計だろ。まだ時間は残っている。もう一度確認するぞ?試練、合格条件は『魔神』に勝てる者である事を示せ、だよな?」
「ああ!そうだ!そしてこの男は絶望に負けた!」
「負けたな。でも、今はどうだ?」
先程とは違い、僕と試練の剣は拮抗していた。いや訂正しよう。拮抗するまでに戻り、更に強くなっていると。
「今……?貴様の助けを借りて合格の条件を満たしても無意味だ!『魔神』と相対する時は一人なのだからな!」
「はい。合格判定ありがとう試練さん」
「俺君、お助けありがとね!この試練は、終わりにしようか!」
「な、何を言って……はっ!?」
ようやく、試練は気付いた。確かに、この試練の結果だけ見るなら、僕は不合格だ。本番である『魔神』戦では、俺が助けに来るより前に『魔神』に憑依されてしまうから。
「これはただの予行演習だ。この時点で負けていても、本番に勝てるなら何の問題は無い。そうだろ?」
だがしかし、これはあくまで予行演習なのだ。この試練は、『魔神』と相対した時に勝てるかを試すもの。
「次は俺君の助けなんてなくても、『魔神』に打ち勝ってみせるよ」
例え今は負けようと、この試練の最中に『魔神』とサシで戦って勝てるように成長すれば、『勇者』の資格は得られるのだ。
「だ、ダメだ!誰かを救う事を躊躇するような者に、この資格は……!」
「それはもう解決済みだ。もう、こいつは躊躇わねえよ」
自分が死んだ後も生き続ける人間を憎み、助ける事を躊躇した。それは人間として当然の事で、『勇者』にあるまじき行為。だがしかし、根本的な問題である己の死が遠ざかれば、
「大事な人達にぶん殴られて、ようやく覚悟が決まったよ。僕はもう、誰かを救う事を躊躇ったりしない。誰も傷つけさせはしない。自分が守りたいもの、全部守り切ってやるってね!」
僕はもう、人を助ける事を躊躇ったりしない。
「一度は折れたくせに調子に乗るな!」
さっきまで絶望に打ちひしがれていた僕がこうも大口を叩くのは、調子に乗っているようにも見えるだろう。だが、それでいい。絶望しているよりはずっと、調子に乗っている方がいい。
「一度、折れたからこそだよ!折れたからこそ、もう次は無いって心に誓うんだ!」
叶わないと勝手に思って歪んだ好意は、二人に認められる事で暖かい灯火となった。捨てられると思って抱いた悪感情は、ぶん殴られて恥となり、彼らを守ろうとする力となった。
「もう僕は、絶望したりなんかしない!この世界を救ってやる!」
折れて、助けを借りて、立ち上がった。折れた時の己を反省し、助けを借りた者達への感謝と合わせて、より強固な決意となって僕の胸の中に燃ゆる。
「だから、僕を『勇者』として認めてくれよ!」
「……はぁ。どうしたものか」
いくら瞬間移動しようとも、隙はない。単純な剣の腕、つまり心の強さでも試練は仁に敵わない。これ以上の戦いは無意味だと彼は剣を下ろし、考えるように天を仰ぐ。
「俺からも頼む。俺と僕がいれば、この世界を救えるんだ」
「そうだよ。僕らが揃えば『魔神』だって雑魚さ!」
「……分かった。その賭けに乗ろう」
同じく剣を下ろして頭を下げた僕と、真っ直ぐに何かを訴えるような目で己を射抜いた俺に、試練は仕方ないと頷いた。
「ゆめゆめ忘れるな。僕よ。君は俺に比べて些か人間すぎる事を」
「うん。未熟さは、分かってる。だから頑張って、『勇者』になるよ」
「……未熟故に、か。では、もう時間だ。健闘を祈る」
最後に、俺の瞳から何かを読み取った試練は、僕へと忠告を渡して二人を現実世界へと帰還させた。
「……おかえりなさい。仁」
「「ああ、ただいま」」
出迎えたシオンの顔は、恥ずかしくて見れなかった。




