第87話 忌みと無意味
「それから自分とクロユリは一緒に暮らした。近づく者は全員魔法で殺し、『魔女の記録』を広める事で他者との接触を極力絶ってな」
たった二人、時にはイヌマキの依り代を交えて三人、僅かな時だけ四人だけの世界と、寂しくも幸せな日々だった。世界から疎まれている事は分かっていても、世界そのものと関わらなければ実感はなかった。
「『魔神』の奴も何とか抜け出そうとしていたが、クロユリの魔力を前に、力の全てを発揮できない精神体ではどうにも出来んかった。まぁ一度だけ、危なかったというか予期せぬ事もあったがね」
クロユリ、ロロ、イヌマキと憑依できない者ばかりだった世界に割って入ったもう一人の存在。それは夫婦であった二人の間にできた子供だ。
「ダメ元で頭を下げて頼み込んだ時の『魔神』の泣きそうな顔は今でも覚えている。最も、系統外はよく遺伝するからと奴は憑依を嫌がったが」
白髪黒眼で、クロユリの顔立ちによく似た子供に、『魔女』の系統外があるかは分からなかった。魔力はとてつもない量であったが、記憶喪失の代償が出るラインとは程遠く、本人に聞くしか確かめようがなかった。産まれた直後故に、聞いても「あーう」しか返せなかった。
「念には念をと、『魔女』の系統外を受け継いだが分かる前に里子に出したがね。名はデルフィニウム・カッシニアヌム。シオン、君の母方のご先祖様だ」
「わ、私の?」
「そうだ。後にイヌマキに血で契約を結び、『鍵』の管理を任せたのだが……君はその契約を潜り抜ける事ができた。あの森の家の事だよ」
シオンは正規の契約を結ばなかった為、イヌマキを召喚する事はなかったが、それでも一時的にあの家の主人となった。ロロが大量に書き溜めておいた世界中の物語、歴史、遥か昔に禁術となって封印された刻印も含まれる古からの魔法の理論が書かれた本を読み漁り、『鍵』であった本を持ち出してしまった。
「他にも『黒膜』を発動できた事、『魔女』の魔力をある程度操り、その時の情景まで覗けた事……これら前者はクロユリ、後者は自分の力をある程度受け継いだ証拠だろうな。系統外と自覚出来ないほど微量ではあるが」
「だから、私黒髪黒眼だったんだ……あ!別に凹んでるわけじゃないし、もう過ぎた事だし。それに、私すごい人がご先祖様だったなって!」
隔世遺伝、という事だったのだろう。かつて受けた痛みを思い出して顔を曇らせて、それからロロを気遣ってフォローを入れた忙しい姿を、仁は見てすらいなかった。
「……その優しさが自分には辛いな。さて、それから月日は流れて約半年前、世界が変わるような出来事が起きた。最初は何者かがここを攻撃しようとしたのかと思ったが、空の魔法陣を見上げて考えを改めた」
異変を感知して外に出た二人が見たのは、天を覆い尽くす巨大な魔法陣。クロユリは自分に迫るか、上回り程の魔力に思わず気絶しかけ、ロロは魔法陣の形に度肝どころか魂を抜かれた。永遠に等しき時を生きたロロでさえ、数度しか見た事がなかった転移の魔法陣の一瞬。しかしそれの大きさは、果てがあるのか分からないほど。
「一体誰がこんな魔法をと考え、影響に備え……そして自分達は再び考えを改めた」
世界が削り取られていく中、新たに上空に現れたのは、見た事もないような形の施設や形状の金属塊。それらを見たクロユリは嫌な予感がすると魔法障壁を、しかし魔力眼で魔力がない事を確認して展開し、物理に切り替えようとして。
「僅かに光った瞬間、自分は間に合わないと悟り、イヌマキから預かっていた魔法をクロユリを介して発動させた。この街からでも見えるのではないかね?あの黒き塔を築き、内部に彼女ごと何重にも封印する魔法だ」
彼女と離れる事も、危険に晒す事も嫌だった。しかし、クロユリは再生能力が異常なだけで完全なる不死ではない。あれだけの魔法陣を使って、わざわざ『魔女』と『魔神』に打ち込もうとしたものだ。並の威力だと舐めてかかり、世界に『魔神』を解き放つのは余りにも愚か。それだけは避けねばと即座に判断し、ロロはクロユリを黒き塔に閉じ込めた。
「その『鍵』がさっきの二つの世界の言葉が入り混じった本なのね」
「そういう事だ。そして、その中にいる『魔女』の記憶を取り戻させれば自分達の勝ちとなる。しかしだな?記憶を失った彼女では、『魔神』の制御ができない可能性が高い」
「もしかして私達に頼みたい事って、『魔神』と戦う事?」
塔の中に眠る者と、『勇者』の資格を確かめる為の試練の意味を考えたマリーは頬を引きつらせながら彼へと問う。先ほどの物語を聞いて、『魔神』と戦って勝てるとは到底思えなかったのだ。
「安心しろ。クロユリの封印を全て解くまでは、『魔神』も封印状態にある。使える系統外も限られているし、小さな心の闇程度では憑依する事も出来んだろう」
「私達でも戦えるって事で合ってる?それに、憑依もされない?」
「ああ、合っているとも。憑依されないかはどうかは『試練』で確かめる。それよりも問題なのは時間だ」
不安そうに確認を取ったシオンに、ロロは戦力的には何とかなるだろうと頷く。『試練』の姿を僅かにチラつかせつつ、彼は対『魔神』の更なる詳細を説明。
「まず第一の封印『鍵』で外から解く……というより中に入る事で奴は意識を取り戻す。そこから『魔神』は封印を系統外で強引に解いていくだろうが、全て解くまでにはそれなりにかかる」
「『魔神』が完全に封印を破るのが先か、その前にクロユリの封印を全て解いて、ロロが記憶を取り戻させるのが先かって事ね。分かったわ」
「ああ、私が彼女に触れるだけで全て終わる」
つまり、決して絶望する事なく、弱体化した『魔神』と戦い、制限時間までにロロをクロユリの元へと届ければいい。
「クロユリの封印されている部屋は隔絶されているものの、念には念をという事で上空1km以上のところにある。昇降機ももちろんあるが、あまり時間がない事を気に留めておいてくれ」
「……頑張るわ」
その制限時間は、そう長くはない。下手を打てば『魔神』を解き放ってしまう危険な戦いだが、やらねばならない。
「それ以前にもう一つの制限時間も危険、だという事も進言しておこう。いくら『魔女』とは言え、あれだけの規模の結界で出来た塔、隔絶結界の部屋、『魔神』への封印を維持するには厳しくてな。あくまで見通しだが、後二ヶ月以内にあの塔は崩壊する」
なにせこのまま放置していれば、『魔神』は『魔女』の身体から解き放たれ、世界そのものが滅んでしまうのだ。勝利の目があるダイスと、敗北の目しかないダイス。どちらを振るか選べるなら、答えは決まっていよう。
「さて、これより試練に入るが」
「マリーさんは受けれない、いや、受けても意味がない。そうだろう?」
「ロロ?隠すのかい?」
彼の言葉の続きを、仁が強引に奪い去る。それらに同意するように、今まで黙っていた柊と梨崎も底冷えするような視線を『記録者』へと送っている。
「隠すつもりはなかった。しかし、この話は冷静さを欠く。その前に、出来る限り多くを話しておきたかっただけだ」
「そうか。安心してくれ。もう既に冷静さを欠いている。話してくれて構わない」
「いやぁ、ここまでブチ切れてるの、久しぶりで自分も驚いてる。納得いかなかったら解剖しちゃうぞ?」
嘘を吐かない男が吐いた真実の言い訳に、柊は司令官としての仮面を外しかけて、梨崎はコミカルに殺意を込めてそんな言い訳は無用だと返す。
「えっと、仁ごめん……私分からないんだけど……」
「私も。なんで私が試練を受けても意味がないのか、説明して欲しいわね」
煮え滾るようでいて、氷のように冷たい殺意を隠し切れない仁達に、シオンは彼らが怒る理由を。そしてマリーは、なぜ自分に『試練』への参加資格がないのか、僅かに怯えながら問うた。
「なぁロロ。俺らってもしかしてさ、殺される意味も理由もなかったろ?」
「……?」
俺の口が吐き出した、殺意に塗り潰されそうな声に、シオンは黙ったまま分からない顔をする。
「君はそれを知ってたんじゃないかい?君なら、歴史に刻めばすぐに訂正できただろうに、何故しなかったんだい?」
「いやちょっと待って。意味が分からない。いや、分かるとしたら、忌み子が忌み子じゃなかったというか……そんな……」
少しずつ理解が追いついてきたマリーは、『魔女の記録』を思い出しながら、顔を死人のように青ざめさせる。
「その通りだろう。おそらく、黒髪だろうが金髪だろうが黒眼だろうが碧眼だろうが関係はない」
「『魔神』は心に闇を抱える者なら、誰だって憑依出来る。そういう事でしょ?ね?『記録者』さん」
マリーの最悪の予想を柊と梨崎が肯定し、全員の目がそれを知っていて訂正しなかったロロへと向けられた。
「正解だ。忌み子も何も一般人と変わらん。ただ髪と目の色が違うだけだ」
憤怒、殺意、絶望、期待、嫌悪、軽蔑。様々な視線に晒されながら、ロロは真実のみを口にする。例え真実がどれだけ残酷なものであろうと、御構い無しに。それが今まで続いてきた苦しみも争いも傷も何もかもを根底から、無意味なものへとひっくり返すようなものだとしても。
「説明しろよ。早くしねえと、その口が開かなくなるかもしんねえぞ」
「再生しようがいくらだって斬り刻むよ」
「分かっている。しかし、まず最初に言っておこう。自分達が意図的に放置していたのは認めるが、意図的に広めたのではない。『魔神』に憑依された者が黒髪黒眼になる事が永い歴史で捻じ曲がり、『魔女』と『魔神』に似ていると恐怖されていた忌み子と結び付いた」
俺の理性はもうはち切れそうで、それは荒々しい言葉となって表に出ていた。しかし彼は、触れれば切れそうな殺意もどこ吹く風と、いつもと変わらぬように、物語を語るように説明し始める。
「外との接触をほとんど絶っていたのもあり、気付いたのは忌み子が迫害され始めた遥か後、イヌマキから聞いてようやくだった」
「遅かったから無理だった?ふざけるなよ。お前なら出来ただろ……!」
「ちょっと仁!?」
疑問が解けた。真実しか書けないはずなのに、何故こうもデマが広がったか。ただ尾ひれがついただけ。そして、正せる者が正さなかっただけ。それだけで、世界はこうも歪んだ。だというのに、正せる者は、簡単に論破できる言い訳を並べるばかり。痛む身体も構わず、思わず振るいかけた剣は、ロロの制止とシオンの腕によって阻まれた。
「ああ、出来たとも。しかし、この状況は自分達にとって非常に都合が良かった」
「都合が良いだと……?」
「立っちゃダ」
「ごめんシオン。耐えられないや」
一旦こらえようとしたが、都合が良いなどと言われて、ついに仁の沸点が吹っ切れた。筋繊維が悲鳴を上げているのが分かっていながら立ち上がり、強化でシオンの手を振り払ってロロの首を掴む。
「なぁ、もう一度言ってくれないかな?都合が良いって……?」
「シオンが拷問みたいな幼少期を過ごしたのも、俺らの世界がこんな目にあったのも、あっているのも!外で飢えてる人がいるのも、身体を売るしかない人がいる事も……この街を守ろうと必死に戦って死んでいった人達の事もっ!?都合が良いって言うのか?え?」
許せない一言だった。ロロが間違いを訂正していれば、どれだけこの世界は変わっていたか。どれだけ人が死ななかったか。それは計り知れない。嘘を吐き、多くの人を見殺しにした仁も同じ穴の狢に違わないだろう。しかしそれでも、許せなかった。
「ああ、都合が良かった。ここまでになるとは思っていなかったが、忌み子も、そうでない人間も『魔女』や『魔神』をよく恨んでくれたからな。力の維持がしやすかった」
だが剣を向けられても、銃を向けられても、メスを目の前に置かれても、魂からの叫びを聞いても、ロロは一向に態度を変えようとはしない。死なないからか。もしくは、仁達の事をなんとも思っていないからか。
「どういう事だよ……!?」
「全人類に憑依出来る存在と、一部のみにしか出来ない存在。人が信じたがるのはどちらか。後者だ。そして後者を選んだ場合、人はどうする?その一部を強く憎む」
ロロは語る。忌み子という無意味な設定を放置し続けた意味を。強く憎んだ結果、今のように忌み子と世界は対立している。
「憎まれれば、憎み返す。そうすれば争いは起こり、人々は傷つき、死にゆく。残された者、今際の際の者の多くは誰のせいかと考えて辿り着く。『魔女』と『魔神』がいるからだと。彼らがいるから俺らは忌み子になったと。彼らがいたから忌み子が襲ってきたと」
勘違いから始まった偽りの危機は、保身という人の醜さを刺激し、憎しみの連鎖を生み出した。その憎しみの終着点のほとんどは、『魔女』と『魔神』へと帰結する。
「『魔女』の魔力は、こうして維持されていた。仮に勘違いを訂正していたのなら、『魔女』の魔力の維持は今よりももっと難しいものになっていただろう」
「でも!出来たんだろう!?世界は今より平和になって!何も変わらなかったはずだ!なのに、何故しなかったんだよ!」
難しいであって、出来ないわけじゃない。定期的に力を見せつけていれば、仁達の世界はこんな事にはならなかったかもしれない。少なくとも、ここまで酷い事にはならなかっただろう。
根本的なところにメスを入れて考えるなら、例え訂正したとしていても、仁の世界は半壊していた事に違いはない。被害者の多くは、転移初日の数時間で魔物に食われた者達だったのだから。その転移の理由も、忌み子は直接関係はない。『魔女』と『魔神』の戦いがつけた傷が、膿を吹き出したせいだからだ。
「お前、分かるか?あの時、俺と戦った生徒と先生は誰も死ななかった!」
しかし、こんな九割九分九厘が死んだような惨状は、避けれたはずだ。魔物の大群を凌いだ仁達の元へと駆け付けた騎士は、生徒を殺さずに保護してくれたことだろう。戦って分かったが、彼らの性格なら間違いなくそうだった。香花も狂わず、仁も彼女を殺す事はなかった。
「シオンだって、普通に生きれたはずだった!」
シオンもそうだ。普通に愛され、普通に家族と生き、普通に女の子らしい事をして、普通に恋をして、普通に美味しい者を食べて、普通に生きれたはずだ。彼女のささやかな憧れ通りに生きていたはずだ。
「この街で生き、死んだ人達もだ!この街で閉じこもって、餓死する人を黙って見ているだけなんて事もなくて!蓮さんも死ななくて!
「酔馬さんだって、騎士と協力していれば死ななかったかもしれない!今より、もっとずっと多くの人が生きて、笑ってた!」
この街で苦しみながら生きている人も、苦しみながら死んでいった人も、同じ。そんな苦しみ、ロロが勘違いを正していればなかった。生きていた、はずだった。
「ああ分かるよ!ただの仮定にして妄想にして願望にしか過ぎないって……でも、あり得たんだ!」
ifは現実にならなかったからこそ、ifなのだ。願っても夢見ても、決して意味はない。叶わない理想の世界。そうだと分かっていながらも、望まずにはいられない。
「今よりもっと幸せで、こんな辛くない!世界が!……なんか、言えよっ!」
より一層力を込めて、傷一つない白い首を締め上げる。彼さえ訂正していればと、そう思って。何か言え。どんな言葉が欲しかったのか、仁にも分からない。
「その理想以前に、今の苦しい世界そのものがある為だ。悪かったとは思うが、リスクが少ない策を選ばせてもらった」
「っ!?」
だが、この言葉じゃない事だけは確かだった。




