『魔女の記録』第20話 星に刻む傷
「はぁ、嫌になるわ」
チーズのように四つに裂いて、『魔神』めがけて落とした柱が途中で進路を変え、ある場所で停止。その場所から先に進むことなく、まるで逆再生のように天高く舞い上がっていく。
「この程度で殺されるわけがないだろう」
『反転』と呼ばれる、直径1mの円によって弾き返されたのだ。円が弾き返せるのは一回まで、一度出した円は動かすことが出来ないという制限はあるが、どんな攻撃でも無効化できるというふざけた能力。そしてもちろん、『魔女』は制限など知らず、無制限に使えるかもしれない最悪を想定して戦わねばならない。
「イカれた能力とイカれた能力を掛け合わせるってズルくないかしら?」
「そう簡単な事ではない。多くの系統外が同時発動出来ん」
途中で進路が変わったのは、『引力付与』という系統外のせいだ。引力を付与して引き寄せる事で、動かすことの出来ない円へと強制的に誘導出来る。このように、『魔神』は幾つかの系統外を的確に扱う事で、単なる足し算ではなく掛け算としての効果を叩き出していた。
「それに、貴様も大概だろう」
能力を羨む表情を浮かべた『魔女』に全ての系統外を魔法で弾かれ、『魔神』は呆れた表情を返す。ただ魔力が多いという事が、これほど強いとは思っていなかった。
「こっちも工夫してるの」
地柱の良い所は生半可な力や魔力では押し返せない以外に、一度空に上げてしまえば、魔法を打ち切るだけで攻撃となる事だろう。攻撃しながら、枠を確保できるのだ。
「そのせっかく空けた枠、防御に回すしかないってのが辛いわね」
身体に空いた穴を塞ぎ、腐り落ちた皮膚を新しいものへと生まれ変わらせながら、『魔女』はため息を一つ。さすがに初見で全ての系統外を防ぐ事は出来ず、数個食らってしまった結果である。どれも致命傷ではなかったのが救いだろう。
「その再生能力、底はどこだ?」
「死んでみなきゃ分からないわ。試してくれない?貴方のも」
魔力と系統外によって減衰を超えた互いの再生能力は、最早不老不死に近い。再生する間もなく全身を押し潰す、もしくは系統外などの特殊な殺害方法以外では殺せないだろう。
「『帝』と『剣聖』を先に殺しておいて良かったわ。あの二人が合わさってたら間違いなく負けてた」
「思い通りにならんな。この世界は」
再生不可能の傷を、障壁無視で与えられれば、さすがの『魔女』も耐えきれない。『魔神』も目をつけてはいたのだが、『魔女』の再生能力がここまでとは思っておらず、後回しにしてしまっていた。
「だから思い通りの世界を創ろうと?貴方の世界、認められないの」
「私はこの世界を認めん。そして、『勇者』は貴様を許さない」
大地を消滅させ、海を底まで掘り起こし、空を炎で焼き、風で破壊を撒き散らす。二人の戦いは地形を変え、世界を揺らし、後世に至るまでの傷跡を星に刻み込む。
「貴様も、私の世界を認めないが為に虐殺していただろう?人は皆、世界を思い通りにしたいだけ。『勇者』も『魔神』も『魔女』も『記録者』も一般人も、何も変わらん」
世界を、良い方向へと変えたかった。でも、リセットする以外に方法はなかった。だから殺した。
「……っ!?どの口が……!貴方さえいなければ、私は!『勇者』だって!」
誰も殺したくなかった。けれど、殺さなきゃ守れなかった。だから殺した。
『魔神』の諦め、悟った声を、『魔女』の血を吐くような絶叫が上書きする。系統外の衝撃波と、異常な規模の魔法がぶつかり合って弾け飛び、地上に隕石となって降り注ぐ。
「違うのは、どれだけを犠牲にしてもいいと思ったか。それだけだ」
「そんなに価値があるの?」
酸の雨がクロユリの身体を融解させていくも、再生能力が上回り無意味となり無視。彼女は好機だと即座に数百m規模の火球を編み出し、彼へと撃ち込んだ。
「争いのない世界だぞ?誰もが幸せに笑い、優しい人間が、真面目な人間が、損をしない世界だぞ?」
しかし、ただ撃ち込まれた魔法を『魔神』が食らうわけもなく、『引力付与』『反転』の合わせ技で、火球は反対方向へと進み始める。
「どれだけの骸の上に、その汚れた綺麗事を創るつもり?」
だが、彼女も考え無しに撃ち込んだわけではない。『反転』した瞬間、火球を大爆発させ、『魔神』の肉体を消滅させる事を試みる。
「ご馳走様だ」
大方、炎を吸収する系統外でも奪っていたのだろう。煙の雲を裂いて飛び出してきた『魔神』の魔力が、急増していた。
「あら、お残しは行儀悪くないかしら……?ねぇ?」
最も、一度に吸収できる量に限度があるようで、あちこち焼き焦げていたのだが。すぐに再生したのを見るに、魔力を得つつ致命傷だけを避けたか。
「平行線ね。信念も、戦いも」
千日手。互いの身体を壊すような威力をぶつけながらも、互いに死ねず。本当に危ない、再生の追いつかないような魔法に関してだけは、『勾玉』や障壁などの系統外を用いて防ぐ。
『魔神』は『崩心』を使う隙を窺っているようだが、他の系統外を使わずに『魔女』と渡り合うのは不可能である。一瞬でも気を抜けば、すぐに身体が消し飛ぶような戦いなのだ。故に、多少の傷を負ってでも、魔力を吸収しようとしていたのだろう。
「ああ。信念に関しては、同意しよう。だが戦いは平行線ではない」
と、クロユリが想定した矢先、『魔神』はまるで戦いが終わるような口調へと変わった。
「貴様こそ、飲み過ぎたのではないか?」
「何のはなっ……あああああああああ!?」
何を隠している、飲み過ぎとは何かとクロユリは周囲を警戒して感覚を尖らせ、身体の内側で暴れ回って破裂しそうな魔力を必死になって抑え込んだ。
「あの、雨に……!?」
腐り落ちていく肌に治癒魔法を慌ててかけるが、これが逆効果だった。崩壊していく範囲がみるみる広がり、そこでクロユリは己の失敗とトリックに気づく。
「『奇跡の雫』と呼ばれる、強力な再生効果を持つ蜜を錬成する系統外だ。さぞ効くだろう?」
攻撃ではなく、再生。過剰すぎる再生は逆に身体の崩壊を招く。その蜜を酸の雨の中に混ぜ合わせ、皮膚を溶かした下の血管に染み込ませて、全身に巡らせた。
「ぐぅ……ああ!?」
大元の再生を切ってしまえば、クロユリの身体は己の過剰な魔力に耐えきれずに弾け飛ぶ。かと言って、このまま再生を切らなければ、身体は腐り落ちていく。『奇跡の雫』の再生に合わせて大元を調整すればいいと思うかもしれないが、『魔女』は匙加減が下手すぎた。
「これで、終わりだ」
声が聞こえたのは、背後。再使用可能時間の長い『座標移動』をここで使い、クロユリの背後を取った。身体が内側から終わりを迎えるような本能的な恐怖にチカチカと光る世界で、『魔神』の黒い手がゆっくりと伸ばされる。
触れられたら、終わる。自分だけじゃない。世界、そのものがだ。
「負け、られないっ!」
細かい魔法の調整なんて出来やしないなら、制御できる範囲全部ぶん投げてぶっ放せばいい。風魔法を最大の威力で『魔神』目掛けて放ちつつ、推進力に変えて大きく距離を取る。
「はっ……はっ……」
未だ身体の崩壊は終わらない。しかしそれでも、致命傷だけは避けた。『崩心』発動中は障壁を展開出来ないらしく、『魔神』の身体はミキサーにかけられたように木っ端微塵となっている。殺し切れなかったのは、大半の威力を『崩心』前に予め置かれた『反転』の円で押し返されたからだろう。
「でも、これで……?どこ?」
最大の脅威であった『座標移動』を奪えたとクロユリは笑い、強化された視界に映る『魔神』の肉片の中、黒い霞はあれど腕が無い事に気が付いた。余りにも細くなりすぎて分からなくなった?いや、違う。黒い霞は何故、あれだけ形を残している?
「虚空路?」
あの黒は全部が全部、『崩心』の黒い霞じゃない。その一部は次元を跨ぐ黒い穴だ。でも、虚空庫や虚空路に生物は入る事は出来ない。『崩心』も見る限り、他の系統外と合わせて発動する事も出来ない。
しかし仮に、斬り落とされた腕が、生物ではなく無生物の判定となるのなら?『崩心』が、腕を切り落とされた後も、少しの間消えずに残っているのなら?そして、身体から『崩心』を切り離す事で、他の系統外が使えるならば?
幾つもの最悪の想定を重ねて、クロユリは『魔神』の狙いを推測。最悪の想定を重ねるに越した事はない。例え外しても、それは最悪よりはマシなのだから。
「ロロ!」
クロユリが後ろを振り返って愛しき人の名を呼んだのと、目の前に黒い穴が開き、斬り落とされた腕に恐ろしい速度で自分が引き寄せられた瞬間、更に背後から『魔神』が伸ばした無事な腕で『崩心』を発動させたのは同時だった。
『魔神』は、この時を待っていたのだ。無意味だと勘違いした『魔女』が避けない雨に、毒となる多すぎる薬を仕込む。動きが止まったところを『座標移動』を用いて急接近。この時に勝てるのならばよし、仮に何らかの方法で距離が取られたのならば、引きちぎった腕に『引力付与』して虚空路に投げ込み、クロユリを引き寄せるもよし。そして、クロユリが引きちぎった腕に対処しようとも、まだ『魔神』本体が残っている。
実際、クロユリが『魔神』の狙いに気づいた時点で、対処のできる魔法を用意して発動させようと、間に合うものではなかった。勝てると思って、『魔神』はこの策を使ったのだ。
「ねぇ『魔神』。熱くないかしら?」
しかし、予め用意しておいた切り札ならば?条件さえ揃えばいつでも発動できるように、いくら魔法に巻き込もうと死ぬ事はない手の中の肉片に魔法陣を仕込んでいて、今までずっと発動準備をしていたのなら?
「は?」
偶然だった。たまたま『魔神』が用意していた策を、クロユリとロロが考えた切り札が潰した。いや、全ての攻撃や策を蹂躙するからこそ、切り札と呼ぶべきか。
「熱?」
世界がゆらゆらりと揺らぐ。「まるで」ではなく、それは正しく陽炎。揺れた世界に触れた、虚空路を通った腕は即座に蒸発して消え、『魔女』に近づこうとした『魔神』の身体も焼け爛れ始めていた。
「考えていたの。全ての系統外を防ぐには、どうしたらいいか。貴方に攻撃を届かせるのには、どうしたらいいか」
『勾玉』が四方全てをガード出来ないと聞いたクロユリが思いついたのは、全方位からの攻撃ではない。その更に上だ。
「簡単で、盲点で、誰もが魔力が足りなかったの」
クロユリを中心とした莫大な範囲を、全てが融解するような温度で燃やせばいい。それは『魔神』への攻撃となり、『魔神』の攻撃を防ぐ盾にもなる。触れられれば終わり?触れようとした腕の存在を許さなければいい。虚空路で不意を突く?虚空路から出ると同時に燃やし尽くせば、それはクロユリには届かない。
「ふざけるな……!?」
魔法障壁以外全てのものを許さない、絶対なる空間。大気も、大地も、海も、空も、風も、氷も、水も、人も、血も肉も骨も死体も剣も、なんならこの大陸上全ての存在を許さず、燃やしてこの世から消してしまおう。
「私のほぼ全魔力を注いだ切り札、『融解世界』よ。雨、ありがとうね。回復魔法に割く魔力が減って助かったわ」
範囲も温度も馬鹿げている。どれだけの魔力が必要になるか、想像もつかない。だが、そんな想像もつかないような魔力を持っているのが、クロユリだ。
「唯一、ここから逃れられる可能性があったのは『座標移動』。最初から使わなかったのは、『座標移動』を使用させる為」
しかしクロユリでも、この魔法はとてつもない量の魔力を持って行かれる。維持できる時間は短く、一度でも発動させようものなら次はない。『座標移動』で逃げられてしまえば、クロユリは切り札を見せ、大きく魔力が減った状態で再戦する事になってしまう。だから、『魔神』が『座標移動』を発動するまで粘った。
「そして、他に逃亡可能な系統外はないのか確かめる為よ。本当はもう少し、貴方の系統外を観察してから発動するつもりだったのだけれど」
もう一つは、『魔神』の持つ系統外を見極める為。炎や熱を吸収する系統外を見た時はドキッとしたが、上限があると知れば心配ではなくなった。たかだか数百m程度の火球で超える上限なら、余裕でぶち抜ける。
「詰めが、甘い……!」
溶けた身体を再生させた『魔神』は、熱を吸収する系統外で一秒の時間を作る。この熱は魔法によるもの。その一秒で魔法障壁を展開すれば、この全てを溶かす世界は無効化できるのだ。『魔女』の魔力が尽きるまで耐え切ればいいと『魔神』は身構えて、
「詰め?今からするのよ」
目の前に黒い影が、観測出来ない速度で迫っていた。かろうじて認識できたのは、それが『魔女』だと言う事と、『勇者』の身体が再生する間もなく、一瞬の間もなく消滅した事。
「身体、強化……?」
消え逝く世界の中で『魔神』は前回、己の腕を引きちぎったクロユリの速さのカラクリと狙いを知る。あれは、今のはただの身体強化だと。『融解世界』とやらは、ただの魔法障壁を展開させる為だけの囮であったと。上限を突破し、際限なく高められた身体能力が音速を超え、光に近づいた速度で『魔神』の身体を今、ぶん殴ったのだと。
「勝った」
粉々になり、血を溢れさせた右腕と両脚、あまりの早さに背中とくっついた身体の前面部を修復しながら、『魔女』は握った拳をそのまま掲げた。粉も残らない強さで殴り飛ばしたのだ。1kmなんて目じゃない程遠くに行っただろう。
「いいや。まだだ」
だが、『魔神』もそう何度も死んではいない。『勇者』の身体が死んだ瞬間に『魔神』の魂は抜け出していて、『魔女』の身体へと取り憑いていた。
「貴様の肉体、貰い受け」
肉体での勝負は終わり、精神での殺し合いが幕を開ける。そう『魔神』は思っていたが、悲しいかな。
「ええ、どうぞ?この欠陥だらけの身体が欲しいなら、いくらでもあげるわ」
全ては『魔女』と『記録者』の掌の上だ。




