『魔女の記録』第19話 相容れぬ者達
「油断してた。準備が万全じゃなかった。相手を見誤っていた」
一夜明け、造り直した森の家の暖炉の側で。『魔女』と『記録者』は反省会を開いていた。
「討伐隊の編成が囮だったとは思わなかった。やられたわね」
討伐隊の動向だけに注目し、『魔神』が単騎で来る事を考えていなかった。冷静に考えても、討伐隊全員より、『魔神』の方が圧倒的な脅威であったのは確かなのに。
「まさか『勇者』に憑依せず、共闘してくるとも思わなかった。一体あやつは何を考えておるんだ?『魔神』の甘言にでも乗せられたのか?」
もっとも、単騎ではなかったのだが。世界を救おうとする『勇者』と、世界を滅ぼそうとする『魔神』が手を組むなんて思ってもおらず、これら二つ不意打ちされた主な理由だ。
「イヌマキをこの家に呼ぼう。地下室はしっかりと蓋をすれば問題ないだろうからな」
あのまま『魔神』の身体を壊す事も、十分に出来たとは思う。しかし、イヌマキがいないならば、『魔神』が憑依したクロユリを抑える事は出来ない。たった一日だけとはいえ、『魔女』の魔力を得た『魔神』を野放しになんてしたら、世界が滅ぶ可能性も大いにある。
「やっぱり、範囲を大きくするとダメだったわね。時間がかかり過ぎる」
「その間、封印であまり動けないのも問題だ。系統外を駆使されれば逃げられる。かなり移動系の系統外集めに力を入れていたようだ」
仕方なく魔力に物を言わせ、封印の魔法陣を発動させたが、かなり余裕を持って範囲から抜けられてしまった。
「次に決めるなら、狭い範囲の最高速度」
「奴を動けなくする事に、力をつぎ込むしかないだろう」
『魔神』の逃亡速度、再生能力、防御能力、及び発動中はかなり意識を奪われるという封印魔法の大きすぎるデメリットを見誤ったのが敗因だ。
「あの黒い球の、破壊不可能っていうのが厄介すぎるわ。引き伸ばして盾にされたら、どんな攻撃も防がれるんじゃないかしら」
「だったら常にそれをすれば良い話だ。奴の掌の中から見ていたが、あの黒い球は奴の前後のみに集中していたぞ」
絶対に破壊不可能な『勾玉』を防御に転用する事で、山を無効化された。何の制限もなければ、間違いなくぶっ壊れで最強。しかし、位置関係でクロユリから見えなかったが、掌に握られていたロロはその時、黒い球の引き伸ばしの限界のラインをしっかりと見ていた。
「全方位のガードじゃないって事ね。今度は四方から山をぶつけようかしら……ああ、私、いい案を思いついたわ」
「何かね?」
前後のみに破壊不可能の防壁を築くならば、横から突き入れればいいだけの事。その考えに至ったクロユリは、ある魔法の構想をロロへと話す。
「……必要魔力と準備の時間がどれだけになるか、想像もつかん。しかし、やる価値はある。何せ、既存の魔法の減衰を突き抜けるだけでいい」
「なら決まりね……次の目的地も、一緒に」
馬鹿げた考え。だが、クロユリは罪を背負う事で、馬鹿げた事を現実にするだけの力を持っていた。この後、『魔女』と『記録者』は、膨大な魔力を見に宿す飛龍達を皆殺しにして、決戦の準備を整えた。
「しくじった。まさかあれ程の強さを持つとは、思っていなかった」
「俺もだよ。お前と組めば勝てるって思ってた」
同刻。王都に用意されたきらびやかな部屋の中で、『魔神』と『勇者』も紅茶混じりの反省会を開いていた。腕をはじめとした傷は、『魔神』の系統外で完治済みである。
「ただ魔力が多いだけと、心のどこかで侮っていたのだろうな。馴染んでいない身体でも戦えると慢心していた」
魔力が多いだけで、魔法を防げば勝てると思っていた。しかし、無限に近い再生能力、『魔神』でさえ危うい極大の封印魔法、何もかもをぶち壊すような馬鹿げた規模の攻撃魔法と、蓋を開けてみれば、魔力が多いとというだけでどれだけ厄介だったか。おまけに、何らかの系統外を使われ、観測する事も出来ずに腕を引きちぎられた。
「なぁ『魔神』」
「どうした『勇者』」
神妙な声での呼びかけに、『魔神』は何か思いついたのかと首を傾げる。しかし、『勇者』が紅茶の甘さの残る唇から出した言葉は、
「勝てなかった理由、馴染んでいないだけじゃないだろ」
「……気付いたか」
『魔神』にとっては思いもよらない事で、隠していた事だった。
「一つの身体に、俺の意識とお前の意識が混在してるのが本当の原因だな?」
「……正解だ」
一つの身体に二つの意識があるなど、普通はありえない。しかし、想定して欲しい。その二つの意識が独立して動こうとすれば、その身体はどうなるのか。
「俺はそれなりに場数も踏んでるし、強さに自信もあった。けれど、お前ほどじゃない。だから、俺の思考が足枷になってたんだな」
答えは、まともに動けない。『魔女』の攻撃に『勇者』が取ろうとした行動と、『魔神』が取ろうとした行動は必ずしも一緒という訳ではなく、大幅なタイムロスが生まれていた。すぐさま気付いた『魔神』が『勇者』に合わせる事で対策したものの、それでも自分だったらこう動くと、と考えてしまった。
「そうだ。他にも、私の持つ系統外を君がほとんど知らず、咄嗟に使う事が出来なかった事も大きい」
『魔神』の保持する系統外を『勇者』は全て知っている訳ではない。故に、彼の思考ではコンマ1秒で死に至る『魔女』との戦いで、即座に系統外の引き出しを開けれなかった。『魔神』は『勇者』が知っている系統外を主に使って戦う事しかできず、大きく戦力は低下してしまった。
「全てを教えられても、使いこなすのは無理だろうな」
今まで支配し続け、共存なんてした事もなかったから気付けなかったデメリットは、数多の系統外でどんな状況にも対応するという『魔神』の戦い方を潰してしまっていた。その事に『勇者』は深くため息を吐き、
「なぁ『魔神』。俺の意識を一時的に支配する事は出来るか?」
己の全てを、『魔神』に預ける事を提案した。
「……出来なくはない。いいのだな?」
「いいに決まっている。俺は『魔女』も『魔神』も殺して、世界を救いたいんだ。その為に戦っている事を忘れるな」
意識を支配される。それはある種、一時的な死と同じ。いや、『魔神』が裏切って意識を完全に食い荒らしてしまえば、『勇者』は二度と目覚める事はなく、願いが叶う事もない。世界を滅ぼす手助けをしたまま、使い捨てられた事になる。
「私が裏切る事は考えんのか?」
「俺の手で殺さなきゃ復讐じゃないとか考えて、変な気を使う馬鹿が裏切るとは思えなかった。お前は世界を滅ぼそうとしているが、最低なやつじゃない」
それでも『勇者』が『魔神』を信じたのは、同居人の性格が短期間でも分かるようなものだったから。
「約束を違える事が、何よりも嫌いなだけだ。『魔女』と戦う前に支配し、それが終わったら解放しよう」
「そして俺が解放された時が、どちらかが終わる時だ」
『勇者』は世界を救う為に、『魔女』を殺す為に、『魔神』を殺す為に戦っている。自分の手で出来るに越した事はないが、そんな事に拘って、負けるのはもっと嫌だった。目的を見失う程、彼は憎しみに囚われてはいなかった。
「さて、そうと決まればいい案がある。それを試したいし、討伐隊から有用な系統外を奪わねばならぬ事も考えれば、もう時間はない」
一人は世界を救って仇を討つ為、一人は世界を壊して願いを叶える為。共闘が終われば殺し合うが、それまでは決して互いを裏切らない、決して相容れない似た境遇の二人。
「裏切って解放なんかせずに俺を殺せばいいのに、お前本当は––」
きっと、世界が違えば彼らは、仲良くなれたのかもしれない。
時は進み決戦。なす術なく討伐隊が壊滅し、『記録者』は肉片となり、『勇者』は『魔神』の中で眠り、陸の血の海の上で二人は向かい合う。
「さぁ、終わりにしましょう。『勇者』」
『魔女』が振るった右腕は大地を破裂させ、溶岩を噴出させる。魔法を打ち切り、左腕が放つのは魔力を圧縮させた、溶岩を穿つ光の線。いや、最早それは線と呼ぶものではない。余りにも、大きすぎた。
「『鏡壁』」
溶岩が内側から弾け飛び、地面を浸す血と肉を瞬時に蒸発させる。『魔女』の光線を『魔神』が弾き返し、相殺したせいだ。物理攻撃が来ると読み、物理障壁を張っていた『魔神』は無傷。
「あれだけの魔法を使ってなお、底が見えないとは恐ろしいな」
『魔女』の系統外を知らない『勇者』と『魔神』は、少しでも彼女を消耗させようと討伐隊をぶつけたが、敵に塩を送った結果になってしまった。魔法の発動に使った魔力よりも、殺し、恨まれて奪った魔力の方が遥かに大きかった。
「貴方こそ、あれだけの魔法を簡単に無効化してくれちゃって……自信なくしちゃう」
『勇者』の意識を閉ざす事で、『魔神』は本来のスペックを取り戻した。幾千年で培った戦闘の経験と、奪い取った数多の系統外を余す事なく使う事ができる。
「ねぇ、貴方に聞きたい事があるの。『魔神』じゃなくて、『勇者』に」
「すまないが、彼は今眠っている。しかし、君達が聞きたいであろう私と手を組んだ理由については、私が答えよう」
「お願い」
真実を知る者ならば誰もが問いたくなる、相反する二人が協力した理由。『魔女』にとっては切り札発動までの時間稼ぎでもあったが、本当に聞きたい問いでもあった。故に、心を読めない『魔神』は素直に答える。
「『魔女』を殺し、そしてその後に私を支配して力を奪い、世に平穏をもたらす為だそうだ」
「……なる、ほど。貴方の支配に勝てるかは疑問だけど、仮に勝てたのなら……最も犠牲の少ない、世界の救い方になるわね」
世界を救う為に、全てを滅ぼそうとする『魔神』。世界を救う為に、世界の半分を殺そうとする『魔女』。世界を救う為に、世界を敵に戦う二人を殺そうとする『勇者』。誰が犠牲が少ないかは、一目瞭然。
「こうも言っていた。『魔女』はなぜ戦うのかはわからない。仮に、世界を救う為に『魔神』を止める為だとしても、彼女は殺しすぎているとも」
「しょうがないわ。だって私は、殺したら殺した分だけ、魔力を得られるんだもの」
「……だからか。全てに合点がいった。世界を救う為に貴様は世界の敵となり、世界を滅ぼしていたのだな」
『魔神』が持てばすぐさま目的が達成できるような系統外を明かされても、彼は羨む事はなく、彼女の辿った道筋と決意に目を伏せる。『魔女』としては、記憶喪失という代償を隠した魅力的な餌に食いついて欲しかったのだが。
「お喋りはこの辺にしましょう。分かり合うことは絶対にないわ。それこそ、世界が滅んでも」
「ああ、その通りだろう。これより先、言葉に意味は無い。ただ、己が理想を示すのみ……と、言ったが出来れば手加減してもらいたいがね。貴様に勝った後、宿敵と決着をつけねばならんのだ」
困ったように肩を竦めた『魔神』は、複数の系統外を展開。
「なに?もう勝った気でいるのかしら?」
「もちろん。なんだ?貴様は負ける気で戦いに挑むのか?理想が叶わないと思っているのか?」
「あら?貴方が負けないと思っていた事に、驚いただけよ」
からかうような笑みで煽り、手の中の肉片を愛おしそうに握った『魔女』は、鉛筆を放り投げる感覚で高層ビルを束ねたような大地を、『魔神』へと向ける。
「私と『勇者』の理想の為に、ここで死ね」
「私が殺した人と守りたい人達の為に、ここで消えなさい」
いくつもの系統外が『魔女』を襲い、魔法と物理が入り混じった地柱が『魔神』を押し潰す。こうして、大地を砕いて海を割り、この世界の地形を大きく歪めた伝説の戦いが幕を開けた。
両者とも、やり方は間違っていたとしても理想に生きようとし、世界を救おうとした。この世に悪は存在しない。ただ、違う正義を掲げた人間がいて、折り合う事が出来ないから争うだけなのだ。




