『魔女の記録』第16話 お食事
「やつだ!やつを止め」
唇から発せられた言葉は、斬撃によって途中で断たれた。目の前の兵士が振るった剣ではない。数十m先、言葉の中の「やつ」が振るった剣によるものだ。
「あり得ねえ!あんな化け物、いんのかよぉ!」
兵士達が恐れるのは、「やつ」の持つ圧倒的なまでの範囲殲滅能力だ。たった一度、剣が振るわれるだけで百人単位で命が刈り取られる。その能力故に、彼は軍の先頭に立っていた。
「『勇者』じゃねえ!あんなのただの虐殺兵器」
「失礼な事言わないでー」
何も無かった空間を切り裂き、否、幻覚で隠れていただけで普通に飛んできた短剣に、兵士は喉を貫かれて絶命した。『勇者』の横に控えながらも、邪魔にならないように振る舞う少女が投げた暗器だ。
「人間なんだよ?傷をつければ血も出るし、悪口を言われたら心も痛む。ねー?」
「傷は全くついてねえけどな。お?今兵器って言われてちょっと悲しそうに……そいっ!」
身の丈に余る大剣を両手に一本ずつ握った男が、ガハハと笑いながら、額に刺さりそうになった矢を頭突きでへし折る。お返しにと、敵国の兵士の群れへと大剣をぶん投げれば、血飛沫が飛んだ。剣として大いに使い方が間違っているが、彼はいつもこうである。
「悲しくなんかあるか!少なくとも、お前が酒場の女を口説き損ねたあの時よりは、悲しくないな!」
「勇者さんよぉ。背中に気を付けろ……!戦場と恋愛じゃあ、何があるかは分からねえぜ?」
「あのぉ……だから戦場ですよ?あとその、口説いた話というのを出来たら詳しく」
念の為と、矢を頭突いたバカな頭に色んな意味で治癒魔法をかけた女性の言う通り、彼らの立ち振る舞いは戦場にそぐわぬもの。まともな人類で、最強に近き者達だからこその態度だ。
「後でな?ここは俺だけで十分だ。広範囲に抉るから、他の援護を頼む」
「頼むから言わんでくれ……どんだけいじられる事か。お前の邪魔にはなりたかねえや」
相手が数人単位の強敵なら、彼らは四人で戦う事が多い。しかし、今回のような多人数の雑魚が相手ならば、別れた方が効率が良い。大剣を振り回して投げて素手で殴るような大男の戦い方も、うっかりすると周りを巻き込んでしまう。
「巻き込まれない程度の近さにいるから、何かあればすぐかけつける!」
「ふふっ。なら私は、傷ついた方を癒して回りますね」
心配そうな少女と杖を持った女性も、手を振って戦線を移動する。姿も武器も幻影にて隠蔽し、無警戒の相手を一撃で仕留める暗殺者も、最前線の傷ついた兵士の部位欠損以外を即座に癒して再び戦わせる僧侶も、勇者の近くにいない方がやりやすい。
「貴方の周りには、傷つく人がいませんからね」
「私が殺せる相手もねー!」
勇者の戦いの結果は、倒れた敵兵だけだのだから。
「君達と敵対し、君達を亡き者する事を、先に謝ろう」
『勾玉』と呼ばれる黒の球体を呼び出して、剣を構える。準備を整えた彼は侵略者へと詫びて、戦闘を開始する。有言実行もまた、勇者にとっての責務だ。
「避けろおおおおおおおおおおおお!」
「避けても良いけど、そんな空間あるかい?」
破壊不可能。魔法障壁以外では防げない『勾玉』が、鋼鉄の鎧を飴菓子のように踏み潰す。密集している為思うようには動けず、魔法障壁を使わなければ死。しかし勇者が次に振るう斬撃は、物理判定。
「だ、誰か!物理障壁を張ったやつは……!」
「さっき勾玉でまとめて潰したよ」
物理障壁を張っていた者を盾として使おうとしたのだろうが、彼らはみんな仲良く天へと旅立っている。防ぐならば、亀の甲羅のように魔法障壁を並べ、その中に物理障壁を張った者達を待機させておくべきだった。
「た、助けてくれ!俺は本当は、こんなところに来たくなんて」
「戦場に立った時点で人は、命を無くす。そこからもう一度、自分の命を拾えるのは勝者か幸運な者だけだ。だから」
勇者は命乞いに耳を貸すつもりはなく、静かに剣を何度も振るう。必要以上の殺しはしないが、必要な範囲の殺しはするつもりだったから。
「俺は、仲間や守りたい者を勝者にする為、この手を汚そう」
胴から半分になった敗者達を踏み越えて、勇者はただ一人で前線を押し上げていく。全員絶命とは言えないだろうが、少なくとも動ける傷ではない。
「嘘だろ?」
故に、死体を押し退けて立ち上がった男の動きに、僅かながら彼の反応が遅れた。上半身より上に服が無いことを見るに、再生したのだろうか。部位欠損は治らず、死者は蘇らないというのが絶対であるはずの世界で、なぜ。
「治らないんじゃなかったのか……!」
クロユリやロロ、イヌマキが見れば失敗作だと見抜けただろうが、『勇者』はそうもいかない。しかし、正体が分からずとも、取る行動は変わらずただ一つ。
「粉になるまで潰!?ちぃっ!」
再生できない程殺そうとして動かした勾玉を、魔法障壁で防がれる。勾玉を警戒され、仕込まれていた。
「なら」
魔法障壁を張っているなら、物理で斬るまで。剣を構えて、振り切る。生み出された斬撃の波が空気を断ち切って進み、男へと到達。
「この程度ぉ!」
それさえ、彼が虚空庫から引きずり出した刃によって受け止められた。謎の再生能力だけではなく、剣術を相当の域に達している。対する勇者は剣を振り切っていて、無防備。これで決めると剣を振り被り、
「言ったろ。物理で斬るって」
斬られたのは勇者ではなく、失敗作だった。勇者たる彼のみが使える、虚空庫の亜種の系統外、『虚空路』。通常は収納する事しか出来ない虚空庫だが、この能力は収納と出現を同時に行うことが出来る。
「でも、気にしないでいいよ。初見で対処できる奴を、俺は見たことがない」
虚空庫の発動限界である、自分の手が届く範囲以外でも、とある制限に引っかからなければ発動できる。つまり、左に振り切った剣を『虚空路』に通し、敵の背後に出口を出現させ、虚と心臓を突く。勇者の剣を防いだと油断して、いきなり背後に出現した剣先に突っ込み、心臓を突き破られたように。
「それにしても、どうした復活したんだ……?何らかの系統外か?」
勝ったものの油断はできず、勇者はじっくりと観察を続けるが、失敗作はもう動かない。一度きりの系統外だったのだろうか。
「次に行くか。後で……がああああああああああああああああああ!?」
思案しても答えは出ず、勇者が次の敵に目を向けたその時。彼の腹に穴が空いた。焦げる肉の香りが、自分の腹から漂ってくる恐怖。ごぽりと零れ落ちていく血の塊。脳を襲い狂わせる痛みに喚き、勇者は見た。
「……『魔女』……!」
黒づくめの女と、彼女と手を繋ぐフードを被った誰かを。自分の悲鳴に気づいて、駆け寄ってきた仲間達を。
遠く離れた戦場も、『魔女』の魔力による強化ならば、目の前にあるものとさして変わらない。赤だとか銀だとか、血の匂いの幻が香りそうな色と命の移り変わりを、彼女は目を逸らさずに見ていた。
「ごめんなさい」
これから自分がいただく食事だ。礼を尽くさねば失礼だろう。
「それにしても……醜くて、美しいわね」
誰もが必死に、人を殺そうとしていた。誰もが必死に、誰かを守ろうとしていた。誰もが必死に、死にたくないと願っていた。誰もが必死に、生きようとしていた。
「それが戦いというものだ。誰もが大切なものを守ろうと幸せにしようと、他人の幸せを踏み躙る」
何事にも限りはある。資源にも、幸せにも。故に人は争い、愚かなる歴史を繰り返してきた。故に、数人では抗えない、大いなる時代の波に飲まれながらも必死に闘い、生き抜こうとしてきた。前者は醜く『魔神』が信じた人間で、後者は美しく『魔女』が信じた人間。
「私も、その人間の一人」
「自分は人間ではないが、思想に同調している。罪は同じだ……ん?」
血を流して倒れる兵士の中に、一際異質な存在が一人。巨大な黒い球体を意のままに操って人を潰し、光り輝く剣を振るって、遥か彼方の敵までを斬り伏せる。
「あれが『勇者』か。中々にやるな」
「能力に頼りきってる私とは違って、ちゃんと考えて使いこなしてる。あの黒い玉、かなり厄介ね」
幾ら魔法を受けようとも、黒い玉は一向に消える様子も衰える様子もない。破壊不可能か。もしくは、一定以下のダメージを全カットか。あるいは一定以上のダメージにて消滅か。仮に最初の推測なら、『魔神』に持たれると不味い。
「敵も負けてはおらんな。ほら、裏を取った」
しかし、これは戦争。当然、その国の強者も投入されている。その中には勇者の攻撃を潜り抜け、彼の首元に迫る者もいた。黒い球体を魔法障壁で受け止め、空を断つ斬撃に己の刃を打ち合わせて堰き止める。剣を大きく振り切った姿勢の勇者は、実に無防備だった。
「……本当に強いというか、厄介だわ」
「ああ。あの勇者とやら。是が非でもここで殺すべきだろう」
剣を振りかざした男の胸から、剣が生えていた。勇者の姿勢は以前変わらず、ただ彼の剣先が黒い空間に飲み込まれ、その分だけ男の背後の空間から突き出ていた。
「範囲が自由な虚空庫といったところかしら?」
「三つ?あやつがもしや魔神か?」
いつでもどこからでも斬りかかれるというふざけた能力を含め、計三つの系統外に、更にふざけた系統外を持つ夫婦は標的の可能性を考える。しかし、戦う姿だけを見ても、彼が魔神かどうかは分からない。味方を救うように立ち回ってはいるが、演技ということも充分にあり得る。
「まぁいいか。試せば分かる」
だから、ロロとクロユリは彼を一度、殺してみる事にした。
「この距離で察知されて躱されたら、期待大ね」
どれだけ強い人間でも、気づかない位置からの攻撃には弱い。日常生活のトイレの中まで、気を張っている人間はいないだろう。だが、魔神ならば。トイレの中でさえ魔法を察知し、そのまま紙で尻を綺麗にしながら防ぐはずだ。
「行くぞクロユリ」
繋いだ手から伝わった魔法を、魔女の魔力で起動。一瞬の溜めの後、熱線が放たれる。結果は勇者の身体に大穴を開けるという、彼女の魔法にしては控えめなもの。
「君の魔法を調整するのは楽しいが、骨が折れるな」
威力を最低にし、距離と貫通力に魔力を振り切った故の結果だ。何も考えずに撃てば、戦場そのものがクロユリを恨む前に蒸発してしまう。殺す数を減らす為に、出来る限り痛ましく酷く、恨まれるように殺さねばならない。
「実験も兼ねてるしね。減衰突破の範囲、確かめなきゃ」
魔法には減衰、限界、補正と呼ばれ方も様々な、威力の上限が存在する。氷の剣を創る魔法は、これ以上の大きさは創れませんと言ったように。もちろん、大きな氷の剣を創るという、より高度で魔力の消費が大きい魔法を使えばいい話ではあるが、適性如何によってはその魔法自体が使えない。
「魔法障壁をぶち抜くことは出来ないから、派手さや大きさよりも使いやすさが重視されてきた」
適性に関わらない魔法陣や、刻印に頼るという手段もある。しかし、高度な魔法であればあるほど、必然的に魔法陣もその大きさや必要魔力量が増すし、元より魔法陣が存在しない大魔法も多い。何より大魔法を撃ち込んだとしても、魔法障壁を使われていれば無意味だ。
「たまに使われても、攻城兵器くらいだ。魔力が切れて魔法障壁の使えない兵士なんて、ただの的だからな」
大魔法を発動させた兵士が全員魔力切れでぶっ倒れても、相手が無傷という事もあり得る。よって、大魔法とはごく稀に攻城兵器や不意打ち。あるいは障壁の使えない雑兵相手にのみ有効な魔法として認識され、ほどほどのサイズで誰もが使える使い勝手の良いコンパクトな魔法が発展してきた。
「まぁ、これは大魔法の話ではない。自分達が気になるのは、その減衰をぶち抜く事が出来れば、新たな魔法を生み出せるのではないか?という事だ」
小さなホースの中を水が流れて、コップに注がれる絵を想像して欲しい。それが通常の魔法だ。水の速さを変える事で多少量の調節は出来るが、一秒の間に流せる量には限度がある。
「現に私が使う魔法は、大体が災害クラスだしね」
しかし、クロユリの莫大すぎる魔力量は小さなホースを無視して、コップを溢れさせるどころか洗い流して叩き割る。どれだけ初歩的で誰もが使える魔法でも、凄まじい威力へとなる。
「そうだったら魔法の適性が普通に近い私でも、一気に手札が増えるわ」
クロユリは魔力の量こそ多いが、魔法の適性に関しては普通の域を出ない。無数の系統外をその身に宿し、何千枚もの切り札を隠し持っている『魔神』との戦いで、それは大いなる不利だ。故に、この実験。
「簡単な魔法がどこまでの威力になるのか、試させてもらうわ」
一つの減衰を超えた先に、更なる減衰はあるのか。本当に超えられない魔法の壁はどこなのか。それを今、試す。
「地面を変形させてネズミを捕まえる魔法……地面はその場にあるものを使うから、物理判定になる珍しい魔法」
「ネズミを捕まえられるだけの範囲しか動かせんから、戦闘に使われる事は稀だがな。さぁ、行くぞ」
「ええ。いただきます」
たまに相手の足場を崩す為に使われる程度の魔法だ。それを、『魔女』が指を鳴らして発動させたなら。
「……ごちそうさま」
「想像以上だったな」
戦場全てに、人の身長を超えるネズミ捕りが出現して、人間を喰い荒らした。土に噛まれて潰されて、中から溢れ出た赤い絵の具が、地面を真っ赤に染め上げていく。いっそ綺麗なまでに、残酷な赤い世界だった。
「勇者も避けられんかったようだな。さて、帰るとしよう」
「ええ、そうね……念の為、お掃除しときましょうか」
今度の熱線は、真っ赤な赤を全て蒸発させる威力だった。
この時、クロユリとロロは気付かなかった。死んだように見えた『勇者』は、暗殺者の少女が命を投げ打って創った幻影だという事に。二度目の熱線は、大男がその身を賭して庇った事に。ぼろぼろになった『勇者』の身体を、瀕死の僧侶が最後の魔力を振り絞って治癒していた事に。
三人の亡骸を抱えて泣き叫ぶ彼の、深い闇と抱いた憎しみに。
世界を救おうとする『魔女』と『勇者』。どちらが正しく、どちらが悪かったのか。志はきっと、同じだった。
『旧・勇者』
彼もまた、勇気ある者。世界を救おうと、本気で立ち上がり、戦った男。
今より千年以上昔に、勇者と認められた青年。国を守る為に立ち上がり、やがては世界を救う為の旗印となった。なお、研究所出身ではない。
容姿は薄い茶髪の美男子。物腰は柔らかく、優しく、清く、正しく。弱きを助け、悪しきをくじく。困ってる老若男女を見かけたら、つい助けてしまう。そんな、完璧すぎる人物だった。
彼の仲間は暗殺者の少女に、戦士の大男。そして僧侶の女性の三人。全員が各分野で世界の頂点に近い実力を持ち、彼らのパーティーの結束力と実力は世界一と噂された。が、本物の世界一の足元にも及ばなかったらしい。
魔女によって仲間を殺害され、勇者は変わった。魔女を殺そうと、躍起になった。そして、以前よりも世界を救おうと考え、その為ならば何でもすると誓った。正義で仲間思いであるが故に、彼は復讐に取り憑かれた。
彼の戦闘力は絶大。剣では『剣聖』二人には敵わないものの、系統外と魔法を合わせれば、彼らと同等以上とされる。
破壊不可能な黒い魔法判定の球体の『勾玉』。魔力を込めた分だけ剣が伸びる『聖剣』。虚空庫に出口を取り付けた『虚空路』の三つの系統外を保有し、どれも使いこなしている。
強大な系統外にあぐらをかかず、完璧にものになるまで努力した。もちろん、剣も魔法も鍛錬を欠かさなかった。恵まれた才能と、確固たる歩み。そして『魔神』に抵抗できるだけの心によって、彼は勇者と呼ばれるようになったのだ。
争いなき夢の世界の草原にて、仲間から習ったお茶を片手に、希望を待つ。




