『魔女の記録』第13話 不幸の始まり
「夢のような話だな。悪夢って意味でもピッタリ合う……それとなんだ。ご婚約、おめでとうございますか」
翌日、『魔神』を倒す方法を聞いたイヌマキは顎に手を添えながら、何とも言えない表情で二人を祝福した。
「ありがとうだ。神父はおまえにやってもらうからな!」
「あ、ありがとう……あんまり驚いてないみたいだけどそ、その、本当に昨日は感覚を……?」
世界の危機を回避できるような起死回生の策と、恋人を連れてきた友人が次の日には婚約を交わしていたという、目が飛び出てもおかしくない出来事に対し、イヌマキは至って平常である。その反応の薄さに、昨日の夜のその後を聞いていたのではとクロユリは懸念するが、
「聞いてねえし見てねえって。驚きすぎて一周回って落ち着いてるんだ。『魔神』倒せて、こいつが結婚……明日世界が滅んでも俺驚かねえや。あ、神父やってやるよ」
どうやら、驚きすぎて感覚が麻痺していただけらしい。俺悪魔なんだけどと言いつつ、神父を引き受けたイヌマキは耳をトントンと叩く。
「滅んでもらっては困るな。これから自分達が救うのだから」
「立派な志ですこと……クロユリさん。ありがとう。一年間、ずっと奴を倒す策を考えてたけど、俺じゃ良いのが浮かばなかった。あんたに任せる」
ふざけた態度から一転。イヌマキは口調はそのまま、声の質だけを変え、クロユリへと頭を下げる。止めず、謝らず、ただ礼の為の、水槽の中での深いお辞儀だ。それは、彼女が進む道を知りながら、それでも選んでくれた事に対する敬意。そして、それを止めるのは無粋だと分かっていての、悪魔の心の示し方。
「一緒に世界を救ってくれ。俺も出来ることなら、なんでもする」
「ありがとう……あなたにも、かなり辛い役目を押し付けるわ。場合によっては、『魔神』が憑依した状態の私を倒してもらわないといけないんだもの」
「なんでもつったが、それはちと辛いな。出来んかったらすまん……ああ、それとだ。そこのロロって奴を、頼む。もう十分に支えあってるのは、すっかり変わったこいつを見てれば分かる」
出来る範囲の外は出来ないと頭を掻いた後、悪魔は世界とは別に、クロユリに友人の事を頼み込む。
「隠し事はしてもいいが、夫婦関係に亀裂が入らない程度に。せっかく作った料理を好き嫌いするようなら、あーんでもなんでもして押し込んでやれ。他の女に目移りしそうになったら、魔法をぶち込んで目を覚まさせてやれ」
人質になっている事を隠して亀裂が入りかけ、人間時代に偏食家だったイヌマキが、過去の後悔を元に忠告を贈る。浮気こそしなかったものの、大好きな研究に熱中しすぎた時はよく魔法を打ち込まれていた。
「言われなくても、やってやるわ。私と結婚するからにはロロ、浮気と好き嫌いはあなたの人生から消えたと思いなさい」
「一つ目はともかく、二つ目はちょっと待ってくれんか?どうせ死なないのだから栄養は偏っても……」
「幸せ太りして嫁さんに捨てられちまえこのダメ男。まぁ、この辺は良く出来たあんたと、ゾッコンのダメ男の事だ。分かってるだろうな」
ロロはダメ人間だが、イヌマキのダメさとは違う。良い夫になれるダメさを持っていると、彼は確信している。さっき並べた忠告も、クロユリなら理解しているはずだ。まぁ、彼女は浮気された時に上手く責められない性格だろうが、ロロがしないから心配はない。
「クロユリさん。何かあったらロロを頼れ。辛かったら胸に飛び込んでやれ。泣いてぐっちゃぐっちゃの鼻水まみれにしてやっていい。こいつはそれで興奮する」
「え……あ、はい……」
「ふざけるな!?そんな性癖は持っとらん!ぶっ殺してやるぞ!」
心配なのは相手を労わる事ではなく、相手を頼る事が苦手な彼女の事だ。勝手に一人で抱え込んで、優しくて相手を気遣うが為に上手く頼れない。そんな遠慮なんて、夫婦間ではほどほどでいい。たまに喚き散らすくらいで構わない。もちろんそれは理想で、現実にできるかはその人次第。しかし、このままだとクロユリは絶対に、抱え込む。
そして、何より。
「旦那を幸せにしたいと思うなら、あんたがまず幸せになれ。これはてめえも同じだロロ」
自分を責め続け、幸せを拒絶するのは自分勝手だと、イヌマキは思うのだ。幸せになりたくないと願うのは自分。しかし、そんな姿を見て悲しむのは家族だ。どうせなら、どっちも幸せになれる道を選べばいい。
「頑張るわ」
「口だけの約束はいらねえよ。バレバレだってんだ。難しい事言ってんのは、こっちも百どころか万単位で承知してる」
だがそんなの、出来るものなら最初からしている。幸せを拒絶するのは、他者の命と幸せを理不尽に摘み取った己を嫌う、クロユリの性格に所以する所。治せるものではなく、口でいくら言おうが彼女は幸せから逃げるだろう。
「これから先に『魔女』が進む道は、幸せなんて許されるもんじゃねえかもしれねえ。けど、家の中だけでいい。家族の前だけでいい。あんたが、クロユリというただの女に戻れる時だけは、幸せでいろ」
故にイヌマキは、クロユリの性格でも幸せになる魔法をかけた。それは不幸である自分と幸せである自分を使い分けるといった、けじめをはっきりとするというだけの魔法。
「ロロの前でくらい、素直に笑え。素直に泣け。素直に怒れ。素直に喜んで素直に幸せになれ。いいな?不幸を軽減を飛び越えて、幸せになってこい。これが俺の大切な友人をくれてやる条件だ」
ロロの馬鹿はこういう所に気が回らない。相手の意思を優先しようとし、不幸を軽減するような方向へと頷いていた。代わりにとイヌマキが魔法をかけたが、果たしてどうなるか。彼女が自分を少しでも許せるかに、それはかかっている。
「…………ありがとうございます。こちらこそ、不束者ですが、ロロさんと幸せになります」
「おいイヌマキ、あまりカッコ良くするな。盗られたら死んでやるからな……こちらこそ、色々と足らん部分があるが、よろしく頼む」
「そんじゃまぁ、誓いの口付けでも」
互いに頭を下げあった初々しい二人をからかうように、イヌマキは水槽の中で囃し立てる。顔を真っ赤にしたロロとクロユリの反応は、実に素晴らしいものだ。おそらく、これから先もずっとからかえて飽きない事だろう。実にいい楽しみが出来た。
「冗談だ冗談。結婚式で……」
「よし、分かった」
「「え?」」
とは言え、さすがに本気でさせる気は無かった悪魔は助け舟を出すが、ロロはクロユリを抱き寄せて、沈没する船を単独で修理し始める。
「ちょっと見られ」
強引にして突然だったとは言え、クロユリの魔力量で身体強化を発動すれば、余裕ですり抜けられるはずだった。それでも、すり抜けられなかったのはロロもイヌマキも察するべきところ。
「時と場所を考えろ」
「ふん。このままだと盗られかねなかったのでな。それにだ」
人目を気にせずにいちゃつくカップルほど、うざいものはない。軽かった口付けに額を抑えつつ、げんなりとしたイヌマキに新郎は一歩近づいて、『伝令』でクロユリに聞こえないようにこっそりと、
「うっかり口を滑らせおって。昨日覗いていた野郎が何を今更。次に覗いたら、もっとすごいの見せて独り身になった貴様を惚気殺してやる」
不幸を軽減のくだりで気づいていたぞと、本気の怒りの顔。そして、さっきのイヌマキのかっこよさに盗られるのではないかという不安の入り混じった顔で、殺害を予告した。
「……わりぃ。あの後クロユリの嬢ちゃんが自分を責めないか気になってたらいい雰囲気に……なんかお前が世界が君を嫌ってもとか言い出すからさ……!ぷぷっ!」
諦めて自白して開き直ったイヌマキは、ロロが昨日言った誓いを堪えきれないとばかりに笑う。やはりこの悪魔、悪魔みたいな性格をしている。
「よし殺す。なぁに簡単だ。この水槽を今から叩き割ってやる。空気に触れて溶けて死ね!」
嘘がつけない男が本気で殺しにかかり、それを止めようと悪魔が魔法を発動させ、
「い、いやあああああああああああああああああ!!!」
「「へ?」」
そんだけ騒げば、クロユリの耳にも昨日覗かれていた事実は飛び込むわけで。羞恥のあまりに彼女が発動させた魔法が、大地を震わせた。コンマ1秒でもイヌマキが防壁を発動させるのが遅かったら、この研究所は吹っ飛んでいたかもしれない。
「父さん。今日は剣教えてよ!」
「おっ?やるか我が息子よ。いつか父さんを超えてすごい剣士になって、母さんと大事な人を守るんだぞ?」
戦時中で多忙な騎士団を率いる男が珍しく家に帰ると、まだ10歳になったばかりの息子が、身体に似合わない剣を軽々と持って出迎えてくれた。
「うん。『剣聖』になる!」
「……ううむ。名前ならいいけど、この系統外は発現しないで欲しいなぁ。母さん、夕暮れまでには帰るよ」
「はいはい。怪我には注意してね」
あまり家族と過ごせない父親にとって、騎士に憧れる息子の剣の稽古は、貴重な家族との触れ合いの時間だった。愛剣を虚空庫から取り出し、屋敷の庭へと足を向ける。
「ねえねえ聞いて!」
「おうおう聞くぞ?」
まだ小さい息子の歩幅に合わせて、話を聞きながらの廊下を移動。それはなんとも、幸せな時間だ。数日に一人は知り合いが死ぬような激動の世の中で、この時間が彼の癒しだった。
「僕ね、この前学校の試験で……?お父さん。あれ何?」
「ん……?光……!?」
そんな暮らしは、癒しは、幸せは、家族は、突然の光によって全て消えた。
「はっ……はっ……」
何もかもが、消し飛んでいた。研究所出身故、人より遥かに丈夫な身体を持つ、自分だけを除いて。いや、爆発の中に飛び込もうが傷一つつかないはずの四肢は、この世から消滅していたが。
「…………リルド?」
しかし息子は、常人の母との間に生まれた子供では、光に耐え切れなかった。ただ彼がそこにいた証で、死んだ証でもある地面に刻まれた黒い影しか、残っていなかった。
「夢、か?なんだ、これは……」
自分がさっきまでいたのは、屋敷の中。正確に言うのならば、街の中にある屋敷の中だ。
「俺はどうして、更地に寝っ転がって……」
息子の死。妻の安否。屋敷どころか街が一瞬で消え去り、ただ広がる大地に己が横たわるのみ。突然生えた小さな緑の森までの距離は、目測で数kmはあるように思えた。
「これは、一体……」
「もしや当たりかと思ったが、黒髪黒眼ではないな。すまない。甘く見ていたようだ」
「おまえは確か、ロロ……?これは一体どういう事だ!なんらかの幻覚魔法か!」
空にいきなり黒と白の線が走ったと思うと、目の前に二人の男女が姿を現した。女の方に見覚えはないが、男の方は知っている。前に研究所に顔を出した時に、イヌマキから紹介された。
「幻覚じゃないわ。全て現実。あなたの住む街が消えたのも、家族が死んだのも、全部ね」
「誰だ貴様はっ……!嘘を吐くな!こんなの、幻想に決まって」
「真実だ。『記録者』の名の下に誓って」
信じれない。信じたくないと首を振る男に、世界で一番信頼されている男がその名で証明する。これは、現実であると。
「違う……!ロロは嘘を吐けない身体の」
「だからこそ、だ。悪いが自分達には謝る事と、楽に殺す事しかできない」
嘘を吐けない男が嘘を吐いた。だから、幻覚だと思い込もうとする『剣聖』に、ロロは嘘を吐いていないから幻覚ではないと突きつける。
「き、き、貴様あああああああああああああああ!」
ようやく、理解したくない現実を理解できたのだろう。恨むべき相手を恨んだのだろう。じたばたと四肢のない身体で暴れ回り、怨嗟の叫びを何もない空へと轟かせる。
「もっと、恨んで。あなたにはその権利があって、私にはその義務がある」
「殺すっ!殺して、やるっ……!おまえら、だけはっ!」
その醜い様子を酷く悲しげに、しかし眼を逸らすことなく、女はじっと見続ける。まるで脳裏に決して忘れない記憶として刻む込むように。
「殺す殺す殺す殺す殺す……!殺すっっっっ!」
その時だった。その時、研究所で造られた男の身体に眠る不死の欠片が眼を覚まし、四肢を再生させる。それは治癒魔法の限界を超えた、常識の埒外にある奇跡。
「ああああああああああああああああああああああ!」
怒りが限界を解き放ち、身体が壊れるのも構わずに、元凶たる黒い女へと斬りかかる。剣で戦い続けてきた男の、最も気持ちのこもったその一撃は、誰の眼にも捉えられるものではなかった。
「ははっ……はははははははははははは!」
女の柔肌を突き破り、臓器を蹂躙し尽くした己の剣の成果に、『剣聖』は狂ったように笑う。間違いなく、殺した。剣に警戒して障壁を張っていたかもしれないが、そんなものは無意味。
『剣聖』たる彼が持つのは、障壁を無効化する『確撃』。障壁ありきの戦いがほとんどのこの時代において、無類の強さを誇る系統外だ。
「これが噂の。驚いたわ。本当に障壁を貫くのね。奪われる前に消せてよかった」
「……なっ……!?なぜ!?その傷で!」
故に狙ったと、クロユリは口と傷口から夥しい血を溢れさせながら、何事もなかったように告げる。
「こんなの痛くないわ。身体の傷なんてもう、痛くないの」
「ど、どうして……いや、一体……!」
「あなたが生きていると、迷惑なの。だから」
急所を裂いてなお生きる化け物に、魔力を振り絞った浮遊を用いながら何度も太刀を浴びせる。頭を砕き、口に刃を突っ込み、胸を穿ち、腹を割き。それでも、『魔女』は何度も再生して、平然と言葉を続けて。
「私を恨める限り恨んで、死んで」
とてもとても辛そうに、男の身体をその意思一つで消滅させた。
「ばいばい」
道をせっせと歩くアリを、巨人がわざと意識して圧し潰すような。そんな別れの告げ方だった。
『剣聖』
彼の者の剣、障壁を断つ。系統外を使わずとも、彼の者は成す。正々堂々たる制約の、悲劇の騎士。
初代剣聖カランコエに続く、歴代二人目の剣聖。研究所出身の失敗作で、いくつもの騎士団を率いた将軍でもある。
魔神計画の一人ではあるが、彼は常人よりも頑丈ではあったものの、不老不死は発現しなかった。故に失敗作と断じられ、凍結される。しかし、代わりに発現した系統外が非常に強力だった為に処分はされず、細胞を採取され続ける眠りの日を過ごす。
計画が崩壊して管理がイヌマキに変わり、検査をクリアした彼は解放された。精神、肉体共に異常は見られず、耐久性と系統外以外は常人とほぼ同じ。不老不死が発現しなかったおかげで、負荷が耐えられる範囲に収まったのだろうというのが、イヌマキの推測。
解放された彼は、剣の才能と類い稀なる努力にて強者の道を駆け上がる。系統外があるからだと口にした奴らも、『確撃』を使わずに完封して黙らせた。彼の剣は強かったのだ。系統外なんて必要ないくらいに。なくても、世界中の強者と渡り合えるくらいに。
故に、彼は己に制約を課した。自分または誰かの命の危機、決して許せない相手と戦う時、相手が許可を出した場合。この三つの条件の誰かを満たした時のみ、『確撃』を使用すると。それ以外で使って勝つくらいなら、使わずに負けてやると。
その姿勢故に彼の人気は凄まじく、当時の英雄達の中でも相当上位に属していた。特に剣のみにて最強の初代カランコエとの、『確撃』ありの一試合目、『確撃』なし二試合目という構成の二連勝負は、歴史に残るとされている。
この試合の結果から、彼は史上二人目となる『剣聖』の称号を授与される。その後、いくつもの騎士団を束ねる役職、将軍に任命される。これが彼の剣の道。
そして、彼が歩んだ人の道。研究所から解放され、裸同然だった彼を拾った女性と結婚。一児の男子を授かる。好敵手がいて、愛する家族がいて、名誉ある地位を得て。彼の人生はまさしく絶頂だった。頂きだった。頂点だった。
故に、その頂点から落ちた時の衝撃は、余りにも絶望だった。彼は系統外をほとんど使用していなかった。使用していなくても、彼は保持してしまっていた。
『魔神』の復活により、彼の系統外を危険視した『魔女』の手で、彼は全てを失った。妻と子を焼かれ、彼自身さえ殺された。魔神の手に決して渡してはならない系統外だったとしても、余りにも悲劇だった。
彼の死は、世界を揺るがした。各国で『魔女』に対する非難の声が上がり、同盟の手助けになったとされている。




