『魔女の記録』第8話 似た者同士
「本当だな?嘘だと言ったら撃ち抜くぞ」
最早奇跡でも起きない限り、この街はどうにもならない。そう思っていた柊にとって、仁の言葉は最後の希望と縋り付くほど信じたいものであり、信じ難いものでもあったらしい。
「あくまで、様々な人間から聞いた情報を集めて繋ぎ、思いついただけの案です。実現可能かどうかは定かではありません」
「けど、仮に実現可能なら!騎士団も魔物も、みーんないなくなるよ」
だが、魔法なんてものがあるのがこの世界だ。奇跡が起きるのも、人が奇跡を起こせるのも、不思議じゃない。とはいえ、情報の断片を組み合わせただけの予想の奇跡であり、仁は確証まで提示できる訳ではない。
「食料や資源が足らないのは変わらないけど、何にも怯えず外に出られるようになるからね」
奇跡がもたらすのは、外にいる脅威の一掃。内部的な脅威である反乱や食糧難に関しては、直接変わる事はない。しかし、今まで食糧を思うように獲れず、栽培も放牧も出来なかったのは、外に脅威があったからだ。奇跡が起きれば、壁の外の開墾なんていくらでも出来る。
「神さえ起こさないようなそんな奇跡の起こし方は、何かね?」
奇跡の結果を理解できた柊が問うのは、その起こし方。騎士団や魔物を全て排除する方法など、核でも作るくらいしか柊には思い付かなかった。
「この方法を僕らが考えられたのは、たまたま情報を多く得る事が出来た立場にあったからだよ」
「二つの世界の情報がなければ、この作戦は成立しないんです。柊さん。何故世界が融合したのか、考えた事はありますか?」
仁か柊。どちらが賢いかで言えば、柊に軍配が上がる。だというのに、柊が思いつかなかった事を仁が思いつけたのは、単に情報量に差があったからだ。
「あるが、答えは出なかった。知っているだな?」
「今回の襲撃でマリーさん以外に得た情報だよ。ジルハードって灰色の髪の騎士が話してくれた」
その人柄から柊よりも人気の高かった蓮を始め、多くの優秀な人材、そして多発した敵前逃亡による信頼など、今回の襲撃で軍が失ったものは余りにも大き過ぎる。
「……払った犠牲に見合うものだな?そしてそれは、確かなものなんだな?」
敵前逃亡した軍人達に処罰を与えようにも、厄介な事に数が多すぎた。覚悟を決めた優秀で優しい人材が死に、残ったのは逃げた臆病者がほとんど。全員を処刑でもしようものなら軍そのものが崩壊しかねず、軽い減俸くらいで済ますしかない。しかし、そうなれば、一般市民からの批判は免れない。現状、柊の禿げた頭を非常に悩ませている問題だ。
「……はい。必ず見合うものに。状況と会話から考えられる性格から、嘘は言っていないと思います。仮に嘘なら、もう奇跡は望めませんけど」
「敵を信じるしかないとは難儀なものだ。続けてくれ」
だが仁は、それだけの物を失って得た価値がある情報だと。いや、蓮達の犠牲を無駄にはしない情報に変えてみせると、言葉を進める。
「世界の融合は偶然なんかじゃなく、人の手によるもの。要は奇跡に限りなく近い、ある女性が努力で生み出した魔法」
「……人為的なものか。事情の有る無しにしろ、そいつは何千回殺しても足らないくらいに憎たらしいな」
努力してまで生み出した魔法による日本人への被害に、彼はかつて仁の嘘を知った時と同等の感情を露わにする。いつもは鉄面皮で、オフの時くらいにしか感情を優先しない柊には珍しい事だ。それでも冷静に、何らかの事情があったと察していたのは、さすがだった。
「彼女達も、自分の世界を救うためだったらしいです。とある場所に魔力が溜まり、全世界の核を同時に起爆するくらいの爆発が起きそうだったとか」
「……結果、しわ寄せを食らったという事か」
「ただ、ここまでの虐殺は彼女も予想外だったはず。転移先はランダムだったんだ。まさか、『魔女』と『魔神』の器になる忌み子がわんさかなんて、想像もしてなかったと思うよ」
事情を知った柊の表情が、僅かに和らぐ。未来を変えた代償に相手側の世界が滅ぶ可能性があると知り、出来る限りそれを避ける手を打ったメリアに、仁は尊敬の念さえ覚えた。そして、同時に思った。
自分はきっと、相手の世界が必ず滅ぶと分かっていても、魔法を発動させただろうと。仁も柊も、メリアのように強行したはずだと。
「その魔法を発動させた彼女はランダムな転移先に不安を持ち、帰還用の魔法陣を用意したそうです」
「問題はね。その魔法陣を発動させるのに必要な魔力が、馬鹿げているでは足りないという事。ジルハード曰く、数千万人単位の生贄だってさ」
「魔力のない日本人では、何億人集まっても無理だな。味方になってくれる異世界人は数える程しかいないが……ああ、そういう事か」
全てを伝えずとも、柊は答えに辿り着いた。やはり彼も同じだけの情報量を持っていれば、仁と同じ答えを出していたのだろう。
「「魔女に帰還用の魔法陣を発動してもらいます。そうすれば騎士も魔物もいなくなり、以前の日本に戻れるはずです」さ」
味方だと判明した世界で最も魔力を持つ女性に、全てを元に戻してもらう。これが、仁の考えた勝ち筋だ。
「つまりギャンブルである部分は、帰還用の魔法陣の入手及び、彼女の状態という事だな」
問題であるのは、まず手元に帰還用の魔法陣がないという点。『魔女』が本当に味方かという点。魔法を発動できる状態にあるのかという、三点だった。
「はい。明日ロロから話を聞いて判断しますが、救出しても魔法の発動が困難だった場合は、全てが無意味になります……一応、賭けに負けた時の保険を一つだけ用意していますが」
彼女が魔法を発動できる状態なのかは、ロロに詳しく聞くしかあるまい。だが仮に、そうでなかった時の策として、俺はある考えを持っていた。
「え、その保険、僕も知らないんだけど」
「何かね?その保険とやらは?」
「すいませんが、余りにも無謀に近い保険で、考えてもらわないでほしいです。ただ、最悪の事態の悪足掻きにしか使えないとだけ」
それは、誰にも知られなくない俺だけが決めた覚悟。口に出して半身が知れば、絶対に許されない行いだから。必然的に柊に伝えるわけにもいかず、俺は実現が難しいと嘘を吐いて、誤魔化す他に無かった。
「本当に気になるんだけどぉ!?」
「……まぁいい。その時は頼む。で、もう一つの賭けである帰還用の魔法陣だが、どう入手する?」
心の中で僕が何度も叫ぶのか聞こえたが、話の進行を盾にこの場はやり過ごす。片目を閉じた俺をじっくりと見ていた柊は、きっと嘘に気づいた上で信じ、助け舟を出してくれた。
「その為に、まだ確定とは言えない段階で柊さんにお話しました」
今日この場に来た最大の理由は、柊にこれからある事に備えてもらう為。それは、早いに越した事がない程、難易度の高いミッション。
「夢見させるだけにするのは嫌だけど、こればかりは準備がいるからね。何せこっちから仕掛けようってんだからさ!」
今までやられっぱなしだった日本人が、こちらから騎士団に仕掛け、帰還用の魔法陣を強奪するというものだった。
「無いなら奪え、か。口にするだけなら簡単だが、こちらから仕掛けるとなると、確かに準備が要るな。幾ら準備しても足らないだろうが」
だが、この賭けは非常に分が悪い。なにせ多大な犠牲を払い、なんとか押し返した強大な騎士団を相手に、薄くなった手勢で挑もうと言うのだから。
「マリーさん曰く、グラジオラス騎士団を今から追うのは余り現実的じゃないって」
「狙うなら、次の襲撃に来た騎士団が外で休んでいる時。街の外なら守りながら戦う必要はない。これも、難しいけどね」
相手の野営地を気付かれないように探し、動き出す前に襲撃をかけるというのも至難の技だ。常に偵察隊を出し、壁の上に多数の見張りを立てて僅かな兆候さえ見逃さないようにしても、難しいだろう。
「だが、やる価値は十分にある」
しかしそれでも、戦いに勝利した先に未来があるのならば、どれだけ難しくてもやるしかない。それに、希望は大いにある。
「一番良いのは『魔女』とイヌマキって悪魔さんを早く仲間に加えて、脅してもらうって方法なんだけどね」
最強に近い二人が日本人側に加われば、形勢はひっくり返るまでもある。ただし、彼らの加入が叶わない場合を考えて、今の戦力だけでの襲撃の想定もしておくべきだろう。
「兎にも角にも、明日の話次第だな。よく思いついた」
「いえ、立場が変われば柊さんだって思いつけたでしょう。それに、褒められるのにはまだ早いです」
「全てが成功したら、改めて礼を言っておくれよ。その時はありがたく、素直に受け取るからさ……言われる権利は、ないかもしれないけど」
希望を見出した仁を柊は讃えるが、彼は素直に喜ばなかった。叶わない希望は、希望が無い以上に毒だ。叶った時にこそ、希望は本当に希望だったと胸を張って言える。だから全てが終わった時に、礼を言ってほしい。仁は柊にそう頼んだ。
そんな礼を言われる世界に出来るのなら。
「僕ら、頑張るよ」
「例え礼を言われる相手が、墓に変わっていても」
死んでも構わないって、仁は思っていた。だってそれが、仁の思う『勇者』の成り方だったから。
「そうか。変わったな」
「変わったんじゃないよ。変えられたのさ」
「……必ず、無駄にはしません。俺は酔馬さんも蓮さんも、この街の為に戦ったみんなを、『勇者』にしてみせます」
それだけが、死んでいった彼らに仁が出来る、唯一の事だったから。
「……最初に見た時は、どこか暗い眼をしていたガキだったのにな」
梨崎に押される車椅子を見送り、部屋へと戻った柊は一人、部屋に飾られた二つの花に呟く。
「あんな嘘を吐いていたと知った時は、なんてずる賢くて、バカだと思った」
あの嘘は非常に巧妙だった。魔力を持つ者以外には、確たる証拠が絶対に手に入らないように仕組まれていた。己の保身だけを考えれば、あの嘘は非常に優秀だった。
一方、街全体として見れば、愚かにも程がある嘘ではあった。故に柊は、何度も腰の銃に伸びた手を止めなければならかった。
「それがどうして、日本人全ての命を任せてもいいと思ってしまったのか」
柊は外道に身を落としても、この街を守ろうとした。その事を認められたのが、純粋に嬉しかったからか?いや、そうではない。
「やはり、似ているのだろうな」
仁も柊も、大事な者を救う為に、他を殺そうとした。その為の手腕がどちらも非常に優れていて、隠すのが上手かった。そして、誰かを救う為ならば、どこまでも残酷になれた。
「常人にこの役は継げん」
人を一人救えるのなら、魔物なんて幾らでも爆発させよう。大事な人間を救えるのなら、騎士なんて幾らでも殺してやろう。大事な人が幸せに今日を生き、明日を迎えられるのなら、幾らでも罪を犯そう。そういった類の覚悟があった。心で抱え込んでも、しばらくは一人で耐え切れるだけの精神的な強さもあった。
「なぁ、酔馬、蓮。もう少しだけ、助けてくれ」
しかし、そのしばらくにも限界がある。軍を立ち上げる時に決めた覚悟は磨耗し、残りは僅かだ。だがそれでも、柊はまだ司令であり続ける。きっと、死ぬまでずっと。心が耐えられなくなっても、続けるだろう。それは仁も同じ。彼も死ぬまで、『勇者』であり続ける。
「……失い、間違った数だけ強くなれるのも、似ているな」
失ったからこそ、進め事をやめない。間違えたからこそ、間違いたくない。知らず知らずの内に柊は、自分と仁を重ねてしまったのだろう。
「俺もだ。この世界を救って、お前らを必ず、『勇者』にしてみせる」
かつて軍の初期メンバー全員で誓い、蓮と二人で酔馬の墓の前に誓い、そして今、一人で二人の花の前で誓う。
「あのお供え物の、やたら美味しかったサンドイッチが誰の作ったものだったか、探しておくか……恐らく五つ子亭だとは思うが」
アホ熊が勝手に食べ、柊の口に押し込んだ酔馬の墓の供え物を思い出し、これから作る蓮の墓にも備えてやろうと、柊は決めた。
「……いい奴ほど先に死ぬというのは、本当らしい」
きっと、彼の墓には大渋滞が起こるだろう。なにせ色街で買われず稼げず、食料に困っている彼女達に奢り続けたアホで。道で倒れている病人がいようものならば、担いで梨崎の元へと送り届け、自分の給料代わりに診ろ!と、叫ぶようなバカだったのだから。
「お前の残した虎の子とやらは、本当の意味で『勇者』になれそうだ。天国から見て、鼓膜の痛くなる笑い声でも響かせてろ」
もう、あの馬鹿でかい笑い声を聞く事もできない。自分を曝け出せた喧嘩も出来ない。一緒に戦う事も、出来ない。
「きっと、世界は救われる」
誰も見ていない真夜中の部屋で、柊はようやく仮面を外して、涙を流していた。
大変複雑ですので、読み飛ばしてもらっても結構です。特に本編に支障はありません。
『世界融合の魔法陣』
コルチカム夫妻の協力のもと、『未来を観る』系統外の何千回以上に及ぶ試行によって生み出された魔法陣。
世界間の転移の魔法陣は、既に実在している。が、天文学的な要求魔力、複雑極まりない陣の構造、どの世界のどの時代と繋がるか分からないランダム性、世界に及ぼす影響が計り知れないことから、禁術中の禁術として秘匿されていた。
しかし、魔法の第一人者であるプラタナスとルピナスは、転移の魔法陣を何種類か所持していた。もちろん、個人ではとてもじゃないが発動できない要求魔力であり、ただの資料としてであったが。
それらを見比べ、研究を重ねて発言した僅かな規則性。そして他の魔法陣の規則性を繋ぎ合わせ、メリアの系統外にて成功作かどうかを確かめる。失敗ならば、世界が滅ぶ瞬間が。成功なら、世界が融合する瞬間が。世界が壊れて消える瞬間を何千回と繰り返し、ようやく世界融合の瞬間を観ることに成功。
しかし、ここで終わりではない。いきなり転移を発動させては、世界が混乱する。少しでも時間を稼ぐ為に、起動から魔法の発動まで時間がかかるように作り変えた。
世界のごく一部を切り離して滅ぼせば、世界の滅びと誤認させられるのではないか。そうしたら、相手の世界を滅ぼさずに済むのではないか。そう考えたメリアは、世界の一部を残すように作り変えた。場所は、この世界に残された癌である魔女の住まう『魔女の庭』周辺。
融合した先の世界にも、魔力溜まりのような世界が滅びかねないものはないだろうか。危惧した彼女は、先述の世界を切り離す魔法に細工をした。融合先に存在する世界を滅ぼしかねない要素によって、世界の切れ端が滅ぶように。
この時点で、「メリア達の世界の滅び=世界の切れ端の滅び=現実世界の核の起動による滅び」となっていた。
本来ならば、融合の衝撃や魔物の襲撃などによって核が起爆し、仁達の世界も滅びる予定であった。が、世界の切れ端の滅亡を対価にすることで免れる。核爆弾や強大な威力の兵器、原子力発電所などを、都合よく世界の切れ端に召喚出来たのは、これが理由である。
よって「世界の切れ端の滅び」と「現実世界の核の起動による滅び」が打ち消される。しかし、「メリア達の世界の滅び」の代償は支払われていない為、現実世界がそれを背負い、
「メリア達の世界滅び=現実世界の魔物や騎士による滅び」
となり、釣り合った。だが、融合魔法によってメリア側の世界の住民にも被害が出た為、現実世界は完全なる滅びを迎えることなく、街が生き残った。
適性が現状存在しない、つまり魔法陣無しでは発動できない魔法である。
メリアは実に、自分の都合の良いように作り変えたが、彼女自身の死という結末だけは作り変えることはできなかった。




