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幻想現実世界の勇者  作者: ペサ
幻想現実世界の勇者
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第9話 世界




 忘れられないような、微笑みだった。普段の彼女と全く同じに見えるのに、どこかが決定的に違うような。


「なんで?なんでってそれはね、お腹が空いたからだよ?」


 のしかかり、仁の首を絞める香花は、「なんで」の問いに答えた。この答えだけを常人が聞いたとしても、意味は分かりにくいだろう。だが、同じ状況にある仁には理解できた。


 魔物の肉やそこら辺の草なんかよりよっぽど安全で、すぐ手に入る食材。仁を殺すことで、手に入る食材。


「俺を食べる気か……?正気かよっ!」


 食われる。そう理解した仁は彼女の手を掴み、首から引き剥がそうとする。


「だーめ。じゃないと私、死んじゃう」


 だが、仁の抵抗など、香花の異常な力の前には無意味だった。狂おしい狂気が、彼女自身のリミッターを外しているのだろう。精神的にも肉体的にも、ただ生き残るその為に。


 確かに、人の肉は物質的に食べても問題はない。実際、戦時中に戦死した人の肉を食べたという人もいたのだから。しかし、現代社会で人の肉を食べるなどタブーもいいところである。正常な常人には考えつきもしないはずだ。


 だが、この狂った世界でなら?そして狂った人間なら?


「そうよ。だって、しょうがないじゃない。このままだと両方死ぬんだからね?」


「……けど、狂ってる……」


「狂ってる?そんなの、仁から見ておかしいだけだよ。生物が生き残ろうとするのは、きっと普通だよ」


 痛かったのだろう。苦しかったのだろう。辛かったのだろう。死にたくなかったのだろう。生きたかったのだろう。残忍で残虐に、人を殺すと言って笑い続ける香花を見て、仁は遅まきながらに悟る。彼女はもう狂ってしまったのだ。理不尽で残酷で過酷な現実のせいで。


「だからね?死んでよ。私のためにさ。私、まだ死にたくないから」


 仁の守ろうとした仲間は狂ってしまったのだ。そして仁はその仲間に裏切られ、殺され、食べられる。


「なんで……なんでなんだよ!いっしょに頑張ろうって言ったじゃねえか!」


「じゃあさ、この先の二人に未来はあるの?ないよね?ないならさ、しょうがないよね!」


「……!」


 彼の心が壊れるのをギリギリで繋いでいた小さな一本の糸が、人への信頼、友情、愛といった感情が、解けて消えていく。


「もう嫌だよ……裏切られるのも。友達が死ぬのも。殺されるのも」


 心があるせいで弱くて辛いなら、こんな心無くなればいいのに。


「苦しい?ごめんね。すぐ、終わるからね。今の内にさ、楽しいことでも考えてて。すぐ終わるから」


 少しずつ、苦しくなっていく。あとどれくらいだろうか。自分が生きれる時間は。


「……楽しい……?」


 言われて、終わりに近づいた心に浮かぶのは、今まで生きてきた自分の人生の時の場面の数々。


 ただ遊ぶことが仕事だった幼稚園の時。


 苦い初恋をしたり、無邪気に過ごした小学校の時。


 世界が広がり、部活動に打ち込んだりと楽しかった中学生の時。


 短い間だったけど、勉強の合間にカラオケなんかに行ったりした高校生の時。


 そして、世界が変わってからの時。自分の作戦でゴブリンとオークとオーガを屠り、仲間を殺した最悪の時。世界が変わってからいいことなんてなかった。全部、最悪だった。


 こんな人生で終わるのか?こんなところで終わりなのか?


「いやだ」


 つい、言葉が漏れた。それほどまでに、心から思ったことだったから。


「いやだ……!いやだ……!」


「そうだよ。私もいやだよ」


 心がヒビを中心に割れていく。重みに耐えかねたガラスが、粉々に突き刺さるように砕け散るように。


「でも仁も言ったじゃん。世界が悪いの。こんな身体で見張りなんてやろうとするわけないじゃない。信じてくれて嬉しかったよ。ちょっと仁のこと気になってたんだ。でもね、やっぱり、死ぬのって怖いよね?本当に怖くて、どうにかなりそうだよね」


 嘲るように笑って、仁へ小さな好意を寄せていたと言って、最後は泣きそうな声で怖がる香花。きっと彼女自身も、自分の言っていることを理解していないのだろう。


 でも、仁にとって彼女の嘲りも告白も泣き顔も、そんなことはどうでもよかった。今この瞬間、彼は理解したのだ。


「ああ、怖いよ。死ぬのは、とても怖い。なにより怖い」


 香花は狂ってなんかいない。彼女の意見は、この世界では正しい。同じ死への恐怖に怯える少年も、震えた声で少女にそう告げる。心からの恐怖が、彼の心を覆っていた。


「やっぱり仁もそう思うんだ。だから、分かってくれるよね?さすがだよ!ありがとね!大好きだよ!」


 そんな仁ににっこりと、純真無垢にそれはもう咲き誇る大輪の花のように、香花は笑う。その優しい笑顔と裏腹に、首を絞める力は強まっていく。


(……俺君、残念ながら選ぶ時が来たんだよ)


 今こそ選択の時だろう。ここで香花に殺されて死ぬか。香花を殺して生きるか。どちらかしか道はない。


「俺も怖いから」


 だから、仁は選んだ。


「痛い!いたいいたいいたい!があああああああァァァあああぁアあ!ああああ!?なに、するのっ!」


「分かってくれるんだよな……!」


 香花を殺して、生きる道を。


 足の傷口に指を突っ込み、思い切り中を掻き回す。プルプルとした生々しい肉、どろりとした暖かな血が溢れ出る感触に触る。香花の絶叫に彼女の痛みを想像し、加害者である仁も思わず顔をしかめた。どれだけの痛みなのだろうか。きっと仁が味わった、どの肉体的な痛みより痛いことであろう。


 それでも、そんな想像さえ、死への恐怖に比べれば。


「大したことないんだよ……!」


 痛みで反射的に逃げようとする香花を、仁は決して逃さない。今度はこっちがマウントを取り、細く白い首に両手を置く。指についた血が、彼女の肌を赤に塗って綺麗だ。


「あっ……ちょっと!」


 足を器用に使い、ばたつく細腕を抑えつける。香花と同じ失敗を繰り返しやしない。


「俺にしようとしたことだよ、な?だから、な?」


「やめてよっ!ねぇ!お願いやめてよっ!」


 仁がこれから何をするのか、香花は理解したのだろう。なにせ彼女自身がやろうとしたことなのだから、分かるに決まっている。


「人殺しは犯罪なんだよ!分かってるの?捕まったら死刑だよ!」


 仁の下で暴れまわり、泣き叫ぶ香花。その姿のなんと醜いことだろうか。なんと弱々しいことだろうか。


「同じことをしようとした奴がよく言うなぁ!この世界にそんなもん、もうねえよ!そんなのあるなら、俺らを守ってくれるはずだろ!」


 そして香花を殺そうとする仁も、とても醜くて、弱々しかった。


 守る法も警察も、そんなものはない。この世界で真に自分を守るのは、自分だけ。この世界で頼れるのは自分だけ。信じられるのは自分だけ。


「だから俺はっ!俺を守るためにっ……!」


 このまま首を一思いに絞めれば、香花は死ぬ。仁は身近な危険から解放され、生き残ることができる。


 自分を殺そうとした相手だった。このまま生かしておいては、後々危険になる存在だった。手負いで、足手まといだった。生かしておくことのメリットなど、無いような人間だった。


「なのにっ、なんでっ!力が入らないんだよ!」


 香花を抑えることはできる。彼女を退けることはできる。裏切り者を傷つけることはできる。


「さっき覚悟を決めただろうがああああああああああああああ!」


 だが、殺すことだけは、人を殺すことだけは躊躇ってしまう。


 自分を助けてくれた相手だった。自分が守ろうとした存在だった。仁の贖罪だった。メリットやデメリットなど関係なく助けようとした。


 学校やこの僅かな旅の間の記憶が、仁の心を縛り上げる。仁の腕を鈍らせる。


「そうだよね?仁、本当は殺したくないんだよね!ね?二人で一緒に生きようよ?私、仁とだったら二人で生きても全然いい!」


 首に手を置いただけで力が入らない仁を見て、香花が必死の、文字通り自分の全てを差し出す説得を試みる。


 嘘だ。


 いや、真実かもしれない。


 生き残る為の嘘に決まっている。


 決めつけるのは早計だ。死に際こそ、人は素直になれるとも言うだろ?


 助かろうと、咄嗟に口から出した言葉だと心の中で分かっていても、仁はこの一言で躊躇ってしまう。心の中で反論してしまう。


「俺も、殺したくはない」


「ありがとう!仁!でも、今はちょっと痛いから、また今度で」


 身体が欲しいわけじゃない。仁は仲間が、温もりが欲しかった。仲間を殺したくはなかった。


「でも、俺は死にたくないんだよ!」


「騙したの!?殺したくないって言ったじゃん!ねえ!なら今すぐでも!」


 けれど、それ以上に生きたかった。


 ようやく感覚の戻った仁の腕に、力が入り始めた。その力は不思議と胸の中から溢れてきていた。


 それは熱だった。燃え滾るような、全ての価値観も論理も倫理も禁忌も理性も、何もかもを燃やし尽くすような、殺意と保身という名の熱だった。


 そして、人を救おうと思った時に灯った熱とは、真逆の温度の熱だった。


「人一人殺せなくて、この世界で生きていけるかよ!」


「ねぇ!ひぐっ……お願い!やめて!ねぇ!」


 手の力は決して緩めず、悲鳴と共に絞めあげていく。だが、殺人という行為には、とてつもない力と意思が必要だった。香花の声と肌から伝わる体温が、必要な力と意思を跳ね上げていていた。


「はぁ……はぁ……くそっ!」


 あの日、生き残る覚悟を決めただろうと。人や仲間の死体を見て、ああはなりたくないと思ったことだろうと。


「んんー!くはっ……やめてっ!」


 確かにあの日、仁は生き残る覚悟を決めた。魔物なんて、いくらでも殺してやると思った。


 けれど、人の血で手を汚す覚悟なんてなかった。人を殺す覚悟は決めていなかった。


 もし、このまま香花を助けたとして、一緒に街に着くのに何日かかるだろうか。傷口を無理矢理こじ開けたから、彼女はほぼ歩けない。どちらにしろ、歩みは遅くなる。


 それに、食糧も問題だ。一人と二人では消費量に倍の差がある。しかも、香花は自分で食糧を調達できない。魔物との戦闘だって、彼女を庇いながら戦わねばならない。


 ここで香花を助けたら、仁の生存確率は遥かに下がる。いや、確実に二人とも死ぬことになる。


「それだけは嫌だ。死ぬことだけは嫌なんだよっ!」


 二人が死ぬことではなく、自分が死ぬことを嫌がり、仁は叫ぶ。目の前の少女に言うでもなく、ただただ喚き散らして叫ぶ。


 死にたくないなら、弱さを殺すしかない。その手を汚さずして、自らの命は守れるのか。世界は、なにかを失わずに生きれるほど優しくはないのだ。


「はっ……はっ……選ぶしかない選ぶんだ選べよ選ぶんだよ俺ええええええええええええええええええええ!」


 もう一度、選択の時だ。


 失うのは仲間か、命か。

 人を殺す覚悟を決めろ。

 なにかを失う覚悟を決めろ。

 仁の手はとても小さくて、持てるのは一つだけなのだから。


「うがっ!仁……!そんな信じてたのに!」


「裏切ったやつが何言ってんだよっ!おまえが裏切らなければよかったんだろっ!」


 そうして仁は、自分の生を理由に、


「し……ね……!」


 殺人という、禁忌の壁を超えた。


 少しずつ、力を込めていく。徐々に強くなる首の拘束に、香花の息ができなくなるのを手の中で感じる。


 年端もいかぬ少女が自分の下で呻き苦しむのを見て、仁の『優しい、弱い』部分も、同じようにもがき苦しむ。影色の仁が自分に言った言葉。仁の弱さ。


「ダメなんだよ!弱かったらさぁ!」


 しかしその弱さは、この世界では命取りだ。だから、弱さは克服しなければならない。


 これはその儀式なのだ。仁の弱さを消去する、通過儀礼。


「殺すんだよっ!前の世界の感覚をさぁ!殺すんだよっ!自分の弱さをなぁ!殺すんだよっ!目の前の敵を!」


「うがっ!かはっ……一生怨んでやる!この人殺し!悪魔!死ね!」


 無駄な足掻きと知りながら、香花は怨嗟の声を吐いて暴れ、仁を傷つけようとする。その狙いは的確で、仁の弱い部分が力を緩めようとする。


「ダメなんだ。こいつは敵なんだ。だから……!」


 涙に溢れた香花の目を逸らさずに真っ直ぐ見つめて、そこに浮かんだ暗い黒い死への恐怖を見て、


「うおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!」


「いやああぁぁああああああぁぁぁああぁあああああああああ……あ……」


 ゴキリ。


 最後の迷いを振り切る為に、咆哮。ついで、何かがへし折れる音がして、香花の身体が人形のように、全身の力が抜けて地に落ちた。そのまま十秒ほど演技でないかを確認し、死んだことを確信してから立ち上がる。


「……死んだ。いや、殺した」


 仁は初めて、その手で直接人を殺した。


「アハハハハハハ!アハハハ……!」


 香花の汗か、仁の汗か。濡れた手に染み込んできた現実に、彼は空を見上げて壊れたように笑い、


「ごめんな……本当にごめんな……」


 かくんと頭を落とし、謝罪した。それは香花に言った言葉なのか、自身の弱さに告げた言葉なのか、はたまた両方だったのか。仁以外に知る由もない。


 その姿を、もう一人の仁が横から見ていた。






「なあ、教えてくれ。あの時、俺が気を失った時に何があったのか。お前は見てたんだろ?」


 大切だったはずの死体を一瞥し、ゆらゆらと揺らめく影色の仁に問いかける。その仁は仁以外には見えやしないし、声も聞こえやしない。だって彼は、仁が創り出したもう一人の人格(じぶん)なのだから。


 多重人格。そう、この世界で起きた出来事に心が耐えきれずに作り出した、人格。


 馬鹿げていると、常人なら思うだろう。だが違う。この狂った世界なら、みんな狂っているのが常だ。だから仁はあっさりと、多重人格を受け入れた。


「いいのかい?優しい君はこの記憶を見たらきっと……」


「心が壊れてしまう、か?だから俺は新たな人格を創り、お前に痛みを背負わせた。逃げたんだよな。あの時の俺の心は。優しくなんてない。弱かったんだ」


 やっと分かったのだ。あの時の仁は無意識の内に現実を拒否して、逃げた。新たに生み出された、強靭な精神を持つ(じん)を盾にして。


「今の俺は違う。辛いと思うことはあっても、心が折れることはない。だから、見せてくれ」


 あの日に決めた、この世界で生き残るという覚悟は、今もなお残っている。決めた時は未熟で弱々しい覚悟だったけれど、今は違う。


 今日決めた覚悟が、あるのなら。


 何をしてでも生き残るという、この覚悟があるのなら。


「分かった。君がそれを望むのならね」


 元の人格に意志のこもった目で言われ、影色の仁は仕方ないとばかりに頷いた。


 言葉と同時に途端に流れ込んでくる、大量の記憶の波。いや、正確に言うならば、思い出した記憶。彼の心を壊しかけた光景。


「……思い出した」


 溢れる記憶の中で仁は呟いた。新たな、そして過去の悲劇の観客として。





「僕らは降伏する!」


 思い出した。悠斗達は投降しようとしたのだ。魔法の威力を見て、自分達には勝ち目がない事を悟っての行動。それに魔物は殺せても、彼らに人は殺せなかった。少なくとも、この時は。


「どうしますか団長。降伏らしいですが」


 降伏を申し出た少年らに、騎士はその場で攻撃せず、上官へ指示を仰いだ。


「ふむ」


 尋ねられた上官、ここでは団長と呼ばれた蒼髪の指揮官は目を瞑り、考える。


 平和な国に平和な時代で育ち、綺麗事が大好きな悠斗は、降伏した兵士が生き残れると信じていた。そう思い込んでの選択だった。仲間が何人も殺されたのは許せないが、彼らについていけば魔物に襲われても安全で、食糧も手に入ると。


「そんな訳がないだろ」


 押し寄せる記憶の波の中で、仁はそう言い捨てた。こいつらは仲間を殺しているのに、和解など応じる訳もないだろう、と。


 仁も悠斗も知らないことだが、戦争中の日本人も、捕らえた捕虜の虐殺を行っていた。全員を殺したというわけではないにしろ、歴史で分かっているだけでも恐ろしい数になる。戦争中の国で命は軽く扱われるものだ。


 それはこの変わり果てた世界も、例外ではない。


「殺すしかないだろ。俺らの目的を忘れたか?」


 突如横から入り込んできた灰眼灰髪の騎士の、言葉の内容に生徒らは怯えた。人間が人間を躊躇いなく殺すなど、日本人の常識からしたら考えられないことだった。


「おい、ふざけんなよ!人の命は大切にするもんだろ!魔物なんてものがいる世界になっちまったんだ!人と人で争ってる場合じゃ……」


「困ったな団長?こいつら、見たことないほどお花畑なんだが。さっき殺った奴らの方が、まだいい眼をして、いい生き方してた」


 男は、剣を持ったままの右手で灰の髪を掻く。その際にゆさゆさと揺れる血に塗れた剣と鎧を見て、気の弱い生徒の何人かが小さな悲鳴を上げる。


「こいつ……!」


「待てって!」


 仲間の最後を語る灰色の男に殴りかかろうとする生徒を抑え、前に出た影が一つ。仁の親友の悠斗だ。


「すまない。こっちは仲間が殺されて、気が立ってるんだ。僕らは降伏する。安全な場所に連れて行って欲しい」


「ま、仲間を殺されて気が立つのは分からんでもない」


 悠斗の言葉に灰色の男はやれやれと剣を下ろし、指揮官は真偽を確かめて頷くと、


「嘘はないな。おい、私達の利益はなんだ?」


「え、そりゃ人数が増えれば、魔物とかと戦いやすく……」


「ふざけるな。魔法も使えん足手まといが増えるだけだ」


 冷静に物事を整理し、悠斗達を論破した。忘れてはならないことだが、悠斗達が魔物の群れに勝てたのは、地形と武器と知恵と連携があったからだ。それらがない日本人の子供など、オーク数匹に挽肉にされる。


「い、今メリットがなくても、もしかしたら、さ」


 悠斗は自らの価値が少しずつ薄れていくのを感じて焦り、ボロが出し始めた。このままでは保護を受けれない。自分達だけで魔物と遭遇したら、死者がでることは間違いない。


「メリット……?」


「団長。南の国かどっかで利益って意味だったはずだ」


「ああ、ありがとうジルハード。さて、現時点で利益がないなら必要ない。忌み子である貴様等を連れているだけで、害で不利益だ」


 騎士の団長にも明確に告げられ、悠斗以外の生徒も次第に危機感を覚え始める。


 このままでは、この場所に取り残されてしまう。悠斗の想像の中では交渉が失敗した場合、この場に取り残されて騎士たちは去る。残された自分は魔物に襲われて死ぬ、という筋書きになるはずだった。


 だから、次の指揮官の言葉を想像できなかった。同じ人間だからと、油断していた。


「殺せ。忌み子は生かしておけん。第二、第三の『魔女』や『魔神』を生み出してはならん」


「え?」


 騎士からあっさりと告げられた死刑宣告に、日本人は理解が追いつかなかった。ここはもう、日本なんかじゃないのに。


「は、はぁ?おまえら正気か!?」


「……もし、もしも。君達が忌み子でないと証明できるなら、考えるが……なにか、あるか?」


 周りの兵士が一斉に剣を、槍を構えるのを見て、ありえないと叫ぶ。それに対する指揮官の答えは、どこか悲しげで寂しげで、まるで縋るように弱々しい、質問だった。


「な、なんなんだよ!さっきから忌み子って!魔女?魔神?なんの話だよ!」


「……そうか。忌み子は忌み子だ。黒髪黒眼の魔女と魔神の血を引き継ぐ、忌み嫌われし器。世界を滅ぼさんとした魔女と魔神の子孫。呪われた血族。どうやら、本当に知らないようだな」


 食ってかかる悠斗に、騎士は本当に残念そうな声で返す。兵士のいた世界で黒髪黒眼は忌み子と呼ばれていた、ということか。


 しかし例え、悠斗がそれを知らずとも、忌み子とみなされることに変わりはない。


「そんなのじゃねーよ!忌み子なんかじゃねぇ!もういい!保護なんか受けないから、とっとと帰っ」


「避けた方が……ああ、遅かった」


 悠斗の必死の言葉は、そこで途切れた。軽く、何かを貫いたような音ともに、悠斗の首に何かが刺さる。痛みを堪えて振り向いた先にあった顔は、とても大好きだった人の顔で。


「え?」


 にっこりと笑う悠斗の彼女が、新鮮な血に濡れたコンパスを持っていた。首筋から、血と痛みが溢れていく。


 誰が刺したか。何故、刺したか。自分に問うも答えは分かりきっていて、けど分かりたくなかった。


「見事なまでの不意打ちだなおい。油断していたところを一突きだ」


 灰色の男が口笛を吹き、本心から褒め称える。完璧な不意を打った攻撃で、迷いもなかったと。


「ちょっと、危な、え?」


 ぐにゃりと歪み横に倒れる世界の隅で、彼女が自分のいた場所に進み出るのが見えた。


「助けてください。なんでも……しますから」


 少女は頭を下げ、声を震わせながら懇願する。いつも笑顔を振りまいていた姿は、そこにはない。


「かなり親しい仲だったようだが……保身か」


 指揮官も興味をそそられたのか、剣を下ろす。話すことを許されたと思ったのか、少女は饒舌に喋り出した。


「……私達だけじゃ、この世界では生きていけません。それなのに、この男は貴方様達の機嫌を損ねて、交渉の機会を台無しにしようとしたから」


 一言一句聞き漏らすまいと澄ましていた悠斗の耳は、しっかりと理由を脳へと送り込んだ。生き残りたいから?なら、自分を押しのけるだけでいいはず。流れ出る血に比例し、疑問が膨れ上がっていく。


 だが、彼の心の半分は思うのだ。彼女が生きれるならそれでもいいと。自分はそれぐらいに愛している……と。


 そんな彼の淡く儚く重い想いは、あっさり哀れに虚しく裏切られる。


「それに……この男と付き合うの、あんまり乗り気じゃなかったんです。なんとなくでしたから」


 少女は可愛らしい笑顔のまま、平然と彼氏を捨てた。その言葉に悠斗の頭が真っ白になり、怒りで埋め尽くされる。


「今までの……笑顔もなにもかも、演技だって言うのかよ!ざけんなよ!俺の想いも知らないで!」


 思いつくままに、怒りをぶちまける。大切な人だった。だからこそ裏切られたと感じ、許せなくなる。愛していたが故の憎悪。捨てられ、惨めにしがみつき、罵倒する少年の様はとても無様で、人間だった。


「はぁ……死に際くらい、清く生きれねえのかこいつら」


 少年と少女の愛憎劇に呆れ、ジルハードは剣をいじりだす。しかし、少女の舌は止まらない。


「これでも私、見てくれにはそれなりの自信があるます」


 喚く元恋人を蔑むような目線で見た後、蒼髪の騎士に向き直って自分を売り込む。生き残る為だ。そう、全ては自分が生き残りたいが為。


 この世界で生き残れる可能性の低さ。絶望的な数値だろう。だからこそ、射し込んだ小さな希望は大きく見え、絶望を照らすのだ。仁の指揮に従った時のように。そして今、自らを売り込むように。


 最も、その希望が叶うとは限らない。


 希望にすがる少女を見た団長は、騎士団全員に深い蒼の視線を送ってこう告げた。


「決定は決定だ。殺せ。ひとり残らず」


 その言葉一つで、瞬く間に少年少女の命がこの世から消えることが決まった。ある者は肩から身体を落とし、ある者は胸を貫かれ。


 あちこちで始まった血の狂宴。女性の悲鳴が聞こえる。男性の咆哮が聞こえる。胸を剣で貫かれた悠斗も身体が冷たくなり、意識が闇に落ちていくのを感じる。死が近づいてくる。


「もしも死後の世界や生まれ変わりがあるなら、その時は黒髪黒眼でないことを祈る」


 蒼色の髪を揺らしながら、謝るような言葉が、やけに耳に残った。


 惨めに裏切られた、悠斗の視界に最後に映った光景。彼女だった少女の四肢が切断されるという、一時間前の彼なら怒り狂ったであろう光景に、


「ざまあみやがれ……」


 首筋をコンパスで刺され、彼女に裏切られた少年はそう言い残して、死んだ。









 頭の中で再生された記憶をようやく見終わった仁は、悟った。


「本当に、最低な記憶だったな」


「だから僕は君に見せたくなかったんだ。あんな救いようのない記憶、なにか得たものはあったかい?」


「あったさ」


 まさに救いようがない。自分の友人の最期が、あまりにも哀れで。未来あったはずの若者らの最期も哀れで。見た意味などあったのかいと尋ねる僕に、俺は即答する。


「人間のクズさを思い知れて良かったよ。極限状態で、人はあそこまで醜くなれる」


 先の香花のように。そして、仁のように。人は自分の為なら、どこまでも堕ちれる。


 自分がもし、あんな絶望的な状況に陥ったら、どうするだろうか。何をしても、もう死しかありえない状況。足掻いてももがいても助からない。生き残れる可能性はほぼ0%なあの状況。


「それでも俺はきっと、生き残ろうともがくんだろうな」


 僅すぎて0に近すぎて、もはや見ることとさえ叶わない確率に、惨めに、無様に、醜く人間らしく、諦めずに縋りつくのだろう。仁にはその確信があった。それが、仁の決めた覚悟なのだから。







 世界が変わっても、死なない限り、必ず変わらず新しい朝はやってくる。


「もう、朝か」


 薄暗い森の中に、光が射し始めた。仁が生まれ変わってから、初めての夜明けだ。


「ここからじゃ、見えないな」


 ゆっくりと、光の射す方へ歩み出す。なぜか、無性に夜明けが見たくなったのだ。そうして辿り着いたのは、少し開けた山の斜面。


「綺麗だな」


「まぁ、否定はしないよ」


 血のように赤い太陽ではなく、ただただ眩く光輝く太陽が世界を、森を、山の間を照らす。雲の影が黒い絵の具となって、緑と光と灰色の一枚の絵を描いていた。とても、綺麗な絵。世界が変わっても、綺麗な絵だった。いや、変わったからこそ、気付けたのだろうか。


「ん、何か……ああ。アハ」


 ふと、その綺麗な自然の物だけで描かれた絵に違和感を感じ、その箇所を見る。


「アハ……アハハハハハッ!クハッ……アハハハハハハハハハハハハハハ……ヒャア……!」


 横隔膜がつるかと思った。顔の筋肉が痛くて痛くてしょうがなかった。でも、笑いが止まらない。


「おかしいっ!おかしすぎて、笑えてくる!本当に最低で最悪な世界だよ!綺麗だと、少しはいいところがあると思った途端にこれだ!」


 自然に紛れる灰色の違和感、人工物の建物だ。それを見つけた仁は腹を抱えて涙を流し、大声で笑い転げる。


 足元に広がる街。燃やされてなどいない。まだ、滅んではいない街。大型スーパーマーケットのロゴも確認できる。食料も水も、確実に手に入る。


「昨日までだったら最高だって言えたのによっ!いいタイミングしてやがんなぁ!いや、一周回って最高じゃねえか!ハハハハハハ!」


 あと一日だった。香花が狂わずに、二人で夜明けを待ってこの街へ向かえば、二人とも助かった。仁があの時、香花を殺さなければ、二人とも助かっていた。


 なぜ香花は、あと一日待てなかったのだろう。なぜ仁は、香花を許せなかったのだろう。そしたら、違う未来が……


「一緒に……生きれたかもしれなかった」


 殺した本人が言う台詞ではないと、仁は自らの首を掻き毟りながら。


「なんで……」


 心の鍵穴から、小さな後悔が溢れ出た。時は二度と戻らない。一度間違えた選択は、二度と変えれない。今選んだ今が積み重なり、変わらぬ過去となり、それが一つの未来に繋がっているのだから。


「もう、歩くのをやめるかい?」


 もう一人の自分が、心配そうに声をかける。立ち止まって、ここで死ねば、楽になれる。こんな苦しみからも悲しみからも、人の世の醜さからも、解放される。


 でも、


「俺は、それでも生き残りたい」


 少年は立ち上がり、歩き出す。生き残る為に。たった一つの未来を、途切れさせない為に。




 この物語は、理不尽な世界に巻き込まれ、その最中で友人を守ろうと努力し、仲間に裏切られ、殺し合い、それでもこの過酷な世界で生き残ろうと、戦い続けた少年の記録である。


 彼はその血に塗れた手で何を得て、何を失い、何を成し遂げるのか。


 それはまだ、今は誰にも分からない。

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