プロローグ 始まりと始まりと始まり
『昔、昔。とても強い力を持った魔神と魔女がおりました』
「この数でも作戦でも兵力でも勝てないのか……?冗談だろう?」
世界が終焉を迎えたような光景が、男の眼前に広がっていた。今この場所で生きているのは、目の前の地獄を創り上げた者と自分と、あと一人だけだった。
『魔神はかつて、世界を救おうとしました。しかしその最中、争いを続ける人々に絶望し、裏切られ、次第に彼らを憎むようになりました』
「地獄だ」
舞い狂う業火が草木を焼き、魔の力が大地を張り裂き、絶対零度が空気までをも凍らせ、巨大な竜巻が空へと唸りを上げている。
『人間などいなくなればいいと、魔神は思いました。世界を救うはずの魔神が、いつしか世界を滅ぼそうと考えた始めたのです』
そして、それぞれの場所を埋め尽くす人の死骸。焦がされた死骸。押し潰された死骸。凍りついた死骸。切り刻まれた死骸。もはやどの死体が誰だったのかさえ、わからないほど破損していた。全て、たった一人の女性が生み出した地獄だ。
『黒い髪の魔女は、魔神と協力して世界と戦いました。魔女と魔神の力は強大で、何人もの人々が犠牲となりました。立ち向かった兵士も王も死に、世界が暗闇に包まれたかと思われました』
「何人死んだか、わかる?」
自らが生み出した地獄を眺めながら、彼女はぽつりと言葉を落とす。その言葉を聞いたのは、彼女自身ともう一人の男のみだ。死者に聞く耳はないから。生者は自分達だけなのだから。
『そんな中、一人の勇者が立ち上がります。世界を救うと誓った勇者は必死に努力し、みんなの想いを力に変えて、魔神に匹敵するほどの力を手に入れます』
「そんなの、数えて何になる!」
溢れ出る血を手で押さえ、女性へと剣を向ける。無駄な抵抗とわかっていても、怒りと恐怖が男を突き動かしていた。
『勇者は魔神と魔女と戦います。その戦いはとても大きな戦いで、大地が変わり果てるほどのものでした。勇者は死闘の末、魔神を封印します』
「そう。でもこれで……やっと……やっと『勇者』を殺せる」
「何を言って……」
彼女は虚空を見つめて、隣に転がる肉塊を手で握る。まるで、大切だったものがそこにあったかのように。
魔女が空いた手で、自分を指差すのが見えた。それはきっと、終わりの告示。十万の軍隊を殺し尽くした魔女が直々に、生き残った自分に贈る祝福。
「う、うわああああああああああああああああああ!」
「ありがとう。ばいばい」
ぱちゅん。
必死の抵抗も虚しく、間抜けな音を立て、男の身体は魔女の感謝と別れとともに捻り潰された。
『残された魔女も深手を負い、命からがら逃げ出しました。勇者は魔神の野望を打ち砕き、世界を救ったのです』
艶やかな黒髪をたなびかせ、黒い眼で眼前の生き残りを、永遠の宿敵を見つめた。
「さぁ、終わりにしましょう。『勇者』」
彼女の腕の一振りと、勇者の剣の一振りが世界を震わせる。
『全ての真実は物語の中に。嘘を書かない記録者、ログ・ライター著』
「負けない、から」
たった一つの魔法の灯りだけが照らす峡谷の中で、一人の蒼髪の女が壁に文字を刻み込んでいた。
「……死なせない、から」
蝕む病魔に血を吐く。余りに濃密な魔力に肌が裂け、身体が弾け飛ぼうとする。それでも彼女は自らに治癒の魔法をかけて、命を繋ぎ止めて、燃やし続ける。
「過去は決して変わらない」
壁に刻まれているのは、一人の人間が書いたとは思えない程の巨大さを誇る、連なった文字と線の円。その模様の意味は、彼女の世界を救うための魔法。
「今は精一杯生きるしかない」
自らに言い聞かせるように吐いた言葉のまま、彼女の腕は止まらない。刻んでいるのは、彼女の命そのものだ。
「未来は変わる」
僅かにずれたと観測した箇所を、土の魔法で搔き消して再生。もう一度刻み込み、今度は正しい未来になったことを確認して次の文字へ。
「決して変わらない暖かい過去があるから、絶望に染まった未来を変えてみせる」
今まで生きてきた短く、そして最高だった己の歴史をその手に、観た未来を彼女の夢見た未来へと書き換えていく。
「だから、後は任せたよ。ティアモ。ジルハード」
いや、訂正しよう。彼女の夢見た未来ではなく、夢見た未来から、彼女が抜け落ちた未来だと。
「二人ならきっと、大丈夫だよね」
もう、終わる。あと数文字を刻めば、彼女の役目は終わる。膨大な痛みにふらつき、壊れそうになる視界の中、彼女はただただ、救いたいものの笑顔と未来を浮かべて耐え続け、抗い続けた。
「……私もそこにいたかったな……お父さん、怒ってるだろうな……」
終わった。そのことを実感した彼女の身体は、少しずつ終わりへと向かう。その口から出たのは、決して叶わない願い。叶えられることのない願い。諦めた願い。
「ふふっ、私お姉ちゃんだしね。譲ってあげなきゃ、だよね」
目の前に近づく死がとてもとても怖くて寂しく、心が今にも壊れそうで。でももう、泣きたいのに涙は枯れ果ててて。
「ジルも無茶、しないで欲しいなぁ……昔っから、周りを見ずに突っ走っちゃうから」
下半身は魔力の負荷に耐え切れず崩れ去り、余りの異常にもう痛みもない。
「……ごめんね。そして幸せな時間を」
死んだ後の常闇に持っていける、輝かしい過去があることだけが、彼女の救いだった。
「ありがとね」
男の子なら、一度は夢見たかも知れない魔法や超常の力。幻想
異世界に転移するのもいい。転生するのもいい。
だが仮に、本当にゲームでもなんでもない、本物の異世界に放り込まれたなら、どうなるのだろうか。
もしくは異世界から来たならば、どうなるのだろうか。
だるいだるいと言いつつも学校に行き、友達とバカ話をし、冴えない男子が高嶺の花に告白して実ったり、それを知った男子がからかったり。
普通に家族がいて、普通に友達がいて、普通に気になる子がいて。そんな当たり前で代わり映えしない、ありきたりな日常。
今考えれば、このつまらない日常が、どれだけ恵まれていたことだったろうか。
その日は朝から晴れていて、気分もよかった。
母親に行ってきますと声をかけ、いつも通りの時間の電車に飛び乗る。ガタンゴトンと揺られながら、スマホのコミュニティアプリを開けば、赤い丸の中に、未読を示す数字が3つ。
内容は1ヶ月前に告白し、付き合いだした友人の惚気。今まで彼女などいたこともなかった彼が、学年トップクラスの美人に告白し、実った時は全校が唖然とさせられた。
「俺はジュース貰えたから良かったけど」
男子のトトカルチョでは、振られるに賭ける生徒の方が圧倒的だったが、仁は友人を義理で信じ実るに賭けた。結果その配当、なんとジュース十本分。友人がどれだけ期待されていなかったか、分かるというもので。
「これならジュースいらねえよ。モテナイ連盟会長が真っ先に抜けるとか、本当にねえわ」
向っ腹の立った独り身の仁は、いつものように「しね」と返信。言葉の意味を考えない、とても軽い言葉だった。
「あいつ、何が「羨ましいのか?」だ。学校ついたらぶん殴ってやる」
殴ることの難しさなんて、まだ知らなかった。
「ん?」
電車から降り、改札を定期で通り抜ける。いつもと同じ、通勤中の人々が忙しなく交差していく道路に、仁も足を踏み入れて。
「……なんか揺れた?」
それは突然だった。運命は人を待たない。自分勝手に、唐突に、突然に、不平等に、そして平等に訪れる。
この瞬間、世界中のありとあらゆる計測器が異常な数値を示していた。もっとも、それらの測定値は全て限界を振り切っており、その総量に気づいた人間はいなかったが。
そして同時に世界中のありとあらゆる、核兵器、および原子力発電の施設は全て姿を消した。その周辺1kmほどごとゴッソリ、人も何もかも呑み込んでだ。
「大きい……いや、違う!」
最初は、ゆらゆらと小さな揺れだった。だが、それは時を経るごとに大きさを増していく。
「なん、だよ……これ!」
もし地震であるならば、仁の手に持った携帯から緊急地震速報が流れるはずだ。実際流れたこともある。
だが、これは地震ではない。少なくとも、仁にはそう見えた。いや、それが見えて、絶句した。
「嘘だろ」
街を行き交う人々の中に紛れ込む、小さな醜い小人。棍棒を持ち、人に襲いかかっている。まるで、物語から抜け出してきたゴブリンのようだ。
槍を振り回し、スーツ姿の男を突き刺す太った二足歩行の豚。オークとでも言うべきだろうか。
僅かに遅れて現れた、遥か遠くに見える天を突く黒き巨塔。雲さえ突き抜けており、先の見ることのできない高さの建物。その高さを今まで見落とすわけわけもなく、不自然なものだと一目で分かる。
彼、いや、全人類が現実で初めて目にする、ありえない幻想。
「夢だろ……!これは悪い夢だよな!?」
理解不能な光景に、頰を痛いほど抓る。
痛い?
彼の問いに神経が答える。答えてしまう。
痛い!
痛みの伴う夢だと信じたい。けれども、本能は叫んでいた。
「これは……現実……?」
夢のような、ファンタジーのような現実。
人が夢見たファンタジーは、果たして瑞夢か悪夢か。
平和な地球で生きてきた人類は、異世界で生き残れるのだろうか。
異世界に来たのではない。異世界から、こちらの世界にやってきたのだ。
幻想が現実になった世界が、今始まる。
生き抜け。生き残れ。
解説だとか書けなかった設定、登場人物の軽いプロフィールなどを放り込むコーナーです。
『桜義 仁』
高校一年生16歳。一人っ子で、反抗期だけど本当は家族が好きで、右利きで趣味は読書。勉強は中の上であまり好きではない。運動は昔からそこそこできたので嫌いではない。手先は不器用。友人の数はそれなりで、ようやくクラスに馴染んできたころ。死ぬ危険の少ない日常の中ではいたって平凡の域の高校生だったが、危うい非日常に変わった途端、恐ろしいまでの生への執着を見せる。