隠された部分
「もう我慢できねえ! こんな雑用なんて仕事辞めてやる!」
「……なんだと? てめえ、もういっぺん言ってみやがれ!」
「ちょっと待って! 二人とも落ち着いて!」
胸倉をつかみ合うノブと秀吉の間に入ってなんとか引き離そうとするカケル。
しかし、彼らよりも小柄であるためまったく意味がなかった。
そこにトモと吉成の二人がそれぞれの背後から腕を回し、力ずくで引き離した。
「おい、落ち着けよノブ!」
「ちっ」
「秀吉、いったいどうしたんだよ?」
「別に、何でもいいだろ」
不機嫌さを隠すことなく、彼らはその場を離れてく。
「ちょっと待て! 悪い、カケルと吉成は秀吉のことを頼む!」
「わかった! トモも頼むよ」
「おう!」
そう言ってからトモはノブを追いかけていく。
残されたカケルと吉成は逆の方向に行った秀吉の背中を追いかけた。
*
「おい、秀吉!」
「……なに?」
厨房から離れたエントランスのソファーに腰掛けている秀吉に吉成が話しかけた。
秀吉の表情にはひとかけらの明るさも感じられない。
まさに闇のどん底にいる感じだ。
彼はソファーにもたれかけ、顔に手を当てながら天井を仰ぐ。
「なあ吉成、俺はなんであんなにもイライラして当たっちまうんだろうな」
「……やっぱりお前、本当はあんなことしたくなかったんだな?」
「え!?」
吉成が秀吉の本心を知っていたかのような態度をとる一方で、カケルはそうだったのかと驚きを隠せずにいた。
彼は上を向きながら、続けて本心をさらけ出す。
「俺はさ、本当は獣人のことが大好きなんだ」
「だったらどうしてあんな態度をとったのさ?」
「……それは俺にとって一番のトラウマだから」
「え?」
「俺はさ、獣人に育てられたんだ」
秀吉はどこか遠くの風景を眺めるかのように目を細め、彼の心の内をさらけ出していく。
「本当の親は小さい時に死んじまったんだ。突然の出来事に何もできなかった俺の目の前に現れたのが、俺を育ててくれた獣人、カレンさんだった」
「いとこに獣人がいたの?」
カケルの質問に秀吉はゆっくりと首を横に振る。
彼は愛しの人を思い出しながら優しい声色で続ける。
「カレンさんとはまったくの赤の他人だった。ただ路頭に迷っている俺の姿を見つけては声をかけてくれて……俺を育ててくれた。カレンさんの周りにいた獣人たちもみんな優しくしてくれた」
「いい思い出じゃない。……それがどうしてトラウマになるの?」
幸せな日常の記憶に浸っていた彼の表情が、急に冷めていった。
彼は苦虫をかみつぶしたように苦しそうに答える。
「……ある日、突然俺の前からみんないなくなった。一番信用していた人たち裏切られた。実際はカレンさんたちにも色々あったんだろうけど。それでも、その当時はそうとしか思うことができなかったんだ」
「「……」」
秀吉の持つ治ることのない深い傷を知り、何も知らなかった吉成とカケルは黙り込んでしまった。
しばしの沈黙の後、秀吉がふいにぽつりと独り言をこぼす。
「俺はどうすればいいんだ……」
彼の悲しげで少しでも衝撃を与えてしまえば壊れてしまうような儚げな姿を見て、カケルの心は自然と動き始める。
「……ノブと分かり合うべきだ」
「え?」
「ノブと分かり合うべきなんだ! このままじゃ何も変わることのないまま、過去にとらわれたまま、君は進むことになる! そんなのは絶対にダメなんだ!」
「……」
カケルの心からの叫びに、秀吉は思わず聞き入れた。
秀吉は不安と期待を入り交えた声で言う。
「……どうしてそう思う? どうして俺は変わることができると思う?」
「君が『人』であり、人間だからだ!」
ためらうことなく、彼は堂々と答える。
「君は変わることができる! ノブと必ず分かり合える! 『人』であり『獣人』であるボクだからこそわかるんだ!」
「……わかった」
「秀吉……」
「……俺は……俺はこの壁を乗り越えて見せる!」
「うん!」
秀吉の様は見事に変わっていた。
さきほどまで絶望の中にいたが、今は壁の向こう側にある世界へ必死に飛び込もうとしている。
こうなった『人』は誰にも負けないくらい強い。
「……行ってくる!」
「え! 今から!?」
「思い立ったがなんとやらってな!」
「吉日ね! よし行こうか!」
「ちょ、ちょっと!」
さっきまで熱くなって励ましていたカケルは、思っていた以上の行動力を持つ『人』たちにあっけにとられた。
どんどんと前へと進んでいく彼らに置いていかれないように、急いでついていくのだった。
*
「おっ、お前ら! そっちはどうなった?」
ノブの説得に向かっていたトモがこちらに声をかけてきた。
「そ、それが……」
カケルたちは、秀吉のほうに視線をやる。
「おっ、おいカラス野郎! は、話がある!」
「……あ、あの調子で大丈夫かな?」
(なんか、テンパったときのノブに似てるな)
不機嫌な秀吉の姿しか知らなかったカケルにとって、本来の調子を取り戻した彼の姿は新鮮だった。
「……てめえと話すことなんてねえよ」
「ちょっとノブ! 少しは話を聞いてあげたらーー」
「ちょっと俺についてこい!」
「なっ!?」
カケルが言葉を言い終える前に、秀吉がノブの腕をひっぱりどこかへ歩き出した。
「おい、何する気だよ!」
「いいからついてこい!」
秀吉の一世一代の勝負が、幕を開ける。
*
「ここで話がある」
「ここって……浴場じゃねえか」
秀吉が手を引きノブを連れてきた場所は、話し合いを行うにはあまり似合わない浴場だった。
ちなみにカケル達はこっそり陰から様子をうかがっている。
先導されるまま連れてこられたノブは困惑している。
そんな彼はさらに顔を訝しめた。
「おい、なんで脱ぎ始めてんだよ」
「え? 今から入浴するからに決まってんじゃん」
「は?」
謎がさらに深まっていく。
「さ、お前も脱げよ!」
「嫌に決まってんだろ!」
「そうか……」
秀吉は残念だと言ったばかりの表情でうつむく。
うつむいたままノブに近づき、ゆっくり服を脱がせ始める。
「はあ!? お、お前何してんの!?」
「いやあ、お前のありのままの姿が見たくなってな……」
「いや何言ってんの!? お前変態なの!?」
秀吉の意味深な発言に調子を崩されてしまうノブ。
脱がされそうになり必死に抵抗しているノブのもとに、さらなる刺客が現れる。
陰から見ていたカケル達が現れ、ノブを羽交い絞めにしてくる。
「ええ!? お前たちまで何やってんだよ!」
「オレたち、お前の魅力にやっと気づいちまってな……」
「あふれだす衝動を抑えきれず……」
「あ、あはは……」
「いやあああああああああ!?」
ノブの魂の叫びにも関わらず、あっという間に素っ裸にされてしまった。
そのまま浴場へと放り出される。
カポーン
気が抜けそうになる温泉に特有の音がどこからか聞こえる。
旅館で働く者の性なのか、意味の分からない状況にも関わらず、しっかりと体の汚れを落としてから露天風呂に出て、湯船に浸かるのだった。
今、ここにはノブと秀吉の二人しかいない。
カケル達は露天風呂の入り口で見守っている。
「……」
「……」
静寂な空気がその場を支配する。
しかし、そんなものなど今の秀吉には関係なかった。
彼はその空気を打ちこわし、第一声をあげる。
「……すまなかった」
「……」
まずは謝罪の気持ちを彼に伝えた。
それから次々と本心をさらけ出し始める。
「俺はさ、獣人のことが嫌いなわけじゃない。むしろ大好きなんだ。でも、一方で脅威でもある」
「……どういうことだ?」
「俺の両親は突然死んでさ、ひとりぼっちだった俺を育ててくれたのが獣人なんだ」
「……」
「空っぽだった俺に愛を注ぎ込んでくれたのが獣人だったんだ。俺は獣人たちに囲まれて成長してきた」
「だったらなんで獣人が脅威になるんだよ?」
幸せそうな思い出を語る彼に当然の疑問を抱くノブ。
彼は何かに決別するかのように、少しの間を置き、口を開く。
「ある日突然、俺の周りから誰もいなくなった」
「それって……」
「死んだわけじゃない。俺を残してみんなどこかへ行ったんだ」
「心の穏やかな獣人がそんなひどいことするはずーー」
「そう、きっとない。でも当時の俺には裏切られたとしか思えなかった。それが大きなトラウマになって、獣人にきつくあたっちまうんだ」
「だからオレにも……」
「だけど、俺はそんな自分を変えたい。昔みたいに獣人たちと仲良くやっていきたいんだ!」
「……」
「だから教えてくれ! どうしてノブがそんなにも『人』を嫌うのかを!」
自分のあるがままの姿をさらけ出した秀吉。
彼の想いに心が動かされたのか、重く閉ざされていたノブの口が開き始める。
「……オレはいわゆる母子家庭で育った。貧乏な暮らしだったが周りの方たちの温かい支えもあって幸せだったよ。そんな毎日を送る中で、あの忌々しい出来事が起こったんだ」
「……何があった?」
「母ちゃんが『人』が運転していた交通事故に巻き込まれた。赤信号にもかかわらず速度を殺していなかったらしい。まあ幸いにも母ちゃんは一命をとりとめた」
「それは良かったじゃないか」
「……今も意識不明の昏睡状態だけどな」
「……ッ」
次々に語られるノブの過去に、秀吉はその重みを知っていく。
彼が『人』を心底に憎む気持ちも、本人には到底及ばないが少しだけ分かった気がした。
しかし、秀吉はなにか胸に引っかかるものを覚えた。
その出来事を知っているような気がしたのだ。
彼は思い切って聞いてみる。
「その事故ってもしかして……10年前に起きた『人』が獣人と接触事故を起こしたってメディアに大きく取り上げられたやつ?」
「知ってんのか。それだよ、10年前に起きた事故。あの被害者がオレの母ちゃんだ」
秀吉はその事件のことを彼の育て親であるカノンと話していたのでよく覚えていた。
獣人と『人』との事故は珍しい。
種族にもよるが獣人は『人』よりも身体能力が非常に高いため、滅多に被害者とならない。
また知能が低い獣人のために、車には高機能なサポートシステムが搭載されており安全運転となる。
しかし、あの時の状況は特別だったことを秀吉は知っている。
『人』の立場だからこそ分かることがあるのだ。
「なあノブ、お前はあの事件の詳細をどう聞かされている?」
「どうって、お前もニュースで知ってるだろ? 『人』の過失で獣人が意識不明の重体に陥ったって」
「……それだけか?」
「……どういう意味だよ」
「あの事件の加害者のことは何も知らないのか?」
「そんなもん知りたくねえよ。何度も謝罪の面会を求められたが全部追い返してやったよ。『この悪魔!』って叫んでな」
ノブが嫌な表情を浮かべるが、秀吉は構わずに続ける。
「車に乗っていた人物は二人。運転していた男性と、その奥さんだ」
「……それがどうかしたかよ」
「彼が信号を無視してまで運転していた理由。それは、新たに生まれてくる生命を守るためだ」
「……は?」
「その奥さんのお腹には子供を身ごもっていたらしい。今にも生まれそうだったから必死になって病院に向かっていたんだと。でも残念ながら、その子供は事故に遭ったせいで流産してしまったらしい」
「なっ!? そんなこと何も知らされていなかったぞ!?」
事件のもう一つの側面を知り、根底から崩れていく音が聞こえ始める。
「獣人たちの世界ではあまり知られていないだろうさ。いや、報道されていないといったほうが正確かもな。『人』たちの間ではもっぱらの噂だったぜ、あの夫婦がかわいそうだとな」
獣人の世界では獣人の目線でしか物事を捉えられておらず、逆に『人』の世界では『人』の立場でしか伝えられてないのだ。
要するに、ノブは自分の目線でしかその事件と向き合っておらず、勝手に『人』に100%の責任があると決めつけていたのだ。
「オ、オレは自分の都合のことばかりしか考えていなかったのか……加害者も希望を失って相手に責任を投げつけたかったはずなのに、それでもオレに謝罪の気持ちを伝えようとしていたのか……それなのにオレはひどい言葉で罵って、その気持ちを踏みにじって……」
「そんなに思い悩んでも仕方ないんじゃないか?」
「……え?」
今にも涙があふれ出そうなノブに、秀吉が優しく声をかける。
「過去のことをいくら後悔しても、結局受け入れるしかないんだ。後悔を受け入れるには、今を必死に生きるしかないと思う。……まあ、俺もついさっき気づかされたことなんだけどな!」
「……」
「俺は今を変えたい。そのためにはお前たち獣人ともっと仲良くなりたいんだ。頼む、俺のことを受け入れてくれないか?」
涙ぐむトモに、秀吉がまっすぐと手を差し伸べる。
それを見た彼は、まるで何かの汚れを落とすかのように、お湯を手ですくい自分の顔にかける。
そして差し伸べられている手をがっちりと握っては笑顔で答える。
「おう! こちらこそよろしくな!」
彼らの、長年の戦いに、一つの終止符が打たれた。




