俺とあいつの帰宅事情
まだ結婚する前、出会って間もないころの「ツレ」と「連れ」の話
(何やってんだかなぁ、俺は)
時間の浪費も甚だしいことを今俺はしている。
一緒にいて手も繋がない、キスもできない、当然のようにホテルにも行かない。
長時間顔を合わせて……いや、合わせてないか。
目の前で問題集にかじりついているこいつを見下ろし、俺はこっそり溜息を吐く。
こっち見ないもんなぁ……こいつ。
たまに見たら見たで、物凄い嫌そうな顔をして舌打ちしてくるもんな、こいつは。
せめてちょっとにっこりしてみせるとかすりゃあもっと可愛いのに。
顔も可愛くないしな……目つき悪いし、化粧もしてないし、顔色も悪いし、髪はバサバサだし、女子力のかけらも見当たらない。そもそも、何とかしようという努力が見られない。
体もちっこいし、胸はまな板だし、尻も無いし、見ていて何もそそられない。
それに態度もなぁ……今だって大股開いて座ってるし、ガン飛ばしてくるし、猫背だし、女を捨てているとしか思えない。
……何だこれ。
なんで俺はこんなところで、こんな奴と一緒に居るんだ?
そういうキャラじゃないだろう、俺は。
こんな所で、こんな奴相手に貴重な休みを消費して何の意味があるんだ?
俺は本当にこいつのことが好きか? この状況を見てもまだそう言えるのか?
「終わった」
自問していると、目の前の貧相なチビが顔を上げてボソッと呟いた。
「よろしく」
そして嫌そうな顔で俺の方に問題集を突き出す。視線は合わない。
……おい、よく考えろ。本当にコレが良いのか?
汚い字が羅列されているノートを受け取り、文字の可愛くなさにさらにテンションが下がる。
差別のようであれだが、あえて言わせてもらおう。
女の書く字じゃないだろコレ。
「……まだ結構間違っているな。はい、これもバツ、と」
「うぇぇー」
……。
うぇぇ、って。
もうちょっと言い方何とかならないのか。ヤギかよ。
「あー、畜生、まだかー」
「まだまだ、だな」
「勉強不足ー」
プスーと閉じた唇の間から息を吐きだして、机にあごを乗せて眉間にしわを寄せる。
……だから、なんでいちいち可愛くないんだよお前。
そこで「困ったなぁ」とか「ここが分からないの、教えて?」とか言えないのか。
そうすりゃあ教える俺の方だって、気分良く教えられるのに。
「うん、良し、後でもっかいやる!」
「……教えてやろうか?」
「や、要らん。まず自分でやってみるし」
立派だが、可愛げは無い返答が返ってきた。
……お前ってそう言う奴だよな。知ってるさ。分かってた。期待した俺が馬鹿だった。
「うん、でも、分からんかったら頼るかも……その時はよろしくお願い申し上げます」
「はいはい、よろしくされてやるよ」
「うわぁ……」
だから、なんでそこで椅子ごと退くんだ。
「イケメンだ」
「嫌そうだな」
「嫌です」
結構グサッと来た。
勉強の後は必ず自宅まで送ってゆくことにしている。
毎回渋い顔で「ここまでしなくても良いんじゃね?」と言いながら逃げようとするこいつを捕まえて、無理矢理連行しているとも言う。
だが、この状態にも何処かで見切りをつけるべきなのかもしれない。
こんな奴相手にむきになることに意味があるのか。
本当にこいつで良いのか。
相変わらず体重移動の下手な歩き方で、こいつがベタベタと足音を立てて歩いている。
スカートもヒールのある靴も縁がないとすぐ分かる歩き方だ。
隣にコレを連れている俺は、傍から見てどう見えているのだろう。
ツンツンと寝癖の残っている頭を見下ろす。
友人に紹介したい女とは言えないな。
自慢できる彼女でも無い。
せいぜい、珍獣の散歩ってところか……。
「あ!」
「どうした」
「ちょっと寄り道」
言いながら歩道を逸れて、がさがさと茂みに突っ込んでゆく姿はやっぱり女というより珍獣だ。
よく考えろ俺。
本当にコレか?
コレで良いのか?
……って、木登りだしたぞ? マジかよ。
呆れる俺の目の前で、ちっこい体がよじよじと意外に器用に街路樹を登ってゆく。
うわぁ……マジか。
「やっほー!」
生い茂る葉の隙間から、あいつの顔がひょっこり覗く。
「お前、何やってんだよ」
「え? 何か登れそうだったし」
返答になってねぇよ。
いろいろ考えたけど、流石にこれは――
「むっちゃ楽しいよ、これ」
有りだ。
不意打ちの笑顔に、耳まで熱くなったのが分かる。
ああ、くそ。
脈がないなら諦めさせてくれよ、頼むから。
「え? 何でそのポーズ? 手で顔を覆う俺カッコいいアピールですか? 退くわぁ」
俺の気持なんか知ったこっちゃないあいつの能天気な言葉が降ってくる。
それでも赤みが引かない顔を覆い隠したまま、俺は深い溜息を吐く。
こじれにこじれたこの恋は、どうやらまだ片付けられないようだった。