漂流-救助
少女に言われなくともずっと考えていた。宇宙空間においてコロニー内部はもちろん安全だけども一歩、いや爪先だけでも宇宙空間へ飛び出せばそれは死の世界だ。精神生命体は存在しても肉体を持つ生命体は存在しえない。一般的に生存に必要な空気、酸素はもちろん水素、硫黄、塩素も存在しない絶対無環境なのだから存在しえるはずはないのだ。おまけに、寒い。
「君は旅行者かい?スレイムルの人でいいんだよね? 端末を持っているなら救難信号を発信しよう。アプリは入っているかい?僕のは特別製だからデフォルトで装備されているけど」
「ちょっと待って。なぜ私がスレイムル人だと? あなたも人の思考が読めるの? てか読んだの? 覗いたの? 覗き魔なの? 小さい癖にやっぱり変態なのね」
まくしたてると腕を組んでうんうんと一人うなずく少女。少し変わった子のようだ。
「違うよ。そんなことできるのはスレイムルの民の他ごく少数の民族だけじゃない。僕は君の特徴的な容姿を記憶に照らしただけさ」
「は? 確かに私たちは知っている人には一目でわかる外見をしているけどあなたが知っている確率なんてわずかもないわ。バカは寝てから言いなさいグーグー。だいたい小学校は卒業しているの? この宇宙に民族なんていくつ在ると思っているのよ。スレイムルが多少有名な方だったとしても……」
「僕が記憶して認識できる民族数は二千五百くらいかな。もっと知っているはずだから必要になれば思い出すかもしれないけど」
「はぁ? なっなんなのそれ? いい加減にしてよ」
「その説明はもっと落ち着いてからでいいんじゃないかな。まずは遭難信号を」
旅行者は必ず通信端末を持つ。単なる無線機ではなく身分証明にもなればクレジット機能も併せ持つ宇宙の必需品だ。今は船と共に携行していた荷物を全て失ってしまったけれども、その荷物に特別な思い入れが無ければほとんど困ることはない。ちなみに旅行者といえば観光や遊びが目的ではなく言い換えると冒険者の意だ。体のどこかに端末を身につけていれば手のひらで画面が自由に展開できる。神絶と同じように、ある意味誰にでも擬似的な電位操作能力を授かるようなデバイスだ。
片手で空中に画面を展開していそいそと画面を操作する少女。画面の裏側、つまり僕から見える面は薄いピンク色に設定されている。こんなところだけ見れば可愛らしさだけが際立つのだが油断は大敵そうだ。
通常の端末の機能はできるだけ近い中継点を探して電波を飛ばす。そこで増幅されてさらに飛ばす訳だ。
しかし宇宙は広い。
とてつもなく広くその空間のヒューマンなどデブリにも相当しない。宇宙での遭難はどうしても一定の確率で起こりうるが救難活動が行われないことも多いと記憶している。生存者の発見率がその手間に見合わないのだ。
特別な搭乗者がいた場合の特別な捜索部隊は別だが、およそ生存不可能な空間に放り出された生命体を探しても当然絶命している。死体を持ち帰る事に何千万ギララを支払うのはやはり特別な存在だけということだった。
それからさらに二十時間程度が経過する。携帯パックには非常食代わりの高栄養剤が入っていたから肉体的な限界が来ないが精神的には限界が来るだろうとは考える。
「もういい。私を離して。どうせ助からないのよ」
バタバタと暴れ始める少女。しかし睡眠時に離れないように僕のスーツの一部を使って縛っている部分をほどこうとはしない。
「言ったでしょ。僕の端末は特別製なんだ。それを使えば絶対に救援がくるけど使いたくないんだ。ギリギリまで我慢してほしい」
「もうギリギリよ。お腹すいたしずっと同じ姿勢だしずっと景色変わらないし」
「この手段を使うと僕は旅行者が続けられなくなるかもしれないんだ。頼むよ」
「ここで死んでも終りよ」
確かに彼女の言う通り。最終手段とはアルザスの母星ミリリウスにある宇宙統合センターの危機管理室に直接救難信号を出すことであり、遭難よりむしろ戦闘などに巻き込まれて絶対絶命なシーンが想定されている。
送信力は通常の機種の五百万倍にも相当し中継ポイントを使わなくても宇宙空間をかなりの距離飛ばすことができる。単に発信するだけでなく送信力にブーストまでかけられている軍事用電波並の性能だ。そして受信後は速やかに専門の救出部隊の他に契約している近くの星系の部隊も駆けつけることになっている。報酬が桁違いだからだ。その戦闘力、行動力、展開能力は星間連邦正規軍すらしのぐと言われている。当たり前だ。その正規軍の先鋭も契約部隊なのだから。
しかしその使用者は厳しく審議される。本当にやむを得ない事案だったのか、執行予算に見合う問題はあったのか。自らでトラブルを回避もしくは処理することは出来なかったのか。
僕は優秀がゆえに若くして、非常に若くして旅行者を許された身だ。希少なアルザス人の力が事故や事件に巻き込まれて失われる危険から回避させる事が目的である審議委員会は弾劾しようとするだろう。旅行者としての資質を問われると言ってもいい。僕の安全を図るためと称して宇宙は時期尚早の判断によりミリリウス星から出る事を数年間禁じられるはずだ。決して恥ではない。十二歳で所定の試練をパスできた方が異常なのだ。やはり、という面持ちで待機を命じられるに違いない。
「あと二時間、二時間だけ時間をくれないか。僕もこのまま終わるつもりはないから」
「二時間ね。オッケー二時間。二時間経ったら助けを呼んでね……ってええっ?!」
言い終わるかどうかのタイミングで少女が絶句する。僕らは抱き合うような格好になっていたから少女の視線は僕の背後だ。首をひねって後ろを見ると人が浮かんでいた。黒いヘルメットと精悍な印象を与える黒いスペーススーツ。通常スペーススーツはホワイトかシルバーの色で作られる。視認性はもちろん、熱の影響を受けにくいからだ。わざわざ黒いのは特別な目的、例えば戦闘用などの場合が多い。
「球体に触れるな!」
ボンベを口から外して叫ぶ。神絶の外は宇宙空間だから音は伝わらない。わかっていても叫ばずにはいられなかった。
「アルザスの賢者というのは本当か」
僕の端末にテキストが送られてくる。開放救難信号チャンネルの周波数への逆送信だ。僕も通常の救難信号はもちろん出していた。身につけたデバイスからの細かな振動を感じた僕は中空に画面を展開してメッセージを確認する。少女にも見えるように画面は透過モードだ。表示される文字は裏側から見ると反転される。
「確かに僕はアルザスのトゥール。賢者の称号を得ている」
若干十二歳、十二年分の見聞で普通の民族なら賢者など名のれるはずもない。アルザス人は先祖の記憶を受け継ぐ能力を持つ。受け継ぐ祖先もまた賢者だからその知識見聞は通常の一個人の比ではない。少なくとも三世代程度の膨大な記憶の知識を無理なく操れるかを十の歳までに判断され適性を認められれば訓練される。神絶の使い方を始め一定の試練に合格するとより見聞を深めるために宇宙へ旅行者としての冒険が許されるのだ。
文明の発達した惑星に共通の初期年齢教育も必要ない。何しろ何度も歩んだ人生の知識を持っているのだから。多少の時代のずれを修正加筆はするが知識的にはすでに天才といえる。しかし民族的に生まれ持った能力といえど大部分はその情報の大奔流に耐えられず冒険者候補を断念するのだ。
「この繭を宇宙空間に座標固定することは出来るのか?」
「できません。僕に出来るのは空間の維持とキャンセルだけです」
「了解した」
通信が終わる。救助隊にしては少し様子がおかしい。
神絶が有り、ボンベに酸素の残が有る限り確かに寸秒を争う状況ではないが、それでももっと喜ぶなり焦るなり慌しい雰囲気になるのでなないだろうか。さらにいえば殺気すらが放射されている気がする。
「よし、もうすぐ君らは救助される。繭を解くタイミングを間違えるな。合図したら浮かべ」
繭とはいい得て妙だったが神絶に触れられない以上彼が押して運ぶのは不可能だ。相変わらず望洋と広がる宇宙空間のどこに希望があるのか。第一、彼はどこから現れたのか。
「よし、飛び上がれ」
それでも彼は信じられると身体が判断したのか。岩礁を蹴り体を宇宙に投げ出す。もちろん少女を抱えてだ。僕が岩くれを蹴ったトルクは無重力空間で維持されゆっくりとだが確実に岩くれを離れて宙を漂う。
ふいに気配を感じる。
見上げても相変わらずの遠くに瞬く星々になにか違和感を感じる。
次の瞬間、後部ハッチを大きく開け放した船が姿を現した。
「ミラーバニッシュだ。どこかの正規軍か?」
ミラーバニッシュシステムは機体全体を鏡の反射率を持つ気体で覆い鏡面化させる技術だ。観察者自らの姿も写り込む弱点はあるが、乱反射させているので目の前が写っている訳でもない。だからアブソリュートカウンタセンサを至近距離でサーチさせない限り気づかれにくいもの、と記憶している。レーダー波はミラー効果で乱反射するし、レーダー波吸収技術も合わせて高いステルス性を得るのだ。
その迷彩を解いて船は神絶の繭をゆっくり飲み込んでいく。神絶に比べればハッチはかなり大きいので端から見れば何をもったいつけて近づけているのかと見えたかも知れない。しかしなるべくぶつけないのか、百パーセントぶつけないのか、では精度も度胸も桁違いな技術と能力が必要だ。
船のパイロットが神絶に触れれば機体のその部分は消滅する事を知っているのなら必死のはず。動きからするともとよりそんな知識も持っていたようだ。さっきの警告だって聞こえてはいないはずなのにここまで正確に警戒するはずがない。
気づくと繭は格納倉庫らしい空間に達して漂っている。かなりの勢いでハッチが閉まる。そんなところにも高度なモーターが使われていることからもこの艦がのんきな輸送船ではなく戦闘艦艇であることが伺える。
「よし、エアレベルはテラ基準に達している。生存可能なら繭を解け」
地球基準はおよそヒューマン型ならほとんどの種族が適応可能な大気だ。コロニーで普通に過ごしていた少女も生存可能だろう。
「大丈夫だと思うかい?」
「うん、ちょっと雰囲気はおかしいけど助けてくれたには違いないわ。私は大丈夫だし相手が並のやさぐれモンならあなた一人くらいなら守れるしね」
さっきの言動からも彼女がスレイムルであるのは確定だろう。アルザスが神絶の習得を旅行者の最低条件にしているようにスレイムル人は自分の身を守る術を身に着けなければは宇宙へは上がれない、と記憶している。スレイムルの民族が持ちえる力である読心の力。その電位操作能力のエネルギーを対外攻撃に振り分け武器を自在に操るのだ。体術もある程度訓練するはずだから素手では確実に僕より強い。いや、武器を持つともっと強いはずだから僕は少女に絶対勝てない。いやいや、もともとこの宇宙に僕が戦って勝てる相手はいないのかもしれないが。
神絶をキャンセルする。人工重力は完全に切られており繭を解いても僕らは同じ座標に漂い続ける。
「助かったぁ。みなさん、ありがとうございますっ」
「あなた方は救助部隊では無いのですか」
少し距離をとって僕らを取り囲むこの船のスタッフ達が即座に武器を使用できる体勢なのが仕方ないのだとすれば僕らの素性が分かっていないのだろうか。いや、僕の救難信号を受信しているのだからそうでもないはずだ。いずれにせよコロニーの捜索隊ではなく僕らの救難信号をキャッチした通りすがりだろう。
明らかに精悍過ぎる乗組員は戦闘を生業としている可能性を示す。正規軍の完璧を目指す統一性は感じられないし、ならず者の空腹の猛禽類のようなギラつく獰猛さも感じない。賊の類ではなく正規軍でもないならば彼らは傭兵のチームだと推察できる。
「隊長が話をしたがっている。こっちに来てくれ」
「あっ! 」
最初に現れてくれたであろう男が近づいて来たのはいいが少女が突然叫ぶ。
「どうしたのっ? えっと……」
「あっあっごめんなさい、なんでもないです。それからごめんなさいトゥール君、私はレニータ。ご想像の通りスレイムルのレニータ・バルカザールよ」
そうか。レニータという名前なのか。
「あなたは僕らを助けてくれた人ですね」
「俺が助けた訳じゃない。全ては隊長の命令だ。礼は隊長に言うんだな」
レニータと同じように抜けるような白さの肌を持ちほっそりした長身と長めの黒髪と合わせて屈強な印象は与えない男だ。しかし流れるような身のこなしや実際に僕らの救助に単身で現れた事だけ見ても並みのヒューマンでない事は察しがつく。独特の力感は電位能力者かもしれない。
それにしてもやはり違和感はある。僕らが丸二日近く飲まず食わずなのは承知しているはずだ。要求する立場ではないが食事と休憩を与えて当たり前だろう。それがいきなりの面談、感謝はしているが一筋縄ではなさそうだ。