帰還-新しい旅
「トゥールのおかげで面倒がなかった。お前を助けて良かったと心から思っている。マリムもお咎め無しだ。安心してくれ」
ウルンガ討伐の凱旋から一週間が過ぎていた。身体を休めると共に祝賀会を兼ねた晩餐会に次ぐ晩餐会を組まれて、連日近隣諸国からの来訪に感謝を伝えられる。
ザネン伯爵には感謝の印として時間が空けば街の羅麺店に連れ出され、延々とその味の羅麺の由来やその店の特徴などを語られながらごちそうされる。
やはりウルンガは、宇宙基準でも悪名を轟かせていたアディラードだった。
未開レベルの一惑星では、その脅威は被害があろうと無かろうと相当なものだったようだ。ご馳走の連夜に太ることを心配しだしたレニータに促されて、ザネン伯の館とタンバリクの街を後にした。
報酬は僕らが遭難した時の救命代金三分の一にも相当する莫大な額だ。おそらくタンバリク砦の街の年間予算も上回るだろう。それだけの仕事だった訳だ。
でも志願兵達は別だけど、この報酬にはヴァルターとマリムさんの分も含まれる。
そのヴァルター達は特例で堂々と端末を使って連絡を取ると宙港で待つという。
僕らはさっそく戻ってきたという訳だった。
「マリムさんもお疲れ様でした。ヴァルターの考えにもよるけど、マリムさん個人に報酬を渡したいのだけど」
「私にお金は要りません。ヴァルターにお渡し下さい。ちょろまかさずに。しっかりと」
「いや、今回の仕事で報酬はいらない。こちらから情報料を払ってもいいくらいだ。チャラってことでどうだ?」
「仇が討てたというアレですね。お金のことは後日でも気が変わったら遠慮なく請求して下さい。それより仇の意味を教えてもらいたいです。無理に、とは言いませんが」
「なに、そんな隠す話しでも無いさ。まして仲間にはな。俺は……」
「失礼致します、トゥール殿、それにヴァルター」
憲兵隊副隊長グリンが声をかけてきた。部下を一人だけ伴って散歩のついでのような雰囲気だ。
「グリンさん、マリムさんの行動に対する適切な評価感謝します」
「いえいえミルサス評議会の総意での申し入れなどされたら、通称マリムという機体の捕縛命令を出した者は即馘です。ヴァルターも面倒が無くなって良かったな」
結局最高評議会になど話しもしていない。僕がただ総意を得た、と連絡しただけだ。情報戦に近いが、僕が本気になれば僕の望む申し入れが可能だったのは本当だ。
「今日は憲兵隊総括の意を伝えに来ました。どうせ本部に呼んでも来ないでしょうからね」
ヴァルターを見ながら笑顔を浮かべる。
「まあ、そのまま拘束されても詰まらんからな」
「貴様の情報がマザーに無かった。異なことだがそれは本題ではない。伝えるのはアディラードのことです。アディラードは適切な治療により生きています。その処遇についてマザーにお伺いを立てた」
そこで一息入れる。何をもって回っているのだろう。
「ウルンガ、ガリアック・アボー旅団での名前をアディラード。即決ででた判決は禁固六百八十年。両腕両足を失っていれば懲役は出来ませんからね。しかし続きがあります。ウルンガについてマザーは過去にザネン伯より問い合わせを受けた。その時にはウルンガがアディラードだとわからなかった、と。情報が書き換えられているようだ、と」
は? マザーは何を言っている?
その時レニータが僕の手をキュッと握る。
僕も気づいた。
ヴァルターがマリムさんに素早く軽い目配せをしてわずか後にマリムさんがわずかにうなずく仕草をしたことを。
「マザーが動揺することがあるのを初めて知りました。トゥール殿、これはよくある事例なのでしょうか」
「マザーがザネン伯の問い合わせにウルンガがアディラードであることを知っていて告げなくても、アディラードであることに気づかなくても、マザーの落ち度にはなりません。マザーは絶対の正であり間違うという概念はありません。今回は何者かに記録、というか記憶、というかが操作されたことに気づいたのでしょうか。そんなことが可能だとも思えませんが、そして戸惑ったということでしょうか」
「はい。だからこそこのマザーのコメントは重要視され調査隊も組まれるようです。マザーに直接の影響を与える為の通信による‘潜り’は不可能、もっと直接的に物理的に接触するしかないはずだ、との判断です」
マザー。全宇宙を網羅監視し記録し査定し判定し判断する超システムAIの集合体。
それは惑星テラとその衛星であるムーンに設置されている。テラ上の施設はインターフェイスであって事実上ムーンがマザーそのものだ。
遥かな過去にその基幹システムが初めて設置され、それを拡張に次ぐ拡張を繰り返したのが現在の姿だ。
その規模はムーンの体積の三分の一以上に及ぶ、と記憶している。連邦各国はもちろんタンバリクのあるグロデニア公国の様な未開国も微々たる数字ながら拠出金を出し、ムーンは機械的に日々増設を繰り返しているはずだ。
三百年程前に、マザーを絶対正と定めるに至った機能が脳幹接続システム。複数の生体の平行判断を組み込むことで間違いというものを理論的に消滅させている。
現代において賢者、優れた学者、優れた政治家、優れた芸術家など一般に卓越していると認められたパーソンは肉体の死がその存在の消滅ではない。
その者の同意があれば速やかに、無ければとりあえず肉体死を迎えても脳が生きていれば摘出され維持装置に入れられる。ヒューマンの身体が寿命により百年程で機能を失うとしても、脳単体なら更に五十年、肉体誕生から百五十年程度は活動可能なのだ。維持装置の中で安定すれば会話も可能。
もちろん代体サイボーグに収めれば自由な行動すら可能だが、そこで問われるのはマザーへの参加意思。生前肉体存在時には拒否したり、考えること自体しなかったパーソンもいざ肉体を失えば考えが変わることもある。
同意を得ればムーンに運ばれマザーに接続されて全宇宙を動かす頭脳の一部になる。この生体脳幹接続による機能の確立が三百年ほど前であり、その圧倒的有用性によって絶対善と定義された。
さすがに何人分の脳幹が機能しているかまでは記憶していないけれど、通常数十年で生物としての死を迎える脳は常時入れ替えられる。
今では命を終える脳が、日々数十人単位で入れ替えられているはずだ。
同時にマザーは日々進化する最新システムAIの発表の場でもある。
潤沢な採用資金目当てに開発業者は日参するが、新システムは既存システムであるマザーそのものに審査されるので、賄賂などで採用される事はない、と記憶している。
そうして更新されるマザーの記憶と処理能力はひたすら向上していく理屈だ。
しかし今回のマザーによる発言は全体を根底から覆す。マザーはその記録から結果として誤った判断をしても、万物を把握している記憶を取り出し忘れても、それがマザーの判断である限り批判や糾弾の対象ではない。
なぜならそれがマザーだからだ。
しかし情報が墟異だったくらいならまだしも、書き換えられたのであればさすがに話が違ってくる。正しい情報による間違った判断が許容されても、そもそも記憶がいじられていたのではマザーがマザー足りえない。
それは不可能でなくてはならない。
データの間違いはある。
マザー自身によってヒューマンの能力では把握出来ないバックリサーチで間違いは発見されるし、それでも出来ないならそれはこの世のいかなる存在にも出来ないことなのだ。しかしマザーの記憶を書き換える事が可能な何かが存在するならば、それはマザーを乗っとれる者の同義だ。
看過出来るはずがない。
「宇宙一と言われる脳生理学の先生を隊長にしてマザー調査団が組まれたそうです。護衛には連邦正規軍の最尖鋭が指名されたらしいので、傭兵の仕事はないがな」
「当たり前だ。ジョリセフの護衛は組織的に大規模に行なわれるべきだ。傭兵に出番などない」
「おや、ジョリセフ博士をご存知とは。しかしなぜ博士と?」
ジョリセフ・ナツミザワ・アリクセーヌ。
当代切っての天才脳外科医であり冒険家としても勇名を持つ、と記憶している。
危険の地にも訪れて奇跡に近い医術的功績を残して去ってゆく一種の生きた英雄だ。ヴァルターが知っているのは意外といえば意外だがそれなりの有名人ではある。
なにしろ生物学の権威たる知識を使い自らで自らを「調整」することで驚くほど長生きであり、僕の記憶で概算すると百三十歳を超えているはずなのにいまだ現役で第一線を走っている。
「昔少し縁を持った。宇宙一の称号は彼以外に、ない」
グリンは計るような視線をヴァルターに向ける。
「ヴァルター、あんたの得体についてはアディラード討伐の功績で問わず、となってはいる。しかし我々に過去を出せない者はなにかしらある、と考えざるを得ない。わざわざ調査をすることは無いが、くれぐれも自重することだ」
「俺はただの傭兵だ。それ以上でも以下でもない。ジョリセフの事もいつか耳にはさんだ噂が、信じられないほどお人好しだったからさ」
「なるほど…… 。ま、みなさんこれからもお体に気をつけて。またどこかの星で会えたら食事でもしましょう」
会話は終わりと悟ったのごとく、グリンは軽く頭を下げて去っていく。
二度と会う事は無いだろうし、会ったところで味方だとも限らない。食事は社交辞令も最たるセリフだ。それでもなかなか良い印象を残す男だった。
「さてトゥール、これからどうするんだ?」
「僕は…… 僕は強くなることにしたぁっ」
柄にもなく上擦ってしまった。気恥ずかしさもある。
マリムさんもいる前なのだ。
「トゥールちゃんは誰かさんの心ない言葉で深く傷ついてね。『宇宙最強の戦士になるっ』 て思い詰めてしまったのよ。まっ私が訓練することになっているからどこぞの機械人形なんかすぐ敵じゃ無くなる予定だけどね」
いやマリムさん相手では未来永劫敵ですよ? つか、敵になりたくありませんよ? つかつか、生身でマリムさんに勝てるなんて宇宙最強でも厳しいですよ? つか、いつ宇宙最強を目指すと言いましたか?
「トゥール様、見上げた心がけです。早くお強くなって優秀な発育不良の師匠を不慮の事故でやっちゃって下さい。大丈夫、あなたがどこにいても転ばすだけで良いのです。後は私がとどめを刺しに参上します」
やっちゃっての"や" ってなんて漢字を書くんだろう。
「ヴァルターさんこそ、そのポンコツが誤作動を起こしたら速やかに廃棄して下さいね。ほっぽるだけでいいです。私が廃棄物の恒星焼却船に載せるように、ちゃんと手配をしますから」
普通では燃えないものや、解体によって危険性が惑星に広く影響を及ぼすレベルに達するものなどを、老朽化した宇宙船に乗せて直接恒星にぶつけるという事業がある。巨大な恒星の核融合エネルギーにとって宇宙船などチクリとも感じず、何が積まれていようと活動への影響などあり得ない。
つか、どんだけ嫌いあっているんだ二人とも。
「俺がマリムを棄てるなどあり得ない。レニータもその内マリムの良さが分かるさ。また会うことがあったらね」
「ヴァルターさんはどちらへ? 私たちは武器の惑星ネロギスへ行こうと思います。トゥールちゃんが強くなるといっても、肉体的にヴァルターさんほど鍛えるには六百年はかかるので現実的じゃない。だから、なにかしらの武器を使いこなせるようにならないかなって」
「…………」
なぜか黙ってしまうヴァルター。ところで僕はそんなに弱いですかそうですか。
「私たちもネロギスへ行くのですよペッタンコ真似乞食。トゥール様だけ来れば私が手ほどき致します。貴方はさっさとお金を稼ぎに心療治療詐欺の旅に出なさい」
「俺たちは運命に定められた存在なのかもしれないな。既に船の手配は終わっているからここで別れるが、縁が有ればまた会うだろう」
ヴァルターのカッコいい言葉の斜め後ろでレニータに向かってアッカンベーをする最高戦闘亜ヒューマン機体のマリムさん。シュールだ。
「ねえ、トゥール?」
ヴァルターたちが十分立ち去るのを確認してレニータが話しかけてくる。
「うん。レニータさんがマザーと直接会話出来るのは機能的に不思議なことじゃない。でもアクセス権は機能によるものじゃない。もちろん機械であるマリムさんが単独で持ち得る事はあり得ない以上、ヴァルターの力だ。何者なんだろう」
マザーの告白をグリンが告げたときヴァルターはマリムさんを見やり、わずかの後にマリムさんは小さくうなずいた。あれはヴァルターがマザーへの確認を要請しマリムが確認して内容を肯定したように見えた。
マザーのアクセス方法は決して高度な技術を要さない。携帯式の情報端末からでも高度な機種なら可能だったが、アクセス権を持つ者は限られる。
基本的に国家に割り当てられると言った方がわかりやすいし、商業団体でも規模が大きければ権利を与えられる。宇宙中を見れば少なくとも数百万単位に登る者がアクセス権を持つが、逆に一般民では持ち得ない。
もちろん金だけでは得られないし、組織に与えられた権限で自由にアクセスしていた者も組織を外れればアカウントを知っていようと本人の生体認証でカットされる。通信による内部侵入、いわゆる攻撃性ウイルスなど取るに足らないとして、接続元の機器やエリアには何の制限も無いほどフリーな接続条件と、厳格なアクセス権付与が特徴だ。
僕も接続が可能だけれどもミルサス評議会の経由を必要とする。もちろんヴァルターもマリムさんからの直の接続ではない可能性もあるが、社会的にただ者ではない事は確かだ。
「まっ勘違いかもしれないし、どこかの王子様かもしれない。でも、トゥールちゃんの身に襲いかかる煉獄の炎に焼かれた方がマシ! な特訓には関係無いし。私たちも、いこ?」
いや、そんなに厳しい訓練とは聞いていないよ?
でも、ま、しばらくレニータとの旅が続きそうだ。
このお話はいったんここで終了します。1話目のあとがきにも書きましたが、実はストーリーやキャラ設定には既存の作品が存在します。そのキャラ設定が大好きだったこともあり書かせていただき、ストーリーも大大筋をなぞっておりますが、その作品をご存じの方でもまずわからない程度にオリジナルはしているつもりです。続きとしてあと4万字くらいは書いているのですが、完全オリジナルでの作品を始めたらそちらが面白くなってきました。いつかこちらも完結させるつもりですが、ひとまず新作にいきたいと思います。




