第一章 爆発-漂流
「本日は恒星風帯を通過します。内部への影響はないと思われますが、皆様お近くの待避所を確認しておきましょう」
「分かっていますよ。おかげでさ……」
機体整備で立ち寄らされただけでなくコロニーが宇宙を流れる物理的な圧力を持つ恒星風帯に突入する直前のタイミングで入港したため、それを抜ける六時間後以降まで再び出港できない。搭乗プランでは寄港の予定は無かったが、なにか不測の確認でも生じたらしい。急ぐ必要も無かったので安めのチケットにしたのが失敗だった。といって金額に十倍は差がある最新船を取り揃えた高級便に乗るつもりもなかった。時間的な必要が有れば別だが僕らは質素を旨とする民族であったからだ。せっかくだからと宙港の外を散策しようと一時滞在手続きをした時に送られたボイスパンフレットを開いてみただけだった。
ドンッッ。パアァァーン。
そのとき、目の前で突然爆発が起こる。
「なにっ?」
歩いていた歩行者専用の広めの道は白い石畳であり、T字路になる突き当りの煉瓦造りで教会のような二階建ての建物の窓が一斉に粉々なったガラスの破片を吐き出す。もっとも、宗教の象徴的偶像になりえる教会ではあり得ない。コロニーに永住者はできにくいことで、宇宙開発初期には必ず建てられた各宗派の施設は原則として宇宙空間の人工体には建築しないことになっている。必要性が薄いのに宗教観対立による無用な争いの種を少しでも減らそうという全宇宙的な合意だった。
二階建ての屋根も吹っ飛んでさらに数メーターの爆炎が上がるのを認識すると僕はいつも首から下げている印の刻まれたデバイスからエネルギーを開放し、電位起動バリア”神絶”を展開する。僕を中心に約三メーター四方八方を護る絶対防御陣。
そのとき一人の少女が建物の近くにうずくまっているのが目に入る。ガラスだけでなく壁面も吹っ飛び始めているが玄関回りは丈夫に出来ているらしく原型を留めており、その延長線にある少女がいる辺りは破片が飛んでいないようだ。僕は夢中で駆け寄り神絶を一時解除して、彼女の手をとり再び展開する。
この薄い水色の幕は文字どおり神の住まいのごとく内部の静謐を守る。爆発音こそ聞こえるが外側に降り注ぐ瓦礫は蒸発したように消え失せ内部には衝撃すら伝わらない。
「もう少し離れよう。この中は絶対に爆発の影響を受けないけど近すぎるよ」
「…………」
「それから僕のどこかしらに触れていて欲しい。この空間は本来僕以外を許容しないんだ」
今は彼女の手を僕が掴んでいるから存在が許されるが、放せば彼女は瞬時に消え去るはずだ。突然の爆発に意識が追いつかないのか、呆然とする彼女はかなり可愛らしかった。十二歳の僕より三つ四つ歳上だろうか。伏せたようにも見える奥二重の、でも大きめの目。微妙な垂れ具合が優しさを感じさせる。スッと伸びる鼻梁とわずかに半開きになっている小さな唇。上品な鮮やかさに目を奪われる銀髪、抜けるような白い肌。しかし彼女を印象付ける最大の特徴は目だった。吸い込まれるような薄いグリーン。この特徴的な外見を持つ民族には記憶がある。
そのグリーンの瞳は焦点が合っていない。どこかに爆発の破片でも当たったのだろうか。
「大丈夫? 大丈夫っ? この中に居れば何も怖くないから。どんな爆発に巻き込まれても大丈夫だからっ」
神絶の展開はミルサス人の旅行者が習得すべき基本能力だ。争いを得意としない民族性の中でとにかく身を守る術として自在の運用能力が求められる。その全宇宙に轟く異才の代わりに滅多に適合者がいない電位操作能力者を超える防衛力を得るべく開発されたミルサスの身を守る道具。この中にいれば例え全宇宙が消え去っても僕だけは健在だ。しかしその内部に存在出来るのも本来は展開者である僕だけ。しかし生体であれモノであれ僕が触れている限り消滅を免れる。展開中に共存している大地を歩くときには決して両足同時に地面から離さないなどの訓練を受けている。
爆発は遠方でも連続し収まらない。いくらなんでもまずいと思う。
コロニーは外部からの衝突にはかなりの耐性を持つが内部からの崩壊には脆弱である、と記憶している。事故であれば何重もの安全対策があるはずだがこれは明らかに事故ではない。コロニーの躯体や設備には原則として爆発物や可燃物が使われていない。爆発する可能性がある施設には厳重な防爆対策がとられているはずだ。仮に事故で一つ爆発があっても燃え広がらないし誘爆もありえないのだ。
なんらかの理由によるテロ活動だろうか。武器の類はともかく爆発物などコロニーに持ち込むのは至難以上に難しいと記憶しているのだが。
「ごめんなさい」
コロニー全体が揺れるような振動を感じて僕は彼女を抱きしめた。と言っても彼女の方が十センチは身長が高いから、もし端から見る目が有ったなら彼女に僕がしがみついた様に見えたのかも知れない。とにかく僕は、彼女との接触を維持すべく最善と思われる態勢をとった。
ズズンと響く音の後はそれまでとは逆に一切の音が消え去った。コロニーの壁面が崩壊して僕らは真空の宇宙に投げ出されたのだ。信じられない光景だった。地上となんら変わらない環境はごく短い時間で生ける者にとっては地獄と呼んでも足りない死が約束された宇宙空間に放り出されてしまった。外と中を隔てる壁は意外と薄いとは記憶していたが十二分な強度を持っていただろうことは当然だ。
僕はコロニー滞在者が携行を義務付けられているウエストポーチから小型空気ボンベを取り出す。彼女も腰に付けていることは確認済みだ。この神絶は外来の攻撃からこそ内部を守るし閉じた環境を維持もするが、さすがに空気を生み出すことはない。神絶内部に留保された空気は外に出ることはないが、そこにある量が全てなので二人で吸っていれば数時間しかもたないだろう。
百万が一に備えた携行滞在パックの圧縮空気ボンベは丸二日分の空気が詰まっているはずだ。それまでに救助されなければどの道死んでいるだろうという時間分である、という意味のことをパンフレットが言っていたのを思い出す。何らかの事故といってもコロニー崩壊は想定していなかっただろうけど。
自分の空気ボンベをくわえると彼女のポーチに手を伸ばしボンベを取り出す。相変わらず呆然自失の彼女はむしろ自殺志願者のようだ。
光を失った目でチラリと彼女は僕を見ると空気ボンベを素直にくわえながら自らに何かを問うているようでもあった。
神絶は常に僕を中心に展開される。そして宇宙に浮かんだボールは身体に感じられる勢いで一方へ流されていた。宇宙では遠くの景色を見ていても変化はない。輝く星々は圧倒的に遠いからだ。戦艦が最大戦速で移動しても地上の蝸牛ほどにも満たない相対速度だ。
しかし今は目の前の崩壊したコロニーからフルブーストの宇宙船に乗っているかのごとく遠ざかるのを見て移動している実感を掴む。恒星風だろう。ちっぽけなヒューマンにどうこう出来る力の奔流ではない。この宇宙コロニーは直径千五百メートルのチューブが直径一万メートルにも達する巨大な輪状をした構造物だ。かなり古い、まだ宇宙のみを故郷とするニーズがあると信じられていた頃のものだろう。実際にはコロニーでの出産がタブーになってからはコロニーで子を産むことを法的に禁じられてこそいないがやむを得ない場合のみになっている。低重力下で乳児期を過ごすと必要な筋肉が育成されないのだ。やむをえず産まれた場合には高重力カプセルに入れて速やかに地上へ降ろされる。それでも幼少期からある程度の期間コロニーで育つ者は少なくないが、結局出身星に帰るなり新天地に行くなり流れ者になるなりだ。
コロニー時代の幕が明けて三百年もすると統計的に確認されたことであり、それ以降これほど大きな居住区を持つ構造体はあまり造られていない、と記憶している。このコロニーも貨物輸送の中継基地としての役割で大きく見直され、設計初期にはあり得なかったチューブ状の居住区に直接港を造ることで重宝されている、とはボイスパンフレットの受け売りだ。
巨大な輪の中は十字に太い柱が渡され、中心にはセントラルプレイスと呼ばれる円筒部分があり元々はそこにしか港は無かったはずだ。チューブの輪は回転して重力を生み出す。今は人口重力が開発されており不必要なシステムだ。その常に回り続けるチューブに直接接岸出来るのは主に船の接岸アプローチ技術の向上によるものとのことだった。
急速にコロニーから遠ざかると巨大な構造物も全体が見渡せるようになってくる。外郭の崩壊はほぼ円形に広がっているようだ。その中心辺りから船が出てきた。僕の乗ってきた宇宙船だ。その港を中心に破壊活動が行われたらしい。さらに恒星風を気にする場合ではなくスクランブルで出航したであろうその船は、船体がコロニー外郭部分から出きったところで嘘のように船体をクルリと回し再びコロニーへ船首を向けると港のゲートに激突する。巨大な質量を持つコロニーでも影響が考慮される力は宇宙においてさらに非常に小さな船体など木っ端のごとくだった。コロニー外郭に平行した船体が止まらないフルパワーの推進力によって外郭を削りながらの前進を続ける。もうあの船は使い物にならないだろうし今の僕の状況とあわせて戻れたとしても二度と乗ることはないだろう。
宇宙に投げ出された生命体はもちろん僕らだけではなかったが小さすぎてあまりよくわからない。しかしほとんどの者はいずれかの待避所に避難しているだろう。もとよりコロニーが宇宙空間を漂っている以上こういった事故の備えはある。例えば壊れていないどの建物に入れただけでも助かるはずだ。僕らは相当に運が悪いと言えた。
「まずいな。これじゃ宇宙を漂流してしまう」
つぶやいてもどうする事も出来ない。神絶は絶対の対外界防御を約束してくれても万能ではない。生存環境を保証するだけで宇宙で自由に移動は出来ないのだ。
相当な速度のまま数時間は流された。もうコロニーがどこに有ったかも視認出来ない。間近では大宇宙に燦然と存在を主張するコロニーも光度レベルなどたかが知れている。何十万光年先の恒星の輝きが肉眼で見られること自体が神秘であると実感させられる。
大宇宙に漂うだけでは助かった内に入らない。ただ、僕には奥の手が残されているので本当の意味で命の危機は感じていなかったけども。
やがて小惑星帯、いや岩くれの破片がどの星かの重力に引かれ集まっているエリアへ突入した。この星系の主恒星かもしれないし恒星の重力に捕らえられた惑星の重力かもしれない。その軌道は遠いらしく三百六十度見渡してもどの星かはわからない。いつの間にか恒星風帯は抜けていたらしい、球体はゆっくり漂っていてゆっくり岩くれに向かっている。岩くれは安定的にそこに浮いているように見える。
その一つへ吸い寄せられるように近づくのを見て決意する。そのまま衝突しても問題はない。神絶は岩くれに穴を穿ちながら漂い続けるだけだ。
簡易ボンベはくわえたまま会話も可能だ。マイクとスピーカーが内蔵されているのだろうけど流石に簡易ボンベの構造までの詳しい記憶はない。
「あの岩礁に着地するよ。ごめんなさい」
再び彼女にしがみつく僕。地表へ接触して安定して降り立つのは神絶使いの基礎中の基礎だ。訓練で何度もシミュレーションが繰り返されマスターしていたがしかし自分以外の、まして生体と共にの着地は座学のみだった。危険過ぎて状況を模した実地訓練は出来なかったのだ。彼女より先に岩へ足を着けなければならないので彼女の胸辺りに顔をうずめることになった。ずいぶん後に指摘され恥ずかしさで一日中彼女と口が聞けなくなった一コマだ。
「!! っ っっ! っ」
地表へ足を付けるまで神絶を外からは不可逆的に物体を通すように調整する。外からの力は取り入れ、中の力は出さない。宇宙空間の何もない場所には本来基本的には何の物理的存在もない。気体や放射線など少数の例外はあるものの空間はただの空間であり何の圧力も物体もエネルギーもない。つまり真の宇宙空間は何ものもいないのだ。そして神絶内には空気がある。中の空気は宇宙空間に比べて圧力を持つから外に出たがるがそれは通さない。そして外からの、例えば岩くれは膜を通過する。しかしそれが理屈でも何が起こるかわからない。絶対無である宇宙はそこに存在するのだ。神絶の中に入ってくる地表と言うにはあまりにも頼りない地面に両足を付けると同時に外部からの防御力も元に戻す。もちろん実践は初めて、宇宙空間に何の力も存在していないことを前提としたスペースサバイバル術であり本当に試す機会が来るとは思わなかった。
無事に岩くれに着地するがしばらく少女を強く抱きしめ続けた。ここは単なる宇宙空間なのだ。僕にだって恐怖心がなかったと言えば嘘になる。
「ちょっとちょっとなんなの一体っ? 助けてもらったのは理解しているけど私に触り過ぎじゃない? 男の子の興味もわかるけどこんな危機的状況でもエロ思考が優先されるなんてもうあなた大きく育たない方がいいよ。いっそ死ぬ?」
「いやいやいやいや待ってよ。一応僕は君を助けたいし、いま君が生きていられるのも僕のおかげなんだけど」
「なにそれキモイんだけど。子供のクセして恩は百倍で返してもらう主義なの? 私に触れているだけで二十万ギララが必要と思いなさい」
地表、というにはあまりに不安定だったけど少なくとも安定した環境でいきなり彼女は完全復活したらしい。
「待って。嫌かもしてないけど手は放さないで」
「あんたの言った事くらい覚えてるわよ。なんなの? あのコロニーから放り出されて宇宙空間を漂っても大丈夫な電位使いに捕まって。しかもそれは子供で、ママと勘違いしたんだかやたらベタベタ触ってきたりギュッとしてくる変態子供で。宇宙空間に置き去りになって死を待つか弱い女の子である私を襲おうとタイミングを見計らって目をギラつかせてよだれ垂らし始めて鼻息も荒いしっ!」
「荒く……ないよぅ……手を握っているのは悪いと思うけど……この中に存在を許される為には……」
僕は半分涙声だった。
「ふうん、本当にお子様なんだ。うそよ冗談よごめんなさい。助けてくれてアリガト」
はっ?
「女の自衛本能よ自衛本能。男と二人っきりになったら必ず主導権を取りなさい、てのが家訓なの。でもあなたは男じゃなくて男の子よね? ちょっと張り切り過ぎたわよ」
男と男の子はどう違うのだろう。でも確かに僕は男というより男の子だ。それだと安心なのだろうか。涙声にならないように少し大きな声を出してみる。
「僕はミルサス人の賢者トゥール・アクセルスン。選ばれし者、だ。この空間は神絶というミルサスの技術が生み出した最高防御システムを具現化したものだから外部からの衝撃も、あるいは攻撃すらも気にする必要はない。ただ、僕の一部に触れていないと排他機能によって君は消滅してしまう。信じてくれなくてもいいけどそれでも僕に触れていて。ちなみに僕は電位使いじゃ無いし、これはミルサスが開発した工学的手段であって電位操作の能力じゃないよ。起動には疑似的に応用しているけどね」
「ふうん? んで、これからどうするの? 宇宙を漂うだけなら助かったことにならないんだけど?」
「いや、そう言われても……」
この作品は田中光二先生の「アッシュ 大宇宙の狼」にヒントを得て書かせていただいています。キャラ能力と大大大筋が参考になっていますが、キャラ名はもちろん変えていますし、原作をご存じの方でもそうとは分からないでしょう。でも、元ネタアッシュは大好きな作品です。出来れば対応するキャラ名を元の名に戻して世に出すことが夢です。権利は八割くらい田中先生にあげてもいいです(笑)