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彼の幽者、疑惑の判定持ちにより  作者: 鷲野高山
一章 幽者、召喚
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六話 称号、幽者

「申し訳ありません、お見苦しい姿をお見せしてしまい……」


 しばらくして落ち着き、衣の裾で涙を拭ったエリザは、少々赤くなった目元を気恥ずかしげに零士へと向けた。


 魔王の襲撃から、ずっと恐怖と不安に苛まれていたエリザの心。召喚された勇者、零士によって魔王が退けられた後も、しかし彼がどのような人物であるかは不明で気は抜けず。

 話を聞いてもらうことはできたことで第一の関門は突破。だが、本題はそこから。

 もし、勇者が我が国(メーディス)に牙を剥いたら。もし、敵対はせずとも、助力を得られず去ってしまったら。その勇者の選択一つが、メーディスという弱小国の命運を左右するのだ。

 此度のような奇跡(魔王の気まぐれ)など、二度と起きることはあるまい。勇者の存在なしに次に強力な魔族に攻められれば、間違いなく終わる。


 エリザという一人の人間としては、既に助けられた上に今後も助けを求むのはどうか、という心情である。

 だが、この身は一国の女王。小国ゆえに数はそれほど多くなけれども、この国に住まう者達を背負っているのだ。ゆえに決断は一個人ではなく、人の上に立つ者として。


 誠心誠意の謝罪と感謝、そして助力を請うた結果――召喚された勇者である零士は、首を縦に振った。


 嬉しかった。伝承に語られし勇者が、味方となってくれたことが。心の奥底で憧れていた伝説の存在が、エリザの密かに思い描いていた人物像を粉砕しなかったことが。

 同時に、安堵した。一度ならず二度までも絶望に落ち込み、以後も忙しなかったエリザの心が、ここにきてようやく。

 それがために。胸の奥から、眼の奥から、想いが、涙が溢れ出てしまったのだ。


「あ、いや……」


 嬉しさから流れた涙であり、恐怖や重責から解き放たれた安堵より流れた涙でもある。

 そんな二つの感情から泣くエリザを、しかし零士は笑わなかった。その顔には嘲りどころか、怒りすら一片も見受けられず。むしろこちらを気遣うような、戸惑いと優しさの入り混じったような表情。

 エリザは、零士の態度に思わず口元を微かに綻ばせつつも。


「魔王エスティラに襲撃されたあの時、もう助かる道はないのだと私は覚悟し、諦めてしまっておりました。……一国の女王という立場にありながら、何もすることができなかったのです」


 しかしその顔は、すぐさま別種の笑みへと変わる。喜色とは正反対の、無理に笑っているような、或いは己を嗤うような、悲哀の笑みへと。

 エリザの目は伏せられ、顔が若干俯く。

 

「…………」


 諦めてしまった。何もできなかった。

 そんなエリザの独白に、今度は相槌を打たず零士はただ聞くに徹するだけ。


「傷つき、倒れていく兵達を、私は見ることしかできなかった。どうしようもなく、己の無力が悔しかった。……全ては、魔王の思うがままに、時が動こうとしていました」


 ですが、と一際想いの籠ったエリザの声が、放たれる。


「しかしそこに――勇者様は、現れてくださいました」

 

 エリザは、零士の顔を、眼を見つめる。その瞳に宿るは、憧憬の光。

 今は死した父、先王に聞き、抱いた憧れ。けれども、叶えては駄目だと奥底に閉まっていた憬れ。

 かつて思い描いた希望の光が、まさに今、眼前に体現している。


「魔王エスティラを退け、傷ついた兵達の治療を手伝っていただき。私達をお救いくださいました。伝説に語り継がれる、勇者様のように」


 大粒の涙も、沈痛な面持ちも、まるで感じさせないように。

 微かに赤らんだ目元など気にもならないほど、花が咲いたような美しい笑顔で。


「本当に……本当にありがとうございます、勇者様」


 また涙を零してしまえば、泣き虫に思われてしまう。だから、今度は泣かずに、最後まで。

 嘘偽りなどあるはずもなく、心から、エリザは笑みを浮かべた。


「…………」


 零士は、答えない。

 エリザに助けた見返りを要求することもなく、かといって感謝の言葉を当然のように受け止めるわけでもなく。

 ただ座って、黙している。


「……あ、あの、さ……」

「はい、なんでしょう?」


 ややあって、声が上げられた。

 エリザは、嬉々として零士に問う。


「勇者様、なんて呼ばなくていいんで。零士(れいじ)でいいです、零士で」


 彼の顔に浮かぶは、苦笑。

 エリザは、その言葉に意表を突かれ、一瞬きょとん、とするも。

 ――ユウガキレイジ。

 彼が魔王エスティラに対してそう名乗っていたのを思い出した。


「はい、かしこまりました……それでは、レイジ様、と」

「……いや、様付けとかもいいんで、普通に呼び捨てで」

「それは、なりません。レイジ様は、勇者様なのです。それに、大恩ある方を呼び捨てにするなど、できるわけがありません」


 敬称はいらないとする零士に対し、そればかりは譲れない、とエリザはきっぱり宣言する。


「…………」

「…………」


 沈黙。

 エリザは、ただただ真っすぐに零士の瞳を見つめ。

 零士も、そんなエリザを見ていたが――そう時間をかけることなく、逸らした。


「大恩って言われても別にそんな大したことは……ま、まあそれじゃ、お好きなように……」


 そっぽを向いて頬を掻く零士の姿に、少々強引だったかと、エリザは思う。

 だが、これは譲れなかった。いかに、当人が言おうとである。


 謙虚なのか、或いは本音なのかはエリザに分かる術はないが、零士は大したことはしていないと言った。しかし、エリザや助けられた兵達からすれば、ちょっとやそっとでは返しきれないほどの恩なのである。魔王エスティラは退き、滅亡の淵にあったメーディスは救われた。これを大恩と言わずしてなんと言う。


「ありがとうございます、レイジ様。……そ、それでは、私のことはエリザ、と、そうお呼びください」


 エリザは、礼と共に彼の名を呼ぶと。コホン、と口元に手を当て、僅かに頬を紅潮させつつ言った。


 自らが言っておいてなんだが、エリザがエリザと呼ばれることは、そうない。というより、そう呼べる人間が限られると言ったほうが正しい。

 なぜなら、エリザは王家の者。国の民や城の兵達から呼ばれる際には、様、姫、王、女王など、エリザの名の後にはなんらかの単語がある。彼女が呼び捨てにされたことがあるのは、今は亡き父や母などといった極少数のみ。

 零士のような年の近い存在は、初めて。ゆえにエリザは、その顔に緊張を滲ませていたのだが。


「え? えー……分かりました、エリザさん」


 エリザの期待――緊張した呼び捨てではなく、さん付けであった。


「あ、あの、レイジ様? エリザ、と呼び捨てで構わないのですが――」

「……いや、俺が構うんで」

「いえ、しかし――」

「俺が構うんで」


 今度は、敬称はいらないとするエリザに対し、断固拒否の構えを零士がとる。


「…………」

「…………」


 再びの沈黙。交差する、両者の瞳。

 先程の巻き戻しのような、それでいて立ち位置の代わった会話の内容に、エリザは思わず可笑しくなった。

 見れば、零士も何かに気付いたような顔をしている。


「分かりました、レイジ様。どうぞ、私のことはお好きなようにお呼びください」


 初めての年の近い異性からの呼び捨てという現実は訪れず。けれども、零士を習い発した言葉はエリザが誰にも言ったことのない言葉で。気恥ずかしくも、エリザは破顔した。




「……俺は一体、何をしたんだろうか?」


 お疲れでしょうから、ごゆっくりお休みになってください。

 そう零士を気遣う言葉を置いて、エリザの去っていった部屋。

 残された零士は、椅子に腰掛けたまま、何もない虚空を見上げて独り言ちた。


 尋常ではない様子でお礼を言われたが、はっきり言って零士には特別何かをした記憶はない。ぶっちゃけ、ただ立っていたといっても過言ではなかった。

 故に、どう返したものかとほとほと困り。取り敢えず呼び方がこそばゆかったため、半ば無理矢理話を逸らしたわけである。


 が、いくら自問したところで意味などなく。少しだけ考えたものの、零士はそれを捨て置くことにした。


「にしても、異世界に勇者と魔王、ねぇ」


 エリザの話から、自身の状況に関しては大雑把ながら理解した。しかしその内容は、普通に考えれば、はいそうですかとすんなり受け入れられるものではない。――普通では。


 ……だが、何というか、零士は普通ではなかった。


 それを自認している零士は、チラと目線を横に動かす。

 視界に入ってくるのは、何がそんなに楽しいのかベッドの上をポンポンと跳ねる、淡く発光する半透明の謎の物体――もとい、己の判定。自分にだけ見える、自身が普通ではない証。


 ――俺の身体も大概、あれだしなぁ。


 ファンタジー染みているというか、なんというか。とにかく、普通ではない。ファンタジーなぞあり得ないなど、お前が言うな状態だ。


 零士は再び虚空へ視線を戻すと、先程よりも深く腰掛ける。


「……こんな世界観だと、ステータスだか何だかあったりしてな」


 そうして、彼がしみじみと呟いた、刹那。


幽者(ゆうしゃ) 属性:疑惑

疑惑の判定 lv1

自身の本体と判定が別々となる。


疑惑の吸収 lv1

自身の本体に接触した魔力を吸収する。吸収の限界を越えると爆発する。


 それは、眼前の何もなかったはずの空間に、突如ぼんやりと浮かびあがった。


「…………」


 零士は、まず眼前をまじまじと見つめ。次いで、三度程瞬きし。最後に目を擦り、再び見る。


 ……なんか、増えている。


 つっこみどころは多々あるが、名称は別として、一番目に記載されているのは間違いなく零士の体質。

 だが、二番目。なんか、増えている。

 魔力は、まあこの世界には当然のようにあるのだろう。爆発……はなんか怖いのでスルー。


 そうして視線は、一番上へと戻る。

 普通に考えれば、これが大問題。


「……幽者?」


 勇者ではなく、幽者。

 その事実に、徐々に零士の全身から冷や汗が噴出した。

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