五話 現状把握
「おお、なんとお優しい……」
「この凄まじい魔力……さすがは、伝説の勇者様」
――どうしてこうなった?
ガチャンと鎧兜を鳴らし、深々と一礼しては駆けてゆく、零士より体格も年齢も上であろう兵士達。
そんな彼らから続々とかけられる言葉に、零士は心の中で呟きつつ、笑みを引き攣らせていた。
零士の眼前では、白いローブに身を包んだ女性が、その手の先から力強く存在を主張する緑色の光を迸らせ、負傷して横たわる兵士に翳している。
零士はといえば、その後ろで、女性の背中に手を当てているだけ。なんのことはない、ただ立って手を当てているだけなのだ。特別なことをしているわけではない。
にも関わらず、女性の不思議な力によって傷を癒されていく兵士達は、零士に向かって感謝の言葉を投げかけるのだ。
その眼に、感嘆と尊敬の光を宿して。
……どうしてこうなった?
今一度、零士は己に問いかける。
いきなり見知らぬ場所にいて、これまた知らない何者かによく分からない攻撃をされ。
名乗れと言われて取り敢えず名乗ってみたものの、他は何を言われているのかはさっぱりの上に、その何者かはどこかに行ってしまい。
呆然としていたところ、いきなり背後から声が聞こえ。振り返ってみれば、同じ年くらいの――エリザと名乗った美しい金髪の少女。ただ、なんとか分かったのは名前だけ。女王だの魔王だの召喚だの、人が変わっても相変わらず何を言われているのか不明で、しかし質問することには成功し。
先に怪我人の手当てを優先したいとの申し出に、それはそうだと零士も頷くことで同意。後で説明してくれるとの言葉を受け、ようやく安心した。
手当ての手伝いを申し出たのは、見るからに倒れている人がたくさんいて大変そうだと思ったのも確かにある。だが、善意が全てではなく、自分が元気であったのと、少々の打算――つまり少しでも印象がよくなるかと思って、というのもあってだ。見も知らぬ場所、加え見も知らぬ人、とくれば印象がよいにこしたことはない。
医療についての心得はほとんどないが、怪我人に肩を貸すやら、水を運んだりするやらなどの雑用であればできる。と、いうか、そういった雑用などを命じられるかと零士は思っていたのだ。
しかし、そんな零士を待ち受けていたのは。
「――幸いにも、生命の危機に瀕している者はいないようです。魔王の言は、真であったのでしょう」
「ですが、重傷の者はおります。これより我が国の者が魔法で治癒を行うので、勇者様にはその補佐として魔力でのご助力をお願いいたしたく――」
そんな、言葉。
エリザが広間から急ぎ足で出ていき、ほどなくして白いローブを纏った数人の男女を連れて戻り、連れられてきた白いローブの面々が、エリザが、横たわる兵士達の様子を見始めてからしばらくの言葉である。
勇者、とかなんとか先程から言われているが、今更であるし後程説明してくれるそうなので、それはさておき。
――魔法で治癒? 補佐?
ちんぷんかんぷんな零士の理解を置き去りにして、あれよあれよと事が進み。
そんな状態であったから、言われたことの9割は零士の耳に入らず。
手を、背中に。
なんとか拾ったその言葉通りに、しかし果たしてこれでどうなるのかと思いつつ、零士は右の掌を白いローブの女性の背中に押し当てた。
その、状況が。
横たわっていた人達の表情にみるみると生気が戻り、何故か立っているだけの零士に感謝の言葉を述べる、という現状なのである。そのせいか、どうにも身体がむず痒い。
チラと視線を横にやれば、他の白ローブの人間も数人、零士や零士が背中に手を当てている女性と同じようなことをしている。もっとも、零士は一人で、彼らは三人ほどが一斉に同じ人の背中に手を当てているのだが。
もっといえば、零士が背中に手を当てている白ローブの女性の放つ緑光に比べ、他の緑光は明るさが控えめな気がする。
とはいったものの、その意味が当然零士には不明で。
……もう、いいや。
いくら考えたところで、分かるまい。そもそも、ここがどこだかすらまだ分かっていないのだ。
説明されるまで、言われた通りにしてよう。
その結論に至った零士は、考えることを放棄。
「凄い、凄いっ! 魔王に勝るとも劣らぬほどの魔力だ!」
「ありがとうございます、勇者様!」
緑光を受け、続々と立ち上がる兵士達を前に、
「…………」
ただただ早く終われと念じつつ、零士は軽く会釈をするぐらいしかできないのであった。
ひたすらに終われと念じていたのが功を奏したわけでもあるまいが、思考を放棄してからさほどの時間はかからず、床に倒れ伏している者の姿はなくなった。
白ローブの人々は、零士に一礼して広間を後にし。
零士は、金髪の少女――エリザに促されるまま、城内を歩く。
「誠にありがとうございました、勇者様。ご助力いただいたおかげで迅速な治療を行うことができ、負傷者は皆元気になりました。私達だけでは、恐らくまだ半数も治療できていなかったことでしょう」
「えー……ああ、はい」
道中、エリザから感謝の言葉をかけられるが、特に何をした自覚もない零士は困り、しかし話を合わせようと控えめに相槌を打ち。
そうこうしている内に連れてこられたのは、そこそこに広い一室だった。
清潔感のあるベッドに、ほどよく置かれたそこそこ値の張りそうな調度品の数々。
向かい合わせとなっている二脚の椅子の一方をエリザに勧められた零士が腰かけると、残りの一方に彼女が腰を下ろす。
「お待たせしてしまい、申し訳ありません。さて、それではどこからお話しいたしましょうか、勇者様?」
「えー……じゃ、まずその勇者様というのは?」
ここはどこなのか。自身の身に何が起きているのか。
その他聞きたい事に順序などつけられなかったが、開口一番からエリザの言葉に疑問があったため、第一に零士はそれを尋ねた。
「そうですね……ではまず、この国とこの世界の現状について。そして勇者と魔王の伝説についてお話しいたします」
零士の質問を聞いたエリザは、一、二度頷くと。ゆっくりと話し始め。
それを零士は、自分なりに掻い摘んで頭の中で簡潔にまとめる。
ここはメーディスという国。エリザはその女王であり、この城は彼女の住まう王城。
この世界には魔王が存在していて、先程零士に攻撃をしてきた女性はその魔王の分身。
魔王とは、かつて勇者に打ち倒されたはずの、伝説に語り継がれた存在。
勇者は魔王と同じく伝説の存在であり、この世界とは異なる世界から喚ばれし、魔王を倒し得る力を秘めた者。
零士は沈黙し、顎に手を当てる。
……さて、自分でまとめておいておきながら、なんとも。
大雑把すぎるが、零士がまとめた結果がこれだ。
言葉という意味では、エリザの言っていることは、理解できる。だが内容に関しては……理解と納得は、別。
「お恥ずかしながら我がメーディスの国力は、とても豊かであるとは言えません。魔王本人は勿論、力のある魔族を相手にしては一日ももたないでしょう。……事実、魔王の分身単身にすら抗うこともできず、易々とここまでの侵入を許してしまい――」
エリザは、そこで躊躇するように目を瞑り、言葉を止めた。しかし、それも一瞬のこと。
すぐさまその双眸が、零士を映し出す。
「――その魔王の分身によって貴方様は……勇者様は、召喚されたのです」
「…………」
零士は、何も反応を返さない。いや、むしろどう返せばいいものかと悩んでいた。
そんな零士を前に、エリザは言葉を続ける。
「ですがいくら魔王によってとはいえ、もし私達に抗う力があったならば。勇者様を、召喚という形で強制的にこの世界へ連れてきてしまうことはなかったでしょう。故に、私達の不甲斐なさが招いてしまったものと同義です」
「…………」
無言を貫く零士を前に、突然エリザが椅子から立ち上がる。
そうして彼女は、その頭を深く下げた。
「こうして、召喚という形で勇者様の御意思を無視してこの国にお連れしてしまったこと、誠に申し訳ございません! 更に申し上げれば、私達には勇者様を元の世界にお連れする術がありません!」
エリザの顔は、礼によって伏せられているため、零士からは伺うことはできない。
が、顔を見ずとも分かるほどに、悲痛な思いが、心が、声に宿っており。
「その上で、無礼を承知で申し上げます! どうか、どうか我がメーディスに、そのお力をお貸しいただけないでしょうか! 大変厚かましいお願いだとは存じております。ですが、この国を、この国に住まう者達を守るために、勇者様のお力が必要なのです!! どうか……」
強い意志と、力の籠ったエリザの懇願。しかして、最後は縋るように儚く。
「……力、か」
頭を深く下げたまま動かないエリザに対し、零士は驚きつつも彼女に聞こえないほどに小さい声量でつぶやく。
正直に言って、零士は己が特別な力を持っているとは考えていない。ただ、他の人間とは違う身体である、という認識だけだ。
だが、他の人間とは違う――それもあの世界で恐らく零士ただ一人だけが――と理解していたからこそ、生まれてくる世界を間違えたのではと考えたこともあったし、元の世界に居心地の悪さを感じていた気持ちは紛れもなくあった。
……勇者様、と言われても。
己にあるのは、特殊な身体のみ。加えて言えば、零士には攻撃手段など一切ない。
エリザの説明にあった勇者の説明には当てはまらなければ、己がそんな大層な人間だとも思っていない。
恐らくエリザは、零士に他にも特別な力があると期待――勘違いしているのだろう。だが、彼女の必死の懇願を前に、零士はそれを言い出す勇気も、否と一蹴できる気概も持ち合わせていなかった。
――まあ、囮役ぐらいならなんとか。
いくら零士の身体に直撃したところで、判定に当たらなければ零士の身体は傷つかないし、死にはしないのだ。その事実を、他者にはない己の身体の仕組みを、零士は知っている。今この瞬間に零士の身体をナイフが突き抜けたとしても、零士の視界の隅に映るベッドの上で自由気ままに寝転がっている己の判定に当たらなければ意味がないのだ。
――元の世界に未練はなく、どの道戻ることはできないのならば。
故に、深く考えずに。エリザの勢いに圧され。
「……俺でも、力になれるのなら」
気付けば零士は、そう口にしていた。
「…………っ!」
その返答を聞いたエリザが、ばっ、と勢いよく顔を上げ、零士の顔をまじまじと見つめる。
「あ、ありがとうございますっ!! 誠に、誠に、あり、がとうっ……」
直後、パァッと顔を輝かせたエリザは、再度零士に頭を下げた。
だが、次第にその声は震えを伴い。
――落涙。
エリザの頬に光る涙に、零士は慌て、意味もなく立ち上がってしまう。
「う、うっ……」
「…………」
だが、涙を流すエリザを前に、気の利いた言葉一つかけられず。
零士はただただ所在なさげに立ち尽くすのであった。