四話 幽者と女王
キーワードにもありますが、この作品は若干の勘違い要素があります。
では、どうぞ。
魔王エスティラが去り、しんと静まり返った広間。
本来であれば、魔王を退けたという事実に大歓声を上げるべきなのだろうが、しかし。未だ多くが地面に倒れ伏す中、そんな元気のある者はこの場において数えるしかおらず。また、静寂の広がる原因は、それだけではなかった。
「…………」
なんとか意識だけは失わなかった幾人かの城の兵士や、女王エリザが視線を集中させる先には、一つの人影。
魔王エスティラが退いた原因、零士である。
彼は、魔王エスティラが立ち去った壁の大穴に目をやったまま、微動だにしていなかった。
――何か、したのか?
――そんなところで、何をやってんだ?
――柚垣零士。
零士が魔王エスティラに対して放った三言は、その光景は。エリザの脳裏に鮮明に焼き付いて、離れない。
召喚されたばかりの彼に不意打ち気味に放たれた、複数の魔弾。しかしてその一発でも掠れば、人一人容易く死に至らしめるであろう魔王の攻撃をその身に何発も受けた彼は、倒れるどころかまったくの無傷で言い放ち。
その結果に驚きを見せる魔王に、まるで挑発するかのように問いかけ。
名を尋ねた魔王に対し、恐れなどなく堂々と名乗る。
正直に言えば、怖い、とエリザは思った。
魔王の攻撃を軽く無効化した、その力が。魔王さえも挑発するような、その人柄が。
だが、恩人であった。
エリザにとって。メーディスにとって。
彼がどのような人物であったとしても、例え彼にその気がなかったのだとしても。
それは純然たる事実であり。
……助けられたのだ、私達は。
ならば、女王たる私が動かなくてなんとする。
緊張のあまり、ゴクリと一つ喉を鳴らし。意を決して、エリザは震える足を動かした。
一歩、また一歩。普段なんでもなく行っていることが、今この時はこれほどに難しい。集中しないと、無様に倒れてしまいそうだった。
故に、一歩、一歩。ゆっくりと、しかし着実に歩み寄るが、彼はエリザに振り向かない。
あれほどの、実力者。ならば気付かれていないわけはないでしょう。
試しているのか、待っているのか、或いは――気に留める必要がないと思われているのか。
その思惑を知る術は無論エリザにはない。だが、その歩みを止めるわけにもいかず。
やがてエリザの足が、止まる。すぐ眼前に、魔王エスティラを退けた、勇者。
彼は、まだ振り向かない。
エリザは、すっと息を吸い込み、そして小さく吐き出した。
「……ゆ、勇者様」
おずおずと、しかしはっきりとした声で、エリザは呼びかける。
目の前の人影が、ゆっくりと振り返った。
エリザと同年代か、或いは少し若いであろう、少年であった。
メーディスどころか、この世界においては珍しいと思われる、黒の髪。それと同色の、見慣れない衣服を身に纏っている。
エリザは、勇者が己とそう年の離れていなさそうな人物であることに驚きつつも、
「あ、あの……私はこの国の女王、エリザ・メーディスと申します。先程はこの国を魔王の手より守っていただき、ありがとうございました。召喚に応じてくださったこと、誠に感謝しております」
躊躇なくその頭を下げた。
弱小国とはいえ、一国の女王という立場にありながらも、迷うことなく。
「同時に、突然お喚びしたこと。加え、命の危険に晒す事態となってしまったこと、深くお詫びいたします」
一度ならず、二度までも。
誠実に、感情を込めて。エリザは、零士に頭を下げる。
……なんと、言われるでしょうか。
無視をされるかもしれない。
冷たい言葉でエリザに問うかもしれない。
罵声を浴びせられるかもしれない。
もしくは、暴力を振るわれるかもしれない。
次々と、エリザの脳裏に未来の光景が思い浮かぶ。何せ相手は、あの魔王すら挑発してのけた勇者。強いのだろうが、その性格はいかなるものなのか。
だが、どれをされても、エリザは受け入れるつもりであった。
その覚悟を、強く持っていたのだ。
故に――。
「あ、いや……えっと、すいません」
頭を下げながらぎゅっと目を瞑ったエリザの耳に届いた、困ったような、その声。
返答ともなっていない返答だが、その声色に、エリザの緊張の糸が切れた。
えっ、と反射的に面を上げ、眼前の零士の顔をまじまじと見つめる。
「とりあえず、今がどういう状況なのか教えてくれませんか?」
頭を掻きつつ、零士が言う。
思っていたどれとも違う反応に、エリザはしばし零士の顔を見つめていたが。
「あ……し、失礼いたしましたっ!」
ややあって赤面し、コホンと一つ誤魔化すように咳をした。
だが、すぐにキリとした眼差しを零士に向け。
「詳しいお話しは、後程必ずさせていただきます。ですのでどうか、彼らの手当てを先とすること、お許し願えないでしょうか。どうか、お願いいたします」
そうしてエリザは、予め伝えようと心の中で決めていた言葉を、零士に伝える。
彼女の目が零士から離れ、今尚床に倒れ伏している者達を映す。
魔王エスティラの襲撃から、国を、エリザを守ろうと立ち向かった城の兵士達。
こうしている間も彼らは冷たい床に横たわり、助けを必要としている。
生かしておいてやった、と魔王エスティラは言っていたが、直ちに手当てをしないと死に至る者がいる可能性も大いに高い。
エリザの目線の動きにつられるように、零士もまた彼らを見やる。
それほど時をおかず、コクリ、と零士が首を縦に振った。
「感謝いたします。では、お部屋をご用意いたしますので、そちらでしばしお休みに――」
それを見て、ここにきて初めて、零士の前でエリザが顔を少し綻ばせた。
もしここで首を横に振られたのなら、エリザはそれに従うしかなかった。従わねば、今度は勇者の力がメーディスへと振るわれるかもしれないからだ。分身であれ、魔王を退けた、その力が。
だが、己の事情を優先せず、兵士達の治療を待ってもらえる。
……お優しい方、かもしれません。
無傷のように見えるが、あの魔王の攻撃をその身に受けたのだ。勇者たる彼にも、休息してもらわなければ。
そう思って部屋に案内しようと、エリザは言いかけた。
だが、その言葉は最後まで言い切られることなく。その表情は、変わることとなる。
「俺も、手伝いますよ」
そんな予想していなかった零士の言葉に、きょとん、とエリザは思わず目をパチクリさせた。