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彼の幽者、疑惑の判定持ちにより  作者: 鷲野高山
一章 幽者、召喚
1/6

一話 魔王襲来

よろしくお願いします。

 絶望的であった。

 これまで幾度も苦境と呼べるものに立たされたことはあったが、今この時に比べれば、それら総てなど生温かったと言わざるをえない。

 それほどの、絶体絶命の危機。


「……フン、所詮はメーディス、大陸一の弱小国か。よもや、ただの戯れ――我が分身の一体だけで、こうも容易く崩れるとは」


 眼前には、死の象徴。まるで、身体の芯から凍らせられるような圧倒的な存在感を放つは、この世界に戦火と混乱を招く元凶たる――魔王。

 しかし、その恐ろしく冷淡で、また無感動な声で当人が告げた通り。彼の者の正体はあくまで分身であり、本体ではない。


 ――つまりは、戯れ。本気とは程遠いということ。


 ……だが、それでも。


「……っ!」


 弱小国(メーディス)の若き女王、エリザは何一つ反論できず。俯き、唇を噛むしかなかった。

 その俯いた視線の先に映るのは、倒れ伏した幾人もの城の兵士や、文官達。


「ぐわぁっ!」

「がぁっ!?」


 魔王の、適当で鬱陶しげな腕のただの一振りにより、今この瞬間もその数はみるみると増し。

 カラン、カラン、と彼らの手にした武具が虚しい音を伴って、城内に響く。

 倒れ伏し、また力無く壁にもたれかかる様は、糸の切れた人形のよう。意識がある者はほとんどおらず、また、なんとか意識を繋ぎとめた者は、しかし立ち上がることはできない。

 実に、呆気なく。やがては、この場において立っている者。それはエリザと――そして、もう一つのみとなった。


「さて。はじめまして、になるな。メーディス(弱小国)の女王、エリザ・メーディス」


 その片方――女王エリザに向けて、大いに余裕を含んだ声が投げかけられる。

 エリザが、目線を上げれば。そこには、コツコツと靴音を響かせ、ゆっくりと近づいてくる、青白い肌をした妖艶な女性。

 その右目は滑らかな紫色の前髪に隠れ。露わとなっている真紅の左目が、エリザを鋭く射抜いていた。


「……魔王、エスティラ」


 対して余裕などあるはずもなく、エリザの口から絞り出されるように、その存在の名が零れる。


 ――それは突然のことであった。


 大陸の、端の端。大陸の中心部からすれば辺境といっても過言ではない場所に位置するメーディスは、大陸のどの国と比べても小さく、そして国力も劣る、誰が見ても明らかな弱小国。

 その、王女であったエリザ。彼女は、病気によって早い死を迎えた先代の王の後を継ぎ、女王となった。


 あまりに若い、新たな王の誕生。その国に住まう者達にとっては不安の一つもあろうものだが、しかし、それほど多いとはいえない家臣や民は、不満や叛意を抱くことなく、エリザを新国王として認めた。

 先代――つまり、エリザの父は、飛び抜けた稀代の名君とはいかないまでも、賢君であった。決して愚昧な暗君や暴君の類ではなかったのだ。

 それ故に暴政はなく、敬うに値する、王族だったのである。その娘たるエリザならば、というのが、国に住まう者達の心境であった。


 もっとも、これでエリザが王として相応しくなければ、批判の波が広がっただろうが。

 しかし女王となったエリザは、己が未熟であることを自覚し、先々代、先代の王に代々仕えてきた重臣達の力を借り。彼らや、国に住まう民もまた、幼少より知る、女王となったエリザに忠誠を尽くし。

 弱小国ながらも、メーディスは平和な国として成り立っていたのだ。

 

 だが、それよりさほどの時をおかずして。世界を脅かす、魔王エスティラの出現。

 それに伴い、以前は戦いといえば大国の小競り合い程度であったが、激化し、各地へ燃え広がった戦火。

 大陸の端にあった小国のメーディスとて、それから逃れることは叶わず。


 しかし大陸の端且つ、小国。特産品や名物といったものもなく――傍から見て、さしたる実がないのが逆に幸いしたのか。

 魔王の軍勢の下っ端、或いは魔王の出現を受けて活発となった魔物などがメーディス()を襲ったものの。それほど多くはない民や兵士の尽力により、なんとか凌ぐことができていた。


 そう、なんとか、凌げていたのだ。

 だから、これからも苦難はあるだろうが、きっとなんとかできるはず、と、エリザはそう思っていた。国の皆で力を合わせれば、なんとか、と、そう。……今までは。


 ――魔王が。魔王エスティラが、メーディスの上空にいる。


 その報せを王城にてエリザが受ける、その時までは。


「……ほぅ、噂に聞いていた通り、若い。そして、想像以上に、中々の美貌だ」 


 足を止め、見定めるようにエリザを見据える、魔王エスティラ。


 辺境の地、加えて国の規模から、メーディスには大きな力を持った魔族や他国が攻めてくることは今までになかった。当然だ。攻め落としたところで、得る物などほとんどない。そんな辺境に、名のある魔族が来ることなど。


「何も無い小国と、つい先程までそう思っていたが……」


 だが、単身で城に攻め込み、眼前で薄ら寒い笑みを浮かべるのは。分身とはいえ――よりにもよって、魔王エスティラなのである。

 近づかれ、対面しただけで、今までに感じたことのない冷たさが、エリザの四肢を、脳を侵していく。

 そして。

 周囲を、王城の床に倒れ伏す兵士達を、つまらなそうに見回していた魔王エスティラの紅の眼が、


「……存外、良い拾い物をしたかもしれぬな」


 真っ直ぐにエリザの碧い瞳へと向かう。

 瞳と瞳が交差した、ただのその一瞬だけで。


「…………」


 エリザは、呑まれた。その、圧倒的な存在感に。息が詰まるような、重圧に。

 一言も、発することができない。立っているだけで辛く、今すぐにでも、膝を屈してしまいたくなる。頭を垂れよ、と本能が囁く。

 そうして、エリザの目線は徐々に地へと降ろされ――降りきることなく、止まった。


 彼女の、視線に入ったもの、それは――自身とエスティラ(魔王)の間にある、床に刻まれた紋様。

 ただの模様ではない、重大にして特別な意味を持った、紋様。


「……良い拾い物、とは?」


 寸での所で、我を取り戻したエリザは、面を上げて静かに問う。

 分身とはいえ、並大抵の者であれば、即座に怯み、屈してしまうであろう、魔王の威圧。それを、彼女は振り払ったのだ。例えそれが、偶然であったとしても。

 そんなエリザの様子に、魔王は微かにフッと笑う。


「分からぬか。貴様のことよ、(エリザ)。弱い人間の男に使い道なぞないが、女には使い道がある。それが若く、美しいともなれば尚更、な」


 だが、振り払ったとて、状況が好転したわけではない。

 いや、むしろ――。


「それに、ただの見かけだけではないようだ。ますます、壊しがいがあるというものではないか」


 妖艶で、しかし残酷な笑み。

 魔王の言葉に、エリザは眉を顰め――そして無意識に、我が身を抱いた。その言葉の意味を、想像して。


「……くっ! エリザ様、お逃げくだ――」

「黙っていろ」


 と、その時最後の気力を振り絞って、魔王に組みつかんとする者がいた。しかし無情にも、魔王のただの一言と共にその剣は、あっさりと弾き飛ばされる。


「フン、生かしておいてやったら、これだ。貴様等雑魚など、すぐに消し去るのも容易いというのに」

「……どういう、ことですか?」

「なに、それほど深い意味はない。力及ばず、敬愛する女王が連れ去られてしまった、という絶望。加え、その女王が魔王の家畜となったという事実を、生きて堪能させてやろう、と思っただけの話だ。どうだ、寛大であろう?」


 魔王エスティラの言葉に、エリザは何も言えず押し黙る。


「が、気が変わった。なにも、全てを生かしておく必要はないのだ。ある程度だけの数だけを生かし、残りは塵一つなく消し去ってやろう。貴様らの国と共にな」

「……何故っ!?」


 どの道、強力な魔族に攻められた時点で既に詰みである。人材も不足している弱小国(メーディス)に、魔王の分身という強大な力を退ける術も、希望もない。

 戯れと言っていたものの、何もせずに魔王が去って行くはずがない。だが、それが自らの身一つで済むのなら。女王として、エリザはそう覚悟していた。

 しかし――。


「言っただろう、気が変わった、と。それ以外に、理由はない」

「私ならば、抵抗せずに従います! ですから……っ!」

「その身に、それほどの価値があると思っているのか? 確かに、良い拾い物はしたと言ったが、それだけだ。別段、絶対に連れ帰りたいわけでもなく――そもそも、従わぬならば、無理に連れて行くだけの話」


 その宣告で、終わりだった。

 交渉の芽など、最初からない。そんな立場では、ないのだ。メーディスは。

 魔王がやると言ったのなら、打つ手はない。


 ……駄目か。駄目、なのか。


 エリザの顔が、俯く。もはやそれしか、できなかった。


 終わろうとしている。

 小さくとも、歴史を重ねた、この国が。父の遺した、この国が。エリザの愛する、この国が。


 泡沫の如く、呆気なく終わろうとして――


「――くそっ、我が国にも、勇者がいれば……」


 そう、誰かが呟いた。


 勇者。それは古より伝わる伝承にして、強力な魔族に対抗しうる異界の者を指す言葉。

 数年前までは、その存在はただの伝説でしかなかった。だが、新たな魔王エスティラが現れ、その脅威を目にした時。

 各国は、伝説に縋った。王家に伝わる儀式を行い、勇者を召喚したのだ。

 ……メーディスを、除いて。


 大陸の国の中で、メーディスだけが、勇者の召喚を行わなかった。いや、行えなかったと言える。

 何故なら、勇者の召喚には、魔法陣と、それに注ぎ込む膨大な魔力が必要だからだ。


 魔法陣は、ある。俯いたエリザの視線の先――先程エリザに意思を取り戻させた、地に描かれたそれ(紋様)だ。

 だが、メーディスは小国。魔法使いがいるにはいるのだが、如何せん数が少なかった。実力のある魔法使いは勿論のこと、その数自体が。

 そのため、魔法陣はあっても、注ぎ込む魔力がなかったのである。


 ゆえに、メーディスには、魔王を退ける術は、人は、ない。メーディスには。

 しかし、同じこと。異界の存在たる勇者を呼べないのであれば、どの道同じことなのだ。


 つまり、無い物ねだり。

 叶うはずのない、届かない願い。この状況を打開する希望に、成り得ない。


 だが、その無意味なはずの一言が――滅亡に進むはずであったメーディスの運命を、確かに変えた。

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