第3話:「降夜」
現代ファンタジー・吸血鬼モノの伝奇ライトノベル。
昼下がり。閑散とした工場地帯の一角を一人の少女が歩いている。
稼動していない廃業した工場は静寂に包まれていて、景観を取り繕うかのように植えられた木々のざわめきと、それに群がるセミの声だけが賑やかだった。表通りは清潔さが保たれているが、工場裏の路地は人の気配がなく雰囲気はゴーストタウンのそれだ。
白と紺の夏の制服に包まれた少女にはおよそ似つかわしくない場所だった。細身の長身にウェストラインとヒップの位置からスタイルのよさがうかがえた。
少女はとある丁字路の前で立ち止まると、ためらわずにその路地の薄闇の中へ飛び込んだ。
何かの部品なのか、ただのガラクタなのか、素性のわからないものが無数に転がっていて足場が悪い。だが、彼女はそれに気に留めず奥へ進んだ。
少し大きめの機材を飛び越えた時、昨夜降った夕立の水溜りに着地してしまった。
すらりと伸びた足を包む紺色のソックスが泥水で濡れる。
「……」
彼女は一端足を止めると、深くため息をついた。
「学校さぼって、何してるんだか」
小さく独り言を漏らすと気を取り直して先を急いだ。しばらく進むと、廃工場に囲まれた小さな広場にでた。壁際にはガラクタが積み上げられていて実際の広さよりも狭く感じる。
そこを根城にしているのか、鴉が大声を上げて侵入者を威嚇した後飛び立っていった。
少女は誰も居ないことを確かめると、広場の中央に進んだ。その場で屈み、地面を確かめる。
数人で踏み荒らした跡がある。彼女は立ち上がって全体を見渡す。
「魔法陣?」
目を凝らすと古ぼけたコンクリートの上に白いチョークのようなもので大きな円とそれに添って記号のような文字のようなものが書き綴られている。
「様式も書き方もめちゃくちゃだけど……わずかに霊気が残ってる」
彼女はそれを声を出さずに言った。魔法陣に気を取られていたのか、彼女はふと近くから人の存在を感じた。彼女ははっとしてその方向を見たが、その方向には誰も居ない。視線をさまよわせる。その視界の一角に黒い影を捉えた。上だ。
彼女は廃工場の壁を見上げた。
黒い十字架がかかっている。
否。十字架ではない。
それは十文字に固定され吊り下げられた人間だった。
初めて少女の顔に感情の色が映る。端正な顔に驚愕の色が浮かぶ。長く美しい黒髪が流れた。
だが、その表情はほとんど続かなかった。わずかに感情を眉の形に残して、冷静さを取り戻す。
逆光に晒されてよく見えないが、目を慣らせばその姿が浮き上がってくる。それはセーラー服の少女だった。愕然とする。今少女が着ている制服とは違う。だが彼女にはそのセーラー服は馴染み深いものだった。
少女は適当な足場を見つけてよじ登り、吊り下げられた死体に近づいた。
わずかに腐臭がする。夏の暑さで腐敗が進んでいるようだった。
通常の少女ならば、死体を見た時点でこの場を逃げ出すだろう。だが、彼女その死体に躊躇なく近づき、ポケットから白い手袋を取り出して両手にはめた。無論、指紋を残さないためである。
死体の制服のポケットをさぐり、生徒手帳を探り当てる。フェイノール女学院。そのキーワードに彼女は小さく舌打ちする。
それは彼女が以前通っていた学園の名前だった。その学園に大した思い入れがあるわけでもない、むしろ好きな空間ではなかった。だが、それでも同窓の死体を目の前にして胸にむかつきを覚えたのは確かだった。
犠牲者は両手両足、そして首をワイヤーで締められて窒息していた。表情は驚愕のままで止まっている。明らかに他殺体だ。
少女は生徒手帳を死体のポケットに戻そうとした。その時一枚のカードが滑り落ちる。それを拾い上げて彼女は眉をひそめた。
それは『エンジェルハイロゥ』の会員証であった。
夏希は土曜を待って新宿を訪れていた。住所と店の名前をメモと照らし合わせて確認をする。場所も店の名前も間違いはない。夏希はここだと確信した。
エンジェルハイロゥのオフ会、『降夜祭』はこの雑居ビルの地下一階にある喫茶店の中で行われるはずだ。
オカルトを中心とし、不可解な現象や逸話で盛り上がるウェブサイト。女子高生を中心に人気を集め、会員となった者がそのオフ会に参加している。
地下に繋がる階段から入り口のしゃれた木製の扉が見える。夏希はそれを眺めて唾を飲んだ。緊張からか喉がカラカラになっていた。ただのオフ会ではない。夏希はそう確信していた。エンジェルハイロゥに関わったと思われる上級生は不可解な自殺で死んだ。あれから数日が経っていたが、校内に流れたうわさでは彼女の遺書はなく、その事件の寸前まで自殺など考えられなかったそうだ。
そして彼女の唯一の友人にして親友、三浦香津美はエンジェルハイロゥに関わっていた。おそらく自殺者が持っていたであろう木偶人形を、香津美も手にしていたのである。
木偶人形、エンジェルハイロゥ、自殺、と言うつながり。そしてその木偶人形を死体の前で臆すことなく拾っていた、おそらく水上鏡子であろう人物も何らかの関わりがあると夏希は考えている。それらが何を意味するのか確かめるため、香津美には黙って彼女はここにきていた。
夏希は純粋に香津美を失いたくはなかった。
もし彼女が何らかの事件に巻き込まれようとしているなら、その前に何とかしたいと思ったのだ。
夏希がまともに会話が出来るのは彼女しかいない。夏希には彼女しかいない。勝手な話だと夏希は思うが、彼女が居なくなってしまうなら、この先世界がなくても同じだと思う。
夏希は自分の心を歪んでいるな、と思った。だが、歪んでいてもそれは自分の中で陽の部分だと思う。
逆に陰の部分、それが夏希がここに来たもう一つの理由だった。
彼女は、あの自殺を見て憧れを抱いていた。
彼女の左手には不似合いな白いリストバンドがある。それは彼女の傷を隠すものだ。彼女は何度か手首を切っていた。
もし、エンジェルハイロゥに関わることで、自殺のきっかけがつかめるなら、と彼女は思っていた。少なくとも関係者に自殺が出ていることは判っている。
夏希は香津美には死んでもらいたくないと思いつつも、自らは死んでしまってもよい、と考えていた。実に身勝手な論理だと思う。彼女はそれを半分自覚していた。
夏希は無意識に左手のリストバンドを右手で握り締めた。
ふと、背後から気配を感じて夏希は振り返った。
そこには背の高い少女が居た。制服は夏希と同じもので、鏡子と同じ色の校章をつけている。同じ学校の上級生だった。そして、彼女は廃工場にいた少女である。
「あなたも『降夜祭』に?」
少女は静かに言った。冷静な声だった。夏の陽光に晒されながらも、それを感じさせない涼しさが表情にあった。
「あ、ええと……」
夏希はしどろもどろになってうつむいた。
「見たところ、うちの学校の子だと思うけど……ゲストの場合は会員の紹介が必要なのよ?」
無論、夏希はゲストだ。
少女はしばらくまごついている夏希を見つめていたが、何も答えない夏希を置いて中に入ろうとした。
「あ、あの!」
夏希が強い口調で彼女を引きとめた。夏希自身がそれに驚いていた。
「どうしても、参加したいんです」
「あなた、ハンドルネームは?」
ハンドルネームとは匿名を名乗れるネット上での仮の名前である。ペンネームやニックネームなどそれに近い。
「ええと……読んでるだけでした」
「ふうん、読んでるだけで参加したいってのも珍しいわね」
少女は訝しげな視線を夏希に向けた。夏希はその視線を受けてまたうつむいてしまった。
「まぁ、いいわ。私と一緒に入る?」
「え?」
夏希は驚いて顔上げた。少女は軽く微笑みながら夏希を見つめている。
「但し、深入りはしないこと。責任もたないから……それから私のハンドルネームはエリー。ま、名前が森川恵理だからそのままだけどね」
少女、恵理は前髪をかきあげると、視線で夏希を誘った。柔らかで長い髪が揺れた。
『降夜祭』の実体はどうということのないただのオカルト好きの集まりだった。
夏希たちと同じような女子高校生が集まり、持ち回りで怪談話や超常現象の体験談などを話している。少数派だが男性も何人か混ざっている。
恵理はトイレに席を立ち、一人では心細い夏希はすぐに彼女の後を追った。
トイレで手を洗っている恵理に夏希は追いつく。
「どうしたの? こういう場所が好きだから、ついてきたんじゃなかったの?」
「あ、あの……」
夏希は視線をさまよわせながら言葉を選びきれずにいた。
恵理は後輩のはっきりとしない態度に小さくため息をつき、細い腰に両手をあてた。これは彼女のちょっとした演技だったのだが、余裕のない夏希には十分効果的だった。
「じゃあ質問を変えるわ。何のためにあなたはここにきたの?」
恵理の表情は変化が少なく、声も抑揚がない。感情が乏しく時として冷たく感じるのは元々彼女の持つ特性だったが、当然夏希がそれを知る由もない。
夏希は肩を震わせた。
部外者も同然の彼女が、エンジェルハイロゥに興味を持ったわけではなく、疑いを持って進入したとなれば、すぐにでも叩き出されるだろう。いや、それですめば御の字だと彼女は思った。彼女は体験上多人数でなじられることの辛さを知っていた。
夏希の沈黙を恵理は見守った。
「私、友達を護りたいんです……」
夏希が次に口を開いた時、彼女の中で覚悟が出来ていた。この状況で恵理に疑われ、ここを追い出されたとしても、別に失うものはない。開き直りという行為が、彼女に歪んだ強さをもたらした。
だが、この場はそれが功を奏す。
「友達を護りたい?」
「エンジェルハイロゥに関わった人で自殺者が出ているのを知っていますか? あと、これは多分、だけど、うちの学校のこの間の自殺者も……そして、私の友達もエンジェルハイロゥに関わって、この間の自殺した人が持ってた、お守りの人形を持ってたんです!」
夏希が涙ぐみながら言う。その声はほとんど叫びのようだった。
恵理は驚いて夏希を見つめた。だが、すぐに我に返って右手の人差し指を唇に当てる仕草をした。
「大きな声で言わないほうがいい。他の人に聞こえたらまずい」
夏希ははっとして右手で口を押さえた。
恵理は神経を尖らせてトイレの外の気配を探ったが、他に足音などはない。
安堵のため息を一つついて、恵理は夏希を見た。夏希もやや落ち着きを取り戻した様子で恵理を見返した。
「私、その友達を失ったら……本当に生きる意味を見失っちゃう……」
「わかったわ……あなたの推理は多分当たりよ。だから、その友達を護らなきゃね」
と、店内から微かに音楽が二人の耳に届いた。夏希は奇妙に思って聞き耳を立てた。
店内にはクラシックのような音楽が流れている。今までは何も流れていなかったはずだ。音楽の知識のない夏希にはこの曲が何の曲なのかまではわからない。
「さて、メインイベントね……じゃ、戻りましょうか」
恵理はトイレのドアノブに手をかけた。その時の表情が少しだけ強張ったのを夏希は見逃さなかった。夏希は生唾を飲み込んだ。緊張に握った両手に汗がにじんでいるのを感じた。
二人がメインのホールに戻ると、ほんの数分前まで騒いでいたはずのメンバーが一斉に眠っていた。夏希はその光景を見て呆然とした。
「どうして? みんな……寝てる?」
夏希は呆然としながらと眠っている一人の少女の近くまで行く。熟睡している時のような寝息を立てながら、その少女は眠っていた。
「森川先輩、これって……」
夏希は振り返って恵理の顔を見た。だが、その恵理の顔も驚きで満ちていた。それは夏希が眠らなかったことにある。
「あなた、この音楽聴いても寝ないのね」
「え? どういうことですか?」
恵理の声に夏希は怪訝そうに訊いた。恵理は少し考えるような顔をしたが、すぐに夏希に近づき囁くような音量で言った。
「この音楽……まだはっきりとは判らないけど、何か催眠術のようなものがかかっているみたいなの。今寝ているこの子達……多分、また同じ夢を見ているんだわ」
「夢?」
「ええ普通、大勢の人が同じ夢を見るなんて考えられる? でも、この音楽が終わってみんなが起き出した後、その夢の内容が同じなの……これをみんな『降夜』と呼んでる。それを理由に自分たちに霊的に特別な力があると信じ込んでるの」
「信じ込んでる?」
夏希は首をかしげた。まだ、彼女は現状を飲み込めていなかった。
「これは催眠よ……普通の人ならそれにかかる。『特別』なのはむしろ私たち。そう考えない? 川村夏希さん」
恵理は緊張を多分に含んだ顔で言った。夏希には彼女の言葉な何を意味するのか、この時点で理解できていなかった。
ただ、この奇妙な光景と恵理の言葉に呆然とするしかなかった。




