Side1 最後の取引
西側より市門を出て、南の丘陵地を南下した。
この辺りは危険視すべき獣・魔物等の類もなく攻撃的と言えるのは、せいぜいがはぐれオーク程度である。
確認した限り、丘陵地もその先の『ティナル水林峡』も高騰している素材等はなく、邪魔が入る事は恐らくないと思えた。
但し問題はそこではない、とガラム・マサラは考える。気を抜けばここで終わってしまうのではないかという想いがあったからこそ、今日まで取引を引き延ばしてきたのだ。
ひと月程前、一通のメッセージが届いた。
この世界のルールでは、同ギルド員やフレンド登録者同士が同じ地方に居る場合に限り、遠距離通話が可能とされている。だが今回は着信音からして普段のそれとは異なっていた。
ーーー弧耽さんより、遠距離メッセージが届きました。
『親愛なるガラム・マサラ殿、突然のメッセで失礼する。こちらは狐耽。【インビジブル】などと称されている者だ。方々を探すのに少々手間取ってしまったが、貴殿の所有する『声色七変化の差し歯』のトレードを申し込みたいが、返答や如何に?トレード品について、こちらはそちらの希望のモノを準備させて頂く次第。よい返事を期待している』
NPC(運営)の管理している『メッセンジャー協会』の遠話法を用いた有料サービスだ。面識のない自分に金を払ってまで介してきたそのメールは、ガラムにとって全く予想外の相手であった。
暗殺者コタン。Aランクプレイヤーを判明しているだけで80名以上は葬ってきたとされる名うての殺し屋である。
その実績を考えれば当人のランクもおそらくはA。下手すればSという可能性もあり得るが、世界で27人しか存在しないバケモノであって欲しくないというのが本音だ。まあ、どちらにしても特級レベルの危険人物に変わりはない。
一応、偽者という事も考えられるが、騙りがバレた時のリスクを考えれば名乗らない方が安全な名前ゆえに本人と思って接するのが妥当であろう。
有名…というより悪名に近い知名度を持つランカーを相手にしなければならない事に、引退する自身としては問題なかった。だが弟子達を思うと慎重にならねばならない。
様々な考えを巡らせつつも、ガラムは返信を返す。このサービスは高額だが、十回まで双方のメッセージを往復出来るのが利点である。
『狐耽殿。内容は確認させて頂きました。差し歯に関して、私個人としては異論が有るわけではない。ですが今月始めより、私事として引退に向けた弟子への引き継ぎを行っている次第。来月位までに引き継ぎを終える方向ではあるが、現状引き継ぎを終えた六名に提示したアーティファクト一覧にご所望品の差し歯も入っている。15という多そうで少ない継承の中、途中で品数を差し換える事は今後先達に続く九名に対しフェアじゃないと私は考えている。不躾ではあるが弟子への継承を終えた末、所望品が残っている様ならば、そちらの意見を主としたトレード方法で改めて取引させて頂きたいかと。返答は如何に?』
相手を怒らせる可能性のある返信を行ったが、ガラムにはこうすべきという拘りがあった。最期に来て曲げる訳にはいかない。
傭兵組合にあてがわれた長屋の中で、ガラムは二振りの愛刀を手元に置いてジッと気を張り巡らせた。コタンからの再返信はない。
相手は間違いなく格上だ。王城の中に匿われた貴族待遇のプレイヤーですら見つけ出して殺してみせる程の奴、組合の長屋など容易く探し当てるだろう。
ガラムはその日、決死の覚悟で日付変更線までその場を動かなかった。
「……」
ピンポーン…
ーーー狐耽さんより、返信が届きました。
『君はどうやら筋の通った男の様だな。期日が遅れるのは本意ではないが、ここはキミの顔を立てておこう。改めて君か、君の弟子からトレードする事にする。ちなみにこちらは確実性を持たせたいので、トレード品はそちらの希望の品で構わない。君自身の望みも聞いておこうか』
これが先月の事である。ガラムはトレード希望として、引退期日を延ばす延命グッズを何でもいいからと言って要求し、今日の日を取引に指定した。
コタンからあった返事では本日の正午にティナル水林峡、滝前の石碑の元という返答があったのみである。
昨日、一昨日と最後の弟子達と語り合い、一先ずエンジョイしている様に安心も出来たし、この先に何が待ち構えていても最早問題はない。何かあれば愛刀の代わりに購入したなまくら二本で戦うのみである。
そんな考えを抱きつつ、いつしか石碑の元まで辿り着く。相手の姿はまだない。
この水林峡という所は、滝から発生する飛沫が霧となり風に乗ってエリア全体に降り頻るという特性を持つ、常緑樹と苔の繁茂する清涼な山林地帯である。けぶる水飛沫と木々を覆う苔の緑、どこまでも続く木漏れ日という三つのコントラストが本当に美しい所だった。本来ならばマイナスイオンを受けながら森林浴に興じ、癒しスポット満喫と洒落込みたい所だが待たせている相手を思うと気も抜けず、この静けさも不気味に映る。
「待ッテイタヨ…」
「!」
突然の声に半歩飛び退く。視認どころか一切気配を感知出来なかった。正に浮き上がってきたかに見えた。
とはいえ、トレードが目的なのだからと防御体勢を解く。
「ヨク来テクレタ、がらむ・まさら。会エテ嬉シイヨ」
感情と抑揚のない、何処か無機質な声が告げる。
「(コイツが、暗殺者コタンか!)……失礼、気配を感じとれなかったもので気付かなかった」
漆黒の夜の如く、深淵の底を切り抜いたかに見える闇色ののっぺりとした全身タイツ?らしきボディースーツを着用した、狐の和面の人物がそこには立っていた。
深緑の森に浮かぶ闇色の身体と無表情の狐面が如何にも不気味であり、死そのものを体現しているかに思える。
「キミガココニイルトイウ事ハ、弟子達ハ『歯』ヲ選ラバナカッタ様ダネ。持ッテ来テクレタンダロウ?約束ノモノ!」
「ああ、勿論だ。ひと月以上待たせて申し訳なかった」
「何ニシテモ重畳ナ事ダヨ。新タニ弟子ヲ探シ、事ヲ構エル手間トりすくが無クテ…キミモ、ワレモ」
やはり、弟子と関わらせないで正解だった様だ。さっさと取引を終えた方が得策と考え、ガラムは『声色七変化の差し歯』を素早く取り出して相手に見せた。
「約束の品だ。手に取って確認を願いたい」
「オオ、デハコチラモ…」
両者はゆっくりと近付き、同時に手渡しを行った。
「これはっ…!!」
「約束ノ品、相違ナイダロウ?鑑定済ミ譲渡ダカラ、偽リモナイ」
「『永久凍土ビオトープ』…レア度Sランク品じゃないか。こっちの差し歯はC…期日もだいぶ待たせてしまったし、空気缶か試薬程度だと考えていた」
「甘ク見テモラッテハ困ル。ワレガとれーどヲ願ッテ顔ヲ出ストイウノハ、カナリ稀有ナコトナンダヨ?コウイウ特別ナ事例ニハダシオシミナドシナイサ」
俗に延命グッズと呼ばれているモノには数種が存在した。この世界では、十日間ログインしないと異世界とのリンクが切れるという設定で『退会』が待っている。
海外出張や体調不良、PCトラブルなどが普通に起こりうる現代人には、こういった救済措置が何かと必要になるのだ。
そこでこういう品がある訳だが、これ等は引退者にも適用される。通常、引退は一番弟子投入時から二ヶ月後に退会となる。ガラムであれば、明後日の0時ジャストが退会刻限だ。
それを延ばす事の出来る品は、種類によって延長効果が違うのだ。内容は以下の通り。
『永久凍土ビオトープ』 3ヶ月に一回のログインで延命。 レア度S
『クマムシの魂』 2.5ヶ月で同上。 レア度A
『フロッグストーン』 2ヶ月で同上。 レア度A
『紅海月のピンバッヂ』 1.5ヶ月で同上。 レア度B
『魚石の輪具』 1ヶ月で同上。 レア度B
『人魚のウロコ』 半月で同上。 レア度C
『蓬来山の空気缶』 七日間延命。 レア度D
『試薬エリクシール』 三日間延命。 レア度E
※上記はアーティファクトとして存在するが、スキルとしては『放浪師範』と呼ばれる隠れNPC達に気に入られると『肺魚の心得』という技の伝授してもらえるとの情報有り。
「こんなレアな物を…いいのか?本当に」
「タマニハ弟子ニ顔デモ見セテヤリタマエ。嫌ナ訳デハナイノダロウ?コノ世界ガ」
「まあな。有り難く使わせてもらうよ」
「コチラコソダ。コチラハ、歯ニ着ケレバ良イノダナ?」
コタンはくるりと回る様に逆向きになり、見えない様にお面をずらして歯を装着したらしかった。こちらを向いた時には、すでに先程までと同じ外見だ。
「『どうかね?』『違う風に』『聴こえて』『いるかい?』」
一言毎に声を変えて見せる。今のは、多分だが四大国の国家元首四人の声ではなかろうか。国民向けの演説を聴いた時の事を思い返して、何となく分かった。
あの差し歯は、装備者が知覚した人物の声を意識一つで真似る能力があるのだ。
「問題なく使えてる。これで取引完了だな?」
ほっとしつつも、平常心を保って踵を返そうとするガラム。
「『ああ、有り難う。ガラム・マサラ!』」
不意に、心の臓を握られたかの如き怖気が走った。今の声は聞き捨てならない。
「今の……今の声。どういうつもりだ、暗殺者コタン!!」
ガラムは、決してするまいと思っていた禁を破り、腰の双刀に手を掛けて臨戦態勢となる。
コタンはそれを見ても動ずる事なく、ガラムを値踏みする様に凝視しながらゆっくりと言った。
「……失礼シタ。貴君ヲ怒ラセルツモリハアラナンダ。シカシ…ト言ウ事ハ、ヤハリアレハ君ノ弟子カネ?」
「(まずい、カマを掛けられたのか…)…彼女を調べていたのか?俺がごねた場合の保険としてかっ!」
「信ジテモラエルカ分カラヌガ…アノ娘ハ一週間前、ワレノ手ノ者ノ近クニすぽーんシタ。東街区の細路地ダ。本当ニ他意ハ無イ。最近メッキリ減ッタ新人ダカラ嫌デモ目ガイクトイウモノダヨ」
「……(コトちゃん…君は初日から、エライのに目を付けられてしまったのだね…何も無ければ良いが…)」
「アノ子ハ面白イナ!フラフラト、街ノ路地ヲ廻ッテ楽シンデイタヨ」
ここまで聞いて、ガラムは体勢を解いた。
「あんたに、頼みがある!」
「ン~?」
「ここに、アーティファクトが五つある。これを譲渡するから、彼女は放っておいてやって欲しい」
「受ケトレナイヨ。キミヲ脅シタツモリモナイシ、依頼ガナイ相手ハ殺ッタリシナイ。ワレニモぽりしーガアル」
「そうか…」
暫し思案を巡らせるガラム。リュックから五つの品を出して抱えると、石碑へと近付いて行った。
「これらは、どっちみち隠居する俺には不要な物だ。この石碑の裏に埋めて置く事にする。アンタが必要なら、後々掘り起こして貰っても構わない。だからと言っては何だが…今後とも、弟子共々アンタとは友好的で在りたい。その担保代わりにして貰えないだろうか?」
「フン…物好キダネ。デモ、マアイイヨ。ソレデオ互イ納得出来ルナラ、ソレモイイサ」
ふと、コタンの気配が希薄になった様に感じた。
「サテ、時間ダ!ソロソロオ暇スルヨ。ワレモイロイロ都合ガアッテネ。デハ…次会ウ迄息災デナ、がらむ・まさら!」
「ああ、さらばだ!」
コタンは現れた時同様、景色に溶け込む様にして姿を消した。こうして、最後の取引は終了を告げのであった……
… … …
◆ガラム・マサラ タト族【ウルフリング】
ヘムロック傭兵組合所属のランク甲(甲乙丙に分けられているらしい)傭兵。二つ名は『弧を描く餓狼』。
魔国領ツヴァルベルン山道の戦いにおいて強奪ギルド『阿鼻叫喚』のリーダー、『烈奪』のバーン・ストライクを討伐して名を上げて以降、各地を転戦しつつ功績を立てる。
傭兵稼業で一戦する度に土地を変え、オフに観光を楽しむのが日課。
チームを組んだりはせずに一匹狼を貫いており、その場その場で組む事となった同僚や相対する敵の戦い方から戦術を学ぶ形で戦闘経験値を積むという独自の修業スタンスを貫いていた。
『月天河』・『雹雲伯』と呼ばれる二振りの曲刀を武器とする。ハレーの継承した『惑乱の湾曲刀』は、熟練するとオプション装備として浮遊しつつ戦闘の補助をしてくれるタイプの予備刀である。