あちらの僕とこちらのじちょー
僕は事故に遭った。幸い命に別条は無かったが、会社の皆にもの凄く心配された。その中でも、僕の上司である次長、通称・じちょーの心配振りは凄かったらしい。食事もまともに喉を通らないくらいだったというのだ。
普段はあまり感情を表には出さないけど、僕のくだらない話まで真剣に聞いてくれる良い人だ。この間は、平行世界の話をしたっけ。まぁ、そんな物存在しないだろうって言われてしまったけどね。
日曜日の午後、じちょーは多忙な日々を送っている為、休日も出勤していると聞いた。だから、僕も何か手伝えることは無いかと会社まで来た。勿論、入社2年目の僕に手伝える事は少ないだろうが。
じちょー、驚くだろうな。
僕はそんな事を考えながら、雑居ビルの6階にある会社の扉を開けた。
実は、事故に遭ってから今日まで僕は会社に来ていない。明日から復帰という事になっている。まぁ、退院自体は昨日だったから、今日来ても体には何の支障も無いはずだ。ただ、少し後頭部が痛む。事故に遭った時にぶつけたところが痛むのだろう。
僕がオフィスに入ると、小ぢんまりとしたオフィスの窓際のデスクで、私服姿のじちょーがパソコンと向き合っていた。そして、僕に気付くと目を丸くした。
「お、おい、浪川・・・」
「お久しぶりです、じちょー。ご心配おかけしました」
僕がそう言って笑顔を見せると、じちょーは少し間を置いてから短く、「ああ」と言った。
「じちょーが、忙しくしてるかなぁって思って手伝いに来たんです。何か出来る事あります?」
僕がいつも通りにこにこしながら言うと、じちょーはそっぽを向いて、それでも嬉しそうに「今のところは何も無い」と言った。
全く、40歳過ぎてるのに、何でこんなに素直じゃ無いんだろ?
まぁ、良いや。何か仕事が回って来るまでデスクの整理でもするか。
僕は自分のデスクの椅子に座って、デスクを漁り始める。相変わらず、デスクの整理整頓は下手くそなんだな、僕。机の引き出しのあちこちにクリアファイルが入ってるし、クリアファイルの中身の統一感が無い。おまけに、ペンもペンたてに入ってる物とか、デスクのペン置きに入ってる物とかバラバラ。こんなんでよく仕事が出来てるな。感心しちゃうよ。
僕がデスクの整理をし始めてからは沈黙が続いた。ただただ、デスクを整理するごちゃごちゃした音と、じちょーがパソコンのキーボードを叩く音だけが聞こえた。
時計が0時を指す頃、じちょーが口を開いた。
「お腹すいた」
大きい独り言だ。
「何か食べます?」
僕が聞くと、じちょーはしばらく考え込んだ。僕もお腹すいたしな、何か買おう。そう考えていると、じちょーが顔を上げた。
「そういえば、マイクハンバーガーでハンバーガーのセットが安いんだ」
マイクハンバーガーとは、巷で人気急上昇中のハンバーガーショップで、この会社の近所にもつい最近オープンしたらしく、今日ここに来る時に見かけた。オープン記念なのか、ハンバーガーのセットを安く販売している。
「僕もそこのハンバーガー、食べてみたいです!買って来ますね」
「頼んだ」
僕はオフィスを出てエレベーターで1階におり、裏口の自動ドアを通って外へ出た。外は曇っている為、昼だというのに薄暗く、また、蒸し暑い。雨が降りそうだ。
僕は急ぎ足でマイクハンバーガーへ向かった。5分もかからないうちに着いたは良いものの、あまりの人気に20分近く待たされた。これじゃ、ファーストフードじゃないじゃないかと、心の中で文句を言いながらオフィスに戻った。
じちょーは相変わらず、パソコンと睨めっこしていた。僕がハンバーガーを買って来たことを言うと、すぐにその手を止めた。よほどお腹がすいていたのだろう。
僕とじちょーはオフィスの一角にある食事スペースでまだ温かいハンバーガーを広げた。じちょーはオーソドックスなハンバーガー、僕は魚のフライが挟まったハンバーガーを選んだ。今時どこに行ってもこの魚のフライが挟まったハンバーガーは置いてあるなぁ。
「魚、平気なのか?」
ハンバーガーを頬張る僕をじちょーは不思議そうに見た。
「え?平気ですよ?」
「そうか。浪川はチキンのイメージがあったから。事故で味覚が変わったのかもな」
じちょーはそう言って自分のハンバーガーを頬張った。
またしばらくの沈黙。別に気まずさを帯びた沈黙では無かった。心地良い、沈黙。
「・・・お前は、浪川じゃ無いな」
不意に、じちょーが沈黙を破った。唐突すぎる発言に、僕は危うくコーラを吹きそうになる。
「ちょっ、何言って・・・」
僕は否定しようとしたが、途中で言葉に詰まってしまった。
じちょーが、泣いていたから。
普段は感情を表に出さない人なのに泣くなんて。僕の事を本気で心配して、食事も喉を通らなかったのは案外本当なのかもしれない。
「浪川は、新鮮な魚しか食べれない。基本はチキンしか食べないやつだ。それに、結婚してない」
じちょーは、僕の左手の薬指を指差した。
「それから、浪川はコーラは飲まない」
あは。どこまでも部下の事はお見通しなんですね。
「・・・この世界に平行世界が存在する事、じちょーは信じますか?」
「つい最近浪川が話してたな。俺はそういう類は信じないタチだ」
「でも、平行世界は現に存在します。僕は事故に遭いましたが、事故に遭わなかった僕も存在します。僕はじちょーの部下ですが、じちょーの部下でない僕も存在します」
所謂、パラレルワールド。
「時々、平行世界ーこちら側とあちら側が交わってしまう時があるんです。同一の世界に、同一の人物が存在してしまうんです。原因は分かりませんが。恐らく、ドッペルゲンガーの噂も平行世界が交わった時に偶然同一人物が出会ってしまい、生まれた都市伝説でしょうね。かなり着色されてますが」
じちょーは黙って聞いていた。
「じちょーの知る浪川は、丁度平行世界が交わった瞬間に遭遇してしまった。そして、不運にも、僕は車の目の前に現れてしまった。浪川は僕を助ける為に、事故に遭ったんです」
じちょーは、溜息を吐いた。
「平行世界が交わったら、同じ人物がたくさん存在する事になるじゃないか」
「そこは神様のさじ加減が働いてるのか、交わってしまう人はごく僅かなんです」
「曖昧だな」
「世界には曖昧が溢れてますから」
僕は苦笑いを浮かべた。
「こちら側の僕は、大型トラックに轢かれて植物状態になってしまったんですよね」
「・・・ああ」
じちょーの声は震えていた。
「こちら側の僕はもう目が覚めないんですよね」
「医者が言うにはな」
「・・・僕は、あちら側の世界の人間で、じちょーの部下ではない僕なんです。だから、正直、ここに来る事もためらいました。貴方を知らないから。でも、昨日こちら側の僕の病室で肩を落とし、泣いているじちょーを見てしまいました」
本当に悲しい背中だった。
じちょーの事を何一つ知らないけど、こちら側の僕を可愛がってくれていたことぐらいは分かった。
「じちょー。こちら側の僕はもう目が覚めないかもしれないです。でも、こちら側じゃない、何処かでは、事故に遭わなかった僕が、じちょーの部下じゃない僕が、チキンを食べれない僕が、色んな僕がいるんです」
僕は、それを伝えたかった。
じちょーは、きょとんとしながら僕を見ていたが、すぐにクスッと笑った。
「なるほど。俺の知らないところで浪川は生きてるって事か」
「そうです。だから、そんなに悲しい顔しないで下さい」
じちょーは優しく微笑んでいた。
「あ、そろそろあちら側へ帰る時間みたいです」
「分かるのか?」
「男の勘ってやつです!」
いたずらに笑うと、じちょーはニヤリと笑った。
「こちら側でもあちら側でも、その口癖は変わらないんだな。そんなんだから、仕事が上達しないんだよ」
そう言いながら、じちょーは僕にデコピンした。
「いった〜。これでも僕は出世街道真っしぐらなんですよ!」
「ほう?こちら側の浪川じゃ、考えられないな」
じちょーは上機嫌で笑った。
こちら側の僕は、本当に愛されてるんだね。
じちょー、なんだかんだで、こちら側の僕のことを話す時は感情が豊かじゃないか。
「本当に時間みたいです。ほら、体が透けて来た」
僕が顔の前に手をかざすと、じちょーが透けて見えた。
「この場所は平行世界でも変わらずこのオフィスなので、僕は外に出ます」
僕は立ち上がり、入り口まで駆けた。
入り口で立ち止まり、振り返るとじちょーが「ありがとな、元気出たぞ」と、言ってくれた。
僕は軽く会釈して、外へ出た。気が付けば、僕の知る世界へと戻っていて、ケータイには不在着信が入っていた。
液晶は、僕の上司の名前を映し出していた。勿論、じちょーの名前ではない。でも、どんな僕であれ僕は僕だ。同じ瞬間、違う選択をした僕が、違う世界を生きている。何処かの世界の僕がいなくなっても、何処かの世界の僕は生きている。たとえ、交わる事が皆無に等しいとしても。
あとがきです。
3作品目ですが、かなり短く、3時間くらいで仕上げた作品です。
友達とのLINEで思いつきました。
相変わらず読みにくいですが、最後まで読んで頂きありがとうございます!
では、またお目にかかれることを楽しみにしています。
260825 鹿糸




