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薄水/砂庭

作者: 伊木

「薄水」


 少し酔いを醒ましたいのなら、空中庭園へ行くといい。

 それは心踊るディナーも佳境を過ぎた頃、珍しく上機嫌に顔を赤くした侯爵が僕に言った言葉だった。こんな何もかも上級な浮遊島で気が引けた僕は断りかけたのだけれど、ずいぶん素晴らしい庭なのだと自慢でもなんでもなく心から恍然とする侯爵を見て、いつのまにかその気になり、気付けば外を歩いていた。

 南口からまっすぐ、まっすぐに。

 教えられた通りを唱えて一人、見晴らしのいい敷地を歩いた。雲は普段より近くに見えて。古代のように大きな満月は形をくっきり照らして、疲れるという言葉も浮かばないほどに辿り着いた陸の端に、ガラスの螺旋階段を見つけた。ここから庭園に繋がっているという。僕は手すりに掴まって、慎重に上っていった。足元のおぼつかないほろ酔いだ。本当に、もし仮にここから落ちたとしたら、不機嫌な夜勤空域警備員に嫌というほどお世話になるだろう。

 好物の塗料に引き寄せられたに違いない、漂う雲蛍にかわるがわる照らされる。遠くから澄んだ音が聞こえる。薄ぼんやりしたレモン色を頼りに、僕は夜の真ん中、ガラスの螺旋を上る。何度回ったのか丁度分からなくなった頃、視界が開けて最上段の陸へと辿り着いていた。

 目を上げると、そこは半円形の、紛れも無く空中庭園だった。短い草が生え、左右に星の樹。風が通り、木の葉があの鈴のような音を鳴らし、正面遠く、遥か眼下に街明かりが見えて、僕は少しの間立ちつくしていたのだった。

「Well,well,well. what a surprise. Good evening?」

 そして、耳触りのいい声と共に、ぱしゃんと水音が響いた。動機で心臓が跳ねる。水も跳ねる。

 水音。目を凝らした。ああ、そうだ、確かに庭の中央に鏡みたいな薄い水面が広がっていて、広くも狭くもない、その中央辺り、映った満月の隣に声の主である人魚が浮いていた。

 エメラルド色に艶めく黒髪はくせがあって、肩に届くかそのくらい、澄んだ深緑のブラウスからのぞく肌は蒼白に陶器のようで、翡翠に似た瞳がこちらを向いて。

 侯爵も言ってなかったのだし、こんなところで人魚に出会うなんて思いもしなかった僕は数秒口をあけたまま、やっと返事をする始末だった。だってここは空の上なのだ。海域じゃない。どうにしても、ずいぶんからかわれていたかもしれない。

「──ええと、こんばんは。僕も珍しいけど、あなたもずいぶん」

「Nein, 本当に珍しいのはこの場所だけじゃございませんか……?」

 言語達者な人魚は薄っすら唇を動かした。それからとぷんと水に潜ると、水中を滑り、左手の浅い岸にふたたび姿をみせた。肌に張り付く黒髪から水が垂れ、涙のように波紋が揺れる。さっきとほぼ変わらぬ距離感で、人魚は髪をかきあげた。

「侯爵のお客さん?」

 酔いは醒めるだろうか。頭の中はきれいになるけれど。僕は彼女と夜空をぼんやり視界に映し、

「ええ、あなたは人魚姫?」と思ったことを言っていた。

「surrealisme……!」

 人魚は尾びれをぴしゃりと動かして、星の樹の葉と一緒に笑った。僕はきょとんとしてから三秒、ようやく頭を掻いた。人魚姫、人魚姫か。思い浮かべたのは絵本の方だ。実際の彼女は先日、アトランティスのポセイドニア宮殿で、誕生パーティーを行ったばかりだった。

 エメラルドの人魚は月光に半身を照らされ愉快そうに瞳を瞬かせて、

「私はここにつれられて住んでる普通の人魚。それどころか不潔でひどい屑街生まれ。狭くて寝場所にも苦労したくらいだけど、今じゃ人魚姫様も見たことあるくらい」

 Do you know why? (なぜだかわかる?)と彼女は聞いた。僕は首を捻って考えたけれど、あまりに知識が乏しくて、どうにもだめなようだった。空域ならだいぶ分かるのに。人魚は雲蛍を手首に乗せて、光の点滅を眺めつつ、そのついでのように教えてくれた。

「舞妓だったから。ダンサー、踊り子。有名な団体に入ってたわけ。まあ──つまり才能があったの。努力出来るっていう、才能」

「へえ」

 意外だ、と続けたのは、純粋に、静止したたたずまいが随分絵になっていたからだった。けれど。思いは闇に遮られて、彼女は暗い中ぱっと雲蛍を放ち、目を細めてきらりと一瞥をくれた。仕草が言葉になって表れる。

「So monsieur, 失礼という言葉をご存知では?」

 そうじゃないよ。そう声を発するより前に、人魚は水中に消えていた。波を立てることなく鳥のように移動する影に、僕は岸まで吸い寄せられた。鋭利でいてそう感じることを許さず、優雅だったのだ。


 浅く短い草の沈む水溜り、光合成の泡。

 微かな光の筋を掻き消して、銀蒼の鱗が水面を破る。

 現れた上半身がしなやかに乾いた空気を混ぜ、髪や、伸ばされた腕が月光に鈍く煌めいた。

 洗練された動きで危うくナイフのように舞いながら、月に焦がれるように何度か頭上を見上げていた彼女は、何度目かに潜った後不意に勢いをつけて上へと飛んだ。

 頂点で弧を描いた姿も、ブラウスから覗いた青磁のような肌も、散った水飛沫も、夜空を映した水面も。

 一瞬だった。

 星の瞬きのような音だけが辺りを満たして、それをやがて激しい水音が掻き消して。僕はいつの間にか遥か向こうの地上で、一つの小さな街明かりが消えるのを見ていた。


「別にいいのだけど、信じて貰えた?」

「うん……こんな目の前で。けれど、余計、夢みたいで」

「夢なんて……馬鹿馬鹿しい。世界一嫌いな言葉。実在しない上に、結局は消えてしまうって、情趣もないね」

 拍手も忘れてひどく感動していた僕は、彼女の物憂げな声音に微かに首を傾げた。と思ったら、エメラルドの人魚はゆっくりこちらへ泳いできて、僕の足元に顔を出した。

 水飛沫がかかる。嘘のように近い距離。現実と幻想の混同に伴った軽い眩暈。僕は操られるように、薄い水辺に跪いた。

 人魚は、その冷やりとした手で僕の右手を取った。

 そのまま、そっと自分の喉元に僕の手の甲を触れさせた。

 I am here. こちらを見上げる口元が、そう動いた。I do not understand the meaning that I am here. 

 僕にもわからない。

 でも、いいよ。

 血が、弱くとくんとくんと流れる感触が、僕の全身に伝わった。そのすべらかな肌の冷たい体温も。

 人魚は僕の手の甲に舌を這わせた。ぬるく、ぬめった舌と、触れた柔らかな唇の感触は、彼女が岸を離れて仰向けに泳ぐ間に失われていった。

 空を飛んでみたかったと、人魚は言った。

 その声は悲しげだった。

 僕の目の前に広がる澄んだ水面は、黒い鏡になって光と木々と夜空を宿す。不確かなものと確かなもの。その差はなんだろうか。手を組んで目を閉じた人魚は、まるで空を飛んでいるように────



「砂庭」


 ブティックと呼ばれる豪華浮巡船に拾われる少し前から、私は死んでいる。死んだ。いや、生きてない。いきていない? 

 人魚は空中庭園のぬるい水の中で考える。それは死んだということだろうか? 死んでいることを証明するなら、生きていることを否定すればいいのか。わからない。でもそうだ、正しい限りなく正しい私はいきていない。

 海域──あの、故郷。自由で広大な、生まれ育った場所だった。それなのに結局最後にはごつごつした見捨てられた土地splinteryreefの岩に隠れてしがみついて呼吸をするだけしかできなかった場所。水面上の岩は熱かった。焼けるようだったし、実際肌が焦げかけていたかもしれない。焼けながら、エメラルドの人魚は砂の海のことを考えていた。おとぎ話か伝説か実在するのか思い出せないのだが、砂の海には町がある。全部砂で出来ていて、生き物も砂で出来ていて、動くたびに崩れていき、動かなくても少しずつ崩れていく。そこに迷い込んだら、何でも砂になる。雨が降ると、町人は建物の中で自分を創りかえるのだという。人魚はその場所に行きたいと思った。誰か連れていって。誰か。どうか、砂にしてくれないでしょうか。この死体を運んで。いいから、わたしを崩して造り替えろ。痛い、熱い、背中の皮膚を剥がされて絶えず撫でられているように冷たい痛い苦しい。

 気が付くと雨が降っていた。

 海が揺れているのを感じた。飛沫が、雨が火が沁みこむように体にかかり、それを認識した途端に失神しそうになった。涙と悲鳴が漏れた。身体を岩肌に擦り付けた。動けるならのた打ち回りたかった。頭痛と著しい口渇感、それを打ち消すような灼熱感、しかし、その痛みも鈍く──

「どうしたんだ、こんな所で」

 声がした。

 雨か。反射的に分泌された涙か何かつかないもののせいで、はじめ何も見えなかった。見えるようになって、足を認識して、人間だと分かった。どうしてこんな場所に生き物がいるのかなんて、そんなことはどうでもよかった。頼みたかった。限界だった、もう無理だった。早く。殺して。

 エメラルドの人魚は声を絞り出した。


「この間、お客の前で舞踊を披露したと、聞いたよ」

「そう、だったでしょうか。よく覚えておりません」

「そうか……そうなのか。いや、すまない、決して咎めているわけではなくて。ただ、思い出しただけなんだ。見事だったと言っていたし、とても褒めていたよ。私には、わからないのだが」

「どう、でしょうか。わかりませんね……」

 風の吹きぬける空中庭園で、エメラルドの人魚は半分沈んだまま遠くに留まったまま答える。近くには来ない。向こうから話しかけてくることは無い。侯爵はいつものように人魚から外国語を学ぶ。彼女は淡々と丁寧に必要なことだけを教授する。星の樹の音と彼女の声が心地よいと思ったのがいつからだったのか、よく思い出せない。

 エメラルドの人魚が海域から空中庭園へ来てから、考えた結果、外国語の教師として雇うことにした。人魚から異論は無かった。そもそも今まで彼女が異論を唱えたことは無い。給金を払うというときに、はじめて少しだけ揉めた。

「お金は……結構です、特に、使いませんので」

「しかし、こうして授業を受けているのに、それでは公平ではないよ。君が要らないというのなら、無理に押し付けるわけにはいかないのだが。どうすればいいのか、よくわからない。かわりに、何か必要なものはないのかな」

「さあ……特に。思いついたときに、お知らせします」

 人魚はそう言ったまま、特に何も要求しようとしなかったが、何度も打診し申し出をするうちに、困ったように言った。公正なつもりなのに、困らせてしまうことが申し訳なかった。彼女の要求は星の樹だった。すぐに職人を呼んで移植させたところ、人魚は驚き呆れた。

「こんな、立派なものをたくさん……あの、鉢に収まるくらいでよかったのですけれど……」

 そうだったのか。余計なことをしたのか。馬鹿な常識知らずの資産持ちだと、彼女は思っただろうと考えると、ひどく恥ずかしかった。いつも彼女の考えることを理解してやれないと感じる。今までそんな必要がなかった。

 覚えているだろうか。侯爵は回想を打ち消し、授業後の沈黙の後に言った。

「何を、ですか」

「海域で、君がはじめに言ったことだよ。やはり、勘違いだったかもしれない。的外れだったような気がする。そうだったら、とても申し訳ないことをしたと思う。謝りたい」

「……何のことでしょうか」

 人魚は怪訝な顔をする。本当に覚えていないのかもしれなかった。初めて会った時、彼女は火傷や脱水症状で知覚鈍麻さえあって衰弱していた。うわ言が意識に残っていなくてもおかしくはない。そうだとしたら、一体どう思っているのか、見当もつかない。途方にくれる。息苦しかった。

「いや、なんでもない……ところで、もし海域に戻りたくなったら言ってほしい。いつでも、準備はできているから」

 彼女の唇が動く瞬間に心が揺れる。そしていつも、同じ答えに安堵を感じる。どうしてだろう。

「い、え……別に、まだ何も。考えておきます」

 侯爵は水辺に近寄ろうとして思い留まる。言葉を飲み込む。その場を立ち去り、ガラスの螺旋階段を下りる。

 彼は人魚の名前を知らなかった。


 侯爵と偶にやってくる彼の客以外に、頻繁に空中庭園を訪れるものがいる。それは怠惰な鳥人の空域警備員であった。

 陽気のさっぱりして気持ちのよい午後、ゆるりと円を描くように水面すれすれを滑空し、水辺に着陸する。

「やれ、ずっと飛んでいると死にそうになるよ。いくら羽根があるからって飛び続けていられると思うのかねえ。しょっちゅう監視室から追い出すなんて、どうかしてる。人間だって歩き続けられないし、君だって泳ぎ続けられないだろ?」

「そうだとしても、あなたはさぼり過ぎに違いないと思うね」

「短距離ランナーなんだ。向いてないんだ。疲れるんだ。構造的に運命的に全体的に」

「似合わない表現ではない? 大げさ過ぎる。Und,Ich habe kein Interesse daran.」

「なんだって?」

 まだ自分と同じくらい若い鳥人の青年は、乱雑に赤茶色の羽根をたたみながら聞き返した。細かい毛が風に乗って、水面にも群生する草花の上にも舞い積もる。紺と白のバランスよい機能的な制服を身に付けているが、そんなに勉強熱心ではないのだ。赤毛の鳥人をからかうのは、人魚の小さな趣味だった。

「それに、そんなことどうでもよいって言っただけ」

「はーなるほどね。じゃなくてひどいね。君だって暇だろうから遊びに来てるのにさ」

「ありがとう。仕事中に言う台詞ではないとしたら」

「やれ……。そうだところで、侯爵とはどうなんだい? うまくいってるのかな」

「別に……義務は果たしてるからいいのじゃない?」

「そういうことじゃなくて、ほら、その。侯爵はもっと仲良くなりたいと思ってるんじゃないかって。だろ? 違うかな?」

 鳥人は口ごもり気味に確認してくる。エメラルドの人魚は自分が彼を睨んでいたかもしれないと思って、苦笑して見せた。

「私に聞いてどうするの。知らない。そんなことは……そうじゃない方がいいと思うくらい。全く馬鹿馬鹿しいね」

「どうしてそんな言い方するんだ」

「必要以上に構ってもらいたくないから侯爵のことが嫌い。そういうの、鬱陶しいもの。別にただそれだけ」

 人魚は一度水に潜って身体を湿らせ、岸辺に座っている青年にわざと飛沫をかけるように陸に身体を寄せた。彼は憮然とした。そんな仕草は子どものようで、彼の職業的身分が不思議に思われる一瞬。

「それって、もう何にもしたくないってこと? それとも海域の一流舞踏団Coralのダンサーだったエメラルドの人魚は、勝手に海域のお偉いさんに恋されて、勝手に逆恨みされて、君が貧しい身分だったことを足がかりにあることないこと言われて、貶められ追い出されたから、絶望して狂ったのかな」

「……そう思う?」

 エメラルドの人魚は小さな声で呟き、鳥人を射抜くように仰ぎ見た。逆光だった。

「そうじゃないの。たぶん、エメラルドの人魚は生きていないから。侯爵に拾われるときに棘暗礁地帯で死んだ」

「なんだって?」

「死に掛けてあんまり苦しかったから、私は侯爵に“殺して”って頼んだんだと思う。それだけではないけど、今の状態がよくわからない。“I do not understand the meaning that I am here.”」

 鳥人の青年はそれを聞いて黙った。短い草の上に落ちていた星の樹の葉を掴んで水の中に投げ込みながら、しきりに言葉を探しているようだった。

「あのさ、侯爵は外国語が苦手だし、人と積極的に関わったりしない人だよ。っていうか、こういうこと言ってる俺も鬱陶しいかな」

 エメラルドの人魚は考えて、笑った。

「別に。例えあなたが正直過ぎたとしても、私鳥は好きだから」

「なんだかねえ。よく分からないよ。俺は獣でも魚でも鳥だろうが何でもいいと思うけどさ」

 赤毛の青年はちょっとほっとしたように、照れたように言って、羽根を広げた。


 人魚は見捨てられた土地splinteryreefの岩の上で死に掛けていた。

 どこかぼんやりして切迫した痛みと乾きだった。雨、そう雨も降っている。海が荒れていた。

 その中で、誰かに声をかけられた。

 殺して欲しいと思った。

 そう言おうとした。エメラルドの人魚は声を絞り出した。

「た、す……たすけ、て」

「─────」

 目が覚めた。辺りが暗く、雲蛍の点滅が見えた。夜だ。寒くて意識が朦朧としていた。おかしい、ここは空中庭園、そうだ夢を見ていた、どこで? 陸に上がったままの状態で。馬鹿だ。最後に海にいた苦しい夢を見たのは偶然ではない。実際に苦しい、肌が乾いて焼けるようで、

「く……」

「──どうしたんだ……! 大丈夫か?」

 たすけて。

 星の木の葉の上でエメラルドの人魚はうめいた。その途中で気付いた。思い出した。肌が焼ける感触が思い出させたのかもしれなかった。ばしゃんと音がして、侯爵が水で湿らせた自分のコートを体に巻き、丁寧に水に戻す。人魚は水中に沈みこんで咳き込んだ。Haute coutureのコートが広がって海草のように揺らめいた。望んでいた水分だけれど、細胞が死んだのか、急に触れ過ぎて痛みを感じた。乾いて冷えた肌ががさがさと鳥肌を立て、みっともない醜い炎症になっている。その間に侯爵は浮遊島の屋敷から医者を呼んでいた。

「まったくねえ。子どもじゃあるまいし」

「ごめんなさい。日光浴してただけなのに、肌が強くないから……」

 やってきた老齢の鳥人医は、呼び出されて随分と眠そうな顔をしていた。

 そして、どうやらそこまでひどいこともなくて、薬を塗られて、液体を飲みこんで散々注意されたら終わりだった。後に侯爵が残って、気まずい沈黙が少しの間あった。

「その、よかった……たいした事態にならずにすんだ。何か、至らない所が」人魚は遮った。

「教えて欲しいことが。あるんです。……私は、はじめてお会いしたときに、助けてほしいと、言ったんですね」

「──うん。そうだ、そのあと」

 人魚は海域から助け出された直後ブティックの船内医務室で治療中、うなされてうわ言を繰り返した。


 砂の海に連れて行って。 砂の町に。 どうか。

 砂の町? そこに何があるんだろうか。

 砂。 雨が降って、皆自分を創りかえることが、出来る。 わたしも、

 つくりかえる? そして? 


 そして、わたしは    

   

   鳥に。 なりたかった、飛びたかった、そらを。ずっと。



「……だから、私を、この場所に……」

「うん。ずっと考えていた。迷惑だったかもしれないと」

 空中庭園。空に一番近い海。

 エメラルドの人魚は侯爵を見た。夜なのでよく見えなかった。答えた。

「わかりません……私は、ただ、自分がここに居る意味を……考えているだけだったんです」

「そうか……そうだったのか。私は、君の考えていることを知りたかったのに、知っていることもあったのか。いや……すまない」

 侯爵がそう言って背を向ける。さらさらと、星の樹がこの小さな世界から他の音を消した。 遠くの町明かりが消えた。もう何も聞こえないんじゃないかと人魚は思った。

 なぜなら人魚は、身勝手な言葉をいくつも聞いたと思っていたから。

 けれどそうじゃない。そうじゃなかった。砂の町では作り変えられるだけではなくて、崩れていくのだ。ただ、悲しいと思っていたことだけがあった。不意に涙が出た。

 そのとき、滲んだ庭で侯爵が振り返った。それは困ったような、緊張した声だった。

 もしよかったら、どうか、君の名前を教えてくれないだろうか────?









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[一言] どうも。評価をいただいたお礼も兼ねて、読みに来ました。上宮です。 まず読んでみて感じたのが、言葉遣いの独特さといいますか、表現の卓越さといいますか、一語一語がこの話の個性を高めているように思…
[一言] タイトルに惹かれて読ませていただきました。 えっと、すみません。いきなりなんですが正直このお話、1割も理解できたのか自信がありません。ですが別の意味でひどく感動しました! 独特な言葉選び…
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