八歩目【奮起】
ごく短めです。
「このままじゃいられない」
無惨に、惨めに、情けなく、どうしようもなく、無様に負けた、その日の昼。飛鳥、冷人、燃児らと四人で昼食を摂りながら、書文は言った。
口の中をあちこち切っているせいでろくにものが食べられない。氷でぬるくした中華粥を少しずつ啜る書文に、冷人が答えた。
「このまま、ってのは、どのままだ?」
カツ丼を頬張る口元は皮肉気に笑んでいて、書文の言いたいことはすでに分かっているようだ。
しかし、分かっているのは飛鳥、燃児のふたりも同じ。書文の今の心境は、多くの武術家が第一歩より前に、ハイハイ同然に経験するものなのだから。
かき揚げそばのかき揚げをかじった燃児は、そんな冷人を軽く嗜めるように言う。
「そう言ってやるな。初の大敗でこの立直りの早さ。心意気なら充分だろう」
オムライスをパクついていた飛鳥が口の端にケチャップを付けながら応じた。
「そうだよ。意識表明はしたんだし、ここはひとつ、あたしたちで書文くんの修業をサポートしたろーじゃん」
天道武校の食堂での会話だ。
書文が大敗した位分けの試合も全生徒が終了し、本日の学校の全行程が終了した。現在時刻は十一時半。残りの半日は食事と各自の自由時間に割り振られた。自由時間と言っても、生徒の大半が寮に入るここではその時間は荷解きに費やされることになるが。
書文も冷人も燃児も飛鳥も、学校の寮に入る。だから当然荷解きの手間はあるのだ。
「荷物が片付け終わってからで勿論いい。皆に、先輩である皆に、僕を鍛えてほしい」
顔を殴られ、歯は折れ口はズタズタ。鼻血はついさっき止まったばかりだし、唇の端には血の滲んだ絆創膏が張ってある。服の下は痣だらけで、擦って出来た傷も多い。
ただ一方的に殴られただけの、みっともない負け犬は、しかしそれでも尚吠えた。
「負けっぱなしじゃいられない。僕は、強くなりたい」
書文は、生まれて初めて、強くなりたいと思った。
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怪我の具合で、書文は最低一週間、試合を禁止されている。しかし修業はその限りではない。靠功や排打功など、体に強い衝撃を与えるものでなければ、という条件付きで許可されている。
試合が解禁されるまでの一週間。それまでは飛び出したい衝動をグッと堪え、書文は立ち回りを徹底的に鍛えるつもりでいた。移動や立ちのもたつき、これは間違いなく、敗北の大きな要因になっている。
食事を終えた書文は学校の寮、自分に与えられた一室にいた。皆が荷解きをしている間、着替えなどの最低限だけを済ませるつもりだ。
天道武校の寮は基本的に一人一室、個室である。
人に練習を見られたくない、自分で編み出した練習を人に知られたくない、同室の人間に気兼ねせずに練習したい。そういった声に応えた結果だ。
生徒数の都合でそう広い部屋にはできないが、机もベッドも足に車輪がついた可動式で、壁のへこみに収まるという仕様。このお陰で一室のほぼ全てを修業スペースにあてられる素敵設計になっている。
壁も床も天井も、音や衝撃に備えた素材・設計ではあるが、それでも完璧な防音は出来ていないため、書文の部屋は一階に割り振られた。震脚をするからだ。
一階の住人は主に空手や柔道が占める。踏み込みや受け身の音、衝撃が階下の住人に迷惑を与えないように、という配慮だ。完全に無音で練習できる人間などいるわけもないが、そこは各教士の主観で決まる。
書文、冷人、燃児は三人共に一階。それも三連で隣となった。
「・・・・・・よし」
衣類を纏めていたダンボールから手早く目当ての服を引っ張り出し、着ていた服をベッドに投げ出して着替える。書文が昔から稽古のときに着ていた服だ。
といっても、別に特別な装いではなく、ただのジャージだ。
汗を拭くタオルを首にかけ、靴を履き替えて気持ちも一転、書文は廊下へ出ていった。
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廊下では、既に準備を終えた冷人と燃児の二人が立っていた。冷人は空手の胴着、燃児は袴を履いている。
「お、来たな」
「ごめん、お待たせ」
「大して待ってない。それより、早く道場へ行こう。飛鳥を待たせては悪い」
「なんでオメーが仕切ってんだよ」
「お前が俺よりもたついていたからだ」
「あぁ?」
「ほらほら二人とも、早く行こうよ」
一同が向かう「道場」とは、天道武校が敷地内に有する施設の一つで、正確には「第一練習場」と言う。
ばかに大きな体育館で、半面が板張り、半面が畳敷き。誰かと練習をするのに適した練習場だ。
第二練習場には古今東西の練習器具が揃えられ、第三練習場には全面に水が張ってある。生徒たちはそれぞれ、「練習場」「プール」と呼び分けている。
第一、第二練習場は常時解放されていて、各休み時間や休日、終業後の使用が許可されている。いずれも男女共同なので、飛鳥と合流してから始めるつもりでいた。
今日負けたばかりだというのに、不思議と落ち込んでいない。そんな自分に気付き、書文は少し驚いた。
いや、もちろん悔しい気持ちはあるし、不覚をとった自分を情けなくも思う。しかしそれ以上に、書文の心は歓喜に震えている。
その震えが体に伝わり、ぶるるっ、と武者震いをした。
自分より背の低い木人くらいしか相手がいなかったこれまでとは違う。
散打の相手がいて、稽古を見てもらえる。人と稽古ができる。
その事に、書文は大きく喜んでいた。
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