積み荷のない船
旅先のホテルで見た、あの貨物船。
あれにはもう、積み荷はない、と言う。
僕はでも、その小さな船が出航するのを今夜、見た。
その夜に、
その夜だけ、
そっと港を出ていく、錆びだらけの船。波止場の光に、防腐塗料の剥げた姿がほんのり赤らんでいる。
黒々してふてぶてしくさざめく、沖間の浪があやすように洗うのは。
その夜の、
その夜だけの、
まるで夢の中のような船出の姿。
本当は夢なんだろう。
やっぱり夢だったのかも知れない。
人知れず、闇にぽつりと明かりを灯して、どこへと知れず港を出る、積み荷のない船。
あれは沈んでいくのだろう。
もう、荷を運ぶことはないから。
もう、毎日の、その役目が終わったから。
毎日何気なく見かけたその船が、消えゆく姿を見送るものは、もういない。
でもほんの偶然、ホテルの窓を開けた僕だけがそれを、そっと見守ることが出来たのだろう。
他の誰も見ることはなかった場面。
他の誰も見ようとしなかった場面。
でもそれも、物語なのだ。
今は僕だけがそれを知っている。
小さな夜の寓話。
小さな夜の物語。
いつか、小さな子に話そう。
誰かまた、あの積み荷のない船を見かけることがあるように。
自分だけが見ていた、
自分は知っていた、
そんな物語が誰かに向かって語られることのあるように。
いつかその日まで。




