94話
睡魔はやって来ない。
そもそも、あまり眠るという行為が好きではないルネは、そんな時間があるなら少しでも毒の種類を増やし、改良を加えたい。それでもルネは、この選択肢を選んだ。
別に身体が疲れているわけでもない。それでもルネは静かに目を閉じる。ルネにとって、この世に存在するということは、延々と暇潰しを続ける事と同義である。最初の頃は、アイーザと同じだった。さっさと終わりを迎えるのも悪くはないと思っていた。だが、死ぬということは、生きることよりも二人には難しい。
誰かに倒される事なく消滅する方法を、ルネは探した。しかし、それはどこにも見当たらず、生粋の飽き性であるルネは、探すのに飽きた。
当時のルネは無味乾燥なだけの時間に飽き飽きしていた。そして、一日中何もしないということが、ルネには出来なかった。
ただ流される。それはルネにとってとても苦痛で、空虚で、あまりにも面白くない。酷く不快だった。
別に存在理由を探し求めていたわけではない。ただ何もない、変化が無い、平坦、平凡という言葉を、ルネは最も嫌っているというだけの話だ。
誰かが敷いたレールの上を歩くのも、流れに逆らう事も出来ぬまま消えゆくのも、ルネは拒絶し、嫌悪する。
だからこそ、ルネは誰かに消滅させられることを殊更嫌がり、自身の存在が消えることによって、誰かの利益や笑いに変わる事があるという事実が、消滅という言葉から遠ざけた。
事実ルネはアイーザと分かれ、彼が変わらず怠惰に眠りこけている間、他の妖に言われた事がある。片割れ同様何もせず、ただ消えてくれれば、嬉しいんだがなぁ?と、その人に化けた妖は下卑た笑みを浮かべて、そう言った。
何故こんな奴が喜ぶことを、わざわざ自分がしてやらなければならないのか?ルネは生粋の直情型だ。だからこそ、ルネはあっさりとその妖を殺そうと決めた。
何故こんな奴等の踏み台にならなければならないのか。最期に見るものが、此奴の下卑た笑い顔になる事は許せない。寧ろ、自分が此奴よりも長く生きて、消えゆく此奴の姿を笑ってやる。
自身がとても好戦的な性格をしているということを、この時はじめて知った。
もし、そのまま静かに消え失せてくれていたら、あの妖は、今も何処かで生きていたのだろうか。ふと、そんな詮無き事をベッドの中で考えた。
だが、過去は変わらない。後悔も無い。きっとあの時、あの妖を殺していなければ、その苛立ちの逃がし方も、当時の自分は知らなかったのだから。
あの時、妖はこともあろうにルネへと襲い掛かってきた。
仕方なく迎え撃てば、いつの間にかルネの身体は黒い鱗を纏った姿から、白い生肌の姿へと変わった。そして、ルネの視界は真っ赤に染まる。
気がつけばあの妖は肉塊へと成り果て、ルネの両手はあの妖よ血で、ぬらぬらとした赤に染まっていたのだった。
「臭いなぁ…」
その時はじめてルネは人の姿となり、頭から返り血を浴びた彼が発した第一声は、そんな不機嫌な愚痴だった。
今思い出しただけでも腹が立つ。ルネが珍しく舌打ちを溢した。
「昔を振り返るだなんて、らしくないことをすると、嫌な事ばかり思い出すのはどうしてなんでしょうかねぇ…」
その疑問に返ってくる言葉など無い。だが、それでいい。答えなど、最初から求めてはいない。そもそも、最初から答えのあるものなど、何の面白味もなく、興味も唆られない。
わからぬからこそ、ルネは興味を抱き、自らの手で答えを求める。永遠に答えが出ぬならそれもいい。その方が、暇潰しになる。
現在の暇潰しの対象は、アイーザだ。
鏡映しのようで、明確にボタンを掛け違えた存在。捨て去るアイーザと、もとより何も無い自分。似ているようで違う、片割れ。
自分を観察することは出来ない。どうしても其処には主観が混じるからだ。だが、アイーザは違う。
自分であって自分ではないもの。もしかしたら…という名の、軸を違えた存在。その観察が、面白くないわけがない。そして、もう一人、アイーザという誘蛾灯につられて、ロイドがやって来た。観察対象が増えた。
おかげでルネは毎日が忙しい。
「目が二つじゃ足りませんよねぇ…。まぁ、これ以上増えたところで観察が進むわけでもありませんが…」
そんな独り言を溢し、ルネは笑った。今は、こんな空っぽな心でも楽しいと感じる時がある。こんな感情を持つ事が出来る日が来ようとは、思いもしなかった。
結局ルネは空が白んでも眠る事はなく、そのままベッドから起き上がり、店を開ける準備をはじめることにした。




