92話
ようやく一息つけた…。だが、ロイドには少し気掛かりなところがあり、素直にルネとアイーザに尋ねた。
「あの、カザミジさんは大丈夫なんですか?もし落花になったりしたら…」
ロイドの疑問は最もであった。妖力を暴走させないようにするには心の均衡を保たねばならない。そう簡単に落花になるわけではないと分かってはいても、ロイドはアヅナエのこともあり、少し過敏になっている様子だった。
「あぁ、その事なら問題ありませんよ?そもそも、カザミジとかいう男、花ではありませんから」
「え?」
ルネから返ってきた答えに、ロイドは頭が真っ白になる。花青として働いていたカザミジが、花ではない?
「どういうことですか…?」
「要は、花ではないと知らぬまま、花街で育ち、花に紛れていただけですよ」
ルネが更に説明しようとしたが、アイーザがそれを遮り会話に入ってくる。
「端的に言えば、今の花街はロイド同様、本来の意味での花と、花の仕事をしているだけの、ただの人間がいる、ということです」
曰く、そのただの人間達は花という職に就きたくて外部からやって来たというわけではない。この花街で生まれ育った者達だ。
では何故、花達の街である筈の花街でただの人間が生まれるのか、それは───
「花と人間が結ばれ、子を成した場合、生まれるのは必ずしも花ではないんです」
「え…?」
現在の花街での常識は、花から生まれた子供は皆一様に花であると思われている。けれど、そうではないとは、どういうことなのだろうか。
「そもそも、そう思われていた理由は、花街ができる以前、更に出来てから直後の間は、花同士で子を成していたために勘違いされてきただけなんですよねぇ」
ルネが再度、会話に加わる。なんでも、花同士で結ばれた場合は、その子供は必ず花となるらしい。どうして本来、愛し合う事がないとされている花同士が子を作るのか。
それは、花だけの隠れ里の中で生活をしていたという理由が挙げられる。人は花を人と同列とは見なさず、ただその美しさを利用するため刈り取り、妖は食物としか花を見ていない。古い時代の花達はそんな状況下にいたため、花は花と結ばれるしかなかったのである。
そうして血が濃くなりすぎないように、ひっそりと他の隠れ里の花達と遣り取りをしながら、夫婦となる者がいたことで、花は現在までも存在しているのだ。
そもそも花は、自らに手を掛けてくれる相手を愛するという習性故か、一人になることを極端に嫌う者も少なくない。どうしても寄り添いあえる誰かを求めてしまい、花同士で結ばれることで、花は潰えることがなかったのだ。
花から花へ。それは花達の常識であり、花を見分けることの出来る妖達も同様に考えていた。けれど、花街が出来、花と人が結ばれ、子を成すことが増えていく中で、必ずしも花が生まれるわけではないと密かに周知されはじめていた。
だからこそ、都以外の花街は、花ではない子供が生まれると花として働く事は出来ず、花そのものの数が減り、花街自体も縮小されていっているという事実がある。しかし、都の番人である二人はそんなところにまで関わらない。
そして、都では郭から今の花街へと形を変え、花街が広がっていき、都での存在感を増して行った。成長すればする程に、人々は街へ訪れ、金を落とし、また街が大きくなる。そうなる頃にはもう、無くてはならない都の一部となっていった。
更に、都全体を栄えさせるための大事な資金源としての一面も持ちはじめてしまったがために、おいそれと縮小することもできない。だからこそ、末端の者達はその事実を知る者は殆どおらず、知っている僅かな者は黙認していたのだ。
そして、そんな都独自の事情は、番人達の間でも公にはされていない。番人の纏め役をしているらしきイオでさえ、その事実は知らない。
だからこそ、イオは花ではないロイドが花として扱われている事に疑問を持ち、指摘したのだ。本来、その花街の外部の者が、其処の花街に首を突っ込むなど御法度だ。だが、場所が華夜楼という花街の全てを知っている場所であったこと、番人の長を務めるイオに指摘されたことで、ロイドは泣く泣くその座を諦めるしか無くなってしまったとのことだ。
「それだと、私の運が悪かっただけみたいに聞こえますけど…」
「実際そうですよ。偶々イオに居合わせたのが運の尽きということです」
「そんな…」
残念でしたね!と、明るくルネは言い放つ。容赦無いその言葉に、がっくりと肩を落とすロイド。まさか、そんな理不尽過ぎる理由で花蕾の身分を剥奪されていたなんて…。自分の運の悪さを、僅かに恨んだ。
しかし、何度ロイドはこの人生を繰り返したとしても、花蕾となる事が決まったあの日、ロイドはアヅナエと共に華夜楼に向かい、二人で笑い合いながら食事をするだろう。だからきっと、この未来はどう足掻いても変わらない。
「きっと、私が花街を出るのは必然だったんでしょうね」
どこか諦めを含んだ表情で、ロイドがそう呟いた。けれど、その声色には悲壮感は無く、こうなったのは仕方ないと受け入れているように見える。
「おや、もっと落胆するかと思いましたが…」
アイーザがそう言うのも無理はない。ロイドは自分の居場所を失う事を酷く恐れる。幼少時のトラウマに囚われてのものだろう。イオと顔を合わせた際も酷く同様していたために、今回もそうなるかもしれないと予想していた。だが、ロイドには僅かに笑いまで浮かべる余裕があるようで、彼の口角が少しだけ上がっている。
「なるようにしかならないと思ったら、いつまでもうじうじしていられないなと思いまして…」
開き直ることにしました。と、ロイドは笑う。そして、彼は言葉を続けた。
「それに、花を装ったままの自分でだったら、アイーザと出会っていなかったかもしれないじゃないですか!」
事実、アイーザがロイドを認識した理由も、彼が自ら咲くことができない花であったからだ。いつの間にか本当の花になったロイド。そんな珍しい花であったからこそ、ロイドはアイーザの目にとまり、いつの間にか惹かれ合い、今に至る。
花ではなくとも二人は惹かれ合う…などという保証は無い。それならばロイドは、アイーザと出会うために、何度でも花蕾の位を捨てるだろう。アヅナエとの約束を反故にして、その事に後悔しながらも、ロイドはきっとアイーザに確実に出会える道を選ぶ。
それほどに、ロイドにとってアイーザは大きな存在になってしまった。だからもう、ロイドはアイーザの手を離す事など出来ないのだ。
そう思うと、自分はいつも誰かに手を引かれてばかりだなと、若干の情けなさを感じる。だが、それでも、ロイドはアイーザが差し伸べてくれる手を取り、その手に引かれていたい。
彼の望む場所、望むこと、彼の心赴くままに歩む傍らで、ただ寄り添っていたい。そう、思ってしまった…。




