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87話

「ロイド」

 アイーザの声がして、ロイドは直ぐにサラの手を離した。アイーザの目が真っ直ぐに自分を見ている事に、少しだけ安堵した。

 アイーザの腕の中でぐったりとのけ反り倒れているサラ。彼女の地面に流れ落ちる髪が綺麗だと思った。

 アイーザが香に息を吹きかけ、香は数多の青紫色の蝶へと変わっていく。それらが二人の周囲を飛び交い、とても幻想的な光景が広がる。

 空いた片手でアイーザはサラの後頭部を支え、そっと彼女を抱き寄せて、耳元で何かを囁いた。

 星が煌めく夜空と数多の青白い光の粒を振りまく青紫色の蝶。その中心にいるのは、眠るように身体を預ける女と、そんな女を抱き寄せ、彼女の首に顔を埋め、口付けでも落としそうな美しい男。何とも絵になる光景の中、ロイドだけがいない。

 お前はこの美しい世界には不釣り合いだとでも言いたげに、一人蚊帳の外にいるロイドは、呆然と二人を見ていた。

 蝶達が夜空を舞いながら、光の粒となって消えてゆく。そんな最後の瞬間まで、アイーザとサラは美しく、自らの内に宿る黒いものがまた、とぐろを巻きはじめた。

 サラはアイーザを拒絶したというのに。アイーザとて、サラのことなど何とも思っていないとわかっているのに。それなのに、サラに対して醜い感情を抱く自分の心の狭さに目を背けたくなる。きっと、組紐を失ったと思い込み、アイーザと離れ離れになって、まだ心に余裕が無いのだと言い訳を並べてみても、本当はそうではないということを、ロイドは気付いている。

 アイーザに心を奪われれば奪われるほど、ロイドの心は小さく狭まっていく気がする。彼女は、サラは自分を家族だと言ってくれた優しい女性であるのに、浅ましい自分はそんな優しさを裏切ってしまう。それでも、ロイドは止められなかった。

「アイーザ…」

 サラに向けられていた青紫色がロイドを捉える。きっと、自分は酷い表情でアイーザを見ているだろう。けれど、アイーザはそんなロイドに対して、優しく微笑んだ。

 ロイドは理由が分からず、首を傾げる。アイーザはその事には触れる事なく、彼女をまるで荷物のように小脇に抱えた。

「先ずはこの女を、表の世界に返しましょう」

 きっと、アイーザは最初からサラを人とは思っていない。そんな酷い男であるのに、優しく微笑みながらアイーザはロイドに手を差し伸べる。

 星の無い夜の帷と、銀色の月。多種多様に花開く、鮮やかな女性物の着物を羽織り、本来の姿を晒すアイーザは、想像を絶するほどに麗しい。

 そんなアイーザに、ロイドが逆らえるわけもない。たとえサラを酷く扱う男であろうと、ロイドはアイーザがいればいい。そう、思わされてしまうほどに、ロイドは落ちてしまった。ロイドの口元には笑みが浮かぶ。

 ロイドは静かに頷き、アイーザが差し伸べる手を取った。


 二人はサラを、彼女の自宅である屋敷の前に置いてきた。玄関の呼び鈴を鳴らしたから、彼女は直ぐに見つかるだろう。アイーザが何と言って記憶を改竄したのかはわからないが、本人が、もう何の心配も要らないというので、ロイドはやはりまた、頷いた。

 それから二人は裏の世界へと戻り、花街方面へと向かっていた。

 僅かな街頭だけの世界。人の気配も無く、虫の鳴き声も聞こえない静かな空間に、アイーザが風を切る音だけが響く。アイーザもルネも、普段は足音一つしないので、今この瞬間も、ロイドを横抱きにして街を駆けているにも関わらず、そんな微かな物音しかしないのだ。

 そんな静かな世界で、ぽつりとロイドが言葉を発する。

「痛くありませんか?」

 心配そうな顔で、ロイドはそっと手を伸ばし、アイーザの頬に優しく触れた。そこにはサラがつけた引っ掻き傷が薄っすらと残り、擦りむいたかのように皮が剥けている。赤くなってはいないものの、アイーザの美しい顔が傷ついてしまったという事実が、ロイドの胸を苦しめる。

「問題ありませんよ。妖は自然治癒も早いですから、直ぐに消えます」

 アイーザがロイドに向ける顔は、甘く、優しく、妖艶で、僅かな狂気が見え隠れする。サラにも、ジャスコやマシューコにも、ルネに見せる顔とも違う。ロイドにだけ向ける特別なもの。それなのに、今はロイドではない、女の痕が残っている。

 たったそれだけのこと、それでもロイドの心はざわめき、靄のような不快感が折り重なっていく。ふと、そんな靄を吹き払う方法を思いついた。

 きっとアイーザは、なんて幼稚な行為だと笑うだろう。それでもいい。少しでもこの靄が晴れるならと、ロイドはアイーザの首に絡めていた腕に僅かに力を入れ、そっと身を乗り出す。そして、アイーザの顔に自らの顔を近付けて、アイーザの傷に、自らの唇を重ねた。




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