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86話

 裏の世界で黒い巨大な牡丹が花開く。

 花の中には三人の姿があり、開いた花の外側から、花弁が一枚一枚離れ、風に舞うように散っていく。風に乗る黒い花弁がアイーザの肩付近で集まって、ふわりと色を変え、白い着物となって、それが開花するかのように広がり、アイーザの肩へと戻ってきた。

 ロイドはアイーザに抱き寄せられたまま、牡丹の花弁が着物に変わる瞬間をぼんやりと見ていた。

 お嬢様のところへ行かないと、それはわかっている。でも、もう少しだけ…。ロイドはアイーザと離れていた時間を埋めるかのように、アイーザの腕の中から離れようとはしなかった。

 けれど、アイーザはロイドから離れていってしまう。彼の体温が、香りが、ロイドから遠ざかってしまう。咄嗟に引き留めようとしたロイドの手が止まる。

 アイーザの視線の先には、サラがいた。

 アイーザがそのままサラの元へ行ってしまう。それに気が付いたロイドの心の中にはあの、観桜の間でホシアメとカシノヤと共にいたアイーザの姿を見た時と同じ感情が、鎌首をもたげていた。

 やめて…いかないで…。そんな言葉が喉を越えて、口元の直ぐそこまで迫り上がってくる。ロイドは唾を何度も飲み込んで、その言葉も自らの奥底へと沈めてしまおうとする。けれど、一度目覚めた黒い感情は、そんな事では消えてはくれない。

 ロイドの脚は動かない。ただ、アイーザがサラに何をするのかを見ていることしか出来なかった。

 アイーザの鱗模様を帯びた腕が、意識が無く、仰向けに倒れているサラを抱き上げる。だらりと、彼女の腕と足が垂れ下がる。アイーザの腕がサラに後頭部と腰とに添えられ、まるで可憐なビスク人形を抱き寄せるかのようだった。

 その光景は、美しいとしか言いようがなく、アイーザが妖の姿のままであるからこそ、人であるサラとは違う美が強調される。そんな二人の姿に目を奪われると同時に、ロイドの内ではどろりとした黒いものが溢れ出し、急速にロイドの体温を奪っていった。指先が痺れ、足に枷を嵌められたかのように重い。音が遠ざかり、耳の奥でキーンと嫌な音がする。明るい筈の視野が狭まり、濁った黒が視界を覆っていった。


 アイーザは女を抱きかかえ、目が覚めるのを待っていた。この女の記憶を、妖に関わったという事実を消さなければならない。

 この香は、対象の意識を奪わねば効力を発揮しない。沈殿していく微睡みのような眠りの中で、夢枕のように別の現実をすり込み、記憶が書き換わる。

 それ故に、今使用しても意味がない。この目覚めを待つだけの時間が酷く煩わしいと、アイーザは舌打ちを漏らした。

 すると、女の目蓋が震えて、ゆっくりと開いていく。完全に目が覚めたとき、この人間が次にどういう行動をするのか、アイーザには大体の見当がついていた。だからこそ、呆れたような溜息をついて、冷めた瞳でその様子を伺っていた。

 面倒だから、このまま首を絞めてやりたい。

 そうすれば耳を塞ぐ必要もなくなる。どいつもこいつも、女の悲鳴とは兎角けたたましく、喧しい。キンキンと頭に響いて、時に頭痛がする。首を絞めたらこの女は悲鳴をあげることはないだろうから、そんな心配もせずに済む。問題はロイドだろうが、ロイドが悲鳴をあげようが、泣き叫ぼうが、アイーザは構わない。笑みが溢れる程度のものだろう。

 やってしまえばいいのでは?──

 内なる黒い欲望が、耳元で囁く。

 女が完全に目を覚ますその前に、首を折ってしまえと笑いかけ、誘惑する。頷いてしまおうか…。ぴくりと女の後頭部を支える指先が動いた。その矢先、アイーザの耳に空気を劈くような悲鳴が響いた。


「きゃあぁぁぁ!」

 サラの悲鳴が聞こえ、ロイドは眼前の黒い靄が晴れる。彼女を片手で支えるアイーザ、彼のもう片方の手には、以前ルネが使用していた忘却香が乗っている。

 そんなアイーザに反して、サラが怯え、彼を拒絶しようとする姿は、ロイドの目には異様なものに見えた。

 サラはずっと悲鳴をあげて、アイーザから逃れようと必死になっている。上体を限界までのけ反り、彼女の白い腕がアイーザを拒絶する。

 まるで化け物でも見ているかのように、サラは半狂乱状態だった。

 そんなサラに、アイーザは美しい横顔を近付け、今にも口付けを落としそうな程に、二人の距離が近づく。

 ロイドは咄嗟に両手で目を覆いそうになるが、サラの爪ががアイーザの顔を引っ掻いてその顔に傷を作った。


 ロイドはその事実に衝撃を受けた。

 頭が真っ白だった。無我夢中で彼女の元へ駆け寄り、アイーザの顔を引っ掻いた方の手を力任せに掴む。


 まさかのロイドの行動に、サラは驚き、愕然とした。

 ロイドの表情は、一見すれば無だ。だが、サラにはわかる。ロイドは怒っている。

 はくはくと、彼女の口が動いた。ロイド…、と声を掛けたかった。けれど、彼の瞳が、きらきらと朝露に煌めくかのようなロイドの瞳が、暗く、どんよりとしたものに変わっている。その瞳をサラは良く知っている。

 かつて、彼女の友人が恋をした。だが、その想い人にはもう相手がいて、その相手の女性を見つめる友人の瞳が、まさに今のロイドと同じものだった。

(嫉妬をしているの?私に?何故──)

 ハッと目の前の化け物を見る。

 あぁ、そうか…。此奴が…この男が…。サラがその事実に気が付いた時、そこで彼女の意識は途切れた。抗えないほどに強く、彼女の意識が深く暗いところへ引き摺られて行くのが分かる。ロイドに何かを伝えようとしたけれど、それは叶わず、サラはそのまま意識を失い、アイーザとロイドに体重を預け、崩れ落ちた。





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