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77話

 境の街を抜け、久しぶりに中心街へとやって来たが、そこはやはり人で溢れていた。こんな時間にも関わらず、数多の人が行き交い、道路には車と中央には路面電車が走っている。

 観劇からの帰宅途中だろうか、馬車ではご婦人達が談笑をしながら歩道を歩くロイドの横を通り過ぎていった。こんな人が溢れかえる街で、どうやって目的の人物を見つけたら良いのだろう…。ロイドは途方に暮れていた。

 折角来たが、このままでは時間が過ぎる一方だとロイドが諦め、一度夜香堂へ戻ろうかと踵を返したその時、ロイドの腕を何かが掴んだ。

「見つけた!」

 突然腕を掴まれ、つんのめりそうになりながらも何とか堪えたロイドが背後を振り向けば、そこにはロイドが良く知る女性がいた。

「ずっと、探してたのよ?ロイド…」

「お嬢様…」

 ロイドが屋敷を出てから、日数はそう経っていない。それなのに、久しぶりに見た彼女の姿に何処か懐かしさすら覚えた。其れ程に、自身が夜香堂に来てからの日々は、まさに怒涛のようであったのだと、ロイドは再認識した。

「お嬢様って…貴方はもう、うちの使用人じゃないでしょう?」

「けど、お嬢様はお嬢様ですから…」

 出会った頃から二人の間には明確な線引きがあった。身分という線引きは、いくらロイドが彼女の屋敷の使用人を辞めた後だとしても、それはずっとロイドに付随して回るものだった。

「それじゃあ、ロイドはまた戻ってきてくれる?」

「え?」

「貴方が戻ってきてくれるなら、お嬢様って呼ぶことを許すわ。でも、出来ないならサラと呼んで」

「それは…」

「私、ずっと探したわ。お気に入りの靴の底が擦り切れるまで、ずっと貴方を探したのよ…?」

 サラの薄紫色の瞳に涙が滲む。彼女のプラチナブロンドの長い髪が風に揺れる。ハーフアップにしたいつもの彼女の髪型が少し乱れているのも、ロイドを毎日のように探し回っていたという証なのだろう。

 彼女は御屋敷にいる間はまるでドレスのような服装を好んでいたというのに、今は飾り気の無いシンプルなワンピースを着ている。動きやすい服装を重視してのことだろう。彼女という存在一つ一つが、どれほどロイドを大切に思い、どれほどロイドを探し歩いて、どれほどロイドを求めていたのか、痛いほどに伝わってくる。

 ロイドの心には既にアイーザが居る。その思いはもうロイドの全てを支配して、完全に巣食っているというのに、僅かに残ったロイドの情が、サラの変わり果てた姿に揺れ動いた。

 それでももう、ロイドは決めてしまったから。だからこそロイドはゆっくりと彼女の手を離し、すみません。と、頭を下げた。

 こんな人目につく往来で、きっと誰もが二人を見ているに違いない。けれど、もうロイドは戻れない。こんなに大切にしてくれて、自分のような得体の知れぬ子供を家族のように受け入れ、育ててくれた事には感謝してもしきれない。それでも…。


 それでも、アイーザと比べたら。アイーザという存在と出会ってしまったらもう、ロイドの天秤は傾く事をしなかった。


「そう…」

 サラは悲しい笑みを浮かべ、頭を下げるロイドを見つめていた。いつの間にか空は夕暮れで、橙の光の中、サラの涙が陽の色に染まり、煌めいて、頬を流れた。

 ロイドの答えはわかりきっていたことだった。けれど、どうしても彼女はまだ、自分の思い出の中にいる血の繋がらないお兄ちゃんを手放したくなくて、ずっと、自分の我儘だと分かっていても、ロイドとは家族のままで、彼の妹としての自分の姿を夢見ていたかった。

 彼の前ではもう少しだけ、少女のままで居たかったのだ。


「ごめんなさい…。顔を上げて?」

 サラがそう言うと、ロイドはゆっくりと顔を上げた。彼もまた少しだけ泣いていた。サラのように涙が流れているわけではないが、大好きな翡翠色の瞳が涙で潤み、きらきらと陽の光を反射して、まるで宝石のように揺らめいている。サラのこの世で最も大好きな色だ。その色を、悲しみで染めるのは本意ではない。

夜香堂あそこには、貴方にとって大切なものがあるのよね…」

 私達よりも、とは彼女は口にしなかった。本当は、口元まででかかったが、その言葉を彼女は必死に飲み込んだ。ロイドを責め立てたいわけではない。こんな冷たくて酷い言葉を、ロイドには使いたくない。だからサラは必死で、涙と悲しみに溢れた頭で、それでもロイドを傷つけない言葉を探し続けた。

「これだけは言わせて?私の我儘に付き合ってくれて、本当にありがとう…」

 別れの言葉も、さよならも言いたくないサラがようやく紡げた言葉は、たったそれだけの言葉だった。我儘なお嬢様としての自分を受け入れてくれた優しい兄のような存在。

 そんな彼が見つけたという、大切な存在。少しだけ羨ましくて、妬ましい。けれど、もう我儘な自分とはお別れしなければいけないから。明日からは、ちゃんとするからと心の中で両親に謝って、彼女は涙を流したまま、ロイドの姿を焼き付けるように、静かに見つめ合っていた。




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