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72話

 その後ロイドが正気を取り戻し、完全に冷めきってしまったご飯を食べ終わった頃に、漸くアイーザが戻ってきた。ロイドが食事している間、裏の更に奥の方から、目ぇ覚まさんかい!このあほんだら!というジャスコの怒声と、大きな盥になみなみと張った水をぶち撒けたような凄まじい水音が聞こえてきたが、ロイドまだぼんやりとしていたし、ルネは無視を決め込んでいたためジャスコとアイーザが戻って来るまで、此方は静かなものだった。

 そして、二人が戻って来る。

 ジャスコはふんっ!と、鼻息を荒くし、アイーザはと言えば完全な濡れ鼠状態になっている。ぽたぽたと灰色の髪からは雫が流れ落ち、髪も顔も着物の胸元辺りまで、完全にずぶ濡れだった。

「ロイちゃんに甘えんじゃないわよ?自分の力でどうにかなさい」

「ちっ…」

 アイーザは不服そうにしている。たが、さすがにこのままでいるわけにはいかない。彼の既に覚醒した頭は、きちんと理解しているらしい。渋々と、アイーザが一度指を鳴らす。すると青紫色の炎が、鬼火のようにアイーザの周囲に一つ、また一つと現れた。そうして八つの炎がふわふわとアイーザの周囲の彼方此方を浮遊している。そのままふわふわとアイーザの足元へ集まり、八つの炎がアイーザを中心に円を描く。

 円となった炎はゆっくりと旋回をはじめ、足元から腰、肩、更に頭上へ移動していく。最初はゆっくりとした旋回だったのだが、段々と回転の速度が上がり、珠々繋ぎのようだった炎がやがて、燃え盛る輪のように見えた。

 そのまま炎はアイーザの濡れた髪さえも巻き上げ、頭上を過ぎると、炎はそれ以上上昇することはなかった。輪を描いていた炎の旋回も止まり、アイーザの頭上で完全に停止した。

 その後、炎達は円の中央に勢い良く集まり、ぶつかって、青い火の粉を散らして消えた。ぶつかった瞬間に舞った青紫色の火の粉も、周囲を燃え上がらせたりなどすることなく、ゆらゆらと宙を舞い、溶けるように消えていく。

 アイーザはといえば、先程までのずぶ濡れ姿が嘘のように、髪も着物も綺麗に乾いていた。

 炎が舞い上がる際に生じた風で乱れた髪をさっと手櫛で整え、閉じていた目を開ければ、そこには普段通りのアイーザがいた。  

 そんなアイーザの姿を黙って見ていたロイドだったが、内心少し残念に思っていた。そんなロイドの僅かな独占欲を滲ませる翡翠の瞳に、アイーザだけが気付いていた。

「目が覚めました?」

「えぇ、まぁ…」

 ルネの問にアイーザは歯切れ悪く答える。色々やらかした事は記憶にあるらしく、ばつが悪い顔をしてロイドの隣に座った。ロイドはというと、そんなしゅん…とした様なアイーザを可愛いとしか思えず、先程の口移しの件も遥か彼方へと追いやってしまっていた。

「全く、アンタもいい加減になさい!いつまでロイちゃんに甘えるつもりなの!?」

「………。」

 アイーザの落ち込んでいる姿は、どうやらロイドに心配してもらいたいだけのフリであったらしい。全てがバレたアイーザは開き直り、今は完全にそっぽを向いて、自分の歳を考えなさい!というジャスコの言葉を、完全に聞き流そうとしている。そんな反抗期真っ只中の様な反応に、ジャスコは呆れて溜息をつき、ロイドとルネの食器を片付けはじめた。

「あの、ルネとアイーザって何歳くらいなんですか?」

「ん~、そうですねぇ…。そもそも、年齢という概念自体ありませんから…」

「一度生まれれば、何者かによって消滅させられるまで、姿形変わることなく存在し続けるのが妖ですし…」

「誕生日みたいな概念もありませんし、そもそも生まれた日すらわかりませんし」

「それから何年経っただのも覚えていませんね。数えたところできりがないので」

「まぁ、郭が出来る前から存在しているのは確かなので、六百年以上とだけお伝えしておきましょうか」

「何百年生きてようがどうでもいいのよ!いつまでアタシを無視する気よ、この薄情者共!」

 突然の叫びにロイドがびくっ!と反応した。ボックス席の片隅で真っ白になっていたはずのマシューコが割り込んで来たのだ。涙でぼろぼろの化粧のおかげで、彼女の顔は完全に異形の何かと化している。ルネとアイーザはいつもの事だと平然としていて、ロイドだけがひっ!?と悲鳴をあげた。

「あら、マァちゃん。復活したのね」

 ジャスコが裏から顔を出すと、マシューコがどろどろに崩れた化粧で汚れた顔で、にっこりと笑った。

「えぇ、ママ!それよりアンタ達、仕事よ!」

「マァちゃん落ち着いて、先ずは鏡を見てらっしゃい。綺麗なお顔が台無しよ?」

 はっ!としたマシューコがばたばたと裏へ駆け込んでいく。そして、鏡を確認したのだろう…。

「い"や"あ"あ"ぁ"ぁ"!!!」

 と、野太い悲鳴が外まで響き渡り、店の屋根に屯していた鴉達が驚きのあまりぎゃあぎゃあと鳴いて、逃げていった。

 その後、ばしゃばしゃと顔を洗う音が聞こえ、その後から慌ただしい足音と、工事現場のような騒音がしたかと思うと、漸くいつものばっちり化粧を施したマシューコが戻ってきた。

「アンタ達、日頃のタダメシの恩を返す絶好の機会よ!喜びなさい!」

 胸元で腕を組み、仁王立ちするマシューコがカウンターの中でルネ、ロイド、アイーザの三人に言う。ジャスコはそんなマシューコの暴走を仕方ないわね…と、頬に手を当て悩ましげな溜息をつきながらも黙認することにした。ロイドは完全なる巻き込まれでありながら、一応真面目に聞きいていた。

 しかし、ルネはジャスコにほうじ茶のおかわりを要求し、アイーザは頬杖をついて欠伸をしている。

 そんな三者三様の反応を示されながらも、マシューコは話を続けた。

「アンタ達に頼みたいことはね、アタシのダーリンに付き纏っている犯人を捕まえて欲しいのよ!」

「は?ふられたのでは?」

 アイーザがそう突っ込みをいれると、マシューコの拳が飛んでくる。しかしアイーザは平然とした顔でそれを躱し、マシューコが避けんじゃないわよ!と切れた。

「まぁまぁ、マァちゃん。また血圧が上がるわよ」

「わかってるけど、このあんぽんたんのせいよ!」

 ふんっ!と鼻を鳴らしつつも、マシューコが説明をしてくれた。マシューコの話によると、その付き纏いをされているのはカザミジという男であるらしい。彼曰く、花という存在は恋慕の対象になりやすく、そういった手合いも少なくないというのだが、今回の付き纏いをしてくる輩は明確な悪意を持っているとのことで、何度か危険なこともあったというのだ。

「鼻緒を切られたり、剃刀の刃が入った手紙を送りつけられたり、通りすがり様に着物に泥を塗られた事もあったそうよ…」

 マシューコは他にもあったというのだが、全てを語り尽くせないほどに色々されてきたとか…。最初はたちの悪い悪戯かと考えていたらしいのだが、最近彼の引退と結婚が決まってから、殊更酷くなったという。

「陰湿ですね…」

「でしょ!?ロイちゃんもそう思うわよね!?」

「なるほど…既に結婚相手がいたんですねぇ…。そりゃあ、マシューコさんに勝ち目なんてあるわけないですね!」

「うるっさいわね!アタシの事はいいのよ!アンタ達はその付き纏い犯を捕まえてくれればいいの!」

「えー?でもそれ、我々の専門外なんですけど…」

「妖が相手だというならまだしも、人間相手では下手をするとあっさり殺してしまいかねませんが」

 ルネもアイーザも乗り気ではないらしく、アイーザに至っては犯人が人間ならば殺しかねないという。

「アンタ達の仕事は花街の平和の維持でしょうよ!花の為、ひいては花街のためでしょ!」

「横暴ですねぇ…」

「それは、ただの屁理屈では?」

「あら、屁理屈がアンタ達だけの得意技だと思った大間違いよ?オカマは何事もにおいても最強。揚げ足取りだって負けないのよ」

 ふふんっ!と得意気な顔で三人を見下ろすマシューコ。三人の真ん中に座っているロイドは、ルネとアイーザがどんな返答をするのか気になっているようでそわそわと落ち着かず、二人の顔をちらちらと様子見している。

 ルネは嫌そうな顔で眉間に皺を寄せながらおかわりのほうじ茶を啜り、アイーザは頬杖をついたまま、だらしなく明後日の方向を向いていた。

 このままでは埒が明かないと、カウンターの端で煙草を吹かしていたジャスコが三人に声を掛ける。

「受けてあげなさいな。報酬金は出さないけど、無事解決したら食事くらいは出してあげるわよ」

「ママ!」

 マシューコがうるうると感激の涙を浮かべ、ジャスコを見つめながら両手を組んでいる。そこまで言われてようやく、ルネとアイーザが重い腰を上げた。

「仕方ないですね…」

「今回だけにしてくださいね?」

 アイーザは溜息をつき、ルネは苦笑いを浮かべて渋々ながら承諾した。

「私も手伝いますね」

 ロイドもそう言ってやる気を出す。妖や戦闘ならロイドは足手まといにしかならないが、こういう時なら自分も何か力になれる。ましてや、花街なら多少の顔が利く。聞き込み等の情報収集の手伝いならば、何とかなる気がした。

「じゃ、後は任せたわよ!しっかり犯人見つけて来なさい!」

 そう言ったマシューコの凄まじい馬鹿力によって三人は椅子から引きずり降ろされ、店の外へと放り出された。

「解決したら食事代くらいは奢ってあげるわ。わかったらさっさと花街に行きなさい!」

 バンッ!と、背後で紅薔薇の扉が勢い良く閉じられる。放り出された三人は地面に座り込みながら、扉をただ見つめていた。

「取り敢えずこのまま花街ですかねぇ…」

 ルネが立ち上がりながらそう言う。アイーザもロイドも立ち上がり、着物についた砂埃をぱんぱんと叩いて払いながら、仕方ないと頷き、三人は花街に直行した。





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