71話
ロイドが食事は再開するも、ちらちらと隣のアイーザを気に掛けている。普段は真っ直ぐ伸びている彼の背筋がぐんにゃりと曲がり、カウンターに突っ伏して崩れ落ちている姿にロイドは呆気にとられてしまう。
「これ、本当にアイーザですか?」
思わずロイドがルネとジャスコに問うと、二人は黙って頷いた。
「アイちゃんはロイちゃんが思っている以上にだらしないわよ?普段は隠しているだけで」
「生まれつきのろくでなしですからねぇ…。あの寝穢さ同様、酷く怠惰で傲慢な男ですよ?アイーザは」
「なるほど…」
じっ…と、ロイドはそんな酷い言われ様のアイーザを見つめる。もぞもぞとアイーザが身動ぎ、カウンターに突っ伏していた顔を少し動かして、ロイドを見ている。乱れた灰色の髪の隙間から、綺麗な青紫色の瞳が覗いていた。ぼんやりとした瞳、伏せられた事で普段でも長く豊かな睫毛が、更にはっきりと濃い影を落とし、その輪郭を主張する。アイーザの睫毛は上も下も長く、しっかりと生え揃っていて、お嬢様が大切にしていたお人形を思い出す。もしかしたら、あのお人形よりも睫毛があるかもしれないと、ロイドは思った。更に普段はきりっとした眉が僅かに柔らかく、へにょりと垂れ下がる顔が普段よりも幼く、こんなぼろぼろな姿でもアイーザは美しく、何処か艶があるように見える。
ずるいなぁ…と思うと同時に、可愛いなぁ…と思う自分もいて、思わずロイドもふにゃっと笑ってしまう。しかし、せっかくのご飯が冷めて、固くなってしまうということに気が付いて、ロイドはアイーザから視線を外し残っている食事と向き合った。
ロイドの視線が自分から離れた事で、アイーザのぼんやりとしていた表情に不満がありありと表れる。あからさまにむっとしてして、ジャスコとルネは気が付いていたものの、当のロイドは食事に夢中で気が付いていなかった。
のそりと冬眠明けの熊のようにアイーザが上体を起こし、またべったりとロイドに覆い被さるように抱きつく。ロイドが驚いてびくっ!と身体を強張らせた。
「!?…アイーザ?」
食べていたのが出汁巻き玉子で良かったとロイドは思った。これがお味噌汁やご飯なら、御椀や茶碗を床にひっくり返していたところだった。
アイーザの様子を見るに、どうやらかなりの重傷らしく、いつも以上に寝起きが酷いわねぇ…。と、ジャスコが呆れていた。ルネは我関せずを貫き通し食事を終え、ジャスコが淹れてくれた温かいほうじ茶を湯呑みで啜っている。
「アイーザ、お腹空いてませんか?」
ロイドがそう尋ねてもアイーザは無言のままべったりと引っ付き虫をしていた。ロイドがどうしたものかと思案していると、ふと出汁巻き玉子が目に入った。お行儀が悪いと思ったが、今の状態では上手にお箸が使えず、仕方なくロイドは出汁巻き玉子に突き刺してアイーザの口元へと出汁巻き玉子を持ってくる。
「食べます?」
美味しいですよ?と付け加えると、アイーザが素直に口を開けたのでそっと出汁巻きを入れた。一応口を閉じて咀嚼し始めたものの、それは直ぐに止まってしまい、アイーザは固まった。そして、ぼそりと呟いた。
「不味い…」
ロイドがぎょっとし、ルネが軽くほうじ茶を噴き出し、ジャスコの眉間に皺が寄る。ルネがお絞りで口元を拭きながら、思い出したように、そういえば貴方、甘い物はてんで駄目でしたねぇ…。と呟いた。
本当に彼の口には合わなかったらしく、うぇっ…とアイーザが口元を手で押さえている。飲み込む気はないらしい。ロイドが何か吐き出すものを探そうと慌てていると、突然アイーザの手が伸びてきて無理矢理アイーザの方へと顔を動かされ固定される。
元々至近距離にあった彼の顔が近付いてきて、そのまま口を塞がれた。それと同時にロイドが驚きで目を見開く。まさか口付けされるとは思わず、心臓が高鳴るどころかばくばくと暴れ、ロイドは酷く混乱していた。
「!?」
驚きで閉じることができなかった口の中に、何かが流れ込んでくる。それがアイーザが咀嚼していた出汁巻きだと気が付いたものの、口は塞がれ頭は固定され、べったりとアイーザに引っ付かれているロイドには抵抗の手段など無く、ロイドはそれを飲み込むしか選択肢はなかった。
アイーザの口が離れていくと、完全にロイドの許容範囲を超過していたアイーザの行動により、彼は思考を完全に放棄して、ロイドは顔を真っ赤にしたまま気絶したように呆然としていた。力が入らないのかぐったりとして、アイーザの支え無しでは起きて居られないという酷い有様のロイドだったが、アイーザは離す気は無いらしく、今だに彼を抱きしめたままだった。
するとそんな二人の元に、カウンター越しにいた筈のジャスコがやって来る。その顔は正しく、修羅か羅刹のようだった。
「こんの…バカちんが!」
ごんっ!と、鈍い音が店内に響き渡る。アイーザの頭にジャスコの鉄拳制裁が炸裂したのだ。普段のアイーザであれば楽々避けている筈のそれ。しかし、今の半覚醒すら言い難い状態の彼では避ける事は困難であった。
それでも妖は身体が頑丈に出来ているため、普通の人間であれば軽くぶっ倒れているであろう威力のそれを受けて、なお平然としている姿はやはり人とは違う存在なのだとロイドに知らしめる。
「時と場所を考えなさいって何度言ったと思ってんのよ!もうちょっと考えて行動なさい!」
先ずは目を覚ましなさい!それまでロイちゃんはお預けよ!とロイドはルネに任せ、アイーザの首根っこを掴んで裏へと引き摺りながら連れて行く。アイーザはされるがままで大人しく引き摺られていった。




