54話
そんなクスナは、翌日もまたアイーザの前に現れた。
「今日は取り敢えず髪を切りましょう?それと、その襤褸もどうにかしないといけないわね!」
そう言って小刀と煤色の男性用の着物を手にやって来た彼女は、やはり草原で仰向けに寝転がっているアイーザにそう言った。
「心配しないでね?これでも自分の髪も母さんの髪も私が整えているんだから、意外と髪を弄るのは上手だと思うの!あと、これは死んだ父さんの着物よ。多分少し…いえ、もしかしたらもっと小さいとは思うけど…」
クスナはアイーザに起きて!と言うがアイーザはやはり聞く耳を持たない。むっとした彼女は昨日の仕返しだと彼の上に跨り、その胸倉を掴んでぐいっと自身に引き寄せた。
「人の好意は素直に受け取りなさい!」
「余計な世話です」
相変わらずアイーザの声は聞き取りにくいままであった。そんな酷い声でも彼女には聞こえていたが、クスナは敢えて聞こえないふりをした。
「なんて言ったか全っ然わからないわ!というわけで、貴方の文句なんて聞かないから、今直ぐ起きる!」
クスナの声は可憐な声色でありながら良く響く。真っ直ぐ的へ飛んでいく矢のように、これほどにざわざわと風の音が響き渡り、様々な音が拡散してしまうであろう遮るものが何も無い草原にいても、その声は不思議と真っ直ぐアイーザの耳に届くのだ。それも酷く大音量で…。
ガンガンと頭に響く、本当に煩い。頭が痛い。この女は一体何なんだ。何が目的で自分に近付くのか。理由が分からない。眠たいのに眠れなくて、キンキンきゃんきゃんと耳元で煩い。耳鳴りがする。限界がきていた。
「起きるから…黙れ…」
「ようやく?本当に腰が重いのね!妖ってみんなそうなの?」
「………。」
ようやくクスナがアイーザの上から退いた。アイーザは一つ大きな溜め息をついて、上体を起こす。着崩れた着物を正すこともなく、アイーザはその場で胡座をかいた。
「凄く傷んでる!ごわごわしてるし!刃が通るかしら…」
そう言いながらも、彼女はざくざくとアイーザの髪に容赦無く刃を入れていく。当時のアイーザは髪が長く、髪が何かに絡まるたびに、邪魔なのでその部分を爪で切る。アイーザが髪を触るのはその時くらいのものだった。当然髪はばさばさと絡まり、傷み、長さは疎らで、腰まである所もあれば肩より下程度の部分もある。
そんな髪を切るのは本当に骨が折れるだろう。事実、クスナもどう整えればいいのかわからず、悪戦苦闘していた。
「あ…」
クスナが不穏な声を漏らす。取り敢えず長さを整えようとしていたのだが、刃が髪に引っ掛かり無理に切ったのだ。それがいけなかった。変な切り方になったせいでそこだけ短くなり、整えた筈の場所もよく見ればがたがたになっている。悪化した…とは言わないが、前より良くなった、とはとても言えない出来だった。
「う…、んー…?こんな筈じゃ…」
何で?とアイーザの髪の有り様を見て頭を捻るクスナ。そんな彼女を見兼ねたか、それとも呆れたかはわからない。アイーザはそんな短い言葉と共に、彼女に髪を切る小刀を寄越せと仕草で催促した。
「…ん」
「え…?だめよ。貴方に握らせたら手を切りそう…」
「…ちっ」
アイーザは舌打ちをして、自らの手の爪を伸ばすと、もう片方の手でぼろぼろの髪を適当な束にして掴み、ざくっ…と、その髪を切り落とした。
「あっ!ちょっと…!」
クスナの声も気にせず、アイーザは長い髪を切っていく。当然鏡など無く、その手には迷いも躊躇も無い。ただひたすら、自分の髪を自らの爪でもって切り終えた。
その出来はというと、正直なところ、クスナが切った場所よりも綺麗に切られていた。多少の長さ違いはあるものの、クスナが切った場所のようにがたがたとしておらず、真っ直ぐ綺麗に切り揃えられていると言っていいだろう。クスナは当然不貞腐れた。
「自分で出来るなら、出来るっていいなさいよ…」
「………。」
「また黙り!もう、次は着物!それに着替えて!」
そう言って彼女は背の高い茂みを指差し、そこで持ってきた着物に着替えろと指示を出した。
従わければこの女はずっと煩く言ってくるに違いない。渋々とアイーザはクスナが持ってきた黒い着物を手にとって、茂みへと向かおうと重い腰を上げた。アイーザが立ち上がろうとしたのを確認したクスナは、アイーザに待ってるから早くしてね!と、声をかけ背を向けた。
本当に煩わしいと思いながらアイーザは茂みへ向かう。普段の彼なら殺して黙らせれば直ぐだと考え付く筈なのに、不思議とこの時のアイーザの頭にはそんな考えは浮かばなかった。
その後、着替え終えたアイーザが茂みから出てくると、クスナはあまりの姿にギョッとした。それは着物の丈にあった。
小さいだろうとは思っていたそれ。アイーザは細身でありながら背は高そうに見えたから、足首が出てしまう程度かなと予想していた。しかし現実はそうはいかず、アイーザはクスナの想定以上に背が高かったのだ。
座っている姿しか知らないからわからなかったが、彼はとても脚が長い。きっと上半身よりも下半身の方が長いのだろう。そのため座っていると背は高いだろうなとは思っても、その脚の長さを考慮できないので、実際の背の高さとの誤差が生まれるのだ。それも、かなりの…。
「あの…その…、ごめんなさい…!」
そんな誤差のせいでクスナが持ってきた着物は全くもって丈が足りていなかった。足首が出るどころか脹ら脛まで丸見えとなり、膝下丈ほどの長さしかなかったのだ。
完全に彼の身長を見誤っていた事にクスナは頭を下げた。しかし、アイーザは気にした様子もなく、また先程の場所でごろりと草むらの上に寝転がる。
「ちょっと、前髪がまだ…!」
「帰れ…」
そう言ってアイーザはもう、クスナと口を利こうとはしなかった。
「長さは揃えてもそれじゃあ、顔が半分隠れちゃうけど?」
「………。」
「そう、また黙りなのね?はいはい、余計なお世話でしたね!」
下手くそで悪かったわね!と、彼女は言い捨てて行ってしまった。だが、その翌日も翌々日も彼女はやはりアイーザの前に現れ、アイーザが何の返事をせずとも、彼女は一方的に話をしては帰っていく日々が続いた。




