47話
その後、ルネとも合流し店に戻ると、つい先程男から聞いたばかりの知らせを、店先に止まっていた一羽の白い鴉が教えてくれた。その白い鴉は各地の花街で番人を務めている妖達が用いる連絡手段のようで、鴉は三度その知らせを人語を用いて伝え、首に括り付けられていた手紙をルネが受け取ったのを確認すると、ばさばさと暗い曇天の空へと飛び立って行ってしまった。
店の奥へと入ると、外では雨が降り出したようだった。雨脚が強く、室内に居てもその音が聞こえてくる。あの鴉は大丈夫だろうかと、ロイドは心配しながら雨粒が激しく叩く窓の外を見ていた。
花街が各地にあるのは知っている。その規模は都のものとは遠く及ばないものの、そこにも妖の番人がいるのは知らなかった。
花街の規模は番人となる妖の妖力の強大さによって決まるらしい。事実、ルネとアイーザが番人と決まる前までは、郭の規模も大したものではなかったそうだ。しかし、想定外に花が集まってしまったのと、後に花の香りが妖を引き付けてしまうことが判明する。
しかし、その頃にはもう、人と妖の距離というものはかなり離れたものになってしまっていたのだ。大半の妖は裏の世界に引き篭もり、表と行き来はあるものの、完全に表側に居るものは殆どいなくなってしまい、人も妖という存在を殆ど忘れてしまっていた。けれど、数多の花を一箇所に留めるとなれば話は別で、そこは人だけでなく、妖にも狙われる事になると奏上した者こそ、あの片目を隠した妖の男であったらしい。
「あれの名はイオ。花街の制度を作った男であり、西の花街の番人を務める男です」
イオは突然、皇達が郭の事に関する会議をしている場に、蜃気楼のように現れた。当然その場は騒然となったが、イオはそんな事に気を取られる事もなく、ただ飄々と、花と、花を集める事の危険性を説いたのだという。その事を知らずにいた人間達は、郭の建設を停止しようとも考えたが、その危険性を改善する方法があるという。それが、妖を郭の番人とし、その妖力でもって街を囲い、花の香りを外に出さぬようにすること。
一部の古い花達は、自らの香りを抑え込む術を知っているため、彼等のその術を郭の中で広めていくことによって、更に安全性は増すだろうと…。
そうして、花街の制度が作られていったという。
「え…。花の匂いを抑える方法…?」
「あぁ、花街の花達は花蕾になると教えられるそうですが、貴方は街をでていたんでしたねぇ…」
「アイーザは…、その事を知っていて、私にこれを…?」
ロイドはそう言って腕の組紐を見せる。アイーザはそれを見て、しれっと肯定した。
「えぇ、貴方の話を聞いて直ぐに察しはつきましたし、そのために貴方を花街に通わせるのも嫌でしたから」
「言ってくれたら良かったのに。私は、その話を聞いたとしても、この組紐を手に取りましたよ?」
二人が甘い空気を醸し出したので、ルネが他所でやれと、早々にその空気を追い払う。ロイドはすみません…と謝罪し、アイーザは舌打ちをして、話を戻した。
「まぁ、そういうわけで…忌々しいことに、その際に都の守りは我々が適任だとその場で名前を出してくださったようで…」
「更に、御丁寧に我々の居場所までバラしやがりましてねぇ…。お陰で、毎日のように人間のお偉方が押掛けて来て…まさに地獄でしたよ…」
当時の事を思い出したのか、二人は笑っているものの、その笑みは暗く、明らかな憎しみが込められており、内心ではかなり荒れているのがわかる。ロイドはいつものようにソファに座り、アイーザが淹れてくれた甘いミルクの入った紅茶を飲みながら、アイーザの隣で二人の会話を聞いていた。
「更にクスナが落花となり、その暴走を食い止めたことで番人の役目を受け入れざるを得なくなり、それ以来、この地に縛られる羽目になりました」
「時折、全て仕組まれていたのではないか…と、思う事もありますが。まぁ、事実は小説よりも奇なりと言いますしねぇ…」
「というわけで、我々も少なからず貴方と同様、あれに思うところがあるわけです」
「次に会ったら、必ず捕らえてくださいね?丁度試したいものがあるんですよ」
アイーザ曰く、ルネの何かを試したいは、当然言葉通りの意味もあるのだが、その新たに作った毒を使って相手を殺したいという意味も含まれているらしい。
ロイドは別段驚きはしなかった。むしろ、納得さえしていた。何故ならこの数日だけで、ルネの穏やかに見える表情の裏に隠れた凶暴さと恐ろしさを知っていたからだ。
「かなりの直情型ですからね、あれも…」
「そういう上品な顔して粗暴なところ、そっくりですよね。二人とも…」
「黙れ」
アイーザとロイドがそんな会話を繰り広げていると、突然ルネとアイーザの表情が変わった。ほんの一瞬目を見開き、何かを察したらしい顔で二人は紅茶を手にしたまま固まり、同じ方向を見ていた。
「どうしたんですか?」
突然張り詰めた空気に、ロイドは心配そうな顔で声を掛ける。
「来ますねぇ…。あぁ、嫌だ嫌だ。面倒くさい…」
「まぁ、通り雨程度のものでしょう。ロイド、貴方は此処に居てください」
外を見れば、雨が弱まり雲が流れ、空が見えている。その空は赤く染まり、雲の隙間から漏れ出す光も橙を帯びて、美しもありつつ、あまりにも赤が強く鮮やかなので何処か恐ろしくもあった。
もう暫くすれば、雨が夜を連れてくるのだろう。夜が来れば雨は止み、辺りは闇に包まれるに違いない。あの男…イオに会ったせいだろうか?ロイドの心には若干、一人になることに不安があったが、アイーザが残れというのならロイドは素直に頷くしかない。
「わかりました」
「私達が出たら、必ず鍵を閉めて、誰も入れぬように。不安なら、あちらに居てください」
そう言い残して、二人は鮮やかな羽織を肩に掛け、まだ雨の残り香と水煙が漂い立ち込める街を、二人は駆けていってしまった。




