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42話

 アイーザは自身がこの世に存在するようになった頃のことを詳しく覚えてはいない。何故なら彼は…いや、彼等は自己というものがとても希薄な、とても朧げな存在であったからだ。

「あの頃のルネと私に差異は無く、そういえば…手も足も無かったように思います。黒く、鱗で覆われたその身は、蛇のような姿であったかもしれません…」

 ただの大きな、双頭の黒い蛇。それがルネとアイーザだった。ルネとアイーザという名は、最初からあった。突如として二人が存在したその時から片方はルネであり、もう片方はアイーザだった。但し、それは個を判断するためというよりは、何か呼び名がなければ不便だった…のかもしれない。

 何故それぞれの名が最初からあったのか、何故その名であったのか、二人はその理由を知らない。二人とも最初は、ただ寝ていた。何処か暗い場所で、ずっと目を閉じていればよかった。それを最初に崩したのは、ルネであった。

 きっと、彼は寝ている事に飽きたのだ。時折、こんな暗い場所でも何かしらの音や息遣いは聞こえてきたから、まるで、天井から落ちてくる冷たい水の雫のように、不思議と彼の中の何かを刺激したに違いない。

 それから二人の身は分かたれた。ある日突然身体が裂けた。痛みは無かった…と思う。そもそも、アイーザはずっと寝ていたので、どうでも良かった。それからルネはこの暗い場所へは戻らず、アイーザは一人になってもずっと眠りに落ちていて、たまに眠りの淵から戻っても、再度彼は眠りの海へと自ら身を沈めた。


 それからルネが戻って来たのは、どれ程の時が流れた頃だろうか。きっと、外では何度も日が昇り、星は巡り、月が沈んだ。けれど、どれ程の時が流れようと、死とは無縁のこの身であるからか、自身とは無縁の時の流れなど、全く気にならなかったのだろう。

 しかし、アイーザは、ルネの姿が自身と違う事に気が付いた。彼のその姿は、人間を模しているらしい。そうか…、としか思わなかった。

 だが、ルネはそんなアイーザを外へと引きずり出したのだ。無為の時間を過ごしたところで、終わりのない自分達には無意味だと、この世界に存在する間は、常に暇潰しでも探さなければ、それは死んでいる事と同じだと、ルネは言った。

 アイーザは、青空と太陽が鬱陶しいとしか思わなかった。

 アイーザが人の姿となったのは、またある程度時が流れてからのこと。その頃までアイーザは会話というものをしたことがなく、自身の声も、声の出し方も知らなかった。

 一応、人の形はしていたが蛇の残渣が至る所に残っていて、到底人の中には混じることができぬ外見を、当時はしていたらしい。


「なんというか…、意外です」

「そうですか?」

「最初から今の姿で、今のアイーザのままだったのかと思っていました」

「そうであったなら、もう少し人に馴染める性格をしていたでしょうね。ルネも私も…」

「ちょっと想像がつきませんね」

 くすくすとロイドが笑う。そんなロイドの金色の髪を撫でながら、アイーザは話を続けた。


 人の姿をとるようになって少し、アイーザはふと水に映った自分の姿を初めて見た。ルネとは違う自分の姿に、違和感を覚えたと記憶している。

 二つの頭で一つの身体を共有していたというのに、今ではこれほどまで二人の姿は違っている。よくよく見れば顔や手の形など、似ているところはあるのだろうが、これほどまでに色も形も違うとは思わなかった。

 人の身はとても不便だった。ただ寝ていることは許されない。どれもこれも、人としての姿を維持するための行為が面倒くさい。その頃にはそこそこ蛇の残渣が抜けていたが、アイーザの右目には黒い鱗模様が痣のように浮び上がっており、今の彼の美しい容貌とは、かなりかけ離れていたという。

 相変わらず感情や心も、存在する意味もわからず、アイーザはただ人の姿をとりながらそこに居ただけだった。

「着物を着る。くらいのことは、いい加減覚えてくれませんかねぇ…」

 アイーザは相変わらず言葉を発することもなく、ただずっとぼーっとしていた。一糸纏わぬ姿で、ルネから放り投げられた着物をそのまま布団変わりに引っ掛けただけの姿のまま、自らの意思では家から一歩も出ることが無い。

 その頃住んでいたのは表の世界で、生まれて間もない力の弱い二人は、裏の世界に入り込む事すら出来ずにいた。ロイドの予想もつかぬような遠い昔、その頃にはまだ妖が数多く居て、力の弱い者達は裏の世界を追われ、表世界へと流れており、人と妖の距離はとても近かった。


「あの頃は、打ち捨てられた村の廃墟に、二人で隠れ住んでいたような気がします」

「生まれて間もないって…、どれくらいの年月が経っていたんですか?」

「さぁ…?時の流れなど、在って無いようなものですから…。ですが、あの頃の私達は、とても脆弱な存在であったと思います。特に私は…」

「そんな状態だったのに、いつからアイーザは今のアイーザになったんですか?」

「そうですね…。あれは、ようやく私がある程度、人としての生活に慣れてきた頃のことでしたか…」


 その頃になるとアイーザも一応着物を着る事と、時折ふらりと夜の外界を歩く程度のことはするようになっていたと思う。

 だからこそルネは、少し人里の近い場所へ行こうと言い、二人は当時、まだ建設中だった都のそばに移り住んだのだった。

 しかしアイーザの右目の痣はまだ残っており、左右の目の色も違った。ルネはその頃にはもう今と変わらぬ姿をしていたが、彼は人化の術があまり得意ではないのか、アイーザ同様、左右の瞳の色が違うせいで、周囲の人間達からは遠巻きにされていた。二人の容姿が、人の枠を外れて美しいのもあっただろう。

 鱗のような痣があれど、目の色の違いがあれど、二人は異様に背が高く、理を外れた顔の壮麗たる造形が、周囲の人を遠ざけた。どんな物事も度を過ぎると途端にそれは恐怖に変わるのだと、当時のルネとアイーザは知る由もなかった。

 それから都が発展し、郭が建造されはじめ、数多の花達が集まってきた。


「そんな花達の中に紛れていたのが、あの椿の落花、クスナでした」

「クスナ…」

「とはいえ、ルネに名を聞くまで忘れていたんですが…」

「それ、本当に愛していたんですか?」

「どうでしょうね。貴方は、どう思いますか?」

 アイーザにそう問われ、ロイドは悩む素振りも見せずに返答した。

「あの人の…、クスナさんの嘘だと思います」

「何故?」

「貴方に愛されているから…ですかね。だって、アイーザが本気であの人を愛していたとしたら、今の現状を許しているわけがありませんし…」

「どうして?」

「だって、私を見ればわかるでしょう?こんなに貴方に囚われて、縛り付けられて、私は貴方の花なんだと、この組紐がこれほどまで主張しているのに…」

 そう言ってロイドは、とても愛おしげに組紐に自らの指を絡める。ほんのりと頬を染め、幸福を噛み締めるようなその姿は、自ら喜んでアイーザに囚われているのだと、そんなアイーザを愛しているのだと、彼の意思を証明している。

 そうしてロイドはアイーザにぴったりと身を寄せると、一つ欠伸をした。

「眠くなってしまいましたか…?」

「少し…」

 冷静になって考えてみれば、あの落花の言葉は真実ではない事など、ロイドには直ぐに分かることだったのに…。どうやら酷く動揺していたようだと、ロイドは重くなる瞼と戦いながらそう思った。

「夜も更けました。今日はもう、寝ましょうか…」

「まだ…、話…」

「続きはまた後日…。大丈夫、貴方が不安になるような過去は、何一つありませんから…」

「ふふ…、よかったぁ…」

 アイーザの否定の言葉で更に安心したのか、ロイドはもう睡魔の誘いに抗わず、アイーザの腕の中で、静かに眠りの海へと沈んでいった。



 

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