41話
二人はその後、軽い口づけを交わしてからそれぞれの部屋へ行き、ロイドは寝間着に着替えてベッドに潜る。目を閉じるもロイドはごろごろと寝返りをうつばかりで、なかなか眠りにつくことが出来ないでいた。
ゆっくりと目を開ける。しん…と静まり返る部屋の中、ぼんやりと天井を見つめると、今日の出来事が頭の中を駆け巡る。実のところ、ロイドにはアヅナエのこと以上に気になって仕方ない点があった。
あの椿の落花が言っていた“かつて愛していた女”という台詞。彼女は何者なのだろうと、ぐるぐると思考を巡らせても、当然答えは出る筈もない。
ロイドは覚悟を決めて、ベッドからするりと抜け出した。仕方ない…。だって、気になって眠れないのだから。そんな言い訳をして、ロイドは自室を出て、アイーザの部屋を探した。
アイーザは、二階にあるロイドの部屋よりも奥に消えたので、きっと彼の部屋は此処から更に先にあるのだろうと見当をつけ、ロイドはゆっくりと廊下を歩いた。
暗い廊下を手探りで進む。何処もかしこも扉は閉じているので、どの扉が彼の部屋に繋がるものなのか分からない。それでもロイドはアイーザを求めて、手の感覚だけを頼りに先へと進む。すると、とある扉の前から、アイーザの香の匂いが微かに香った。
ロイドはハッとして、アイーザ…?と、小さく声をかけてから、軽くノックをした。
「はい…」
中からは求めていた声が聞こえて、ロイドは気持ちを抑えきれず扉を開けた。
室内は真っ暗で、その中で灯る一本の香蝋燭の灯りだけが唯一の光源であった。その灯りがぼんやりと照らす範囲だけを見ても、この部屋が完全な洋風仕様であることが察せられる。
窓は完全に厚いカーテンで覆われ、月の光も差すことはない部屋で、アイーザは椅子に座り、分厚い羊皮紙の表紙の本を読んでいた。
「どうかしましたか?」
アイーザに問われ、ロイドは言葉に詰まってしまった。ただ自分の意思だけに突き動かされ此処まで来てしまったが、アイーザの気持ちを全く考えていなかった。
彼だってロイドに聞かれたくないこと、知られたくないことがあるだろうに、余りにも自分勝手な理由だけで彼のことを根掘り葉掘りずけずけと聞いてしまうところだった。ロイドがそのことに気が付いて入り口で立ち尽くしていると、アイーザが徐に椅子から立ち上がり、ロイドのもとへとやって来た。
「ロイド…?」
優しい声が、ロイドの頭上から降り注ぐ。けれど、その声とは裏腹に、ロイドの背後で閉じた扉の鍵をアイーザの手が音も無く閉めてしまう。
退路を断たれ、ロイドは自らの背を扉にぴったりと押し付け、自然とアイーザとの距離を離そうとする。しかし、アイーザはそれを許さず、静かにその距離を縮めてロイドを追い詰めた。
完全に追いやられたロイドだが、更にアイーザが扉に片腕をつき、ロイドの頭上から見下ろすようにしながら、もう片方の手をも扉につけたことで、完全に閉じ込められてしまった。
それは、何よりも優しい檻である筈だった。しかし、ロイドにとってはどんな牢獄よりも抜け出すことが難しい。ただアイーザの腕が隣に置かれているだけの鍵も無い牢獄であるはずなのに。
ロイドは囚われる以外の選択肢を持たなかった。
「アイーザ、あの…離してほしいです…」
「貴方の理由を聞いたら、直ぐに離してあげますよ」
アイーザの体温を感じる。心臓がどくどくと音を立てて胸を叩く。彼の香の香の香りがロイドの鼻腔を擽り、脳までもおかしくなってしまいそうだ。血液が沸騰しそうなほどに身体が熱くて、何もかもが溶けて蕩けていくような、そんな幸せな恐怖に襲われた。
このまま囚われていたい。恥ずかしすぎて逃げ出してしまいたい。二つの気持ちがせめぎ合う中で、ロイドは固く口を閉じる。自分がどうしたいのか、感覚が麻痺した頭ではもう、わからない。
「ロイド…もう一度だけ、尋ねてあげましょうか。これが最後です」
そう言うとアイーザは、言い聞かせるように、ロイドの耳から脳、心にまで染み込ませるかのように、ゆっくりと、ねっとりとロイドに尋ねた。
「ロイド、貴方は何故…この部屋を尋ねて来たんですか?」
「あ…」
ロイドの口から、声とも吐息ともつかない熱い空気が漏れた。けれど、一度漏れてしまえば、最早ロイドの声を堰き止めてくれるものは何も無く、するっと言葉が溢れてしまった。
「あの…、アイーザがあの椿の落花を愛していたって…」
「おや、残念ですね。私はてっきり、一人では眠れないとお強請りに来たものかと期待したというのに…」
「な…っ!?」
アイーザの悪戯っぽい笑みに、ロイドは目を見開き、真っ赤な顔を首まで赤くする。するとアイーザはロイドの拘束を解き、大きな自らのベッドへと誘う。
恥ずかしがりながらもロイドはアイーザの手を取り、ベッドへと向かった。そして、二人はベッドの上に倒れ込み、横向きで寝転びながら向かい合う。
いつの間にか蝋燭の明かりは消え、室内は闇に包まれた。ロイドには何も見えないが、アイーザには見えているらしく、そっとロイドを抱き込み、ロイドの耳元で優しく囁いた。
「少し、昔の話をしましょうか…。あまり、面白くはないと思いますが…」
そう言ってアイーザはぽつりぽつりと話しはじめる。ロイドはアイーザの胸に身を預け、アイーザの体温に酔いしれながら、寝物語を歌うようなアイーザの声を、そっと目を閉じて聞いていた。




