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4話

 ロイドが買ってきたのは、ルネに勧められた桜の形の香蝋燭だった。何とも愛らしい桜色のそれを、彼女は大層喜んだ。

 可愛らしい小さな受け皿の上に飾り、侍女に火を灯させると部屋の中には、細やかながらも甘く、春の訪れを告げるかのような可憐な香りが広がった。その香りもお気に召したようで、彼女は御満悦だったらしく、ロイドに僅かながらも駄賃を渡したのだった。


 その夜、床に就いたロイドは、あの店の事を思い出していた。

 様々な香りに包まれた店内。一見はただのアンティークだが、どこか風変わりで、それなのにあの中では不思議と調和が取れていた家具や、棚や、備品達。

 そして何より、あの人の枠を外れたかのような双子の店主。

 何処か裏がありそうだが、ロイドの香選びを手伝ってくれた優しそうなルネと、無表情だが、ロイドを店に誘ってくれた人…。

「アイーザ…」

 あの初対面の衝撃を忘れられないだけだと、ロイドはずっと内心言い訳していた。しかし、それだけでは片付けられない程に、彼の容姿と香りは凄絶で、あの時の姿が目に焼き付き、目を閉じればはっきりとアイーザの姿が浮かんでくる。


 疲れているはずなのに、ロイドは、眠れなかった。


 翌日もロイドは、都の中心部へと出掛けた。

 言いつけられた用事は昨日とは別で、花街との境に行く予定は無い。しかし、ロイドはどうしても脚がそちらへ向き、気がつけば、境の街へと来ていた。


「どうしよう…」

 実のところ、ロイドは昨日の道順を正確に覚えているわけではなかった。我武者羅に探していた事もあってか、どこか曖昧で、靄か霞でも掛かっているかのように、上手く思い出すことが出来ない。

 けれど、ロイドの心は彼処へ行きたいと叫んでいて、ふらふらと暗い路地裏を彷徨った。

「何処へ行くつもりですか?店は此方ですよ」

 背後から声が掛かる。その声の主を、ロイドはもう知っていた。

「アイーザさん…」

「さん付けは不要です。ほら、行きますよ」

 ロイドが向かおうとしていたのは、日が差し込む比較的明るい路地裏。しかし、アイーザが立っていたのは、真逆の路地裏だった。

 そんな暗闇の中に立っていてもなお、彼という存在は際立ち、闇に溶け込む事なく。薄汚れ、寂れた退廃的な路地裏の中であっても、ただ美しかった。

 ロイドは、そんな彼の背を追った。

 彼の足取りは無駄が無く、長い脚が静かに着物の裾を捌く。靴を履いているロイドとは違い、裸足に草履で、一見ゆったりと歩いているように見えて、その歩みは速かった。

 様々な物が置かれている狭い路地裏。

 ロイドはそれらに足を取られそうになりながら、必死にアイーザを追っているというのに…。前を歩くアイーザはといえば、まるで物の方が彼を避けているのかと思う程に、何かに蹴躓くことも、よろける事も無く、先へ先へと行ってしまう。


「あの、待って…!」

 ください、と言おうとしたのに、ロイドは何かに蹴躓き、大きく上体を崩したせいで、言葉にすることは叶わなかった。

 ぶつかるっ!と思ったのに、その衝撃は訪れることなく代わりに、誰かに抱き留められる感触と、昨晩から離れなかった夜の香りに包まれた。


「全く、随分とそそっかしい…」

「すみません…」

 ロイドがアイーザの身体を支えに姿勢を正すと、アイーザの身体は離れ、彼の香りもまた、少しだけ遠くなった。

 ロイドはやはり、アイーザという存在と香りに不思議と安心感を覚え、離れていくと途端に不安がやって来る。でも、何故これほどまでに心を揺さぶられるのか、その理由は分からない。

 けれど、今もまた、ロイドは不安そうに視線を彷徨わせていた。


「で?今度は何を頼まれたんですか?」

「え?あぁ…、その…、今日は…特になにも…」

 アイーザに話しかけられて心が喜び跳ねたのに、彼の物言いは 用事が無ければ来るなと言外に言われているようで、一気に心は萎んでしまう。

「とうとう、本当に冷やかしですか…」

「違いますっ!私は…っ!……ただ…」

 顔が見たかっただけ、なんて言えるわけがない。ロイドとて、昨日が初対面の客に貴方に会いに来た!なんて言われたら、確実に距離を置こうと思うだろう。

 でも、他に理由も無く、ロイドは俯いたまま、何も言えなくなってしまった。


 ロイドとて、これ以上不要な迷惑をかけるのは不本意だった。

「すみません!今日はこれで失礼します!」

 そう言って、ロイドは踵を返して走り出そうとした。何故だが心の不安が大きくなって、涙が出そうになるほどに悲しい。でも、こんなところで大の男が泣き出すなどと、迷惑どころの話ではない。

 だから、ロイドは少しでも早く、アイーザから離れたかった。

「全く、何なんですか。貴方は…」

 ロイドの手首が掴まれた。掴んだのは当然アイーザで、ロイドの小麦色のような肌と比べると、更に白く浮いて見えた。

 アイーザの体温はとても低くて、少しだけひんやりとしていた。その手を振り解かなければいけない。

 そう思うのに、ロイドの腕は言うことを聞かなかった。



 結局、ロイドはまたあの煙草屋、もとい夜香堂へとアイーザとともにやって来てしまった。あの後、アイーザはロイドの腕を離さず、無言で連れてこられたのだった。


 店内は相変わらず真っ暗で、アイーザの手に引かれていなければ確実に何処かに身体をぶつけていたに違いない。

 ぱちん!とアイーザが1度指を鳴らした。

 すると、途端に部屋に明かりが灯る。相変わらずの品揃えだったが、今日は何故か、ロイドの鼻はアイーザの香りしか拾わない。こんなに色とりどりの美しい物ばかりなのに、ロイドの目はアイーザの背しか追い掛けられなかった。


 そのまま店の奥へと連れられて、ロイドはカウンターの中に置かれていた丸椅子に座らせられた。

「少しは落ち着きましたか?」

「すみません…。なんだか、気持ちがぐちゃぐちゃというか…、上手く整理をつけられなくて…」

「開花が近いのかもしれませんね。“花”は、自らが花開く瞬間が近づくと、そわそわと落ち着かず心が乱れ、不安や恐怖に襲われると言いますから」

「その、この前も思ったんですけど、アイーザの言う“花”って何なんですか?」

「そうだろうと思ってはいましたが、やはり貴方は、自らが“花”である事を知らぬ“花”なんですね」

「私が…花?」

「少しだけ、説明しましょうか…」

 そう言って、アイーザは“花”について教えてくれた。

 “花”とは、何らかの理由で妖力を持ってしまった人間であるらしい。

 妖と夫婦となった者達から生まれた子供であったり、過去に妖から直接その身を害される被害に遭遇し、それが原因で死の淵を彷徨い、彼岸から戻って来た者達の中には、人でも僅かに妖力が宿るときがあるのだという。

 人の身に妖力が宿れば、人は忽ち半端な妖かしとなるか、身体が耐えきれず死に至るのだが、稀にその妖力を咲かせる者がいる。

 それこそが、“花”だという。

 “花”はあくまでも妖力を咲かせただけの人間であるため、特殊な力も持たず、ただの人間と殆ど変わりは無い。しかし、“花”となった者達は必ず人を惹きつける香りを放ち、人に好かれるのだという。

 花にも其々あるように、“花”にもまた種類がある。大衆に咲く大輪の花、見る者を癒やす小花、唯一無二を持つ特別な花、香りで誘う幻惑の花等、本当に多種多様らしい…。

「…え?それって…」

 花街みたいだ。


「花街のようでしょう?」

「え!?えぇ…」

「とまぁ、我々の言う“花”とはそういうものです。そして、貴方も…」

「私も人でありながら妖力を持っていると…?」

「えぇ。とはいえ、貴方はまだ蕾の状態ですが」

「咲くと、何か問題があるんですか…?」

「ありますね。ですが、見たところ、まだ咲くようには見えませんから、気にすることもないかと…」

「そう…、ですか…」

 説明は終わりだというかのように、アイーザは店の奥。たぶん、居住スペースだろう場所へと行ってしまった。




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