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36話

「さて、宴の準備は整ったわね。後は残りの招待客を待つばかり…」

 落花の女がそう言うと、突然ロイドの視界に黒い百合の花が落ちて来た。ロイドの目は僅かに見開かれ、思わず天井を見上げる。

 天井には墨で描かれた2頭の獅子がいた。その獅子達は戯れ合っているのか、四角い天井に円の形を描くように配置されている。そんな円の中心から黒い様々な花が降ってくる。

 花は花弁も萼も、雄しべも雌しべも何もかもが墨汁のように艷やかで真っ黒で、不思議と美しい。気が付けば天井も、ロイドとクズシノのがいる周囲までもが黒い花達が床も天井の絵も見えないほどに敷き詰められていた。

 クズシノは黒い花に恐怖していたが、ロイドは降ってくる花を両手で受け止めながら、天井を見上げている。驚いた表情をしていた筈なのに、今では愛しい者を待つ笑みが、ロイドの顔に浮かんでいる。

「アイーザ…」

 ロイドが名を呼ぶと、天井の花の中から二人の男が降ってきた。二人が出てきた事で敷き詰められた花が乱れ、散って花弁となってしまったものもある。けれど、そんな黒い花が舞う中から現れたアイーザの姿は、妖美という言葉が相応しい程にロイドの目を惹きつけた。

 アイーザとルネが畳の上に音もなく降りた途端に、床一面の花が舞い上がり、風に巻き上げられ一塊になると、二つに分かれて二人の羽織へと姿を変える。


「全く…、無茶な事を…」

「でも、こうすれば絶対に敵の居る所へ来られるじゃないですか」

 呆れ顔のアイーザとは対照的に、ロイドはふふっ、と笑っている。

「痴話るのは後にしてくださいねー?私、さっさと終わらせて帰りたいんですから」

 ルネはヘラヘラと笑いながらそう言い、二人に釘を刺す。クズシノは二人が天井から降ってきた際に驚いて尻もちをつき、現実とは思えぬ事が立て続けに起きているせいで、完全に目を白黒させていた。


「あぁ、良かった。ようやく宴の面子が揃ったわね」

 自らに注目するようにパンパンと手を叩きながら落花が高座から降りてくる。その足取りは真っ直ぐ、アイーザへと向けられていた。

「もう、昼間のあれは酷いんじゃない?お陰でお気に入りの式が真っ黒焦げになっちゃったわ」

「それが何か?私の花に手を出したんです。当然の報いでしょう?」

 笑顔でアイーザを見つめる女と冷めた目で女を見据えるアイーザ。二人の雰囲気が、二人には何かしらの接点がある…いや、或いはあったのだと推測できるほど、女のアイーザへの接し方は馴れ馴れしいものであった。

 ロイドとクズシノが高座に近づこうとした時には見えない何かに阻まれたのに、女はそんなものは知らないとでもいうように、平然とロイドを庇うように立つアイーザのそばへとやって来る。

 しかし、アイーザは彼女に閉じた黒い檜扇を突きつけた。

「それが、かつて愛した女に言う台詞と態度なの?」

「世迷い言を…。貴女のような毒婦に好意を寄せるなど、余程の物好きですね」

「あら、酷い…。でも、だからこそ惹かれたのではなくて?」

 落花の首元には檜扇が突きつけられている。だが、女は平然と自らの手をアイーザへと伸ばす。赤い爪先がアイーザの持つ檜扇、手、腕に沿い、彼の頬へと向かって行く。

 アイーザは微動だにせず、酷く冷たい目で彼女をただ見ていた。女は笑みを深くし、アイーザに触れようとした次の瞬間、その手はパンッ!と乾いた音を立てて振り払われる。アイーザは動いていない。

 その手を振り払ったのは、アイーザの背後にいたロイドであった。

 

 ロイドは何も言わず、ただ組紐が巻かれた方の手で、彼女の真っ赤な爪が毒々しい手をはたき落としたのだ。その顔には明らかな怒りが浮かび、翡翠の瞳が女を鋭く睨みつける。

 ロイドに叩かれた女の手は組紐が原因か、白い肌が焼け爛れたようになっている。

「くっ…!」

 女は直ぐに飛び退いたが、アイーザが一瞬で距離を詰めてきて、彼女の視界にはアイーザだけが映る。彼が手に持つ黒い檜扇が、しゃらり…と優雅に開かれたのが見えた。

 その後は一瞬で、視界の中のアイーザは消え、白い一閃が見えたと思ったその時、視界は赤に染まった。


「ちっ…、仕留め損なった…」

 そう舌打ちしたのはアイーザだった。彼は檜扇についた血を払い、忌々しげに女を見下ろしている。

 アイーザの鉄扇を何とか躱して、畳の上に尻もちをついた女の美しい顔に、真っ赤な紅の一閃が走っている。それは彼女の目と鼻の間に綺麗な一文字を描き、彼女の雪のような白い肌を、所々飛び散った自らの血化粧が彩っている。

「あ…、あぁ……あ"っ、…あ"ぁ"……」

 爪紅の指先が血化粧に触れ、白い肌に真っ赤な筋を残す。指先が震えているせいか、その筋はがたがたになっていて、随分と粗末なものだった。その顔にはもう、先程までの笑みは無く、あるのは怒りで醜く歪む般若の如き形相へと変わっていく。

「随分と見苦しく無様ですね?まぁ、先程までよりは見られるようにはなりましたが」

 ハッ、とアイーザが鼻で笑う。正しく嘲り笑うという言葉が相応しいアイーザの表情に、女は完全に怒りに囚われていた。

「よくも…、私の顔に傷を…!」

 そう叫び落花はアイーザに襲い掛かる。しかしアイーザはただその様子を見ていた。女は忘れていたのだ。この場にはもう一人、妖が居ることを。

「人を無視して仲間外れにしてはいけないって、寺子屋で習わなかったんですか?」

 その言葉とともに、ルネが飛刀を放つ。彼女は咄嗟に気が付き躱そうとしたが、数本の飛刀が白い肌を掠めていった。細く赤い筋が顔や腕に数本走り、そこから僅かに血が流れる。

「おのれえぇ…、私の肌に傷を増やすなど…!」

「その程度の傷…なんて、勘違いしていませんか?逆ですよ?傷をつけられれば良いんです」

 細い赤い糸のような僅かな傷だった。

 その筈だったのに、掠っただけのそこからは異臭が漂いはじめ、ぐじゅぐじゅと皮膚が爛れだした。そこはみるみる悪化し、まるで腐って溶けはじめた肉のようになっている。

「い"や"あ"あ"ぁ"ぁ"ぁ"っ!!」

 落花は悲鳴を上げ、腐った皮膚を掻きむしり、どうにか腐敗の進行を止めようと足掻くが、それは全て徒労に終わる。

「あはは、凄いでしょう?それ、私が作った毒なんです。傷口に触れたら最後、肉という肉が全て腐り落ちていくんですよ」

 面白いでしょう?と笑うルネは、本当に楽しそうに落花が見るも無残な姿になるのを観察している。

 アイーザはまたルネの悪癖が始まったと呆れ、ロイドはさすがに耐えきれなかったのか、アイーザの背に隠れ直視しないようにしていた。クズシノは何とかその場から立ち上がるも、臭気と光景に視線を逸らし、鼻と口を着物の袖口で覆った。

「くそ…っ!アヅナエ、後は任せたよ!アイーザ以外は皆殺しにして!」

 女はそんな捨て台詞を言い残し、彼女の身体はただの抜け殻となった。まるで糸が切れた人形のように、ぐるん!と白目を向いてその場に崩れ落ちるように倒れる。腐敗し、所々から腐臭の著しい体液が流れ、白い骨が見え隠れしている亡骸からは椿の花が溢れ出し、女の身体から湧き出すように舞い上がっては、いつの間にか彼女の遺体は消え、腐り落ちたらしい赤い椿が転がっていた。




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