35話
それからロイドは自らの思うままに襖を開けていく。悩むことも迷うことも無く、只管に彼は襖を開け放ち、思うがままに進んだ。
クズシノはその後に続いて、ロイドから離れず共に進んでいた。ロイドが言うように、クズシノだってアヅナエを助けたい。いや、その思いはロイド以上に強いという自負があった。
「アヅちゃん、この前あんたに会ったって笑ってた。あの時もね、居なくなった男の足取りを探すために、大門前で聞き込みしてたんだよ…」
「え…?じゃあ…」
「しっかり者の姉でいたかったんだろうね。あんたの前ではさ」
ロイドにとって最も大切な人がアイーザならば、クズシノにとって最も大切な人がアヅナエであった。彼女の笑顔に、クズシノは救われ、それ以来ずっと彼女の隣りに居た。
人に恋し焦がれる花、太陽を想い彼を見つめ続ける花、そんなに様々な花がいるなら、その中に一人くらい、花に焦がれる花がいたって何ら不思議は無いだろうとクズシノは思う。
何しろ、その花に焦がれる花とは、クズシノ本人であったから。
幼い頃の彼女は、そんな男勝りできつすぎる性格が災いし、常に遠巻きにされていた。クズシノ自身も誰を寄せ付ける事もなく、周囲を冷めた目で見ていた。
そんなとき、手を差し伸べてくれたのがアヅナエだった。
彼女の手の温かさに触れ、彼女の明るい声に導かれ、クズシノはいつしか、ちゃんと花街に馴染むことが出来るようになった。
そんな皆を引っ張る春の嵐のような彼女は、いつも誰かに囲まれていて、そんな彼女の小さな手はいつも、自分達より一つ下の男の子が占領していた。狡いと、幼いクズシノは思っていた。
だから、手は繋げずとも、彼女はアヅナエの隣に立つ事を選んだ。そうして大切にしてきた筈なのに、やはり彼女は自らの隣でじっとしている事など無く、いつも一人で何処かへ走って行ってしまう。
そんな彼女に声を掛け、連れ戻すのが、クズシノの役目だ。絶対にアヅナエとロイドの三人で此処を抜け出す。クズシノの中には、そんな強い意志が煌々と煌めき燃えていた。
二人が数多の襖を開けて進んだ先は、華夜楼の宴会場に使われる大広間に良く似た大部屋だった。床は一面畳が敷かれ、その奥には高座があり、そこには例の落花の女が立っており、その直ぐ横には土気色に干乾びた男の亡骸に膝枕をしているアヅナエの姿があった。
アヅナエは項垂れ、下を向いているためにその表情は分からない。しかし、その手は男の頭を優しく撫でているので、彼女の命までは取られていない事がわかる。
「アヅちゃん!」
クズシノが何度もアヅナエを呼ぶが、アヅナエはその声掛けに反応を示すことは無かった。
そのため二人は恐れることなく部屋へ入り、アヅナエにもっと近づこうとしたが、もう少し!というところで何かにぶつかり、ロイドはよろけ、クズシノは尻もちをついた。高座には近付けぬような細工がされているのだろう。そこには見えない壁のようながあるらしく、その壁に阻まれそれ以上進むことが出来なかった。
「くっそ!アヅナエを返して!」
直ぐに立ち上がったクズシノが、そんな見えない壁を両手で叩き、大声で叫んだ。叫ぶクズシノの必死な表情を嘲笑うかのように、落花の女は妖艶な笑みを浮かべてクズシノを鼻で笑う。
「返して?何か勘違いしてない?この子は自らの意思で此処に来たのよ?愛しい人と一緒になるために、彼女は自分で選んだの」
「はぁ!?アヅナエは花であることに誇りを持ってたの!それなのにあの子がそんな無碍なことをするわけ…」
「するよ…」
落花の女にクズシノが食って掛かっていると、突然アヅナエが間に入って来た。まだその顔は分からない。しかし、その声には普段のアヅナエには無い、どこか背筋がゾッとする、まるで地の底から死者が這い出てきたかのような恐ろしさがあった。
「アヅ…ちゃん…?」
「ごめんね、クノちゃん…。あたしは花であることよりさ、この人と一緒になりたかったんだよ…」
すると、アヅナエの亡骸を撫でていた手が止まる。
「それなのに、この人ったらあっさり他の女に現抜かしてさ?あたしとは遊びだったって言うんだ。酷い男だろ?」
その話を聞いたロイドとクズシノは驚いた。てっきり客の男は落花の手で殺されたと思っていたからだ。では、この男は何故、こんな姿になってしまったのだろうと疑問が残る。
「でも、あたしは諦めきれなくてね。そしたら、この方が言ってくれたんだ。一つ言う事を聞けば、この人をあたしのものにしてくれるって…」
ゆっくりと、アヅナエが顔を上げる。その顔を見たロイドのクズシノは思わず一歩後退り、余りのことに言葉を失った。
「それで私、頷いちゃったんだ…。でもね…そうしたら本当に、私の所に戻ってきたの…」
不気味に話すアヅナエの肌は生気のない青白い肌色をしている。顔を上げるにつれて艷やかな黒髪は、バサバサとした白髪交じりの…まるで老婆のような髪に変化する。
アヅナエの口が耳にまで届きそうな程に引き裂け、所々歯が抜け落ちていた。鼻は無く、その場所はのっぺりとしていて、辛うじて鼻の穴らしきものが残っている。本来目がある筈の場所は黒く丸い空洞となっており、眼球も瞼も眉も失せていた。
「この人と一緒なら、あたしは幸せさ…」
そう言ってケタケタと笑うアヅナエは、最早本来のアヅナエとは全くの別物であった。
これが夢ならいいと、二人は思った。大切な幼馴染が、親友が、こんな姿になるまで苦しんでいた事に気づけなかった。彼女のことだ。きっと、話してくれなかったろうとは思う。
けれど、出来ることなら、花のように美しくなった彼女のこんな姿は見たくなかった。




