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32話

 それから四人は急いでアヅナエとクズシノが消えたという小川の近くへと急いだ。花街の奥側ということもあってか、現場近くに到着する頃にはすっかり日が沈みかけ、遠くの空は青を深く沈めた闇色が迫って来ていた。


 道中では、やはり花街内部もあちこち騒がしいようで、大門前には今日の営業中止を告げる張り紙と怪しげに揺らめく篝火の赤い炎が揺れて、客達は大きく項垂れ肩を落としていたのだった。

 普段とは違う喧騒と緊張感に包まれている花街であったが、目的の場所が近づくにつれて、その声や騒ぎの音が大きくなってくる。

 そして、そんな川のそばには人集りが出来ていて、その浅い川の中には服を脱ぎ、下着だけの姿となった男達が数人水の中に立っていて、長い木の棒を持ちながら何かを探している様子だった。

 四人がその場に近づくと、彼等に気が付いた男の一人がホシアメに大声をかけた。

「ホシアメ!何処に行ってたんだ!?」

「何処って、香房に…!」

「それどころじゃねぇ!そんなもん若いのにやらせろ!」

 そう言って男は川の中からざぶざぶと音を立てて上がってくると、彼女をとある場所へと案内した。

 その場所には更に多くの人集りがあって、殆どの人間が悲しみに暮れ、時には慟哭していた。時には胸の前で両手を合わせて静かに涙を流している者もいる。

 その中心部には、一枚の茣蓙が敷かれていた。その上には筵が掛けられており、それは丁度、仰向けに寝かせた小柄な少女を一人、すっぽりと覆ってしまったかのような形をしていた。更に、そんな筵の隙間からは水に濡れて色が濃くなった小豆色の髪が覗いていた。

 ホシアメはまさか…と思いながら、それは自分の思い過ごしだと。間違いであってほしいと願いながら、その筵をそっと外した。


 その中で仰向けになっていたのは、水に濡れ、耳と鼻、僅かに開く口から血を流し、半分開いたままの黒い瞳は輝きを失い、黒く濁った虚ろだけが何処かを見ていた。

 当然その身に呼吸は無く、その胸元には、大きな風穴が空いている。

それは…先程まで一緒に居たはずの、ミナユキの亡骸であった。

「ミナユキ…」

 ホシアメは取り乱すことも、涙を流す事もなく、そっと彼女の瞳を閉ざしてやった。

 彼女が着ている赤地に手毬が描かれた着物は、ホシアメのお古を彼女のために仕立て直して貰ったものだ。

 それは昨日出来上がったばかりで、受け取った彼女は頬を紅潮させ、目を輝かせて喜んだ。今日はこれを着て、姐さんと一緒にお座敷に上がるのだと、普段は大人しい少女であったミナユキが珍しくはしゃいでいたというのに…。

 本当ならば、今ここで少女の亡骸に縋りつき涙を流してしまいたい。けれど、彼女の花姫という花街を背負う立場と、直ぐそこに迫っているであろうロイドの危機が、彼女にそれを許さなかった。

「あの子が危険だ…!」

 ホシアメがルネとアイーザに告げ、急いで夜香堂へ戻ろうと提案するがアイーザは落ち着き払った顔をしており、ルネも危機感を覚えている様子は無かった。

「良いのかい!?あのミナユキは偽者なんだよ!?」

 だから早く店に戻ろうとホシアメが急かすが、二人は首を横に振っただけであった。

「問題ありません。ロイドはそれを承知の上で店に残っていますから」

 そう言ったアイーザの顔は普段と変わらぬものだった。そしてルネとアイーザは、周囲に何か手掛かりや痕跡でも残っていやしないかと辺りを調べはじめた。

 それでも!と、ホシアメが二人に詰め寄ろうとしたが、それをカシノヤが止める。

「アメちゃん、そこは私らが足を突っ込むところじゃない。今出来ることは、ミナユキの無念を晴らすための手伝いだけよ」

 そう言われてハッ、と気が付いたホシアメは、冷静を装いながらも、ミナユキの死にかなりの動揺をしていた自分に気が付いた。そして、一旦大きく息を吐く。

「そうね、シノちゃん。そうしなきゃ、あの子が浮かばれない…。あたし達があの子のために泣くのは、それからだ…」

 そうして二人も何か手掛かりはないかと、二人で周囲を見て回る事にした。




 一方その頃、店内ではロイドと偽ミナユキが相対していた。

 皆で集まっていた店の奥で、向かい合うソファに座りながら互いの顔を真っ直ぐ見つめ合ったまま、互いに鋭い視線を外すことなく無言を貫くだけの時間が過ぎていった。

 ロイドは、ホシアメ達がやって来た時からミナユキの違和感に気が付いていた。


 花蕾とは本来、自分が付いている兄さん姐さんの補佐をしながら、花の仕事を覚える事が仕事である。そのため花蕾にとって必須な事の一つに、人相と名を完全に一致させるという項目がある。ほんの一時の間に客の顔を覚え、何か会った時のために必ず記憶しておかねばならいのだ。

 ましてやミナユキは花姫であるホシアメ付きの花蕾だ。花姫、殿花付きとなる者は総じて優秀であり、そういった事にも秀でていなければならない。

 そんな彼女が、僅かとはいえ、観桜の間でロイドと顔を合わせ、軽い遣り取りを交わしている。そんな相手を、花姫付きの彼女が絶対に忘れるわけがないのだ。


 ロイドも幼少時、花蕾となるための修行の際に、何度も何度も口を酸っぱくして教えられた。その顔と名前を覚えるということは、兄さん姐さんが客の顔や名前を忘れても恥をかかぬようにするために絶対に必要なものだから。

 字の読み書き、舞や楽の手習いよりも、花蕾時代はそういった秘書のような役回りが重要となってくる。逆に言うと、それが出来なければ花蕾など絶対に務まらない。

 つまり、ミナユキがロイドの挨拶を無視して、首を傾げるような仕草をするなどあってはならないことだった。

 更に組紐が僅かに熱を持ったことで、ロイドの不信感は確信へと変わる。


 ロイドは、幼馴染であるアヅナエのためにも何かがしたかった。だからこそ、こうして今、ミナユキの姿をした落花と二人になることを選んだのだった。




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