3話
男にばかり意識を取られていると、突然、ギィ…っ、と扉が開いた音がした。
入って来たのは、これまた人の枠を外れた花のような男で、緩く波打つ肩口で揃えられた薄茶色の髪と、白磁の肌、灰色の髪の男よりも緩やかな印象の睫毛が、金色と銀色のオッドアイに影を落としている。
背は、灰色の髪の男より少し高いだろうか。彼も手足がすらりと長く、先程の男よりやや細く、柳のような印象を受ける。
着ているものはアイーザ同様の黒い着物。そして、同様に女物の着物を肩に羽織っていたが、派手さは無く、落ち着いた柄の着物だった。
どこまでも灰色の髪の男に似ているのに、全体的にどこか柔らかい。けれど、この男二人には底しれぬ何かがある…。そんな気がした。
そういえば、煙草屋の主は美しい双子だったな…と、ロイドは思い出した。そして、噂は本当だったのだなと改めて思った。
「おや?客人とは珍しいですねぇ…。アイーザ、接客はどうしたんですか?」
「私は忙しいので…。腐っても一応、外面という面においては貴方の方が優れているんですから、貴方がしてください。ルネ」
どうやら、灰色の髪のカウンターに座る男がアイーザで、今し方やって来た男はルネというらしい。
「全く…。貴方がそう、いつでもどこでもばかすか煙管を吹かしているから、此処が煙草屋だと誤認されるんじゃないですか」
「煙草は煙草の葉を用いるものですよ。私のこれは煙草ではなく、“花”の葉を使用しているので別物です」
「はぁ…、貴方は本当に無駄に頭が回りますねぇ。殊更、言い訳や人を言い包めることに関しては…」
「私は煙管で香を焚き、その香煙を吸っているだけですよ。嗅げばわかりそうなものですが…。随分と鼻が悪いんでしょうね」
「あぁ言えばこう言う…。口の減らない弟を持つと、お兄ちゃんは苦労しますねぇ…」
「同年同月同日に生まれ、血が繋がっているという程度のことで、縁も絆も、私達には何も無いでしょう?」
「アハハ!ある方がゾッとしますよ。そんなもの、あったところで何の価値もありませんし…」
二人の遣り取りに、ロイドはただ呆気にとられ、あんぐりと口を開け、呆然とただ見ていた。
こんなおかしな出会いこそ、ロイドとアイーザのはじめての出会いの一幕であった。
「あ…、あのぉ……」
二人の応酬に、ひっそりとロイドが顔を出す。
「あぁ…、客人相手に失礼でしたね。さて、今日は何をお求めですか?」
ルネが一瞬ハッとして、先程までの柔らかさの中に針を仕込んでいるかのような鋭い顔から、一瞬で接客用の人当たりの良い柔和な笑みに変わる。
対するアイーザは、もう用は済んだとばかりに視線を新聞へと戻し、ルネにもロイドにも興味が失せた様子だった。それに少しだけ、ロイドは落胆を覚えた。
「なるほど、お嬢様に似合う香を…」
「そうなんです。でも、私は全然詳しくなくて…」
様々な御香が立ち並ぶ棚を見ながら、ロイドとルネが並んでそれらを見ていた。しかし、どれが似合うのかなんて、ロイドには分からない。
「なるほど…。では、これなんかどうです?」
そう言ってルネがロイドに見せたのは、桜の形をした香蝋燭だった。
ルネの横顔が近い。
端正で、鼻筋が通り、これほど近くにいるのに、その美しさが崩れる事はない。そんな彼からもアイーザに似た香りがした。
夜の艶と怪しさ、憂いと静寂の中に、秘密を一滴垂らしたような、アイーザよりも靭やかで淡い香りだった。
「私の話、聞いてます?」
「え!?あの…、えっとぉ…すみません…」
「いえいえ、構いませんよ?何に気を取られていたのかは…聞かないであげましょうか」
ふふっ、と小さな笑いには悪戯心が見え隠れする。
「ただ貴方の話が退屈で、諄いからではないですか」
「酷い言い草ですね?お客様の前で無言を貫く、存在自体が退屈な男よりはマシだと思いますけどねぇ…」
アイーザの皮肉に、ルネは笑顔で返す。二人は一切視線も交わさず、表情も変えなかった。
「客の自主性を重んじているだけです。押し付けで客が望まぬ物を買わせても、意味が無いでしょう?」
「だから、外部の全てを遮断し、悩める客人さえも放っておくと?客が何も分からぬままに買わせても、意味が無いでしょうに…」
また始まる二人の皮肉めいた遣り取り。しかし、ロイドはもう驚かなかった。
あまりにやり慣れたその掛け合いは、初対面のロイドにも分かる程の二人の日常なのだろう。だから、ロイドは笑ってしまった。
「ふ…、ふふ、…あははっ」
堪らえようとしたのに、つい漏れてしまった笑い。ロイドはハッとして口を抑えるも、もう遅かった。
二人の視線がロイドに刺さる。やってしまった、と素直に思った。しかし、巻き戻る時はない。だから、ロイドは素直に謝罪した。
「あ、その…、すみません…」
「いえいえ、此方こそ。すみません、客人の前で晒して良いものではありませんでしたね」
ルネはそう言って謝罪をしたが、アイーザは訝しげな表情のまま、無言を貫いていた。
「すみませんねぇ、あんなに立派な図体をしているのに、中身は子供じみたところがありまして…」
「おかしな言い掛かりはやめていただきましょうか。性根からひん曲がっているよりはマシでしょう」
「失礼ですねぇ。私ほど正直で素直な男も、そういませんよ?」
「どの口が言うんですか。詐欺師かペテン師の方がまだ正直な事を言いますよ」
ロイドは笑いを堪えるのを止めた。二人の遣り取りが面白くて堪らなかった。
そんなロイドの姿にルネも笑みを溢したが、アイーザは無表情のままだった。「鉄面皮が…」と、ルネがボソッと呟く。
ロイドはそれにも笑ってしまった。
「すみません。本当にありがとうございました」
高い位置にあった太陽が、随分と傾きはじめている。すっかり長居をしてしまったらしい。
「いえいえ、私達も楽しかったですから。良ければ、また来てくださいね?」
「はい!ルネさんに御香を選んでもらえて良かったです」
「ルネで構いませんよ?貴方も楽しかったでしょう、アイーザ?」
「特には…」
相変わらず表情の無い顔で、アイーザは煙管を吹かしてそう言った。そんなアイーザの姿にもロイドは微笑んでしまう。
「アイーザさんもありがとうございます。じゃあ、私はこれで失礼します」
出口でも二人に向かって、丁寧に御辞儀をしてから、ロイドは店の扉を潜り、光射す外へと出ていった。
すると、途端に店内の灯りは消え、先程までの明るさが嘘のように静寂と闇に包まれる。しかし、アイーザとルネは、そんな深い闇の中にあっても平然としており、アイーザは相変わらず煙管を吹かしていた。
「随分と変わった“花”でしたねぇ。男の体でありながら、宿す花は雌花とは…」
「そんな花が、まだ蕾とは言え、此処に香を買いに来るなど…。なんとも、皮肉なものです」
「しかし、アイーザ。あの“花”、多少膨らんだように見えたのは、私の錯覚でしょうかね?」
「さぁ?何れにせよ、あのまま放っておくのは、些か問題でしょうね」
「はてさて、どうなるでしょうねぇ…」
真っ暗な店内で、カウンターに座ったままのアイーザと、そんな彼の隣に立つルネが、互いにロイドが出ていった扉を見つめながら、淡々と会話をしていた。
硬い蕾は、まだ香ることを知らない。アイーザとルネだけが、その事を知っていた。
何とも意味深な二人の会話であったが、当然、ロイドは知る由もなかった。