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28話

「どちらも、花としては強い妖力を持った者達でした。だからこそ、自らの手に余る心の乱れを抑止できず、呑まれ、堕ちた…」

「心を乱せば、花は堕ちる…」

「必ずしもそうというわけではありませんが、妖力を持つ者は皆、その危険を孕んでいるということです。それに、それは妖である私も…」

「あ…」

 ロイドは花であり、アイーザは妖。どちらも堕ちる可能性を孕んでいる二人だ。当初、落花の話を聞いたときは不安でしかなかった。いつかは自分もそうなるかもしれないという考えがロイドを支配し、気が付けば視野が狭くなっていたらしい。

 そう、二人とも、この均衡を崩せば…堕ちる…。


 いわば、今の二人は細い綱の上を互いの手を取り合ってバランスを保ちながら歩いている…そんな状態なのだ。当然互いが互いの均衡を保っているから、片方が崩れればもう片方も崩れるし、どちらかが裏切れば、そんな細い綱の上では自らを支えきれず真っ暗な奈落に落ちていくだろう。

「私は…絶対にアイーザの手を離しませんからね」

「ロイド?」

 ロイドはそっとアイーザの白い手を取った。ロイドよりも大きく、長く細い白い指が特徴的な手だった。僅かに節が目立つものの、男としては美しいアイーザのその手を、ロイドの手の平部分が広く、屋敷仕事で少し荒れている手が包む。桜色の爪の下にはささくれが目立ち、乾燥でカサつく肌の感触が日々ロイドが仕事を頑張っていた証だろう。

 随分と働き者の手だと、アイーザは思った。

「私が絶対にアイーザを堕ちた妖になんてしません。もし、アイーザが堕ちそうになっても、私がこの手を掴んで離しませんから」

 ロイドが真っ直ぐにアイーザを見つめ、ふわりとはにかんで微笑んだ。アイーザはそんなロイドに呆気にとられるも、彼もまた、ふっ…と、小さく笑い返す。

「では、貴方が堕ちかけたときは、私が助けるとしましょうか。もし堕ちたとしても私は貴方の介錯ができますし、共に堕ちるのも、また一興でしょうから」

「一緒に…?」

「えぇ、二人で共に、暗い水の底に沈んでしまえば、其処が私達だけの世界になるでしょう?」

「私達…二人だけ…」

「そう…。嫌ですか?」

 ロイドは驚いた表情を浮かべ、言葉を無くしていたが、アイーザの問いに緩々と首を横に振って応えた。

「大丈夫。貴方が堕ちたとしても私が貴方を絶対に一人にはしません。だから、そこまで不安になることはありませんよ」

 そう言ってアイーザはソファから重い腰を上げる。ロイドの手が、今だアイーザに縋るようにして彼の手を握っている。アイーザはそれを自ら引き剥がすようなことはせず、その手を自らの両手で握り返し優しく言い聞かせる。

「ロイド、他に不安がありますか?もし懸念が残っているなら、教えてください」

「えっと…あの、不安というか…心配というか…」

「何ですか?」

「買い物に行きたいです…。食べ物の…」

「………。」

 ロイドの言葉にアイーザは軽く吹き出し、肩を震わせ笑いを堪えている。

「仕方ないじゃないですか!このままだと夕飯が無くなっちゃうんですから!」

「確かに、そうですね。では、途中までですが、共に行きましょうか」

「はい!買い物を終えたら真っ直ぐに帰って、こっちにいますね」

「そうしてください。その方が私も安心ですから」


 それからロイドはアイーザと共に裏の世界を歩き、商店街の近くまで送ってもらった。こっそりと一人で路地裏から出てくると、表の世界の商店街は相変わらずの賑わいをみせていた。

 夕飯といっても、ロイドは正直なところ料理が得意ではない…それどころか、てんで駄目な人間だったりする。そのため、食材調達も必要最低限、ロイドでも簡単に調理できそうな食材だけを手に取った。

 キャベツ、玉葱、じゃがいも、人参、ピーマン等の応用しやすいものや日持ちがする野菜と豚肉の薄切りやウインナー等の加工肉。ロイドは魚が好きなので、本当は焼き魚にできる鯵や鮭の切り身などを買いたかったのだが、上手く焼ける気がしないので泣く泣く蒲鉾やちくわ、はんぺん等の練り物で妥協した。

 最後はお米と最低限の調味料を買って、予想以上に大荷物になってしまったと後悔しながら、ロイドは買い物袋を手にさげて境の街付近まで向かう。

 直ぐに裏の世界へ戻っても良かったのだが、あまりにも人通りが多すぎるので諦めたのだ。因みに、裏への戻り方は、此方に来る前にアイーザからしっかりと教わっているので問題ない。

「うぅ…、必要だから買いましたけど、全部真っ黒焦げにしたらどうしたら…」

 自分の料理の腕前が酷いのは、重々自覚しているロイドである。肉野菜炒めを作る事すら、ロイドにとっては難しい。それからお米を炊いて、お味噌汁もなんて…。

「絶対無理ですね…」

 大きな溜息をつきながら歩くロイド。なんだか手の中にある買い物袋が更にずしっと重くなった気がした。

「料理の勉強しとけば良かった…」


 

 商店街の喧騒が遠ざかり、境の街が近づくにつれて周囲を歩く人影も疎らになってきた。そろそろ何処か細い路地を見つけて、裏の世界へ戻ろうと考えていた頃、突然背後から女の声がした。

「あら、お一人では大変じゃありませんか?そんなに大荷物でどうなさったんです?」

 ロイドが背後を振り返れば、其処には一人の女が立っていた。とても美しい女性で、雪のような白い肌と長い睫毛に縁取られた赤い瞳が、何処か雪化粧を施した椿の花を連想させる。長い亜麻色の真っ直ぐな髪を、毛先の部分を結わえて纏め、鴇色の着物を纏うその女性は、その出で立ちこそ控えめであるが、ホシアメやカシノヤのような花姫にさえも匹敵するかのような不思議な魅力があった。

「宜しければ、お手伝い致しましょうか?」

 女がそう言って、ほっそりとした腕をロイドに向け、ロイドの買い物袋へと手を伸ばす。その瞬間、アイーザから貰った組紐が突然熱を帯び、伸びてきた女の手を謎の力が弾いた。

「…っ!?」

「えっ!?」

 女の白い肌が赤く染まり、赤みの強い中心部は酷い火傷痕のようになってしまっていた。

「ちっ…、してやられたわ。可愛い顔してるから、ちょっと誂ってやろうと思ったのに、そんな碌でも無いもの持ってたの…」

 先程までの淑やかそうな女の姿ががらりと変わり、世界の雰囲気までもが様変わりした。

 街並みは変わらないのに、空は紫色に染まり、浮かぶ雲は暗く濁り、周囲を歩いていた人達は段々と動きが遅くなり、その姿は絵に描いたように平坦で、ロイド達の居る世界から彼女の背後へとぐにゃりと歪んで、伸びて、吸い込まれるように消えていく。

 女の表情も一変していて、おっとりとした目元はきつく鋭く吊り上がり、柔和な笑みは強気で妖艶な笑みへと変わる。あからさまに態とらしい科を作り、何がおかしいのか、女は一人で笑いだした。

「貴女は一体…」

 ロイドは僅かに後退り、彼女と距離を取ろうとする。そこでロイドは、落花の件を思い出した。もしかすると、この人は───

「うふふ…、聞いてないの?落ちてしまった花のこと…」

 まさか、こんなところで出会すとは思わなかった。それに、彼女の言い草はまるで、アイーザやルネのことも知っているかのようだった。

「なんで…」

「なんでって…簡単よ?そんな妖の臭いをぷんぷんさせた気色悪い紐をつけてるんだもの」

 女はまた態とらしく自らの鼻を袖で隠し、臭いを払うかのような仕草をする。

「それ、妖の男から貰ったんでしょう?灰色の髪の、陰気臭い、生気のない人形みたいな男…」

 思い出すだけでゾッとするわ。と、言う彼女の言葉に、ロイドは首を傾げることしかできなかった。

 灰色の髪はわかる。だが、残り二つの言葉には頷く事ができない。ロイドには当然、妖で、灰色の髪をしている男の知り合いに当て嵌まる者はアイーザしかいない。

 もしかすると、この人は何か勘違いしているのかもしれないと、ロイドは思ってしまった。

「あの…何か勘違いしてるんじゃないですか?確かにこの組紐をくれたのは妖の男の人ですけど…。貴女が言うような人じゃありませんよ?」

「そうかしら?でも、貴方の組紐には、あの男の妖力と臭いがべったりよ?」

 そう言って、女は笑った。うふふ…あはは…!と、笑いながら、ロイドにゆっくりと近づいて来る。その視線の先にあるのはロイドの腕にある大切な組紐で、ロイドはその紐が巻かれている手を、自らの胸元に持っていき、守るような仕草をした。

 その仕草が、どうやら癇に障ったらしい。彼女はその場で立ち止まり、大きな声で高笑いをした。その顔は一見笑っているようだが、その立ち姿にははっきりとした苛立ちと不快感を示す圧を纏っている。

「あの気持ち悪い男の紐がそんなに大事?あんな男の?貴方を蝕み、人としての貴方を殺してしまうような毒紐が!?」

「大事です。だってこれは、私がアイーザとずっと一緒に居るために必要なものですから」

「あんな男と?ずっと?一緒に…?何も知らないから、貴方はそんなことが言えるのよ…!」

 そう叫び、女はロイドへと飛び掛かる。ロイドは走って逃げるが、最早人では無い彼女の動きと速さでは、蛞蝓が地を這う程度のものでしかなかった。


 そんな時、ロイドの黒い影が、まるで水面となったかのようにちゃぷん…と、一度波打ち、揺らめいた。




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