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19話

「旦那様、お客様がお見えです。初めて見る二人連れの若い男で、当家の若い使用人から膨大な被害を被ったと…」

「なんだそれは…、新手の詐欺師か何かか…?」

「さぁ…。ですが、旦那様と話をせねば帰らないと仰っておりまして…」

「わかった。直ぐに行く」

 それが、二人に会う前の男と女中の会話であった。その会話の通り、屋敷の主である男は最初、新手の詐欺師だろうと信じて疑わなかった。そして、途中で妻とも合流し、彼女も男と同意見であった。

 けれど、そんな二人の考えは直ぐに覆される事となる。


「突然申し訳ありません。ですが、こちらも急ぎでしたので…」

 そう言ったのは、玄関で待たされていたルネであった。彼は先ず非礼を詫び、私はこういう者ですと前置きして、懐から1枚の名刺を取り出した。

 その小さな厚紙には、香房、夜香堂、店主といった文字が並んでいる。その隣の男からも名刺を貰い、それにも同じ文字が見て取れた。

 財界や政界等、それなりの地位や財力を持つ者達であれば、夜香堂の名を知らぬ者はいない。名を知らぬ者がいるとすれば、それらは所詮、ただの成り上がり連中だ。

 香を扱う店として知らぬ者はいない、一級品の高級店である夜香堂。その素晴らしい品々は誰も彼もが虜になり、御上の御用達ともなっている店である。

 しかし、店の場所を知る者は少なく、主人も若い男二人であるということ以外は誰も何も知らないという不思議な店でもあった。けれど、男は今日、その話に合点がいった。それは二人の容姿にあった。

 これ程の美しさだ。きっと、誰彼構わず店の在り処を知ってしまえば人が殺到し、まともに商売出来なくなるに違いない。それほどの容姿をしていた。あまりにも美しいので、些か恐怖すら感じるほどに、青年達の容姿は整っており、人の枠組みを外れた外見をしていた。

 きっと普段通りの旦那様であれば、今しがた貰った名刺が偽物だと考えるるか、少なからず、多少の疑いの目はあっただろう。それにもかかわらず、男の頭にそんな疑問を抱く余地すらなかったのは、偏に彼等の持つ独特の雰囲気が、そんな余念すら抱かせない程に場を支配していたからにすぎない。

 あくまでも丁寧で謙った言い方あるのに、この年若い青年達が纏う空気は只々重く、ずっしりと夫婦に伸し掛かり、二人に頭を垂れねばならないと思わせるほどに、彼等の存在感は凄まじいものだった。

 そしてそれは、応接間にいる今も変わらない。


「暗い時間であったこと、店の鍵をかけ忘れていたこと、店内が真っ暗であったこと」

「そこで転んでしまったというのですから、多少我々にも落ち度はありますし、本来であれば不問とするところです」

「ですが、今回は被害を被った品が品です。完全に不問とすることも致しかねます」

「こちらも、金額弁償しろ、とは言いません。それ以外の条件で…と思いまして、こうして出向いた次第です」

「それに、これは本来、御上に献上するはずであった御品です。値段をつけようもありません」

「そのため、金銭は一切不要です。ですが丁度、少し人手が必要になりまして…」

「従業員に空きができてしまいましてね。それで、その穴埋めに彼を貰い受けさせて頂けないかと」

「勿論、無償で…などとは言いません。必要であれば、相応の金額を御支払いするつもりです」

 ルネとアイーザが交互に畳み掛け、夫婦に返答を迫る。出来ることなら、そんな頼みなど突っぱねてしまいたかった。ロイドは渡せないと、彼は物ではないと、我が家の使用人であり家族だと。


 ましてや、当主とその妻にはロイドを育てた老夫婦との約束があった。

 老夫婦は既にこの世に無い。そんな老夫婦が二人に託したのが、何を隠そうロイドのことである。

 ロイドには身寄りがなく、自分達がこの世を去れば、彼は居場所を無くしてしまうことになる。それだけはどうか勘弁してくれと、老夫婦は最期の瞬間まで、そのことだけを心配していた。

 此処でロイドを手放してしまえば、その約束を違えることになる。ずっと屋敷に仕えてくれた夫婦の頼みを主人である男は聞き入れてやりたかった。けれど今、男の目の前にある重大な問題が、それを酷く困難なものとしてしまった。

 男はからからに乾いた口を、何度も開いては閉じてを繰り返した。妻はそれを、ただ心配そうな面持ちで見ていることしかできずにいた。現に、彼女に出来ることは何もない。

 それを知っているからこそ、彼女は全てを主人である夫に委ねるしかなかったのだ。


 そして、時計の針の音だけが響く部屋の中で、ようやく男が乾いた口を開いて、言葉を発した。




 ロイドはアイーザとルネと共に屋敷を後にしていた。

 あの後、旦那様が言ったのは一言、「ロイドを宜しくお願いします」の言葉だけだった。

 彼は座ったまま、ルネとアイーザにゆっくりと頭を下げ、大きく肩を震わせていた。そんな背中を隣に座る妻が擦り、後ろで控えていた女中頭が静かに涙を流した。

 ルネは心痛な面持ちで、「お任せください。彼を不幸な目になど合わせたりしません。絶対に…」と言葉を返し、ルネも座ったまま頭を下げた。しかし、下を向いた途端に彼の表情は激変した。全て上手くいったとほくそ笑むルネの顔が、そこにはあった。

 そんな空間を、まるで不思議なものを見ているかのような顔でロイドはただ見ており、アイーザはようやく終わったかと、ひっそりと息を吐いた。

 

 そしてロイドはアイーザを伴って自室であった部屋へと向い、そこで簡単な荷造りを済ませてしまう。物が少なく、必要最低限しか持たないロイドはあっさりと自前の古い鞄一つに纏めると、直ぐに屋敷を出てきたのだった。

 屋敷の者たちは皆淋しそうな顔をして、お嬢様は最後までその場に現れることはなかったが、ロイドは「今までお世話になりました」とだけ告げて、頭を下げると、そのままアイーザ達と共に行ってしまった。

 そんなロイドの顔には、最後まで悲しみの色は無く、ただ満面の笑みが浮かんでいるだけだった。




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