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16話

「ずるいです…」

 アイーザに抱きかかえられ、不安定な体勢でありながらも、ロイドはアイーザへと両手を伸ばす。その腕がアイーザの首まで伸びてロイドはアイーザとの隙間を埋め尽くすかのように抱きついた。

 そのまま真っ赤な顔を隠すかのようにアイーザの肩口へと顔を埋めると、一度心を落ち着けるかのように大きく息を吸った。けれど、それは悪手だったと気付いたときには既に遅かった。

 鼻腔にアイーザの妖艶な夜の香りが広がる。まるで、夜霧に濡れた花弁のような冷たい甘さと、ゆっくりと全身を蝕む毒のような危うさを含んだ香りが、人の姿であるときよりも、それはくっきりと鮮やかにロイドの鼻を抜けていく。それが脳にまで広がったような気がして、ロイドは更にアイーザに酔わされてしまっただけだった。

 そんなロイドの激しくけたたましい心音がアイーザへと伝わる。心音と共に体温も上昇しているのか、この温度も温もりも無い世界で、ロイドという存在だけがアイーザにとっての唯一だった。

 そのせいか、アイーザの低い体温がより顕著になる。あくまでもアイーザの人の姿は仮初めであり、花であり人であるロイドの生と死を孕んだ熱と、生と死とは無縁である妖の熱は違う。

 アイーザは少しだけ、この熱を失う事になることを惜しいと思った。けれど、アイーザは妖。そんな事をおくびにも出さず、ロイドの言葉に返事を返した。

「妖ですから…」

「違います。アイーザが狡いんです…」

「私が…?」

「そうですよ!そんな姿見せられたら…、もっと好きになるに決まってるじゃないですか…!」

 まさかの言葉にアイーザの目が僅かに見開かれる。返す予定だった言葉も、皮肉めいた戯言さえも出てこない。薄っすらと開かれたままの唇が何かを紡ごうとはするものの、それは多量の空気を含んで、上手く形に出来なかった。

「こんなにも綺麗で…格好良いなんて……。ずるい以外に、なんて言えばいいんですか…」

 アイーザはロイドが離れていくと思っていた。妖である本来の姿も美しいとも称されるが、それ以上に、やはり恐ろしいという言葉が先に立つ。

 それなのに、まさかロイドがそんな事を言うなんて…。本当に見当が外れた。それも、嬉しい方向に。

 アイーザのためなら、人の器も、自らの安寧も、その生殺与奪の権利すらも簡単に明け渡してしまう。そんなロイドに危うさを覚えつつも、アイーザの口元は笑みを隠しきれてはいない。

「当然でしょう?私達は常に花と共にあり、花をも魅力する妖です。花は当然美しく、その香りは誰も彼もを虜にする。ですが…」

 ロイドは、ゆっくりと肩口から顔をあげ、アイーザを、アイーザだけを見ていた。月も隠れ、花も恥じらい、魚も溺れ、鳥も落ちるという言葉は、稀代の美女のためのものであるが、もしかするとそれは、アイーザのためにこそ存在する言葉なのではないかと、確信してしまいそうになる。

 だって、花であるはずのロイドがこうして視線を奪われ、自らの姿を恥じらい、このまま消える様に隠れてしまいたいのに、既に心は落ちているのだから…。

「そんな花をも虜にする私達が、花より美しいのは当然のことです。自然界においても…特に鳥が分かりやすいでしょうか?」

「鳥?」

「見目麗しく、数多の視線を集める程に華やかな装いをしているのは雄ばかりでしょう?」

「あ…」

「雌の視線を求め、自らを大きく、美しく魅せる。雌が美しいならば雄は更に磨き上げ、美しくなければならない。そうでなければ、選ばれることなどありませんからね」

 なんてことを言うのだろう…。ロイドはそう思わずにはいられない。だって、だって…。それではまるで、その美しさは、ロイドの視線を奪うためにあると言われているように聞こえてしまう。錯覚してしまう。本当に、この男はずるいと思わずにはいられない。

「だからこそ、我々も同様に…いえ、花よりも美しくなければならなかった。だからこそ、私はこうして、自分だけの花を手中に収めることができる」

 アイーザの顔がロイドに近づく。その縮まる距離は終わりを知らず、鼻先が触れてしまいそうな程に近い。

 ロイドはその先を予感して、そっと目を閉じた。

「私は、貴方を手折り、絶対に手放してなどやりません。貴方という花は、一生、私だけのものです」

 どくん…。大きく心臓が鳴り、全身の血管の血が暴れまわる。それなのに頭はやけに静かで、この男の傍らこそが自分の居場所であり、唯一咲くことができる場所なのだと、ロイドの本能が告げている。ロイドはそれに、逆らう術を知らなかった。

 アイーザの唇が、ロイドの唇と重なる。月が薄い雲に隠れ、僅かな街灯の明かりも届かぬその場所で、二人は初めての口づけを交わしたのだった。



 裏の世界を通って、屋敷の近くで表へと戻り、ロイドは屋敷へと帰ってきた。屋敷に灯りは無く、しんと寝静まっている。

 多分、夜が明けたら、お嬢様はロイドにちゃんと香蝋燭を買ってきたのかと問いただすのだろう。誰もロイドの心配などせず、どうせ道にでも迷ったのだと程度にしか思っていないに違いない。

 けれど、そんなことはどうでもよくて…。それよりも、何よりも、今のロイドには、アイーザとの別れが辛かった。

「アイーザ…アイーザ…!」

 真っ暗な屋敷の前で、ロイドは屋敷を一瞥することもなく、アイーザに抱きついたまま離れようとしない。しっかりとアイーザの脇の下から背に腕を回し、アイーザの胸元へと見を埋め、その身が離れてしまわないようしがみついている。

「暫しの別れというだけです。明日の朝、必ず迎えに来ますから…」

 そうは言いつつも、アイーザの腕もまたロイドをしっかりと抱き締めたままだった。ロイドの柔らかな金色の髪に顔を埋め、ロイドが離れていかないように、ロイドを雁字搦めに閉じ込めてしまう。

 深夜という人気のない時間帯とはいえ、人の目とは何処にあるか分からない。ましてや此処は、仕えている屋敷の前。

 そんな場所で見知らぬ男と抱き合う男。特に片方の男は灰色の髪と白磁の肌、豪奢な女物の着物を羽織っており、背が高いロイドよりも更に背が高く、その容貌は人の理を外れた美しさ。

 きっと、誰しもの目線を一点に集めることだろう。けれど、そんなことは知らないとでもいうかのように、二人は月が建物の屋根に掛かるまで、互いの温度の違う温もりを手放したくないというかのように、絶対に離れようとはしなかった。




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