15話
二人は夜香堂を営んでいるが、その御香や香りに関する商品は全て二人が作っている。その香りは唯一無二で、他の追随を許さない素晴らしい香りだと、夜香堂を知る者たちは皆口を揃えて言う。
そんな香の作成方法、素材は全てが不明で、双子しか知らない。
「その知られざる素材こそ、貴方がた花の蜜と花粉なんです」
「大抵の妖はそれを食物の一つとしていますが、我々はそれらを用いて香を作ることができるんですよ」
「まぁ、我々も蜜を食す事はありますが…」
「え?じゃあ、花街に通うのは…」
「香の素材を貰いに行ってるんです。雌花からは蜜を、雄花からは花粉を、そして双方の花弁を数枚貰い、それらを我々の秘術でもって、香へと作り変える」
「それらを貰う代わりに、我々は花街に結界を張り、花を守ることで、持ちつ持たれつ生活しているというわけです。差し詰め、番人であり管理人のようなものですかね」
二人の話を、ロイドは全く知らなかった。ずっと花街にいたというのに、幼い頃にもアイーザやルネには合ったことがない。
すると、ルネは笑って大門が開く華夜楼の営業時間にしか現れないから、それも当然だと言う。そもそも、ロイド達のような花蕾でない子供は花街の奥、部外者が立ち入る事を許されない場所にひっそりと建っている養成所で生活しており、営業時間中は出歩く事を禁止されていたので、会える訳がないのだ。
それくらい、花街というのは閉鎖的で、無闇に外との繋がりを持たないようにしようとしている面がある。そのことに関してもルネが説明してくれた。
「この人間の社会の中で、花や我々のような存在が生きていくには隔離…いえ、線引きが必要なんですよ」
「そうでなくとも、現在も花の存在を知る者が少なからず存在し、人攫いに頼んで手に入れようとするような愚か者が、後を絶ちませんから…」
「我々もたまぁーに、狙われますからねぇ。そんな大馬鹿者達に」
「そうなんですか!?」
花街では人攫いに気をつけろと教わってはいたが、まさかそんな理由だったとは思わなかった。そして、ルネやアイーザのようなこれほど背の高い男を、いくら美しく細身の外見とはいえ連れ去ろうとするとは…、人攫いの執念も凄まじいものだとロイドは少し感心さえしてしまう。
そして、花街がそんな“花”を守るための温室のような場所であることも、今日の出来事すべてが、ロイドには驚くことばかりであった。
「でも、私達は幼い頃、花がそんな存在だとは教わりませんでしたよ?」
「当然ですよ。知っているのは、華夜楼の女将とそれぞれの置屋の主、花殿と花姫となった者だけです」
「それ以上に知られると、どこかで本来の花の意味が漏れてしまう可能性がありますからねぇ…」
それが、ルネとアイーザ、そして花街の秘密だった。それらを話し終えたところでロイドのカップは空になり、ようやく屋敷へ帰ることとなった。
帰りはアイーザが送ってくれることとなり、アイーザに横抱きにされながら、二人は裏の世界の空を駆ける。
やはり裏の世界は静かだ。煌々と冴える銀の月と僅かな街灯だけが、この世界に存在する温度ように感じた。しかし、それは違うと思い直す。
何しろ、ルネもアイーザも、本来は此方側の存在なのだから。
「あの…、アイーザ…!」
「なんですか?舌を噛みますよ」
ロイドは抱きかかえられながら、ふとアイーザに声をかける。アイーザはそう言いながらも空中で制止をかけ、ふわりと音も無く高い建物の屋根に降り立った。
「どうかしましたか?」
「あ…、あの…!もし、私が花になったら…、私もアイーザと同じ側に行けるんでしょうか?」
「は?」
「私も…、アイーザと同じ、裏の住人になれますか?私だけ、表に取り残されるなんてこと…、ない…ですよね…?」
「あぁ、そんなことですか…」
ロイドを抱えたまま、アイーザは何でも無いことのように返事をする。しかし、ロイドにとっては重要な事であるため、更にアイーザに詰め寄ったのだが、アイーザはしれっと言葉を返した。
「大事なことなんです!だって、取り残されたら、私…」
「私が言ったことを忘れましたか?」
そう言われ、ロイドは花になるか問われた時のアイーザの言葉を思い出す。
「その組紐がある限り、私の妖力がその身を蝕み続けます。そして、やがて貴方は人ではなくなり、私無しでは生きてゆけぬ花になるんです」
「な…!?聞いてませんよ!?そんなの…!」
「言ったでしょう?後悔しても知らないと、泣き喚いても私から離れる事はできないと…」
「でも…!少しは言ってくれたって…」
「良いことを教えて差し上げましょうか。妖はね、悠久の時を生きる者が多いせいか、どいつもこいつも揃いも揃って捻くれているんです」
アイーザが笑う。その笑みは、楽しげで、怪し気で、狡猾で、でも、とても艶のある笑いであった。月の光を背にすることで、アイーザの顔には影が落ちる。
アイーザの瞳孔が細く、縦長に尖り、まるで蛇のような瞳へと変化する。瞳の中央から段々と青紫色が白く発光するかのように薄まっていき、右の瞳はすっかり色が失せ、白銀色に染まっていた。
その瞳はまさに煌々と冴える青い月と銀の月のようで、ルネのオッドアイとは鏡写しなのだと気付く。更に爪が伸び、彼の耳から首筋へと黒い鱗を持つ蛇のような痣が浮かび上がる。
きっと、それが本来の彼の姿なのだろう。そんなアイーザの姿に、ロイドの胸は大きく高鳴る。ロイドはただ見惚れていた。
「勿論私も。だからこそ、妖の言葉など簡単に信じて、素直に受け取ってはいけませんよ?」