12話
「花街…って、え?それじゃあ…花街の花はみんな…」
「そうです。この花街で花と呼ばれる者達は皆、貴方と同じ“花”なんです」
ロイドは最初に“花”の説明をされたときのことを思い出していた。どうしてあの時、ロイドは花街の花とアイーザの言う“花”が似ていると思ったのか…。当然だ。なにせ、同じ者であったのだから。
「本来ならば、貴方もこの花街で大切に育まれながら咲くはずでした。なのに、何故外に…?」
「何故って…。私は、花ではないと言われて…。花蕾の位も無くして…、それで…」
「一体誰がそんな事を…。確かに、貴方は蕾でしたが、今はもう、これほどまでに綻んでいるというのに…」
アイーザにそう言われ、ロイドは静かに涙を流した。
幼い頃のロイドはアヅナエと共に稽古に明け暮れ、共に花になろうと誓い合っていた。花蕾を経て、ロイドは花青に、アヅナエは花娘になって、いつかは花殿と花姫となろうと指切りをした。
幼い頃の彼女は男勝りで喧嘩っ早い女の子で、稽古の筋は良いものの、所作や舞はてんで駄目でいつも叱られていた。
しかし、ロイドはそれ以上に駄目で、何をしても筋が悪いと叱られ、花蕾見習い達の中では一番出来が悪いと、見習いとなって直ぐの頃から有名だった。
それでもロイドは彼女との約束のため、毎日毎日、一人で練習をして、その甲斐あってかロイドはアヅナエと共に花蕾となった。
「やったなロイちゃん!これで一緒に夢を叶えられるね!」
「アヅ姉ちゃん…!夢じゃないですよね?私…合格したんですよね…?」
「あったりまえだろ!二人で花の最上位を目指そうって決めたろ?」
「はい…!二人で頑張りましょう!」
「ちんたらしてたら置いてくからね!遅れんじゃないよ!」
そう言って笑い合い、その後アヅナエは当時唯一の花姫付きの花蕾となった。ロイドはといえば、当時の花街は殿花が三人、開花も男の方が数多くいたためにアヅナエ程すんなりとは決まらず、誰の花蕾とするかの結論が出ていなかった。
その日はアヅナエが花姫付きになる事が決まった日の事だった。明日から彼女は今まで生活していたこの、花蕾を育成するための養育施設を出て、その花姫がいる置屋で生活するようになる。そのためロイドとは離れ離れになる日でもあった。
だから、この最後の日は、僅かな隙間の時間に二人で華夜楼へご飯を御馳走になりに行こうと決めていたのだ。
「早くしな!今日は時間が無いんだから!」
「わかってます!でも、少し待ってくださいよー!」
そう言って笑い合いながら二人は華夜楼を目指した。
それが、二人の夢をも切り裂く別れの日になるとは、当時の二人は露とも思っていなかった。
昼間の華夜楼は夜とは違い静かだ。
けれど中では従業員達がせっせと走り回り、夜の営業の準備にも余念が無い。そんな時でも二人が顔を見せれば、アヅちゃん、ロイちゃんよく来たねぇと、声をかけてくれる。
養育施設の同年代の子供達や先生達と共に学び、遊ぶ生活も好きだが、立派な花になれよ!と温かく見守ってくれる大人達がいるこの空間も二人は大好きだった。
そして、女将が優しい笑顔で迎えてくれる。彼女は、この街の皆の母親のような存在でもあったのだ。
「よう来たねぇ、今日は二人の祝いだからね。たんと食べて、明日から頑張りよ」
「うん!」
「はい!」
子供用の小さな御膳に小さな器が並べられている。その中身はロイドとアヅナエの好物ばかりで、二人は目を輝かせ、流れる涎を堪えるのに必死だった。
養育施設では取り合いになる肉。けれど、今日はそんな心配はしなくていい。
大きなお皿の上にはこんがり綺麗なきつね色に焼かれた鶏もも肉が1枚、それは二人の大好物であり、香ばしく焼かれた香りが鼻を擽る。その他にも生麩と蕗の煮物や、ロイドの好物である魚料理、甘味にはアヅナエが好きな、きな粉と黒蜜の葛餅と、二人は綺麗に完食した。
御馳走でした!と二人が元気に御礼を言って、二人は長い廊下を玄関に向かって歩き出す。そんな、帰る直前のことだった。
店の入り口に一人の男がやって来た。女将は知り合いらしく、少し会話をしてから、男を店に招いている。そんな男の横を通り掛かった瞬間、男と目が合い、そのままロイドを呼び止めた。
「おや?君は…?」
「はい?」
男は深い赤色の着物に、渋みのある紫色の羽織を着ていた。男の左目には小さな泣き黒子があり、明るい茶色の髪が顔半分を覆い隠す怪し気な風体でありながら、その目元は優しげで、紅茶のような色をしていたとロイドは記憶している。
そんな男がじろじろとロイドを見て、不思議そうな顔をしていたのだ。
「なにか…?」
「あぁ、すまないな。花街に花でもない子が居るのが珍しくて、つい観察してしまった」
「………え?」
「ちょっとおじさん!ロイドはあたしと同じ花蕾だよ!」
驚き固まるロイドを庇うようにして、アヅナエが前に立ち男に詰め寄った。男は一瞬驚いた顔をして、へらへらと謝罪をする。
「そうだったか。けれど、その子は花にはなれないよ。花じゃなければ、咲くことも出来んからな」
「花蕾なんだからロイドも花だよ!おかしなこと言うな!」
「アヅちゃん落ち着き。ロイちゃんも、今日は二人で帰りなさい。ごめんね、こんな大事な日に…」
女将にそう言われ、呆然と立ち尽くすロイドの手を引いて、アヅナエは店を出た。
「ロイちゃん、気にすることないよ!どうせ適当言ったんだ!」
「うん…」
けれど、それは適当ではなかったのだと、その日の夜、教師に呼ばれたロイドは嫌でも知ることとなった。
「位の…、剥奪…?」
「ええ、花でなければ花蕾にはなれないの。あの方が花ではないと言ったのなら…。ロイド、貴方は花ではないのよ」
その言葉は、どんな言葉よりも残酷で、どんな刃物よりもロイドの心を深く抉った。
「そんな…。でも、合格したのに…。アヅ姉ちゃんと…やく、そく…した…」
「ごめんね。無用な希望を抱かせてしまったのは私達の責任だわ。けれど、この決定は覆らない。ロイド、貴方はもう花蕾ではないの」
ロイドは俯く事しか出来なかった。
視界が滲み、頬に熱いものが流れていく。けれど、ロイドにはそれを拭う気力も残ってはいなかった。
「花にはなれなくても、この花街で生きていく術はいくらでもあるわ。だから、明日からはそういった術を学んで、これからの事を考えなさい」
そう言われ、ロイドの中の何かが決壊し、溢れ出し、止まらなくなって、ロイドは部屋を飛び出した。
背後で教師がロイドを呼んだが、ロイドの耳には届きはしなかった。
もう、アヅナエは此処には居ない。
今日の夕暮れ時に、迎えに来た置屋の人に連れられて、彼女は此処を出ていった。出て行く前の彼女と、再度約束したというのに…。もう、その約束は叶わない。
約束一つ守ることのできない、弱くて惨めな自分から目を背けたくて、アヅナエに呆れられるのが嫌で、周囲の視線が怖かった。
だからロイドは、花街を飛び出したのだった。
「その後、私は今の御屋敷の使用人として働いてた老夫婦に引き取られて…。そして、今はその御屋敷で働いているんです」
「そうだったんですね。辛かったでしょう?」
「いえ、引き取ってくれた両親は優しかったですし、今の生活も…大変ですけど、嫌いではないし…」
そう言ってロイドは涙を流し、ロイドは言葉を詰まらせる。アイーザはそんなロイドに催促せず、彼が話を続けるのを見守った。
「……でも、…でもっ、できることなら…、アヅ姉ちゃんとのやくそく…守りたかった…!」
ぐすっ、と何度も鼻をすすり、畳の上、膝の上で握る己の手の甲に大粒の涙がぽたり、ぽたりと落ちる。静かな室内にはロイドの嗚咽だけが響いていた。