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10話

「ロイド、今回は偶々この店の前に貴方を呼び込めたからこそ、被害は出なかったというだけです。外側であればこうはいかない。貴方も理解しているでしょう?」

「……わかってます。でも…」

「でも…、なんです?」

 首を縦に振らないロイドに痺れを切らしたように、あきれを含んだ声色でアイーザが言う。

 ロイドはその言葉をちゃんと理解し、これ以上彼に失望されたくないというのに、やはり首は動かない。そんなロイドにアイーザは言葉で詰め寄る。

 段々と温度を無くしていくアイーザの言葉に、ロイドは怯みつつも、ゆっくりとその重たい口を開いた。

「私は…、花じゃありません…。身寄りを亡くし、花となる筈だった居場所も無くし、……私は逃げたんです…」

 一度開いた口からは、段々と言葉が溢れはじめる。そして、一度決壊した堰からは止めどなく水が溢れ出すように、ロイドの言葉もまた止まらず。纏まりが無く、支離滅裂な言葉で、それでもロイドは悲痛な叫び声を上げ続けた。

「花じゃないのに花だと言われ…。花だと言ってくれた貴方が、本物の花と戯れて…。私はどうしたらいいんですか!?またそんな姿を見ろと?……私は…、私は、もう…目を潰してしまいたい…」

 ロイドは涙を流しながら、もう見たくない!花じゃない!と繰り返す。その姿は今にも崩れ落ちてしまいそうで、支えが無ければ折れてしまいそうなか弱い花に似ていた。


 しかし、アイーザとルネはロイドに近づく事が出来ずにいた。ロイドの“花”が蜜を滴らせている。

 僅かに膨らむ花蕾から、薄っすらと白く薄い、柔らかな花弁が顔を覗かせている。しかし、その花弁はべったりと汚れ、互いに張り付き固まっていた。

 ロイドは咲かない“花”などではない。咲けない“花”であった。


 未だ蕾でありながら、その隙間から絶えず黄金色の蜜を滴らせ、とろりと甘い香りが唯一人の男を誘う。ロイドは皆の為に咲く“花”ではない。唯一人の誰かの為にだけしか咲けない稀有な花であったのだ。

 その唯一人を、幼い頃から無意識にロイドはずっと待ち続けていた。

 けれど、それは終ぞ現れず、ロイドは花蕾を固く閉ざし、自身の蜜で雁字搦めにしてしまった。そのためロイドは自らの力だけでは咲くことが出来ず、今もこうして、ただ蜜を溢れさせ、アイーザを求める事しか出来ない。

 その香りは砂糖を煮詰めたものよりも格段に甘く、華やかで、鮮やかにかおる。その香りは誰も彼もを虜にしながらその実、誘っているのは一人だけ。

 その何とも罪深く、哀れなその香りは、手に余る程に強すぎて、アイーザもルネも袖口で鼻を覆わなければ噎せ返り、正気を失いそうな程に、この一帯を包み込んだ。


 それほどに重く、強い、ロイドという“花”の意志。アイーザの、アイーザ唯一の花になりたい。花でありたいというロイドの思いが、更に蜜を迸らせる。

 もう、白い花弁は自らの力だけでは開けない。こうして蜜を溢す間も黄金が白に纏わりつき、それが乾いて、開こうとする白を内へと固く閉じ込める。

 そんな流れる金色は、ロイドの涙にも似て、きっとロイド同様に彼の“花”もまた、ずっと泣いていたのだ。


 ロイドという花蕾は、どこか芍薬に似ているとアイーザは思った。蕾のまま蜜を流して誰かを誘い、その蜜で自ら蕾を閉ざし、押し固め、自分の力だけでは咲くことが出来なくなるという、愚かで、放っておけない、とても不器用で美しい花。

 優しく手を掛けてやらなければ、その美しい姿を見ることは出来ない。

 そして、そんな手を掛けて欲しいと願う存在は唯一人だというのだから、見方によってはとても我儘に映るだろう。しかし、アイーザはそんなロイドをいじらしく、愛らしいと思った。

 その蕾の蜜を優しく拭き取り、僅かに揉み解し、切り口を整え、水を与えてやらなければならない。

 アイーザはもう、この花を手折ると決めたから…。


「ロイド…」

 アイーザはゆっくりと泣き叫び、狂乱しているロイドを自らの腕の中へと抱き寄せる。

 ロイドはアイーザの香りに気が付き、そして彼の低い体温に包まれることで安心したのか、徐々にアイーザの腕の中で落ち着きを取り戻した。

「アイーザ…」

「ロイド、今だけで構いません。頷いてください。自身がどれほど残酷で、酷く卑劣な行いをしているかは自覚があります。ですが、私達の立場はそれを許すわけにはいかないんです」

 アイーザの声色は硬く、真剣だった。ロイドの心を案じて自らも揺らいでいるのに、その声音にはその揺らぎを微塵も見せない。

 しかし、逆にそれが不自然で、アイーザの本心をロイドにまざまざと知らしめた。

アイーザ自身はロイドの心の安寧を一番に考えてやりたい。けれど、彼の立場はそれが許されない。それならば、ロイドが頷く他ないのだ。たとえ、ロイドの心は嫌だと叫んでいたとしても、アイーザが傷つくことのほうが、ロイドはもっと嫌であったから。

 ロイドは覚悟を決めるかのように、アイーザの背に腕を回し、ぎゅっと彼の着物をしっかりと掴む。そして静かに、アイーザの腕の中で、小さく頷いた。


「ロイド…」

「その代わり、もうあんな事はしないでくださいね。もう、あんな光景を見るのは嫌です…」

 ロイドを抱きしめるアイーザの腕の力が強くなる。ロイドは身体を締め付けられて苦しい筈なのに、その表情には穏やかな安堵の表情が浮かび、口元には笑みがあった。

「私だけにして…?私だけを愛して、私だけを見て、私だけを愛でてください。アイーザが愛する花は、私だけがいいです…」

「その言葉、後悔しても知りませんよ?それでも構いませんか?」

 腕の中にいるロイドは、今度ははっきりと頷いてみせた。嬉しそうに顔を埋めるロイドに、アイーザにも笑みが溢れる。

 しかし、その笑みはどこか妖しげで、艶があり、酷く満足気な笑みであった。

 その笑みの理由を知るのは、アイーザとルネのみ。そして、そのルネはと言えば、おやまぁ…と、ひっそりと溢したものの、アイーザの本性を知っているためか、表情一つ変えず、僅かに開いた扇子でその口元を隠し、二人から目を逸らしただけだった。


「はいはい、お熱いのも結構ですが、全て終わってからにしてくださいね?アイーザ、ロイドを手折るのはその後、二人で好き勝手にしてください。私の目の届かないところで」

「分かってますよ。ロイド、今は花街へ戻りましょう。続きは…その後、二人だけで…」

「…え?あ…、は、はいっ?」

 ルネとアイーザに揶揄われ、真っ赤な顔したロイドはそのままアイーザに横抱きにされ、夜の境の街の空から眺めていた。

 

 アイーザはロイドを抱えると人とは思えぬ跳躍力で高く飛び上がり、二階建ての屋根の上へと降り立つと、そのまま再度飛び上がり空を駆けた。

 その半歩後ろにはルネがいて、彼も同様に空を駆けている。不思議とロイドに恐怖は無く、そんな非日常な世界の中で、ロイドはあることに気が付いた。

「どの家も明かりが灯ってない…?」

 いくら夜遅いとて、この時間帯で此処まで一帯が真っ暗であるはずがない。しかし、境の街は静まり返り、僅かな街灯が灯るのみで、人の気配も感じられなかった。

「あぁ…。此処は境ですが、人の住まう境とは違いますから」

「境の街なのに、境の街じゃない…?」

「簡単に説明すると、此処は表ではなく裏。人が住まう境の街が表なら、香堂があるこの場所は我々のような人ならざる者。妖が住まう領域というわけです」

 ロイドの疑問にルネが答える。相変わらず彼は笑みを浮かべ、とんでもない事を話しているにも関わらず、それが何でも無いことのように、軽い口調で話した。

「……。われわれ…?」

「おや?あの戦闘を見ても気づかなかったんですか?」

「ただの人間如きが、こうして空を駆けることができるとでも?」

「いえ、普通に考えればそうなんですけど…。改めて突き付けられると、まだ心構えが出来てなくて…」

「では、先程の話も反故にしますか?後悔すると言ったはずですが…」

「それは駄目です!絶対嫌です!勝手にそんなこと言わないでください!」

 ロイドの慌てぶりにアイーザがくくっと、意地悪な顔をして笑う。本心ではなかったのだろう。

 そんなアイーザの様子にロイドはむぅっ、と拗ねたような顔をしながら、自身の両腕をアイーザの首へと回し、顔を埋める。こんな簡単に、この男に振り回されてしまう自分が恥ずかしいと思ってしまった。


「香房を簡単に探し出すことが出来ないのは、このためです。そもそも表には存在しないんですから、見つかる筈もありません」

「我々が呼ぶか、自らの情念にも似た強い執念で境を破るか、それが出来る者でなければ、本来此処には辿り着けないんですよ」

 二人の会話を聞いて、ロイド疑問に思った。では何故、自分はあの店に辿り着く事が出来たのだろうかと…。アイーザはロイドを知らないので、今回のように呼べる筈が無い。しかし、ロイドには結界を破れるほどの強い念も無かった筈だ。

「とは言え、自ら破って入ってきたのは、今のところ貴方だけなんですけどねぇ?ロイド」

「え?」

「普段は死に物狂いの形相で探す姿が痛々しくて、仕方なく呼んでやるのが常でしたから」

「花の本能が、深い深い奥底で、ずっと…ずーっと…、アイーザを探し続けていたんでしょうねぇ」

「だからこそ貴方は香堂の前で座り込み、私の匂いに反応して、此方側に転がり込んできたというわけです」

「うそ…」

「嘘ではありませんよ。だからこそ私もアイーザも表情にこそ出しませんでしたが、酷く驚いたんですし」

「この話は此処まで、一旦境を抜けますよ。抜けたら直ぐ、大門です」


 ずっ…、と重い何かが伸し掛かる感覚がした。しかし、それは一瞬で、無音で無臭の真っ暗な世界から、人々が醸し出す音、香や煙草等の人特有の様々なにおい、花街特有の熱がこもった灯りが周囲を橙色に染め、照らす。

 子供の頃は、それが不安を拭ってくれた。歳を重ね、花と否定された日から、この全てが嫌いになった。そして今、あの暗い世界にいたからか、橙色の熱と明るさが肌に滲みて、少しだけこの全てを懐かしいと思ってしまった。数刻程も時間は経っていないであろうに…。

 境を出た場所は花街そばの細い裏路地で、ロイドは其処でアイーザから降ろされた。彼の体温や匂いが離れていくのを淋しいと思ってしまった事は内緒だ。

 そして三人は、そんな灯りで照らされる方へと歩き出す。




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