第6話 君と歌うまで、詩でしか叫べなかった
夕方、私はリビングのソファに座って膝を抱えていた。母の食器を洗う音が、遠くに感じられる。
スマートフォンの画面を見つめる。詩投稿サイト「Luna」の私のアカウントに、昨夜投稿した詩への反響が想像以上に大きかった。コメント数は三十を超え、「いいね」も百を突破している。
"この詩、心に刺さりました"
"何度読んでも涙が出ます"
"次の投稿を心待ちにしています"
でも、その中に見慣れたアカウント名があった。「Silent_M」。私の初投稿のときから、いつも一番最初にコメントをくれる人だ。今回も最初にコメントしてくれている。
"君の声が、僕の中で響いている"
なぜか、この人のコメントだけは特別に感じられる。
私の詩が、こんなにたくさんの人に届いているなんて。でも今日は、その嬉しささえも心の重さに埋もれてしまう。
通知音が立て続けに鳴り始めた。最初はクラスメートの山田からのメッセージだった。
「凛ちゃん、これ凛ちゃんが書いたの?すごいね」
添付されているのは、私の詩のスクリーンショット。誰かが私のアカウント名から、私だと特定したらしい。心臓が早鐘を打つ。
だが、それは始まりにすぎなかった。
さらに通知が雨のように降り注ぐ。クラスの女子グループから、部活の先輩から、そして見知らぬアカウントからも。
"詩人さんだったんだ〜。でも、なんか暗くない?"
"家族のこと書いてあるけど、大丈夫?"
"家庭の事情をネットに晒すなんて…"
"身バレして大変だね"
"親に見られたらヤバそう"
最後のコメントが胸に突き刺さった。私は慌ててスマートフォンを閉じた。まさか、学校にバレるなんて。しかも、こんな形で。
「凛、お疲れさま」
母親が振り返って微笑みかけてくる。でも、その笑顔の裏に隠れているものを私は知っている。昨日の夜、お風呂場から聞こえてきた電話での会話。「また今度会いましょう」という、父親には絶対に使わない甘い声。
そして今朝、リビングのテーブルに置かれた旅行パンフレット。「一人旅特集」という文字が、なぜか心に重くのしかかった。
「ただいま」と私は小さく答えた。
夕食の時間。いつものように、私たち家族は食卓を囲んだ。父親は疲れた顔をして黙々と食べている。弟は学校の話をしているけれど、その声さえも今夜は上の空に響く。
でも今日は、弟の様子がいつもと違った。時々、私の方をちらっと見ている。まるで何かを言いたがっているみたいに。
私は母親を見た。いつもと変わらない表情で、弟の話に相づちを打っている。でも、その手が時々震えているのを、私は見逃さない。
スマートフォンが食卓の隅で光った。また通知だ。今度は学校の先輩からのメッセージ。内容を見て、血の気が引いた。
「凛ちゃんの詩、Xで拡散されてるよ。いろんな人がリツイートしてる。『高校生の家族告発詩』って話題になってる。大丈夫?」
Xって。まさか、そこまで広がってしまったの?
「お母さん」
私が声を出した瞬間、家族全員の視線が私に向いた。私の心臓が早鐘を打つ。
「最近、夜遅くまで起きてることが多いよね」
母親の箸が、宙で止まった。
「……そう、かしら」
「昨日も、夜中に電話してたでしょ?」
言ってしまった。もう戻れない。空気が重くなる。
「凛、それは...」
「誰と話してたの?」
私の声は震えていた。でも止められなかった。
「そんなこと……」
母親の声が小さくなって、消えそうになる。
「私には関係ないの……?ここに、いるのに」
母の箸がテーブルに置かれる音だけが響いた。父親と弟の咀嚼音さえも、止まってしまう。
「……それでも、あなたは、まだ子どもなのよ」
母親が顔を上げない。その横顔が、まるで何かから逃れたがっているみたいに見える。
「子どもだから、家族のことは知らなくていいの?」
「凛…」
「みんな分かってるのに、誰も何も言わない」
私も立ち上がった。
「この家では、本当のことを言っちゃいけないの?」
母親の肩が、小さく震えた。
そのとき、弟が静かに口を開いた。
「……お姉ちゃん」
私たちは弟を見た。
「ぼく、ずっと寝たふりしてたんだ。お母さんとお父さんの声、聞こえてたから」
弟の声が震えている。
「夜中に、お母さんが泣いてる声も。お父さんが溜息ついてる音も。全部、聞こえてた」
母親の顔が青ざめた。
「それに……」
弟が涙を浮かべながら続けた。
「お母さんが、車の音がする夜、一人で外に出て行こうとしてるのも見た。大きな鞄を持って」
父親がはっと顔を上げた。
「でも、聞こえないふりをするの、疲れちゃった」
「お母さんが、他の人と...」
「……やめて」
母親の声が、かすれた。
でも、その時母親は立ち上がった。そして突然、私たちを見回した。
「もう、やめましょう。全部」
母の声が、急に強くなった。そして、私が想像もしていなかった言葉を口にした。
「そうよ、私は家を出ようと思ってた。明日の朝に。あなたたちを置いて」
私は息を呑んだ。父親も弟も、凍りついている。
「荷物はもう、車に積んである。でも……」
母親が私を見た。その目に、涙が光っている。
「凛の詩を読んで、変わったの。いえ、変わろうと思ったの」
「え?」
「お父さんがスマートフォンで見つけて、昨日の夜。あなたの詩を読んで、私、初めて分かったの。あなたが家族をこんなに愛してるって。私が逃げ出そうとしてることが、どれだけあなたたちを傷つけるかって」
母親が泣き始めた。
「私、自分のことしか考えてなかった。でも、あなたの詩には、みんなの痛みが書かれてた。弟の、お父さんの、そして私の」
「だけど」
父親が急に立ち上がった。その表情は、私が見たことがないほど厳しかった。
「凛、お前のその詩というのは何だ?」
私はどきりとした。父親の声に、怒りが混じっている。
「なぜ家族のことを、外に出した?」
「お父さん……」
「お前は家の恥を、世界中に晒したんだぞ!」
母親が慌てて止めに入った。
「あなた、やめて」
「やめるもんか!娘が家族の恥を詩にして、ネットで公開してるんだぞ!近所の人に知られたらどうするんだ!」
私は食卓を離れ、二階に駆け上がった。部屋のドアを静かに閉めて、ベッドに倒れ込む。
父親の怒鳴り声が、階下から聞こえてくる。母親が謝る声。弟が泣く声。
私のせいだ。全部、私のせいだ。
詩を書いたから。投稿したから。身バレしたから。
家族がバラバラになってしまった。
スマートフォンが鳴り続けている。学校の友達からのメッセージが次々と来る。でも今は見る気になれない。
だが、気になってしまって画面を開いた。
「凛、大変なことになってる。Xで拡散されて、まとめサイトにも載ってる」
まとめサイト?私は震える指でリンクを開いた。
『高校生の告発詩が話題「家族の秘密を暴露」「ネット時代の新しい家族問題」』
私の詩が、勝手に「家族告発」という文脈で紹介されている。コメント欄には、知らない人たちの意見が並んでいる。
"親の浮気を詩にするなんて"
"家族の問題は家族で解決しろ"
"でも気持ちは分かる"
"これが現代の若者の表現方法なのか"
私は窓を開けた。夜風が頬に当たる。静かに家を出て、近くの公園まで歩いた。街灯の光が、私の影を長く伸ばしている。
静雄に電話をかけた。なぜか、今夜は静雄の声が聞きたかった。
「もしもし?佐藤さん?」
「静雄くん…」
「どうしたの?声が震えてる」
「家にいられなくなって…公園にいるの」
私は今日起こったことを話した。詩が拡散されたこと。母親との衝突のこと。父親が怒ったこと。家族の沈黙のこと。そして、母が本当に家を出ようとしていたこと。弟が実はずっと我慢していたこと。
「それと、学校に詩のことバレちゃった。ネットでも話題になってる」
「……実は、僕もそれで電話しようと思ってたんだ」
「え?」
「今日、担任の田中先生に呼ばれた。君の詩のことで」
私の血の気が引いた。
「PTAの保護者の一人が、君の詩を見つけて、『家庭の問題を公にするような生徒がいるのは問題だ』『学校の指導に問題があるのではないか』って学校にクレームを入れたんだ」
「そんな…」
「それだけじゃない。教育委員会にも連絡が行ってるって」
私は膝から崩れ落ちそうになった。
「先生は君の味方だよ。でも、学校側としては対応しなくちゃいけないって。明日、緊急の職員会議があるって言われた」
「文化祭での発表も…」
「それも含めて、全部検討中だって言われた。最悪の場合、君は停学になるかもしれない」
停学。私は公園のベンチに座り込んだ。
「でも、僕は君と歌いたい」
「どうして?こんな問題ばかり起こして」
「佐藤さん…実は、僕、君に伝えなければいけないことがあるんだ」
静雄の声が震えた。
「僕、Silent_Mなんだ」
私は息を呑んだ。
「君の詩に、いつも最初にコメントしてた。匿名で」
「どうして…?」
「僕も、家族との関係で悩んでた。父親は音楽家だけど、僕が声を失った時、『才能がないなら音楽はやめろ』『お前のせいで家族の恥だ』って言ったんだ。母親は、それをかばってくれなかった」
静雄が続けた。
「でも、君の詩を読んでるうちに、『声を失う』ことと『声を出せない』ことは違うんだって気づいた。君は詩で、本当の声を出してた」
私は涙が止まらなくなった。
「君の詩のおかげで、僕も家族と話せるようになった。父親に、『僕は音楽が好きだ。でも、君が期待するような才能はない。それでも音楽を続けたい』って言えた」
「静雄くん…」
「父親は最初怒ったよ。でも、君の詩を見せたんだ。『この子も、家族のことで苦しんでるけど、それでも家族を愛してるって詩に書いてる。僕もそうなんだ』って」
「そんなことまで…」
「だから、一緒に歌いたいんだ。たとえ学校に禁止されても、たとえ世界中が反対しても」
電話を切った後、私はベンチに座ったまま夜空を見上げた。静雄が、ずっと私の詩を読んでくれていたなんて。そして、静雄も家族との関係で苦しんでいたなんて。
でも、私の詩は本当に正しかったのだろうか?
家族を傷つけて、学校に迷惑をかけて、ネットで話題になって。
私は何をしているのだろう。
私はスマートフォンを取り出して、新しい詩を書き始めた。
今日のこと。家族の真実のこと。静雄との出会いのこと。そして、たとえ学校に反対されても、世界に批判されても、歌いたいという気持ちのこと。
タイトルは「声」。
『黙っていた声が 言葉の隙間で叫んでた
涙になれずに 沈んだままの想いがある
母の背中に浮かんだ痛みも
弟のまつ毛に残った問いも
父の怒りに隠れた寂しさも
声にならない声の合唱だった
でも今は 震えててもいい
批判されても 嫌われても
あなたと 声を重ねたい
それが、私の答え
声を出すのは怖いけれど
黙っているのはもっと辛い
本当の声で歌いたい
たった一人でも 届くなら』
投稿ボタンを押した瞬間、胸の奥で何かがほどけた。
すぐにコメントがついた。Silent_M――静雄からだった。
"君の声が、僕の声を呼び覚ましてくれた。今度は一緒に歌おう。何があっても"
家に帰ると、リビングに明かりがついていた。でも、さっきとは空気が違った。
父親、母親、弟が、テーブルを囲んで座っている。そして、スマートフォンがテーブルの真ん中に置かれていた。
「凛」
父親が私を見た。目が赤い。
「俺は、間違ってた」
父親の声が震えている。
「お前の詩を、全部読んだ。お前がどれだけ家族を愛してるか、どれだけ苦しんでたか。俺は父親として、最低だった。お前がこんなに苦しんでるのに、怒ることしかできなくて」
母親も立ち上がった。
「私も。でも、あなたの詩を読んで、分かったの。逃げちゃいけないって。問題なのは、私の心なの。家族が問題なんじゃない」
弟が私のところに来て、小さく言った。
「お姉ちゃん、ぼくのこと、ちゃんと見ててくれたんだね。詩に書いてくれて、ありがとう。でも、お姉ちゃんが悪いこと書いたなんて思わない」
私たちは、その夜初めて本当に話し合った。母親の孤独、父親の後悔、弟の我慢、そして私の苦しみ。全部をテーブルの上に並べた。
「一人になりたかった」
母親がぽつりと言った。
「家族がいるのに、一人になりたいなんて、おかしいでしょ?でも、そう思ってしまう自分が嫌で、余計に苦しくて」
「それも本当の気持ちなんでしょ?」
弟が言った。
「でも、凛の詩を読んで気づいたの」
母親が私を見た。
「私、あなたたちを愛してる。だから苦しかったんだって」
父親も話した。仕事に逃げていたこと。家族と向き合うのが怖かったこと。そして、私の詩を読んで、初めて家族の気持ちが分かったこと。
私も話した。詩でしか本当のことが言えなかったこと。家族を愛してるのに、苦しかったこと。そして、学校で問題になったけれど、それでも歌いたいということ。
「学校で問題になったって?」
父親が眉をひそめた。
「PTAの人が、私の詩を問題視してて…文化祭の発表も禁止されるかもしれない。最悪、停学になるかも」
「そんなの、おかしいでしょ」
弟が言った。
「お姉ちゃんの詩、すごくいいのに。お姉ちゃんが悪いことしたなんて思えない」
母親が立ち上がった。
「明日、学校に行く」
「え?」
「私があなたの詩を読んで変わったって、先生に話す。あなたの詩は、家族を救ってくれた」
父親も頷いた。
「俺も行こう。凛の詩は、恥じることじゃない。誇るべきものだ。俺たちが、凛の詩から学んだことを話そう」
しかし、翌日の朝は、私が予想していた以上に厳しいものだった。
学校に着くと、生徒たちの視線が痛いほど私に注がれた。廊下を歩くたびに、ひそひそ話が聞こえてくる。
「あの子が詩を書いた子よね」
「家族のこと、全部ネットに書いたんでしょ」
「ちょっと重すぎない?」
「でも、気持ちは分かる気がする」
賛否が真っ二つに分かれているのが分かった。
一時間目が始まる前に、担任の田中先生が私を呼んだ。
「佐藤さん、今日の三時間目、特別に時間をもらったから、職員室に来てください。ご両親も来てくださいます」
「はい…」
「それと、昨日の夜、新しい詩を投稿しましたね?」
私は頷いた。
「あの詩も、話題になってます。今度は、応援のコメントが多いようですが」
え?私は慌ててスマートフォンを確認した。
昨夜投稿した「声」という詩に、百を超えるコメントがついていた。そして、その大部分が応援のメッセージだった。
『この子の勇気に感動しました』
『家族の問題を隠すより、向き合う方が大切だと思います』
『詩の力ってすごいですね』
『私も家族と話し合うきっかけをもらいました』
そして、見知らぬアカウントからの長いコメントがあった。
『私は四十代の母親です。あなたの詩を読んで、娘と初めて本当の話ができました。親だって完璧じゃない。でも、子どもに正直に向き合うことの大切さを教えてもらいました。ありがとう』
涙が出そうになった。
三時間目、私は職員室に向かった。そこには、両親と田中先生、そして教頭先生が待っていた。
「佐藤さん、まず確認ですが、問題になっている詩は、すべてあなたが書いたものですね?」
教頭先生の声は厳しかった。
「はい」
「家族のプライベートな内容を、ネット上で公開することについて、どう思いますか?」
私は両親を見た。母親が頷いてくれた。
「私は…家族を愛してるから、苦しかったんです。その気持ちを詩にしました」
「しかし、それが原因で保護者からクレームが来ています。『学校の指導に問題がある』と」
そのとき、父親が口を開いた。
「教頭先生、私から話させてください」
「はい」
「私は昨日まで、娘の詩を知りませんでした。そして知った時は、正直怒りました。家族の恥を晒したと思ったからです」
教頭先生が身を乗り出した。
「しかし、詩を全部読んで気づきました。娘は家族を愛してるんです。だからこそ、苦しかった。そして、その苦しみを詩にすることで、家族みんなが変わることができました」
母親も続けた。
「私は、実は家を出ようと思っていました。でも、娘の詩を読んで、逃げちゃいけないと気づいたんです。娘の詩は、私たち家族を救ってくれました」
教頭先生の表情が、少し和らいだ。
「しかし、他の保護者からの懸念もあります」
そのとき、田中先生が資料を出した。
「実は、昨夜から今朝にかけて、保護者の方々からたくさん連絡をいただきました。クレームだけでなく、支持の声も多いんです」
「支持?」
「佐藤さんの詩を読んで、『うちでも家族で話し合うきっかけになった』『子どもの正直な気持ちを聞けて良かった』という声です。三組の保護者の方は、『この詩をきっかけに家族関係が良くなった』とおっしゃっています」
私は驚いた。
「それで、生徒会の方からも要望が出ています」
そのとき、ドアがノックされた。生徒会長の鈴木さんが入ってきた。
「失礼します。佐藤さんの件でお話があります」
「どうぞ」
「佐藤さんの詩について、生徒の間で話し合いが持たれました。その結果、文化祭で佐藤さんに朗読をしてもらいたいという声が多数出ています」
教頭先生が驚いた。
「クラスでも、学年でもない、全校生徒からの要望です。佐藤さんの詩は、みんなの心に響いています」
鈴木さんが私を見た。
「私も、あなたの詩を読んで、母親と初めて本当の話ができました。きっと他にも、同じような生徒がいると思うんです」
教頭先生が考え込んだ。
「分かりました。しかし、条件があります」
私たちは身を乗り出した。
「文化祭での発表は許可します。しかし、事前に詩の内容について、保護者会で説明をしてください。そして、佐藤さんには、詩を書く責任について考えてもらいたい」
「責任?」
「言葉は人を救うこともあれば、傷つけることもある。あなたの詩は多くの人を感動させましたが、同時に心配や批判の声もありました。その両方を受け止めて、これからも詩を書き続けてください」
私は深く頷いた。
「はい」
午後、私は静雄と屋上で会った。
「決まったんだね、文化祭での発表」
「うん。でも、責任も重いって分かった」
「僕も一緒に歌わせてもらえることになったよ。田中先生が掛け合ってくれて」
静雄が私を見た。
「君の詩のおかげで、僕も家族と向き合えました。父親に『音楽を続けたい、でも僕のやり方で』って言えました。最初は反対されたけど、君の詩を見せたら、父親も理解してくれた」
「良かった…」
「一緒に歌いましょう。僕たちの本当の声で」
その日の夜、私は家族と一緒に夕食を食べながら、文化祭の話をした。
「緊張するなあ」
弟が言った。
「お姉ちゃんが有名人になっちゃった」
「有名人って…」
母親が笑った。
「でも、凛の詩のおかげで、この家は変わったのよ。本当に」
父親も頷いた。
「俺も、もっと家族と話そうと思った。凛の詩を読んで、どれだけ大切なものを見失ってたかが分かったよ」
私は温かい気持ちになった。
「お母さんは、もう出て行かないの?」
「出て行かない。逃げない。この家族と、ちゃんと向き合う」
夜、私は新しい詩を書き始めた。家族との和解のこと、静雄との出会いのこと、そして文化祭への想いのこと。
でも今度は、投稿する前に家族に見せた。
「どう?」
弟が真剣に読んでいる。
「すごくいい。お姉ちゃんの本当の気持ちが書いてある」
父親と母親も頷いた。
「今度は、批判されるかもしれないけど、応援してくれる人もいると思う」
私は詩を投稿した。タイトルは「家族」。
『愛してるから 苦しかった
大切だから 言えなかった
でも今は 全部話そう
涙も 怒りも 寂しさも
家族だから 分け合える
完璧じゃなくても
それでも 一緒にいたい』
投稿すると、すぐにSilent_Mからコメントが届いた。
『家族の愛の形が、とても美しく描かれています。僕も家族との関係を見つめ直すことができました。文化祭、一緒に歌えることを楽しみにしています』
その夜、私は安らかに眠ることができた。
文化祭当日の一週間前、保護者説明会が開かれた。私と両親は、たくさんの保護者の前で私の詩について説明することになった。
体育館には五十人以上の保護者が集まっていた。最初にクレームをつけた保護者の方も来ていた。
「皆さん、お忙しい中お集まりいただき、ありがとうございます」
教頭先生が説明会を始めた。
「佐藤凛さんの詩について、ご心配をおかけしました。今日は、佐藤さんご家族から直接お話を聞いていただきたいと思います」
私の番が来た。マイクを持つ手が震えている。
「私は佐藤凛です。詩を書いて、皆さんにご心配をおかけしました」
会場は静まり返っている。
「私の詩は、家族への愛から生まれました。でも、その愛を上手に表現できなくて、苦しかったんです」
私は深呼吸した。
「家族の問題を外に出すことが良いことなのか、今でも分からない部分があります。でも、私の詩を読んで、『家族と話し合えるようになった』と言ってくださる方もいます」
一人の保護者の方が手を上げた。
「佐藤さん、あなたの詩を読んで、うちでも親子で話し合うきっかけになりました。最初は驚きましたが、今は感謝しています」
別の保護者の方も立ち上がった。
「家族の問題を隠すより、向き合うことが大切だと、娘に教えられました」
しかし、最初にクレームをつけた保護者の方も発言した。
「気持ちは分からないでもありません。しかし、ネットで拡散されることのリスクも考えるべきです」
私は頷いた。
「その通りです。私も今回のことで、言葉の持つ力と責任を学びました。これからは、もっと慎重に、でも正直に詩を書いていきたいと思います」
母親も立ち上がった。
「私から一言お話させてください」
会場の注目が母に集まった。
「私は娘の詩を読むまで、家族から逃げ出そうとしていました。でも、娘の詩に書かれた愛を見て、もう一度家族と向き合う勇気をもらいました」
母の声が震えている。
「娘の詩は、私たち家族を救ってくれました。だからこそ、他の家族にも何かを届けられるかもしれません」
父親も続けた。
「最初は恥だと思いました。でも、娘の勇気に学びました。家族として、娘を誇りに思っています」
会場の空気が少しずつ変わっていくのを感じた。
最終的に、文化祭での発表は賛成多数で承認された。ただし、「家族の絆と詩の力」というテーマで、教育的な意味を持つ発表として位置づけることになった。
文化祭の前日、私と静雄は最後のリハーサルをした。
「緊張する」
私が言うと、静雄は優しく笑った。
「僕もだよ。でも、君と一緒なら大丈夫」
「ありがとう、静雄くん。あなたがずっとSilent_Mとして支えてくれていたから、ここまで来られた」
「僕の方こそ、君の詩に救われた」
私たちは、もう一度歌の練習をした。私の詩「声」に、静雄が美しいメロディーをつけてくれていた。
文化祭当日。
朝から小雨が降っていたが、午後には晴れ間が見えた。まるで私たちの心境を表しているみたいだった。
午後二時、私たちの発表の時間が来た。体育館には生徒、保護者、先生方が詰めかけていた。
舞台の袖で、私は家族の顔を探した。最前列に、父、母、弟が座って、私に手を振ってくれている。
「佐藤凛さん、山川静雄さん、準備はいいですか?」
司会の先輩が声をかけてくれた。
「はい」
私たちはステージに立った。会場は静まり返っている。
「今から歌う歌は、『声』という詩に曲をつけたものです」
静雄がマイクに向かって言った。
「僕たちは、長い間声を出すのが怖かった。でも、今日、皆さんに本当の声を聞いてもらいたいと思います」
私は息を深く吸った。客席の母親の目に、涙が光っているのが見えた。
『黙っていた声が 言葉の隙間で叫んでた
涙になれずに 沈んだままの想いがある』
最初は震えていた私の声が、だんだん強くなっていく。
『母の背中に浮かんだ痛みも
弟のまつ毛に残った問いも
父の怒りに隠れた寂しさも
声にならない声の合唱だった』
静雄の歌声が重なる。彼の声も、最初は小さかったけれど、だんだん響くようになった。
『でも今は 震えててもいい
批判されても 嫌われても
あなたと 声を重ねたい
それが、私の答え』
会場から、すすり泣く声が聞こえてきた。
『声を出すのは怖いけれど
黙っているのはもっと辛い
本当の声で歌いたい
たった一人でも 届くなら』
最後のフレーズを歌い終わったとき、会場は静寂に包まれた。
そして、大きな拍手が起こった。スタンディングオベーションだった。
客席で、母親が立ち上がって拍手している。父親も、弟も。クラスメートたちも、先生方も。
あの最初にクレームをつけた保護者の方も、立ち上がって拍手してくださっていた。
私と静雄は、お互いを見つめて微笑んだ。やっと、私たちは本当の声を見つけることができた。
ステージを降りるとき、たくさんの人が私たちのところに来てくれた。
「素晴らしい歌でした」
「感動しました」
「勇気をもらいました」
一人の女子生徒が、涙を流しながら私のところに来た。
「佐藤さん、ありがとう。私も家族のことで悩んでたけど、今日話してみようと思う」
無口で有名な山田くんも、小さく言った。
「ぼくも…お母さんに本当のことを話してみる」
家族のところに戻ると、弟が私に飛びついてきた。
「お姉ちゃん、すごかった!」
母親が私を抱きしめた。
「凛、ありがとう。あなたの勇気が、私たちを変えてくれた」
父親も、普段は見せない優しい表情で私を見た。
「凛、お前を誇りに思う」
夕方、家に帰る途中で、私は静雄と並んで歩いた。
「今日は、本当にありがとう」
「僕の方こそ。君のおかげで、僕も変われた」
「これからも、一緒に歌える?」
「もちろん。今度は、どんな詩を書くの?」
私は空を見上げた。夕日が雲の隙間から美しく差し込んでいた。
「今度は…希望の詩を書きたい」
「希望?」
「うん。家族も、友達も、みんなが本当の声で話せるような。そんな世界を願う詩」
静雄が微笑んだ。
「それは素敵だね。僕も、そんな詩に曲をつけてみたい」
家に着くと、リビングのテーブルに手作りのケーキが置かれていた。
「お疲れさまのケーキよ」
母親が笑いながら言った。
「今日は、凛の日にしましょう」
私たち家族は、ケーキを囲んで座った。弟が嬉しそうにろうそくに火をつけてくれた。
「何かお願い事は?」
父親が聞いた。
私は目を閉じて、心の中で願った。
「この家族と、ずっと一緒にいられますように。そして、私の詩が、誰かの心に届き続けますように」
蝋燭の火を吹き消すと、家族からの拍手が響いた。
その夜、私は新しい詩を書いた。タイトルは「希望」。
『声を出すのは勇気がいる
でも、誰かが聞いてくれている
家族も 友達も 知らない誰かも
みんなが自分の歌を歌える世界で
私は今日も 詩を書こう
震える手で でも確かな想いで
本当の声は きっと届く
愛は 言葉になって 歌になって
永遠に響き続ける』
投稿すると、またたくさんのコメントがついた。Silent_Mからも、他の読者からも。
"あなたの勇気に感動しました"
"私も家族と向き合ってみます"
"詩の力を信じています"
そして最後に、新しいアカウントからのコメントがあった。
『今日、文化祭で歌を聞いた保護者です。最初は心配していましたが、今は応援しています。頑張ってください』
私は微笑んだ。詩から始まった小さな声が、歌になって、たくさんの人に届いた。
これからも、私は詩を書き続けよう。家族への愛を、友情を、そして希望を。
本当の声で。